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引越し
「着いた!」
榎本陽菜は、父が運転する自家用車で懐かしい我が家に到着した。引越しトラックは既に到着している。
幼稚園の年中でここを離れ、転勤族の父について日本国内を巡って十年、高校入学のこの春やっと地元に戻ってきた。
地元といっても、幼少期を少し過ごしただけなので、この町の記憶はあまりない。
「意外と綺麗だね」
弟の智也が言う。
小学五年生になる弟の智也は引越しの邪魔にならないようにしながら、部屋を見て回っている。
赤ちゃんの頃にここを離れた智也にとっては、まったく見知らぬ土地、見知らぬ家だった。
一階はLDKと和室とバストイレ、二階に三部屋ある木造建築で、小さいが庭も付いていた。
「おじいちゃんが亡くなるまで、手入れしてくれていたからね」
車で運んできた細々した荷物をキッチンに運びながら母が言う。
ここは母の生まれた町で、祖父、つまり母の父はこの近所で大工の棟梁をしていた。母が陽菜を妊娠した時、初孫の誕生に合わせてこの家を建ててくれたのだ。
陽菜達が父の転勤でこの家を離れたあとも、家が傷まないように時々手を加えてくれていたのだという。
その祖父が昨年亡くなり、葬儀でこの町に帰ってきた時にこの家を見て、またここに住もうかという話になった。
父も四十代になり、会社でもそろそろ東京本社に戻ってこいという話が出ていたタイミングだった。
そういうわけで、陽菜が高校入学するこの春、家族でここに引越すことになったのだ。
それまでは社宅住まいだったので、子供も個室が確保できる一戸建ては嬉しかった。
引越しが終わり、トラックが帰った夕方、荷物の開封作業を一旦止めて家族で近所のお蕎麦屋さんに行き夕飯を済ませた。
「行きと違う道で帰ろうよ」
弟が言い、皆が弟に従った。
四人で帰りながら父が、「陽菜は何か覚えていることあるか?」と聞いた。
住宅街は新しい家も増え、記憶を引き出そうとしても思い出せない。と、どこからか沈丁花の花の香りがした。見ると、小さな公園があった。
「覚えてないと思ったけれど、ここ、ここだけはなんとなく覚えてるよ。おじいちゃんと来た記憶がある」
祖父と手を繋いで歩いた記憶があった。
「おじいちゃんによく遊んでもらってたものね」
母が懐かしそうに微笑んだ。
「さあ、帰ったらまた荷解きがんばるぞ──!」
父がそう張り切って宣言した。
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