前編

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前編

 エドワルドは堅い茨に長剣を振るっていた。  入り口という入り口、窓という窓を全て茨で覆われた、呪られし城。そこへ乗り込んだのは若さゆえの無謀か、末子とはいえ大国アーランドの王子であるがゆえの、王族としての責任感か。 「殿下ぁ。こんな不気味な城、もう出ましょうよお」  後ろを付いてくる従者のオードがびくびくと肩を揺らして泣き言をもらす。 「ふん。ここが呪われた城なのは知っているだろう、オード。不気味なのは当然だ」 「うう……かれこれ八十年も皆寝たっきりって、本当なんですかねえ?」 「歴史の講師はそう言っていたが、どうかな」  アーランドの北に位置するこの国は、約八十年前に魔女に呪われた。呪いの内容は誰も知らない。なぜなら、知っている人間は全て茨の中で眠りについたからだ。  ただ、国王の一人娘である王女が産まれてすぐのパーティーで魔女同士のゴタゴタがあったとか、本来は死ぬ定めだった王女が眠るだけの呪いになったとか、そんな噂話は伝え聞いていた。  真実を知るのは王女を含めた王家の者だろうが、彼らは茨の中で覚めることない眠りについたまま。  いや、彼らだけではない。国中が時を止めたかのように眠っているのだ。誰かに話しを聞こうにも聞けずにここまで来た。 「せめて、この呪いをかけた魔女に会えたら良かったんだがな」 「ひいい。やめて下さいよ、殿下ぁ。おっかない魔女なんて、留守で良かったですよお」 「オード。お前は本当に怖がりだな」  青ざめた顔の従者を呆れた目で見て、エドワルドは剣を持つ手に力を込めた。  そこは、塔の最上階だった。  一際頑強な茨が守る一室に、彼女は眠っていた。  床に広がるやわらかそうな金の髪はまるで黄金の海原のよう。白い肌はどこまでも少女の清純さをあらわし、桃色の唇はほころびかけた花を思わせ、可憐なかんばせを彩る。  無垢な清らかさと色づき始めた艶やかさの両方を兼ね備えた、美しい少女だった。 「…………」 「うわぁ、こりゃあたまげた。すごいべっぴんさんですねえ、殿下。あのドレスも上等なものですし、あのお嬢さんが噂の王女なんですかねえ」  茨の隙間ごしに部屋を覗き見た二人は、倒れている少女のあまりの美しさに感嘆の吐息を吐き出した。 「……少し黙っていろ」  エドワルドは銀色に輝く剣を両手で構え、深く息を吸う。次の瞬間、オークさえ両断する一撃が振るわれ――しかし、跳ね返された。 「くっ……流石に魔術の茨だな。傷一つつかない、か」 「ここだけ、やけに頑丈ですねえ。あのお姫様を守っているんですかね?」 「ああ、……そうだろうな」  まだ痺れの残る手を強く握りしめ、エドワルドは青い瞳を少女へと向ける。 「……なんという名なのだろうか」  小さな呟きに含まれていたのは、まだささやかな熱だった。  王女は眠る。眠り続ける。  彼女にかけられた魔術は、死を回避するための眠り。  ゆえに王女は眠り続ける。百年の間、微睡みの中で、かすかに――何かを感じながら。 「ああ、姫。目覚めましたか」  王女――フレデリカは何度もまばたきを繰り返した。  ここはどこなのだろう。わたしはどうしたのだろうか。  長い睡眠のせいか記憶があいまいで、戸惑いと不安が沸き上がる。  フレデリカは新緑の宝石、と呼ばれる翠の瞳を目の前に立つ青年に向けた。 「どうか、落ち着いてください、姫。私が知っていることを説明いたしますから」 「……あなたは?」 「申し訳ありません、自己紹介が遅れましたね。私はクリストファー・ギル・アーランド。アーランド王家に連なる者です」 「……アーランド、王家」  ぼんやりと、周辺国家の名が思い浮かぶ。なるほど、彼は南のアーランド国の王子なのか。  フレデリカは改めて青年を眺めた。  金髪に鳶色の瞳の王子は、にこりと人好きのする微笑みを浮かべていた。  百年の眠りから覚めたガルシア王国は、祝宴が繰り返し開かれていた。  自分達が百年も眠りについていた、という自覚が薄い国民達も、わかりやすい祝い事には目を輝かせる。  それは、国王の一人娘、フレデリカ王女の婚約の祝いだった。  フレデリカの呪いが解けたあの日。彼女の傍にいたクリストファーは、この王国が眠りについてからのことを事細かに話してくれた。  そして、アーランドとの同盟を持ちかけ、フレデリカと婚約を結んだのである。 「…………」  フレデリカは窓ごしに中庭を眺め、無意識に溜め息をついた。 「フレデリカ様? どうかしましたか?」 「え、いえ。なんでもありませんわ」  クリストファーに声をかけられ、フレデリカは慌てて微笑みをつくった。  そうですか、と軽く流して、クリストファーは再び話しはじめる。それを微笑みを浮かべて聞きながら――フレデリカは胸中でもう一度、溜め息をこぼした。  話がつまらないわけではない。  クリストファーが嫌なわけでもない。  ただ、何かが違う気がするのだ。この人ではない、この声ではない、もっと別の、他の誰かが傍にいてくれたような、そんな気が。  ――どうしてそう思ってしまうのかしら。  フレデリカは一人になると中庭に降りてみた。白薔薇を咲かせたアーチをくぐり、ふと先客がいることに気付いて足を止める。  なぜか、心臓がどくりと跳ねた。  その人物のことは知っていた。黒髪に青い瞳の、壮年の男性。アーランドの国王の弟である、エドワルドだった。 「失礼。驚かせてしまったようだ」  謝罪を述べる声は低く落ち着いている。それなのに、なぜかフレデリカの胸はどきどきと早鐘を打ち、焦ってしまう。 「いいえ、そんなことは……あの、殿下」 「……エドワルドで結構」 「え、エドワルド様。エドワルド様は、いつこちらに?」 「つい先程だ。ご婚約の祝いに」  どきり、と再び心臓が鳴った。今度は身体から力が抜けていく気がして、フレデリカは唇を震わせ、エドワルドを見つめる。  エドワルドは数秒の間無言で王女の瞳を見つめ、そして囁くように言った。 「……お幸せに、姫」
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