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一通りのスピーチが終わると、シューベル男爵はつかつかとソフィーネたちの前に姿を現した。
「王太子殿下、この度はご婚約おめでとうございます。わたくし、シューベル・スターレンと申します」
うやうやしく頭を下げるシューベル男爵。
リチャードは一瞬、不機嫌そうな顔を見せたが、すぐに平静を取り戻して「うむ」と答えた。
そしてかつて義父だったその男は、ソフィーネに顔を向けると今まで一度も見せたことのない笑顔を浮かべた。
「ああ、我が娘ソフィーネよ。ずいぶん見違えたぞ。こんなにも美しくなって」
数ヶ月ぶりにシューベル男爵と対峙するソフィーネ。
かつて虐げられていた記憶がよみがえり、足が震える。
そんな彼女をリチャードはギュッと横手で抱き寄せた。
そしてそっと耳打ちした。
「心配するな。僕が側にいる。今までのうっぷんをここで晴らすといい」
ソフィーネはリチャードの顔を見ると、コクッと頷いた。
そうだ、今の私はシューベル男爵の娘でもなんでもない。
トンプスキン・ダンベルの娘であり、王太子殿下の婚約者なのだ。
恐れることはない。
ソフィーネはスッと前に出るとシューベル男爵に言った。
「シューベル・スターレン様。あなたはなんの権限があってわたくしの前で発言しているのですか?」
「……は?」
「お義父様だったのはもう過去の話。今のわたくしはあなたとは何の関係もございません。突然出てきて声をかけるなんて無礼ではなくて?」
「い、いや、ソフィーネ。お前は私の娘じゃないか」
「お前?」
ピクっと反応したのはリチャードだった。
すぐにシューベル男爵は手を揉みしだいて「い、いえ、ソフィーネ様です……はは……」と訂正した。
そんなソフィーネは、ゆっくりと威厳のある声で言った。
「残念ですが、今のわたくしはあなたの娘ではありません。絶縁状にサインもなさいましたでしょう?」
「あ、あれは一時のもので……」
次第にしどろもどろになっていく。
そして思った。
どういうことだ?
これがいつもおどおどしていたあのソフィーネか?
どう見ても別人ではないか。
それは側で聞いていたアリッサもサリーも同じ思いだった。
(これが、あのソフィーネなの?)
まるで信じられなかった。
ブサイク、気持ち悪いと罵られて一人ぽつんとたたずんでいた彼女。
それがこんなにも堂々とした態度でシューベル男爵と接しているなんて。
「ああ、そうだ! 養女! また養女にしてやろう! どうだ? スターレン家に戻れるぞ? もちろん、あんな汚らしい屋根裏部屋などではなく、今度はきちんとした部屋だ。屋敷の家事全般も免除してやる」
彼の言葉を聞きながら、リチャードは「この男はバカか」と思った。
自分で自分の首をしめている。
そんなことを言えば、彼が今まで彼女にどんな暮らしをさせていたか丸わかりではないか。
シューベル男爵の言葉に、出席していた多くの貴族たちが眉を寄せた。
そんな中、ソフィーネは凛として答えた。
「ご心配なく。わたくしは今の家で幸せにやっております」
「ふ、ふん。知ってるぞ。確か、どこかの商家の娘になってるんだったな。貴族の娘が卑しい商人の娘なんぞに身を落として。恥ずかしいとは思わないのか」
どこまでも上から目線のシューベル男爵に、ソフィーネはほとほと嫌気がさした。
「ああ、言い忘れておりました。今のわたくしは王家御用達の大商人トンプスキン・ダンベルの娘です」
「トンプスキン・ダンベル!?」
シューベルは肝を冷やした。
トンプスキン・ダンベルといえば、この国で一番の大富豪だ。
シューベルのような小さな貴族は吹けば飛ぶようなちっぽけな存在である。
「い、いや、しかし、お前は……いえ、ソフィーネ様は商人の娘になると絶縁状に……」
「ですから、その商人がトンプスキン様です」
「なッ!?」
うかつだった。
まさか養女にしたいと言ってきたのが国一番の大富豪だったとは。
さすがに貴族であっても王家御用達の商人には手が出せない。
「それよりも……」
ソフィーネはシューベル男爵の目を見て言った。
「は?」
「あなたがわたくしにした仕打ちの数々、忘れてはおりませんわ」
ゾクッとした。
彼女の冷たい目線。
それは紛れもなく憎しみだった。
シューベル男爵はソフィーネの瞳に気圧されて、一歩、また一歩と後退していく。
「そしてサリー」
今度はその背後にいたサリーに顔を向けた。
「ひっ」と声をあげるサリー。
彼女にもソフィーネは冷たく言い放った。
「半年前、若い男たちを使ってわたくしを襲おうとしたこと、覚えておいでですか?」
ザワっと会場中がざわついた。
一気にサリーの顔が青ざめる。
「な、なんのことですの?」
「あなた、若い貴族をたぶらかしてわたくしの貞操を奪おうとなさいましたわよね」
「そ、そんなわけないじゃない! でたらめ言わないで!」
震える声でシラを切るサリー。
しかしソフィーネは首を振った。
「残念ですが、その時の若い貴族が証言してくれました。それも全員」
「な……!」
「未遂とはいえ、強姦罪は相当重い罪であること、ご存じでしたか?」
「い……や……」
ガクガクと膝を震わせるサリー。
アリッサも愕然として自分の娘に目を向けた。
「サリー……あなた……」
「ち、違うの、お母様! これはちょっとした冗談で……」
「冗談にしては度が過ぎましたね」
あらかじめ用意されていたのか、一斉に衛兵がやってきてサリーは取り押さえられた。
未遂に終わったとはいえ、彼女のしたことは犯罪である。貴族令嬢だからとて不問に付すことはできない。
「連れて行きなさい」
サリーは屈強な衛兵に連れられて会場をあとにした。
そしてシューベル男爵もアリッサも、ソフィーネに対する非人道的な扱いが明るみになり、サリーともども衛兵に連れていかれたのだった。
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