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ピピピピピピピ。
―――というところで目が覚める。
どうせなら最後まで歌わせてほしかった。
蒼月ルナ(本名:柴崎陽子 24才)は気だるそうにベッドから身体を起こし、スマホに手を伸ばしてアラームを止める。
〇月●日(土)0900―――昨日のライブは最悪だったが、とにかく朝を迎えることができた。
なんとなく頭が痛いのは昨日の帰りのコンビニでストロング缶を2本キメてしまったからに違いない。
それほど酒が強いわけでも、好きなわけでもない。それでも飲みたい時がある。それが大人という生き物なのだ。
「お父さん、しょちくれだしなぁ。似ちょったばい―――」いかん、いかん。大都会東京でこれはNGワード。わたし、蒼月ルナはあなたのハートに萌え萌えばきゅん♡―――なんてな。
それにしても昨夜のライブ―――完全にやらかしてしまった。振り付けは間違える。立ち位置も間違える。入れ替えの時には他のメンバーにぶつかる。
まだ、この辺は良い。いや、よくないがメンバーのフォローが効くのでまだ良い、という意味だ。
極めつけはソロパートの時に歌詞がふっ飛んだ―――。
あの静寂は一晩経った今でも忘れられない。
そう、あれはビッグバンの前の静けさだ。あの原始宇宙のような静けさが今朝の夢に繋がったのか? これがトラウマってやつなのか?
しかし、それにしても―――。
いつも私の対面で私のイメージカラーのサイリウムを持っているあの彼だけはそんなミス続きの私を応援していてくれてたな。
もうあまり見なくなったきた蒼のサイリウム―――。
もうそろそろ潮時かもしれない。
陽子は立ち上がり、窓から外を眺める。
空はすっきりと晴れて蒼い。
その蒼い空にカラスだろうか、鳥が一羽飛んでいるのが見える。澄んだ空を優雅に飛んでいるようにも、一人寂しく飛んでいるようにも見える。
そう思うのは陽子の今の心象が影響しているからだろう。
陽子は窓を開けてベランダへと出る。
コンクリートジャングル、東京砂漠―――とはよく言ったものだ。しかし、ここからの景色はそれほど悪くはない。
ベランダの先に見えるのはビル群ではなく、公園だからだ。それほど大きい公園というわけでもないが、それなりの遊具とそれなりの木陰もある。散歩向きというよりは近所の子供が遊ぶのに適した公園。
陽子はライターでタバコに火を点ける。本当ならアイドルはイメージが命である。酒やタバコはもちろんのこと、異性との交遊もご法度だ。
とは言いつつもそれほどの知名度ではない陽子に事務所は強い行動規制を求めてはいない―――いや、しなくなった。
異性との交遊―――モテないのでこれは完全に大丈夫。逆に安心なのが怖いぐらい。
他のメンバーは18~21才程度。未成年もいるので酒やタバコはそもそもやらない。
陽子は24才だ。年齢的な理由から事務所も大目に見てくれているのか、あきらめているのか。当然ながらファンがいる前ではやらないものの、自由を与えてもらえているのは助かる。
白い煙がポワポワと昇って行く。実体のないそのさまはなぜが今の自分のようだと陽子には感じた。
東京に出てきて6年になる。
アイドルとは? と自問する。
年齢が影響しているとは思わない。でも、他のアイドルってみんな自分より大抵は若いのだ。
20才を越えた瞬間にババァなどと言ってくる者も業界では少なくない。
別にババァが悪いわけではない。しかしそれは結局見た目しか見ていないことの証左だ。パフォーマンスを見ている、というわけではないのだ。
私の歌は? 踊りは? トークは?
ホントはそんなの誰も見てない。評価なんかしていない。
「―――ルナっす―! 声、最高~!」なんで今、それを思い出すかなぁ。
陽子はいつも最前列で応援しているあの男を思い出す。
長身、長い手足、スラっとした体形、アイドルオタクらしからぬ風貌。俗に言うイケメンというやつだ。少し偏見が入ったが陽子だって「ババァ」と言われることもある。これぐらいの偏見はお互い様なのだ―――と納得する。
まぁ、ファンが一人でもいる間は辞める気ないけど―――。
声、最高! って言われてもなぁ。自覚ねぇし。
陽子はタバコの火を消して室内に戻る。
今日の午前は休み。洗濯物を片付けることにした。
昼からは今晩のライブに合わせたレッスンとリハが入っている。
アイドルとはいっても結局はサービス業だ。
金曜日の夜であるフライデーナイトフェスティバルと土曜日の夜のサタデーナイトフィーバーは絶対にマストな興行である。
陽子は洗濯物を色別に選別しながら思う。
私の声ってそんなにいいのかな?
ベランダの外から猫がミャー、ミギャーと威嚇し合っているのが聞こえた。
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