5人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
全体としては悪くない出来だった、と思いたい。
違うかな? いやそれでいいのだ。これからサタデーナイトフィーバー恒例のチェキ撮影会。ファンは安くないチケットを買ってここに来てくれている。自分の気持ちが整わないからって暗い顔は見せられない。
最高の笑顔で迎えなくはいけないのだ。
―――とは言うものの、チェキが完売ではないのは私だけか。
ウサギは言うまでもなく即完売。物販的には”天使系絶対的美少女”というよりはむしろ”神”といっていい存在だ。
マリンとコハネも正統派なので完売。ヨシノには火力強めの固定ファンが多く、一人で何枚も買ってくれるのでやはり完売。
私はと言うとお情けで買ってくれる箱推しのファンと例のイケメンアイドルオタクのみ。
―――にゃんにゃん♡ 今日は来てくれてありがとー! これからもよろしくにゃん♡―――
これが決めのあいさつだ。いろいろと思うところはあるが、ネコ的デレデレ妹路線がグループとしてのコンセプトなので仕方がない。
チェキ撮影は例のイケメンアイドルオタクの番になった。
「にゃんにゃん♡ 今日は―――」いや、違うな。今日はこれで終わらせるわけにはいかない。
「お兄さん、いつも来てくれてますよね? いつも応援ありがとうございます」
「は、はい。ボクはルナっすのファンなので」
「ホントですか? うれしいにゃん♡ ちょっと聞いてもいいですか?」
「は、はい」ルナおたさん、感無量でございましょうな~。ルナっすを独り占めでござるよ~。なんて声が聞こえてくる。
「えっとですね、わたしのどこが好きなんですか?」少し長めのトークになりそうだが問題ない。私のチェキ撮影は彼で終わりなのだから。
「声、です。その―――歌声です―――」声? 社長の中島景子からは”ルナのミギャー声”と言われるこの声? ひょっとして本当はバカにしているのか?
「わたしの、声、ですか?」
「声、です。ルナっすの歌声です」
「そう、ですか―――」彼は”ルナおたさん”とか呼ばれていた。熱狂的なファンとはこういうものなのだろうか。
よほど腑に落ちない顔をしていたのだろう。”ルナおたさん”が説明を始める。オタクが説明好きであるという特性はこういう時、大いに助かる。
「いいですか、ルナっす。あなたの声は美しい。みんなはそれに気づいていない。僕はそれが歯痒い。悔しいんです。人間が心地よいと感じる音には1/fゆらぎというものがあります。これは有名ですね。しかし、僕の研究ではそれを超える音が、いや声があります。”天賦の声”といっていいでしょう。それは雑音のようにも聞こえますが、適切なトレーニングを積むことによって生まれ変わるのです。僕はそれを”ハニーテラーボイス”と呼んでいます」
「ハ、ハニーテラーボイス?」
「はい、ルナっすはそのハニーテラーボイスの持ち主なのです。申し遅れましたが、僕はこういう者です」
手渡された名刺には”〇〇大学声楽研究所 研究員 伊集院直人”とある。
「ルナっす。僕と世界を獲りにいきませんか?」冗談を言っているようには見えないが正気とも思えない。
「ちょ、ちょっとお客さま! そういうのは困ります。彼女はうちのタレントです。勧誘とか引き抜きとかはちょっと―――。場合によっては営業妨害になりますよ!」
「え? い、いや、そういうわけでは―――」
その後、少しひと悶着があったものの、この騒動がきっかけで彼は蒼月ルナの専属ボイストレーナーに就任することになるのである。
これがのちの伝説の絶対アイドル”蒼月ルナ”と天才ボイストレーナー”伊集院直人”との出会いであった。
最初のコメントを投稿しよう!