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 A町の空気は、Kの身体に癒しを与えているとのことだった。ここに来て以来、肺の調子は悪くなっていないらしい。二日に一度は散歩に出かけるようにしているのだという。  だが、ぼくがここに来てからというもの、Kは毎日のようにぼくを連れ出して、A町のあちこちを案内してくれた。車の()()の少ない大通り、活気のない商店街、小さな学校の静けさ……は、寂しさだけでなく、儚さも感じさせた。  休暇が終わり、自分の家に帰ってから一週間が経ち、その後の経過が気になったので電話をかけた。それから体調が悪化するようなことはなかったという。  少し他愛もない話を続けて、もう切ろうしたとき、ふと、あの山の(ふもと)にぽつんと(たたず)んでいた家のことを思いだし、折角だからKにそのことを話してみた。 「ああ……あの家か。あそこの家はこの前、葬式があったんだよ。お婆さんが亡くなったみたいでね」  ぼくが衝撃を受けたのは、もちろんだった。あのとき、もしかしたら、すでにお婆さんが……という想像が頭の中を走り抜けたのだ。だが、聞いていくと、ぼくがA町を離れたあとにこの世を去ったということだった。 「息子夫婦が引っ越してしまって、ひとりぼっちだったものだから、発見は遅れてしまったみたいだけれど……それでも、お前が帰ってから亡くなったらしい。だから、お前とは無関係なことだよ」  Kはどうやら、この件について、ぼくが気に病んでいるのではないかと心配しているらしい。しかし、自分とは無関係な事件なのならば気に病むことはない。だからぼくは、熱っぽい調子で弁じ立てた。 「それにしても、お婆さんをひとり残して引っ越すなんて、どうも薄情じゃないか。お婆さんも連れていけばいいのに……」  と、ここまで言ったところで、なんの事情も知らない自分が、遺族の方を責めていることに、恥ずかしさを感じた。すると、Kは苦笑した。 「まあ、聞いてみると、お婆さんの方があの家から離れたくなかったみたいだよ。たぶん、家がなくなれば、お爺さんとの想い出まで、消え失せてしまうとでも思ったんだろうね。ぼくも、自分が卒業した小学校が廃校になったときは、学校生活が幻想だったかのように感じたものだから」  ぼくは、Kに聞こえないように、あくびをかみ殺した。もうすっかり夜は()けている。いい加減なところで電話はおしまいにして、寝てしまおうと思った。しかし、Kの次の言葉は、ぼくを動揺させた。
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