【短編版】子猫令嬢は婚約破棄されて、獅子となる

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「リディ・ヴェルジール公爵令嬢よ。貴殿は私、第一王子ミカエラ・ウィンドリアスの婚約者でありながら、未来の妃に相応しくない振る舞いをした。さらに、私の隣にいるルルア・キシュラー男爵令嬢に数々の嫌がらせをしたであろう。よって、本日をもって貴殿との婚約を破棄し、ここにいるルルアを新しい私の婚約者とする」  ミカエラが婚約破棄宣言を高らかに言うと、聴衆は皆ざわざわとし始めた。  それはそうだろう。  なんといったって、今日のこの日は貴族令息や令嬢たちが通うこの学院の卒業式である。  卒業生代表としての言葉を言い終えたミカエラが、壇上から見下ろすようにして在校生の席の一番端っこにいるリディに向かってさっきの宣言をしたのだ。  厳かな卒業式の場での行なわれた大スキャンダルともいえるこの「婚約破棄」に、皆の注目が一気に集まった。  その場にいた貴族令嬢たちはひそひそと噂話をし、リディのほうにチラチラと視線を向けている。  貴族令息たちも同級生たちと話したり、露骨にリディを引いた目で見たりしている。 (やはり、婚約破棄を仰るのですね)  リディは心の中でそう言うと、一つため息を吐いて目を閉じる。  そうして自分の中で覚悟を決めた彼女は、目を開いて顔をあげた。 (ミカエラ殿下、このお話をする時が来てしまったのですね……)  リディは椅子から立ち上がり、ゆっくりと壇上へ向かう。  ミカエラの顔は満足そうな顔をしており、その隣に立っているルルアもほくそ笑んでいた。 「なんだ、言いたいことでもあるのか? 言えるわけないよな? 『子猫令嬢』リディのお前が」  ミカエラの高笑いが講堂内に響き渡った。  しかし、彼の嘲笑に動じることなく、リディは告げる。 「ミカエラ殿下、あなたにとって私では不足だったのかもしれませんね」 「そうだな、この高貴で勇猛果敢な『獅子』の私にお前では釣り合わなかったようだ。同じ『獅子』でもお前ではなく、ここにいるルルアの方がよほど未来の妃として才がある」  ミカエラの言葉にルルアが口元をおさえて、瞬きを一つした。   (ルルア様、口元をおさえているけれど、笑っているわね)  リディは内心そう思った。  しかし、彼女の態度を気にすることなくリディは自らのスカートの裾をちょんとつまんで、壇上にいる二人にお辞儀をした。 「ミカエラ殿下、わたくしリディ・ヴェルジールはあなた様からの婚約破棄のお申し出を受けさせていただきます」 「なんだと……?」  あまりにもすんなりとリディが婚約破棄を受け入れたため、ミカエラは怪訝そうに言った。  自分が知る限り気弱で内気なリディが泣いてすがるわけでも、目を潤ませてその場を去るわけでもなく、真っ向から意志の強い瞳を向けて申し出を受け入れると言ったことに、ミカエラは動揺した。  そんなミカエラと彼の隣で目を細めて警戒しているルルアにちらりと目をやった後、壇上横にいる王族席に目をやった。  そこには国王と王妃がおり、周りを衛兵たちが警護している。  そして、そんな王族席に足を踏み入れる者が一人いた──。 (準備が整ったようね)  その様子を見てリディはゆっくりと微笑んだ。 「な、何がおかしい!」  焦った様子のミカエラにリディは左右に首を振って返事する。 「おかしいことは何もございませんわ、ミカエラ殿下。ですが、元婚約者として最後に言いたいことを申しますわ」  リディは口を開いた──。 ◆◇◆  この国──ウィンダルスの国民は皆生まれた時に、この世界を作ったとされる五神である『獅子』『鷲』『蛇』『山椒魚』『鮫』のうちの一つの神の加護を受ける。  生まれて五日の間に最寄りの教会で聖女の『神の目』によって神託を受け、その者がどの加護を受けたのか、ご神託を得るのだ。  その神託を得たことによりウィンダルス国民とみなされ、この国での住民権をもらう。  この国では『獅子』『鷲』『蛇』『山椒魚』の加護が良いとされ、特に獅子の加護を持つ者は最も気高く素晴らしい人間と評される。その逆に『鮫』の加護を持つ者は下位の人間、つまり下賤の民とみなされた。  『獅子』が最も権威を持っているのは、ウィンダルスを建国した初代国王が『獅子』の加護を得ていたからだ。  では、『鮫』がどうして下賤の民と言われているのか。 ウィンダルスでそうした上下関係ができてしまったのは、今からちょうど百年前である。  当時の聖騎士長であったベリリズアが国家に対して反逆を起こしたのだ。  冬に起こったこの反逆事件で王都の半分は火事で焼失し、重要文化財は失われ、そして逃げ遅れた国民が多く亡くなった。  ベリリズアはこの火事の中で自らの命を絶ったが、この反逆事件は多くの国民の記憶に残り、傷を残した。  このベリリズアの加護が『鮫』だったのだ。  当時の国王はこの事件の後に行なわれた式典で、「『鮫』の加護を持つ者は野蛮であり、悪しき心が宿っている」と発言し、翌年には今の身分制度のもとになる「神位制度」を作った。  この制定によって正式に国が『獅子』を最も優れた者と位置づけ、そして『鮫』を悪人として認めることとなった。  リディ・ヴェルジールはそうした身分制度の社会のもとに生まれた。  彼女は四大公爵家の一つ、ヴェルジール家の娘として生まれ、教会の聖女によって『獅子』の加護を持つ者として神託を受けた。  転機は彼女が七歳の頃だった。  ウィンダルス国第一王子であるミカエラ・ウィンドリアスの婚約者として、リディが選ばれたのだ。  王族の多くは原則、四大公爵家から婚約者を選ぶ。  ミカエラと年がそう変わらない公爵令嬢が三人いる中で、リディが選ばれたのは、彼女一人だけが『獅子』の加護を持つ者だったからだ。  リディの二歳年上のミカエラは、彼女の美しい紫の瞳を気に入った。  しかし、その寵愛は段々薄れていくこととなる。  リディは非常に思慮深い性格であったが、ミカエラはそれを「内気」「弱気」とマイナスに捉え、彼女を否定していった。 「たくっ! お前はもう少し明るく振る舞えないのか!」 「申し訳ございません」 「そんな貧相な体で明朗さの欠片もないお前は、まるで捨てられた子猫のようだな!」  この時のミカエラの発言から噂が広がり、学院では密やかにリディは『子猫令嬢』と呼ばれていた。  それを聞いた大人たちは可愛らしいものだと笑っており、『子猫令嬢』が悪口の一つであることに気づく者はいなかった。  学院の者たちは公爵令嬢であるリディを大っぴらにそう呼ばないが、陰で皆そのように嘲笑っていた。  もちろんリディは、そのように自分が陰口の対象になっていることを知っていたのだが……。 (今日もひそひそ話されていたわね)  リディはそんな風に思って空を見ながら、屋上で一人サンドイッチを食べていた。  すると、そんな彼女に人影がかかる。 「エヴァン……」 「よっ!」  エヴァンは右手をあげてリディに挨拶すると、彼女の隣に座ってサンドイッチを強奪した。 「あっ!」 「へへ、もーらい!」 「ちょっとっ!」  大口を開けて食べるエヴァンは満足そうに口をもぐもぐしている。  リディは大きなため息を吐くと、手元の籠にあったサンドイッチを取って彼に盗られないように体ごと背けてかじった。 「そんな警戒しなくてもいいだろ」 「いつも私のランチを盗るんだもの」  リディは人混みがあまり好きではなかったため、学院の食堂にはあまり顔を出さない。  そんな彼女に何かとちょっかいをかけるのが、幼馴染でもあり同じクラスのエヴァンだった。 「そういえば、この前の授業、どうして休んだんだよ。お前が休むなんて珍しいじゃん」 「その日はミカエラ殿下に急遽呼ばれてね、お茶会に出席してたの」 「ふ~ん……兄上にね」  エヴァンは少し目を細めて低い声で返事をした。  リディの幼馴染のエヴァンはミカエラの弟であり、第二王子である。  宮殿に幼い頃からよく出入りしていたリディはエヴァンのことも知っており、リディ、ミカエラ、エヴァンの三人で遊ぶことも少なくなかった。    その時、サンドイッチを食べ終わって立ち上がろうとしたリディの手をエヴァンが掴んだ。 「兄上じゃなく、俺にしない?」  リディの耳元でエヴァンが囁く。  甘ったるい声で吐息交じりの言葉を令嬢たちが聞いたら、卒倒してしまうだろう。  ミカエラも金髪碧眼という美しい見た目であったが、エヴァンもシルバーの髪にちょっと遊び髪を靡かせ、そして兄と同じ碧眼の見た目をしている。  二人とも見目麗しく令嬢たちの注目の的だった。 「そんな言葉は婚約者の子に言ってあげなさい」 「残念。俺、婚約者いないもん」  そういって悪戯っぽく笑みを浮かべた。  そんな彼にリディは姿勢を正して言う。 「で、そんな王子様は、本当はわたくしに何の用でいらしたの?」  全てを見透かしたような瞳にエヴァンは両手を広げて肩をすくめた。 「リディはお見通しか」  彼は一気に真剣な顔つきになると、低い声で話を始めた。 「四大公爵から俺に『一級公爵書』が申請された」 「一級、公爵書……!?」  『一級公爵書』というのは、この国の四大公爵家当主四人の連名によって王族に進言する文書のことをさす。  四大公爵家はその立場上、互いを牽制し合い監督し、そして合理的かつ理性的に政治の助けをおこなうことを任務としている。  さらに今代の四大公爵家当主たちは一癖も二癖もある者たちばかりで、あまりそりがあう四人というわけではなかった。  そんな中でこの四人が団結してこの文書を提出したということはそれなりの重要案件であることをリディはすぐさま理解した。 「まさか、あなたにそれを渡すってことは……」 「ああ、国王と王妃、そして第一王子への断罪だ」  その言葉を聞き、リディは胸が痛んだ。  ちょうど先日のミカエラの呼び出しの際にリディ自身も問いただしたのだ。  リディもミカエラの素行不良と国庫金に手をつけて女遊びをしていることに気づいていた。  国王と王妃にそのことを伝える前に本人に改めるように言ったが、聞く耳を持たなかった。  ミカエラは彼女の言葉を聞かずに浮気相手であるルルアのところへ行ってしまった。 「君も気づいていたし、兄上にそっと言ってくれていたのだろう?」 「……ええ。でも、わたくしの言葉はもう届かなかったわ」 「リディ、国王と王妃、そして兄上の不正を糺して王族の身分を奪う『一級公爵書』はすでに俺の手元にある。その中には、『神位制度』の撤廃もある」 「『神位制度』の、撤廃も?」 「ああ、君がずっと望んでいたことだ。これで君の願う、正しきウィンダルスに近づく」  リディは学院に入って目の当たりにした、『鮫』の加護を持つ学生へのいじめを憂いていた。 (過去の人間の過ちを、今の人間に負わせることはあってはならない)  比較的高い爵位の人間には表立っていじめはなかったが、男爵など身分が下の者へのいじめは激しかった。  そうした『鮫』の加護を持つ者へのいじめや差別は貴族だけではない。  特に貧しい者へのそれは、時に命の危険まである。 (世の中を変えたい……わたくしにできることは何?)  リディは何度もミカエラに身分制度の撤廃を求めたが、全て撥ねつけられた。  挙句の果てには「お前は身分の低いあいつらの誰か、好きなやつでもできたのか?」とまで言われた。 「リディ、変えよう。この国を、俺と一緒に」 ◆◇◆  卒業式の最中に行なわれた婚約破棄──。  ざわめく講堂内で、国王の声が響き渡った。 「エヴァン、お前っ! なぜ王族席へと来た。お前の席はあちらだろう!」  突然、在校生の席から王族席に姿を現したエヴァンに国王は驚きながら叱った。 「いやあ、父上。それに母上、兄上。お話があったので、参りました」 「話だと?」  エヴァンの言葉に王妃とミカエラも怪訝そうな顔をしている。  一気に注目はエヴァンへと向いた。  そうして、彼は『一級公爵書』を胸元から取り出すと、それを国王の方へ向けた。 「なっ!」  国王だけでなく王妃もミカエラも目を見開いた。 「これが何か、おわかりですね?」 「『一級公爵書』……だと!?」  エヴァンの後ろには四人の公爵が控えていた。  そのうちの一人であるグラス公爵が一歩前に出て国王に進言する。 「恐れながら、陛下。私とあなたはもう三十年以上の付き合いでございます。だからこそ、あなたが真っすぐ国の政治に向き合っていたあの時に戻ってほしかった。けれど、もう、こんな『鴉』の言葉を聞き届けてくださらなかった……残念です」 「グラス公爵……」  グラス公爵は胸元のブローチに手をやった。  それは若かった頃の二人の絆の証として、国王からグラス公爵に贈られたものだった。 「父上、あなたは国民から十数年不当に税を取り立てていた。そして母上もそれに気づいていらっしゃいましたね」 「なんのことだ……」  国王も王妃もしらを切る。  国王は冷静に対処しようとしているが、王妃は動揺を隠しきれずにわずかに手が震えている。 「兄上、あなたは国庫金に手をつけて、ルルア嬢の家に多額の金を渡していた」 「なんだとっ!?」  ミカエラの行為を聞き、叫んだのは国王だった。 「お前はなんということをしたんだ!」  ミカエラはバレないと思っていたのか、ガタガタと震えだして青ざめていく。  ルルアもまずいと感じているのか、さっきまで得意げだった顔も白くなっている。 「四大公爵当主から私に要請がありました。『一級公爵書』をもって、一つ、国王と王妃、第一王子から王族の位を奪うこととする。そして、もう一つ、不当な身分制度である『神位制度』の撤廃をする」 「なっ……」  いくら国王と言えども、『一級公爵書』には逆らえない。  王妃は絶望の色を見せ、その場にへたり込んで泣き始めた。 「父上、母上、兄上。これは私からの最後の願いです。国から出て行けとは言いません。ですが、その身をもって罪を償い、そしてこの国の現状を、民の声を聞いてください。百年前にできた「神位制度」が生み出した闇を、そしてあなたたちがその闇を広げてしまったことの罪を、その目で確かめてください」  エヴァンが言い終えるのを見届けると、リディはミカエラに向かって言う。 「あなたはわたくしを『獅子』だから、と優遇した。そして、子猫のように弱いと嘲笑った」  リディは力強く告げる。 「強い者が弱い者をいじめてどうするのですか。強い『獅子』が、弱い者を助けなくてどうするのですか。私はあなたが強さに溺れてしまわないことを願っていました……」  リディはミカエラに背を向けて講堂を後にした──。  後日、四大公爵を中心として各処分の正式決定がおこなわれた。 ミカエラから国庫金を受け取っていたルルアの実家である、キシュラー男爵は違法賭博をしていたことがわかった。賭博で抱えた借金を返済するために、キシュラー男爵はルルアにミカエラに頼み込むように依頼をしたのだという。  キシュラー男爵家は爵位を失うこととなり、ルルアを含めて平民として生活をしている。  国王と王妃、ミカエラはというと、ウィンダルスの辺境の地で過ごすこととなった。  国民から不正に取り立てた金は国民への一時金として戻されるそうだ。  加えて、国王たちは平民として農作業に従事することとなった。  四大公爵の内の一人であるミシュタル公爵が彼らの監督責任者となり、給金の一部を向こう十年間徴収して、差別を受けていた平民たちに支給するようにした。  一方、リディはぼうっと学院の屋上で空を見ていた。  すると、彼女に人影がかかる。 「政務のほうはいいのですか?」 「ああ、ちょっと休憩だ」  第二王子エヴァンは、次期国王として四大公爵に助けられながら政務をおこなっていた。  「神位制度」は撤廃されたが、人々の記憶や意識からそれがなくなるにはもう少し時間がかかるだろう。 「ああ、疲れる。あの気難しいキルビス公爵と軍事話を話すと長い!」 「キルビス公爵は国防のトップ。あなたもよく小さい頃はしごかれてましたね」 「ああ、おかげで剣技は誰にも負けたことがない」 「よかったではありませんか」 「納得いかない……」  エヴァンは不満そうに口を尖らせている。 「そういえば……」 「ん?」  何かを言いかけたリディに、エヴァンが返事をした。  そんな彼と目が合うが、リディは笑って首を左右に振った。 「いいえ、なんでもないわ」 「なんだよ、変なの……」  そうして少しの沈黙が流れた後、エヴァンは口を開く。 「なあ、リディ」 「なんでしょうか?」 「俺が王位欲しさに今回のことを企んだとか疑わないの?」  二人は目を合わせずに空を見ている。 「そんな器用なこと、あなたにできっこないもの」 「ひどっ!」  彼女の心を掴むまで何年かかるのだろうか、と彼は思った。 (ふふ、きっとエヴァンね。私に陰口をいっていた彼女たちに私に謝罪に向かうように言ったのは……)  リディは青く晴れた空を見て、眩しさに手をかざす。 「よく晴れた日ね、今日は」  こんな二人が未来の国王と王妃になるのは、もう少し先の話だ──。 ************************* 「小説家になろう」様では連載版を開始しました。 短編版を気に入ってくださった方はよかったら…。
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