シモン兄上

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シモン兄上

 ~前日~  「え?明日兄上が戻られるの?」  王立学園からシモン兄上が辺境に戻ると聞いて、僕は分かりやすく喜びで顔を綻ばした。 「ええ、丁度セリーナ様の婚約式に際して御出席なさいますので、休暇を利用してお戻りになる様です。前回お帰りになったのは半年以上も前ですから、久しぶりですね。アンドレ様も中々お会いできずに寂しかった事でしょう。宜しかったですね。」  そう従者のバトラに優しく微笑まれて、僕は思わずにっこりして頷いた。  シモン兄上が王立学園での寮生活を15歳で始めてから、僕の生活はまるで変わってしまった。僕より7歳年上の今年20歳になるセリーナ姉上は兄上が王都へ行く前に、ここ辺境の城に戻って来ていたけれど、年齢の違いや男と女の違いもあって僕とあまり接点は無かった。  もちろん幼い頃に義弟としてこの家にやって来た僕を可愛がってくれては居るけれど、最近は自身の婚約の準備もあり、ゆっくりお茶をする機会もない。  義父上、ロレンソ辺境伯の率いる、男らしさの極みの空気が蔓延するここ辺境の城は、僕にとってはなかなか厳しい状況だった。  当時僕が5歳の時に、ロレンソ辺境伯と再婚した母上に良く似た僕は、13歳になった今でも線が細く色白だった。母上の様に女だったら誰もが望む様な姿だったのだろうけれど、男として生まれてしまった僕にとっては、鏡を見る度にため息をつく様な貧弱な姿この上ない。  せめてロレンソ辺境伯やシモン兄上の様な、真っ直ぐな黒髪と暗い灰色の、まるで冷酷で猛々しい狼の様な見かけだったらどんなに良かったか。セリーナ姉上でさえ、伸びやかな身体と長い黒髪、彼らより少し明るい切れ長の美しい灰褐色の瞳は、辺境ではまるで戦いの女神の様だと言われているくらいだ。  僕の様に金髪の柔らかな巻き毛や、頼りなげな大きめの水色の瞳では、完全に強さとは無縁のイメージだ。日焼けした辺境の騎士達に混じって剣の訓練をしたところで、生まれ持った骨格や持って生まれた運動神経に足を引っ張られて、最近では劣等感ばかり感じる様になっていた。  だから王立学園に入学するにはまだ後2年もある僕にしてみれば、いつも僕の事を肯定して優しくしてくれていたシモン兄上に会える事は、精神安定上にも必要な事だった。  とは言え前回の帰城の際に、いつになく僕と必要以上に関わらなかった兄上に、僕は地味にショックを受けていた。兄上が王都で過ごすうちに、みそっかすの様な実の兄弟でもない僕の優先順位が下がってしまったのも頷ける。  それは兄上が自分の世界を広げた事に他ならないし、喜ぶ事なのかもしれない。そう教えてくれたのは、僕の教育係及びお世話役のアランだけれど、何処か納得できない自分がいるのも本当だった。  僕自身でさえ、シモン兄上が学園へ出立した11歳の時と今とを比べたら随分成長もしたし、もう心身共に男の子というよりは少年になったのも事実だった。  それでも周囲の同世代の友人達よりはやはり身体的に劣っていて、彼らにさえ何かと庇われて扱いを変えられるので、何だか胸の奥が痛い気がしている。  一応辺境伯の末っ子という立場でもあるので、遠慮しているのだとアランは言って慰めてくれたけれど、所詮僕は正当な辺境伯の子供ではないのは皆が知るところだ。  母上の連れ子だと知らない者でも、誰の目にもロレンソ辺境伯に似たところなどひとつもないのだ。いっそ辺境生まれの若い騎士であるロレンソ家遠縁のアランの方が、黒髪と逞しい身体で何処か辺境伯に似ている。 『アラン、辺境の人間は皆どうしてこんなに体格が良いんだろう。僕には望んでも決して手に入らないのはよくわかっている。でも狡いでしょう?皆が皆そうなんだから。』  すると今年19歳になるアランは、僕の頭を撫でて言った。  『そうですね。自然逞しい者が生き残ったせいもあるのでしょうけど。今は平穏な日々ですが、ほんの数十年まではここでも国境線の戦いがあったのですよ。  アンドレ様は、あまりその事は考え込まなくても宜しいのではないですか?剣より頭を使うことのほうが得意なのですから。我々が貴方様をお守りすれば良き事です。人には得意不得意がありますゆえ。』  そう、アランに慰められても到底納得できるものでも無かった。 『…そうは言っても、シモン兄上は剣ばかりでなくお勉強も良くできるよ?』  そう口を尖らすと、アランは困った様に僕を見て微笑んだ。 『確かにシモン様は非の打ち所が有りませんね。この辺境の後継としての素質を十分過ぎるくらい持っていますから。ですが、アンドレ様はご自分の出来る範囲でやるべき事をなされば宜しいのではないですか?  それにもう直ぐ13歳で、身体もこれから成長期に入られますからね?』  あの時のアランとの会話を思い出して、僕は掠れ始めた喉を押さえた。確かに自分の身体は大人へと成長し始めている。最近身長も一気に伸びて来たのか、洋服のサイズも合わなくなって来て従者や侍女が慌てていた。  僕はもう少し背が大きくなれば、自分でも少しは自信がつくようになるのだろうかと小さくため息をついた。  そうすれば、シモン兄上も以前のように僕に優しく微笑みかけてくれるかもしれない。兄上に認められたくて、こうしてあれこれ考えていると、僕はまるで兄上を恋慕う小さな弟のままだともう一度苦笑してしまった。
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