ロープ

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 ロープが必要だ。近所にはホームセンターは無い。今日は冴えてる。ペットショップだ。あそこなら丈夫なリードがある。  しかし、運命は信じていないが、皮肉めいた感じだ。俺は職場ではケンと呼ばれている。  俺は自分で言ってしまうが、良い社員だった。まあ、悪く言えば社畜だ。頼まれた仕事はこなしたし、同僚や後輩のフォローも進んでやった。周りも俺を頼ってくれている。慕われていると思っていた。 「ケン、悪いけど、これ頼めないか?」 「ケンさん。すみません。取り引き先、一緒に周ってもらえませんか」 「ケンが居ないと職場、成り立たないよ」  悪くない気分だった。  あの時、俺は腹を壊してトイレに駆け込んでいた。 「間に合ったぜ。よく持った肛門」と自分の肛門を褒めた。そして便器に出逢えた奇跡に腹の底、すなわち肛門から感謝した。  俺は安堵とともに用を済ませた。すると足音て話声が聞こえた。鉢合わせは気まずいと思った俺はしばし個室に篭った。 「先輩。企画書、あれで良かったですか?」そんな声が聞こえてきた。ますます出にくいな。 「あ?ケンに見てもらいな」 「やっぱケンさんですか」  頼られてるな俺。 「いいか。この会社で生き残っていく為にはまずケンだ」  言い過ぎだぜ。 「ケンさん凄いっすね」 「上の受けがいいからな。アイツに見てもらってケンの名前出せば、企画書は通る。出世できない高卒のくせによくやるぜ」 「さすが、犬のケンですね」  犬のケン?どういう事だ? 「休みたい時とかも、まずはケンだ。大体は変わって貰えるからな。俺もよくやった」 「今度、ダチと遊びに行きたいんですよね、俺」 「犬に代わってもらいな」 「お手!」  そして小気味の良い笑い声が弾けた。  そうか。俺はみんなに居心地よく働いてもらいたかっただけなんだけどな。結局は『犬のケン』かよ。  その日の事はよく覚えていない。けれど、この日から周囲の人間が不気味に見えた。怖くなった。整った笑顔のウラでは何を考えているのだろう。それが解らないから『犬のケン』なのか。  忙しいのは嫌だった。けど、その日を境に嫌じゃ無くなった。忙しければ、他人の顔色を伺う余裕が無くなるからだ。  それよりも雑談の方が嫌だった。俺の後から聞こえる笑い声が途方も無く怖かった。
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