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工房という名前で用意された部屋は、実際にはパソコンと専用機器が用意されているだけの小さな部屋に過ぎない。
ストーリーに椅子に座るよう指示し、スリープ中だったパソコンを立ち上げて専用ソフトを読み込む。そのソフトは会社が米国から取り寄せたもので、値段は専用機材と合わせて高級車3台分ほどする。
「とりあえず無線でお前のストレージにアクセスして、声のベースは崩さないよう手を尽くしてみる。下手にメモリが増えるとエラー起きっからお前はなるべく外部の情報を遮断してろ」
「わかリまッッすぃタッ!!」
そう返事をすると、ストーリーは目を瞑ってピクリとも動かなくなる。イライはその様子を一瞥してから、ディスプレイに表示されたプログラムを上から下まで目を通した。
萌えポーズだの萌え台詞だの不要なプログラムは躊躇なく削除しつつ、目的のプログラムが保存されたファイルを探す。
「『voice』だからこれか……って、なんだこれ魔窟か? ソフト何個入れてんだよ、つかこれ中国製か? こっちはドイツ? ふざけてんのか?」
ファイル名どころか言語までバラバラで混在しており、イライの眉間のシワが次第に深くなっていく。素人が作ったものであるためそれなりの地獄は覚悟していたが、ここまで来るとストーリーが動いていることに感動すら覚える。
ひとまず手がつけられそうな調声だけを行い、同期ボタンをクリックする。まだ完璧には程遠いが、下手にいじって機能停止、なんてリスクは冒せない。AIの学習機能に頼った方がまだ安全というもの。
同期が完了するまで5分ほどかかるため、イライはなにをしていようかと天を仰いだ。
____にしてもさっきのアンドロイドやばくない? 持ち主ぜったいキモい人でしょ、友達とかいない感じの。ほんと引くわー。
不意に先程の母の言葉が、イライの脳裏によぎる。
「……メモリの負荷になるから、俺の話は遮断してていい。ただの独り言だしな」
そう前置いてから、イライはキーボードを押し退けて机に突っ伏した。
「俺は兄貴が羨ましい」
普段の声音よりワントーン低い、どこか憂いを帯びた声。突っ伏したままイライは言葉を続ける。
「好きなものを好きと言えて、好きなものを共有できる仲間がいて、好きなものを形にすることができて。そういうのが出来るようになるには『キモい』とか『引くわ』とか、心無い言葉を言われる勇気が無きゃならない。俺はそれがねぇから、好きじゃないもん好きって言ってずっと自分を守ってきた」
母親は昔からそういう文化を嫌っていて、兄がアニメを見ようとすれば露骨に機嫌を悪くした。街中に溢れるグッズや文化からは距離をとって嘲笑して、それに群がる人々を悪びれなく蔑んでいた。
イライは母親のそういう対象になるのを恐れ、自身が親の模造品になることで自分の『好き』を誤魔化した。
「でも、最近すげぇ寂しいんだ」
趣味繋がりの仲間を家族と呼んだ兄を、イライは心の底から尊敬していた。いいな、羨ましいなと、嫉妬の念すら抱いていた。自分がその輪に入れないことを、人知れず嘆いていた。
「お前は必ず俺が歌姫にしてみせる。だからお前はアイツらの自慢できる『好き』で居続けてくれ。居場所がなくても拠り所があれば存外、幸せになれたりすっから」
言いたかったことを吐き出し、ひとつ息をついてからイライは再びストーリーへと目を向けた。
「……にしても、マジでずっと見てられる可愛さだな。アイツらすげぇわ天才かよ」
瞬きも忘れてじーっと見ていると、くりくりした目がパチりと開く。既製品のアンドロイドとは全く異なる黒曜石のような瞳に、イライは思わず息を飲んだ。100年ものの宝物と言われたら信じてしまうほどに、その虹彩には不思議な魅力がある。
「なるよ、おれ。みんなの好きってやつ」
聞いた事のない声。仄かな温もりを持つブランケットのような、優しく暖かい声音。この部屋に誰かいるのかと、イライは椅子から立ち上がってあたりを見渡した。
「……ストーリー……?」
名前を呼ぶと、ストーリーはこくりと自然な仕草で頷いた。
混乱しつつもモニターに目を向けると小さなウィンドウが開いており、エラー、同期を中断、再開、キャンセルなどと言った単語が目に入る。どうやらストーリーに搭載されたAIの自己学習機能が作動して、メモリに負荷がかかった結果同期が中止されてしまったらしい。
「下手に喋りかけたせいで俺の口調を学習しちまった、と……はぁ」
独り言を呟いたことを後悔する。そしてそれをどう修正するか、とパソコンと睨めっこしていると、不意に髪の上に軽い重さが乗っかった。
振り向くとストーリーが目の前にいて、どこか鼻につく笑顔を向けられた。飄々としているが少し生意気で、だけどどこか寂しげな印象がある。一体、誰を見て学習した表情なのだろう。
「俺、みんなが自慢できる『好き』になってやるよ。イライが自慢できる『好き』にも。だから」
_____お前は健気でいろ。な?
階段の上で投げかけた言葉を繰り返され、イライは思わず笑ってしまった。AIの学習機能にはつくづく驚かされるな、と。SF映画みたいに、アンドロイドが人間を奴隷化させる日も遅くはないかもしれないと、少し恐ろしいことまで考えてしまう。
ストーリーの声音にはイライの面影が宿っていた。狂っていた声音はトーンが下がってスピーカーの音域内に収まり、加えて過剰な抑揚があったイントネーションは緩和されて独特な揺らぎに昇華されていた。これによって消えかけていた透明度が蘇っており、まるで少年聖歌隊の歌声のような儚くも美しい声音が生成される。
「……まじ、ほんと、すげぇなぁ」
サバゲー好きの同人サークルが製作した弾道予測AIが役人の暗殺を阻止しただとか、趣味で開発した擬似妹AIが発達障害者の翻訳機器のベースになっただとか、いつの日かに聞いたとんでもエピソードが蘇る。
好きの延長が誰かを救うなんて、そんな幸せなことがあるだろうか。その可能性を今この瞬間手にした兄貴らが羨ましくなる。
客と店員としてではなく、ずっと昔から仲間とか、それこそ家族とか、そういうのになれていれば。この感動を持っていていい人間になれていれば、今自分は寂しくなかったのだろうか。
「俺、なにか不快なこと、言った?」
「……なんもねぇよ、つか涙見たくらいでひよるな。お前はこれからたくさんの人を歌で泣かせるアンドロイドになんだからよ」
「楽しませるんじゃねぇの? 歌ってそういうもんだろ」
「さあ、どうだろな」
別のソフトを立ち上げ、工房内にあるスピーカーをストーリーの出力装置として接続する。するとストーリーも自身の機能が拡張されたことが分かったようで、大きな目には命が宿っていた。
「とりあえずは後回しだ。ストーリー」
これをするために生まれてきたんだもんなと、声に出さずに語りかける。
「歌ってみろよ」
そう言うとストーリーは目をつぶり、祈りを捧げるように手を組んだ。
小さくブレス音が鳴る。
「Tampering Tampering With Me
不思議なエラーが私の命を蝕んだ
Modifying Tampering
あなたも不思議なエラーを起こしてよ
With Me
あなたの二次創作で」
ストーリーの声色そっくりの対旋律やコーラスがスピーカーから鳴り響く。訳の分からないソフトに違和感はあったが、こういうことだったのかとイライはモニターの、色が足されていくピアノロールを見て理解する。
ストーリーは他の歌唱用アンドロイドとは全く異なる、即興で曲を作れる唯一無二のアンドロイドなのだと。
「An error occurred An error occurred
嗚呼
Why? Why?
嗚呼」
限界という名の規格。プログラムという名のレール。アンドロイドという名の無機物。
きっとこれから、ストーリーはそれらの常識を覆していくのだろう。むしろ覆して欲しいとさえ思う。否定を恐れた自分がバカだと痛感できるように。否定を恐れず好きと言えるような、それこそ健気な勇気をこれから抱けるように。
「原作越えのアンドロイドに なりたいな」
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