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シモンside提案
「急に帰ってくるなり何事かと思えば…。そんな思い詰めた顔で話す内容なのかしら。何だか聞くのが怖いわ?」
そう冗談めいた口調で言いながらも、私を見据える姉上の眼差しは鋭かった。まだ父上が辺境を仕切っているとは言え、私が王都に入り浸っているせいで、実質的にここで父上を助けて動いているのは姉上と夫である騎士団長の令息である夫君であろう。
私より10歳年上の、義兄に当たる辺境を率いる未来の騎士団長は、騎士としての実力は頭ひとつ飛び抜けている。けれども姉上には決して頭が上がらない。実際姉上が男だったのなら、私よりも器用に周囲を掌握して父上を超える領主になったに違いない。
私は人払いした家族用の団欒室で、ソファの手置きを無意識に指先で弾きながら何処から話したものか迷っていた。
「…姉上は気づいていたんだろう?私がいつからかアンドレから敢えて距離を取っていた事を。あるいはその理由をね。」
私がそう言って姉上の反応を見ていると、姉上はため息をついてお茶をひと口飲んだ。
「シモンがそれを敢えて私に言うって事は、あまり良い話じゃないわね?この辺境にとっては、シモンが若気の至りを振り捨てて皆の予想した通りに行動するのが最高なのでしょうから。
…アンドレが王都に行ったせいで、貴方達の関係が変わったのかしら。」
私は姉上の当て擦りに苦笑したものの、それでもアンドレとの未来を考えるのなら姉上を取り込む他ないと決意していた。
「ええ。私が我慢できなくなったんだ。己の執着からアンドレを守りたかったのに、まさかアンドレもまた私に同じ気持ちを見せてくれたら止められないだろう?」
結果的にはそんな着地点だったとしても、実際は私の嫉妬心でアンドレを追い詰めただけだった。けれどそれは姉上が知らなくていい事だ。
「…私はアンドレを失いたくない。このまま普通にこの辺境を受け継ぐならば、婚姻は避けて通れない話だろう?だが姉上が私に協力してくれるのなら、一時的にこの辺境の重積を抱えるにしろ、その後は姉上に全て明け渡すつもりだ。
私は姉上を買っている。それは父上もまたそうだろう。」
この張り詰めた空気とは裏腹に、窓の外は明るい平和な光景が満ちていた。私は耳に心地良い鳥の囀りに視線を動かして、姉上の出方を待った。姉上がどう考えるかは五分五分だった。
自分の子供が辺境の後継になると言うのは悪い話ではない。けれどもそれは上手くやらないとまるで乗っ取りの様に見せて醜聞になりかねない。アンドレの生まれた伯爵家の様に。
カチリと食器の触れ合う繊細な音が響いて、私は姉上の方を見つめた。考え込んだ表情の姉上は、少し眉を顰めている。けれども父上の血筋をはっきりと引いていると分かるその灰色の眼差しは知的に光って、私をじっと見つめていた。
「…シモンはこの事をアンドレには話したのかしら。貴方が自身の血を後継に残さないと知ったら、あの子はきっと気に病むでしょうね。賢い子ですもの、シモンを貴族界の面白がりの餌食にするくらいなら自分の身を引くでしょう。…自分の事など二の次にしてね。」
私は姉上がアンドレを良く理解していると苦笑して呟いた。
「だから、こうして先手を打っているのさ。私の人生からアンドレを立ち去らせないためにね。そのためなら私は姉上にも無理をさせるよ。少なくとも私達は血が繋がっていて、お互いに無理をさせ合うのも仕方がない事だと受け入れる余地があるだろう?」
途端に姉上は堪えきれない様に声を弾ませて笑った。
「ほほほ、まったくシモンの傲慢さったら無いわ。けれど、わたしも父上の血を受けた者として、この美しくも気高い場所を守っていきたいと思っているの。その気持ちに付け込まれたらこの提案に首を振る訳にはいかなくなるわね?
…父上にはどう説明するつもりなの?お義母様だってきっと仰天なさると思うわ。」
私はアンドレに良く似た義母上を妻帯した父上ならば、決して理解できない話では無いと知っていた。
「姉上が承諾してくれさえすれば、後は目処がついているんだ。一番困難なのはアンドレにそれを納得させる事だろうが…。」
すると姉上はイタズラっぽい眼差しをしてウインクして言った。
「私が承諾していると仰いな。繊細で控えめなあの子が、時には自分の望みを叶えても良いって知る必要があるんじゃ無いかしら。ね?」
私はホッとして立ち上がると、姉上の手を取って軽く唇を押し当てた。
「…ありがとう、姉上。この恩は一生掛けて返すよ。」
団欒室を出て城の自室に向かいながら、私は執事に父上と話をする時間が欲しいと頼んだ。今夜にでもこの私の決意は伝わることになるだろう。それは貴族界を揺るがしかねない乗り越えなければいけない山ではあるけれど、アンドレのためなら私は無理を負ってでもやり遂げる。
この事を知ったアンドレが自責の念に苛まされるかもしれないけれど、父も姉上も承諾済みだと知れば、私の手から逃げ出すほど恐れる事はないだろう。
私達はもう二度と離れる事など出来ないのだから、アンドレも最後は諦めて私の腕の中に自ら入るしかないのだ。
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