待ちわびる気持ち

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待ちわびる気持ち

 手の空いている城の者が皆勢揃いして、今かいまかとこの辺境の後継の帰りを待っていた。さっき早馬が来たからもう直ぐ到着するに違いなかった。  僕は母上と一緒に玄関ホールで待ちながら、門の先の敷地に広がる柔らかな草地に伸びる白い道の先を見つめていた。  久しぶりに会えるシモン兄上は、きっと随分大人びてしまっただろう。セリーナ姉上も帰城する度に、少女から美しさを増す大人の女性へと変身していったのだから、兄上もすっかり見違える様になっているかもしれない。  実際同世代の間にいても、元々頭ひとつ背が高くて大人びた顔つきだったシモン兄上だ。前回の帰城の際は、見惚れる様なカリスマ性の滲む様な青年になっていた。  ただ、僕はその兄上の変わり様に戸惑ってしまったし、同時に兄上も僕に対して余所余所しい気がして、兄上が忙しかったせいもあって食事の時に二言三言言葉を交わす程度だった。  だから、せめて今回はもう少し兄上と話がしたいと思っていた。  「アンドレはシモンさんが大好きだものね。待ち遠しいわね。」  そう、母上に声を掛けられて、僕は何と言って言葉を返して良いか分からなかった。母上は義父上に嫁いでから、兄上や姉上に対して少し遠慮がある事に早いうちから気づいていた。  母上自身、姉上と一回り程度しか歳が離れていないせいもあるかもしれない。義父上と母上は誰もが認める仲の良さだけれど、だからと言っていきなり、そこそこものの通りが分かる子供達の母親になるのは大変だっただろう。  僕は王都とはまるで違うこの城に初めて来た日のことをよく覚えている。どこまでも続く平原と険しい山々が僕を圧倒した。そしてぼんやりとしか覚えていなかったけれど、それでも優しい亡き実父の面影とはまるで逆の、厳しい冷徹そうな表情の義父上と顔を合わせた時の恐ろしさと言ったらなかった。  僕が母上のドレスをぎゅっと握りしめて涙ぐんでいたあの時、背の高いシモン兄上が僕の前に出て来て、腰を屈めて目線を合わせて言った。 『やぁ。君がアンドレかい?とても可愛いね。僕の父上が怖いのかい?それはしょうがないね、でも大丈夫だよ。…僕も怖いからね。内緒だよ?』  その時から、僕は優しい兄上の虜だった。辺境伯には良く似ていたものの、何かにつけて僕の事を気にかけてくれていた。もちろんセリーナ姉上も僕をおもちゃにする勢いで可愛がってはいたものの、僕は自分とはまるで違うシモン兄上に理想を見ていたんだ。  僕はシモン兄上に呼ばれてはソファの隣に座って本を読んで貰い、騎士達との剣術の訓練を飽きる事なく見つめていた。  そして寂しくなった夜は、シモン兄上のベッドに潜り込んで朝まで眠ってしまったりもした。  『シモンがこんなに面倒見が良いなんて考えもしなかったわ。いつも周囲に冷たい態度ばかりなのに。』  そう言って揶揄うセリーナ姉上に、シモン兄上は僕の頭にキスして答えたんだ。 『はは。アンドレは可愛いからね。あいつらは煩くまとわりつくだけだけど、アンドレはちゃんと俺が呼ぶまで待ってるだろう?我慢してるのが分かるから、俺もアンドレは無視できないのさ。』  そう言われたせいかもしれない。僕は自分からますます我儘を言う事ができなくなって、シモン兄上の視線が僕に向けられるのをじっと待っている様になった。  「…アンドレ、私は貴方に無理をさせてしまっているのかしら。あまり我儘も言わないし、賢い貴方は物分かりが良すぎて時々不安になるの。」  物思いに耽っていた僕は、不意に隣の母上に声を掛けられた。そしてその思いがけない言葉に喉が詰まった。確かに僕は自己主張をあまりしない。それはそうする必要を感じないせいだけれど、確かに辺境伯の血を受け継いで居ないと言う事も、何処か心の片隅にある気もする。  かと言って大きな不満などもない僕は、お腹の目立つ様になった母上の手を握って言った。 「無理はしてませんよ、母上。ここでの生活には満足していますから。」  丁度その時、騒めきと共に兄上の乗った馬車が姿を現した。僕は嬉しさに胸がドキドキして来た。兄上は僕に笑いかけてくれるだろうか。ああ、そうであって欲しい。  今や辺境伯に届く背の高さになったシモン兄上が、馬車から長い足を伸ばして降りて来た。見る度にカリスマ性を強くしていく兄上は、ザワザワした周囲をくるりと見回すと、母上と僕に目を留めてこちらへやって来た。  …僕を見ている?  シモン兄上が僕をじっと見ていたのは気のせいだったかもしれない。兄上は僕らの前に立つと、母上の手を取って貴族の挨拶を済ませると、僕の方を横目で見て言った。 「アンドレも元気そうだ。背も一段と高くなった。」  それだけ言うと、僕の挨拶を受けてから頷くと、疲れた様子でさっさと奥へと向かってしまった。僕は皆が顔を綻ばして後継の帰省を喜びザワついている中、物足りない気持ちのまま歩き出した。  あれ以上言って欲しい何かがあった訳じゃない。兄弟なら当たり障りのない挨拶だ。そう思うのに、僕は何かが引っ掛かって思わず立ち止まってしまった。  ああ、分かった。兄上は母上には笑顔を見せていたけれど、僕にはニコリともしなかった。まるで憎い相手を見るかの様に厳しい眼差しを向けていたんだ。  僕は兄上に嫌われているのかもしれない…。根拠のない想像に胸を締め付けられながら、それでも何処かそれが一番納得できる気がして僕は立ちすくんでしまっていた。
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