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修理店から出てきた弟を捕まえると、男は自慢の脂肪をフル活用して近くのカフェへと引きずり込んだ。そして遠くで待機させていたストーリーを手招きし、カフェの最奥にある個室へと弟を押し込む。
「と、いうわけなんだ。イライ、やってくれ」
「はあ? お前のくだらないオタク趣味になんで俺が付き合わなきゃなんねぇんだよ」
「くだらないオタク趣味とはなんだ!! お兄様の人生だぞ!!」
「くっだらねぇ人生」
「オイいい加減手ぇ出るぞ!!」
男は実の弟であるイライが嫌いだった。なぜなら彼も両親と同様、オタクという存在を心底見下しているからである。あと純粋に嫉妬。
そのため今日男はせめてものプライドだとふんぞり返り、頭も下げず、腰も低くしない姿勢を貫いていた。無論厚底スニーカーも装着済みである。
「わたぁシ、歌えなイままッなンですカッッ?」
個室に入ってきた、壊れたテレビよりもよっぽどホラーなストーリーの声にビクリとイライの肩が跳ねる。そしてじとりと睨まれたため男はとりあえずドヤ顔で頷いた。
「勝手に喋り出したってことは自律型AIもぶっ込んだのか。金があんならメモリ用の無線接続機器でも買っとけ」
「いやそのAIは自作のやつ。俺たちにそんな金は無い」
「は? 自作?」
「だって自分で作詞作曲するアンドロイドなんて……ロマンだろ」
「追い求めるもんが200年違ぇよ」
逃げることを諦めたイライがはぁとため息を吐き、黒い革張りのソファに座り込む。男は万一逃げ出されないよう扉の前で仁王立ちし、ストーリーにイライの正面の席を譲った。
「お前、自分でその声直せ。自律型AIっつー賢いスペック付いてんなら出来ねぇことはねぇだろ」
「直しカタッんがッワクァらなイデすゥ」
「単純、上手い歌手の声をただ真似ればいい。AIが人間の声を学習するなんぞ50年前からある話だ。例えば……」
「イライ、それはダメだ」
イライが参考になる歌手の候補をいくつか挙げようとするも、男がそれを首を振って反対する。
「なんで、理由は?」
「二次創作は原作を越えられない」
「は?」
「これはオタクの常識だ」
何言ってんだコイツ、と言わんばかりの視線が男に突き刺さる。とはいえ男は家族に見下され続けて早30余年。普通に辛い。泣きそう。
「理由はともかく! 俺たちはストーリーを世界の歌姫になって欲しくて作ったんだ。一級品の模造品なんかじゃ世界どころか誰にも認めて貰えねぇだろ?」
「ニートが大層な弁舌だな、そんなこと言うなら自分でなんとかしろよ。仕事としてならいくらでも綺麗な言葉を並べてやるが弟としてなら正直なこと言ってやる、バカみてぇなこと言ってねぇでいい加減働けキモオタが」
「お、お前っ……!!」
ゴホッゴホッと男はむせかえる。普段まともに人と会話していないために、衰えた喉の筋肉が悲鳴をあげていた。途端に粘つく汗が全身から溢れ出る。
イライはそれが落ち着くまで、黙って兄を見ていた。
「……ストーリーの名前は、開発に携わってくれた皆の頭文字から取ったんだ。俺と、他に4人。5人の20年、合計100年の時間がストーリーを生んだ。俺にとってはアイツらとストーリーが家族で、何よりも大事なんだよ」
男にとって、ストーリーの開発は人生そのものだった。偶然ゲーム繋がりで知り合った男に誘われていなければ今頃呼吸なんてしていなかったと断言できるほどに。
社会に適応できず、家族からも蔑まれ、生きる意味も価値もない自分にできることなんて1つしかないと、当時の男は本気で思っていた。しかし、今はしぶとく生きていて良かったと思っている。未だ自分に意味も価値もないが、誰かが泣いて喜ぶ何かを生み出すことは出来る。それが男にとっての活力であった。
「ちゃんと働いて金は払う。俺のクズさは見下したままでいい。俺のことはどんだけ否定したっていい。だから頼む。俺らの100年を、くだらないことに捧げる俺らの人生を、誰かの模造品なんかで終わらせないでくれ」
凝り固まったプライドが砕けて、頭がイライの眼前まで降りてくる。低く、低く、動くことなく。
「お願いします」
ストーリーは頭を下げた男と目を丸くしたイライを交互に見てから、すぐに立ち上がって頭を下げた。わざとらしく大きい身振りは誠意の欠片も見えないが、それらの挙動がストーリーの意思では無いことはイライも理解していた。
そして、イライが口を開こうとしたその束の間のこと。
「おねグァいっオニイちゃッンッッッ!!」
突如ストーリーから発される歪んだ萌え台詞にイライがソファから転げ落ちた。
「おい、説明しろクソニート」
机に肘をかけて起き上がると、男が目をキラキラさせて萌えポーズを取るストーリーに感激していた。
「特定の状況下で発生するレアボイスだ、とあるアニメキャラを参考にプログラムした。俺は歴史的瞬間に立ち会えてとても感動している」
「消せ消せ!! 結局模造品にしてんじゃねぇか!! ぜってぇ請け負わねぇからなこの仕事!! やってたまるか畜生が!!」
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