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薔薇の館
引越しの夜だけで変な音は止んだ。
五月に入り、陽菜も智也もそれぞれ新しい学校に慣れていった。
「お父さん、お昼の買い物と本屋さん行ってくるね!」
五月の連休も終わったある土曜日、陽菜は玄関で靴を履きながらリビングでテレビを見ている父に声をかけた。
母は病院の受付のパートを始め、昼過ぎまで不在だった。智也はお弁当持参で朝から一日サッカーだ。
こういう日の昼食作りは陽菜が担当だった。
「お昼の支度に間に合うように帰るから」
「おお! 焼きそばの材料買ってきてくれたら俺が作るぞ──!」
「了解!」
返事をして家を出た陽菜は、一番近いスーパーの方に歩き出した。隣には小さな書店があった。
公園まで来て近道をしようと中を突っ切る。砂場やブランコでは親に見守られながら小さな子供達が遊んでいて賑やかだった。
陽菜はこの公園に来るといつもブランコの方をちらっと見てしまう。
夢で見た通り、ブランコのそばに黄色い木のベンチがあった。ベンチなど意識したことがなかったので、夢で見た通りなのが不思議だった。
かなり年季が入ったベンチだから、陽菜が幼い頃からそこにあって記憶していた? あるいは引越した最初の夜、通りかかった際に目の隅に入って覚えていたのか──?
ベンチの近くまで歩いてそこから通りに出ようとして、通りの向こうの一軒の家を見て「あれ?」と思った。
それは白い二階建ての洋館で、玄関の前の小さな庭には薔薇の花が咲き乱れていた。
(あんな家、あった?)
まったく記憶になかった。
薔薇の優しい香りが道のこちら側にも届いていた。敷地と道の間の低い垣根も薔薇の壁のようになっていて、それは見事だった。
(いつも通るのに、なんで気付かなかったんだろう)
不思議だった。開花してこんなに華やかになる前は、目に留まらなかったとか──?
色とりどりの薔薇を見ながら垣根の横を歩いていると、急に庭で誰かが立ち上がり、陽菜はぎょっとして立ち止まった。屈んで薔薇の手入れをしていたようだ。
「こんにちは」
立ち上がった女性は目が合うと、優しく挨拶してくれた。
「あ、こんにちは」
咄嗟に陽菜も挨拶する。
どこかで会ったことがある、そう思った。
その女性は三十代後半位で、黒くサラサラの長い髪で、ベージュ色のレースのロングワンピースを着ていた。
「もしかして、陽菜ちゃん?」
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