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わが身世にふる ながめせし間に
ホールの中はどこまでもしんとしていた。たくさんの人達がいるにも関わらず、その息遣いさえも聴こえない。
まるで時間が止まってしまったかのように、芹野 若菜は感じていた。
高等学校かるた大会は、それほど大きくはない市民ホールで行われている。
ホール全体がよく見える壇上の特等席から遠くまで見渡すと、年を重ねる毎に参加者の人数が多くなってきている気がした。
実際数年前までは十人程のまばらな参加者しかいなかったのだ。
眼前には、綺麗に敷き詰められた畳の上で数十人ほどの若い学生達が前傾で姿勢良く座り、固唾を飲んでその瞬間を待ち侘びている。
「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今を春べと 咲くやこの花ーー今を春べと 咲くやこの花」
一定のリズムで奏でられる、凛とした若菜の声。
しなやかに遠くまで伸びる声はやがてまた静寂に飲み込まれていく。
若菜は何千回何万回と触れてきた札を読唱箱から手に取り、確認するように視線を落とした。
百枚の札から無作為に取り出された一枚。
若菜にとっては最早どれもが見慣れた短歌ではあったが、取り上げた札のその短歌だけは若菜にとって特別な意味を持っていた。
誰にも気付かれない程度の小さな笑みが溢れる。
胃の中にあった空気を小分けにして吐き切り、そしてまた深く息を吸い込んだ。
幾年の時が経っても、想いが馳せる。この歌を詠ったあの頃の自分に。
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