0.「安藤なつのノート」、107 第1話「松川の釣り人」

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0.「安藤なつのノート」、107 第1話「松川の釣り人」

森川さんと片平さんが日本を旅だった。俺は、その前日、片平さんに森川さんの家に招かれた。理由は聞かされていなかった。  森川さんの家には、片平さんしかいなかった。片平さんは、そのまま森川さんの元妻、森川なつさんの慰霊のある居間に、俺を案内してくれた。 「井上くんに読んでもらいたい物があるの」 片平さんは、仏壇の引き出しを開けた。その中から7冊のノートを取り出した。 「これはね・・・」 片平さんは、森川なつさんの慰霊を見つめた。 「これはね、森川なつさんが、まだ、安藤なつさんと呼ばれていた時に書き留めた、森川先生の事。全部、森川先生と解決した事件簿なの。森川先生は自分では渡さないと思うから、私から井上くんに渡すわ。7年間の思い出が詳細に書いてある。  色々、プライベートな事も記載されているけど、気にしないで読んでみて。これから、井上くんの成長につながれば、森川先生も喜ぶし、何よりなっちゃんも喜ぶわ」 俺は、片平さんから7冊のノートを受け取った。  少し、ページをめくった。そこには、可愛い手書きの文字で、日記のような文章が書かれていた。俺はそのノートを受け取ると、森川さんの家を後にした。                ☆ 40bfa987-6ce0-4dcc-b832-9cc254099f4b  太陽は色が変わり始め、前方に見え吾妻山にその姿を隠そうとしていた。3月は弥生ということもあり、春の季節だが、まだまだ、ここ福島の風は寒く、まして、今の私の心に吹く風は、少しの暖かさも感じられなかった。しかし、最近、毎日のように降っていた雪は、今日に限り降らなかった。それはまるで、私以外の人たちへの祝福のようにも思えてきていた。  ここは、東北も一番南の県、福島県。その中でも県都の福島市。福島市は福島県でも北側にある市である。そして、シンボルは、福島市の中央にそびえる信夫山。信夫山は湯殿山、羽黒山、熊野山の三山からなり、標高300メートルの小さな山だ。そのまた北側を西から東へ流れる松川が流れている。今、私の左側を流れる松川は、硫黄温泉と知られている高湯温泉や姥湯温泉から流れ、何回も堤防工事が行われている川である。そして、この松川は、国道4号線と平行に流れる阿武隈川に流れ込み、その阿武隈川は宮城県で太平洋に流れ着く。私は、この松川を見ながら、3年間、中学校に通った。しかし、今日は特別な日。いつもより、松川の流れが寂しく見える。  松川に沿って作られた堤防の上を、ただ虚無に近い心を抱え、自転車を押して歩きながら、自分の運命とか後悔を背負いながら、体が自然と前に向かって進んでいく。何も意識をしていないのに、勝手に足が自分の家の方向へ・・・。  自分のこれからの人生を思うと、虚しく思ってしまう。  「15の春」を満喫している他の同級生のうらやましく思いながら、自分が帰る場所は、自分の家しかないのかと虚しく感じる。頭の中では、家に帰りたくないなと考えながら、体が勝手に前に進んでいく。  この松川の北側にかかる堤防は、自動車が1台通れるくらいの幅。今、前方から自動車が1台、私の横を通り抜けていった。もし、逆方向から自動車が来たら、どうやって交差するのだろうと、自分に関係ない事まで考えていた。 私の遠く前方では、国道13号線が松川にかかり、今、渋滞の列を作っている。そして、また黒い色をした車が私の横を通り過ぎる。今を生きる気力を失っている私は、その横風にあおられて、自転車ごと河原の方に投げ出された。幸い私は、草の生い茂っている堤防の斜面に投げ出された。私の横を走っていった車は止まろうとせず、そのまま過ぎ去って行った。「不幸は重なるものだな」そんな事をつくづく感じながら、自分の体を起こした。しかし、幸い車にぶつかっていないので、諦めた。  ため息をついて、一緒に倒れた自転車を探し、その自転車を持ち上げようとした時、そばに男の人が倒れていた。 「もしかして、私が・・・」 しかし、その男の人はムクッと上半身を起こした。 「君、大丈夫?ケガない?」 逆に声をかけられた。その人は、自転車にぶつかったり、下敷きになったりしたのではなく、もともと堤防の斜面に横になっているようだった。 「あっ、大丈夫です」 反射的に答えた。しかし、体のあちこちが少し痛かった。でも、男の人がこんな所に、それもこの時間に、横になっているのが気になって、思わず尋ねてしまった。 「ここで、何をしているのですか?」  堤防の斜面に横になっている男の人は、髪が少し長く、薄緑色のシャツを着ていて、白っぽいズボンとスニーカーを履いている。眼鏡をかけ、どこにでもいる年齢不詳の青年というか、おじさんというか、男の子だった。どう見ても定職についているとは思えず、フリーターかなとさえ思った。引きこもりの人にも見えた。ニートかな・・・。  しかし、彼は、見た感じ、私を襲う気配を感じなかったので、声をかけたのだ。 「少し、人生を考えたくて、横になってボーッとしているのです。  それより、最近の車の運転は乱暴だね。ぶつからなかった?」 彼の言葉は、静かで優しそうだった。 「私も少し、考え事をしていて・・・。車の風で、倒れたようなのです。幸い、ケガはないようです。  それより、私も、少し人生について考えたいので、ここの横にいていいですか?」 「ここは、私の所有する土地じゃないから、誰がいてもいいと思うけど・・・。それより、その制服、汚れるかもよ」  私は中学校の制服を着ていた。 「大丈夫・・・。この制服もあと数回しか着ないし、お下がりなので・・・」 強がりを言うと、その男の人の横に腰掛け、松川の流れをただボーッと見つめていた。  人生について考えるとは言ってみたが、あまり自信がなかった。一体何を考えればいいのだろうか?どうすることも出来ないのは、わかっているはずなのに・・・。時間だけが過ぎていくのを感じていた。私の目には、この松川で、一人、釣りをしている年配の男の人が見えた。 「まあ、久しぶりに温かくなったから・・・。釣りをしたくなったのだろう・・・」 私はそう思った。  時間が少しずつ過ぎていく。私の隣でボーッとして、紫色になりかけた雲を見つめていた彼に、何の気もなく私は尋ねてみた。 「私の事、どう思います?」 彼は、紫色の雲から目を離さなかった、 「それは、あなたを好きか嫌いかって事?それとも、あなたの状況のこと?」 「もちろん、後半の事です」 彼は、自分の眼鏡の中央、つまり、レンズとレンズの間を左手で触り、眼鏡を少し上げると、自分の髪の毛をいじると、私の顔を見始めた。 「どこまで話していいのかな?」 「今の私を見て、考えられること全部です」 一体、自分は何という解答を彼に求めているのだろうか、とか、今、他の人は自分をどのように見ているのだろうか、という事が気になり、変なことを尋ねてしまった。でも、何もわからないだろうな、と思っていた。それも平日の午後4時に松川の河原でボーッとして、寝そべっているあきらかにフリーターと思われる男の人に、自分は何を言っているのだろうか、と自分自身でも自暴自棄になっている。 「私の名前はわかりますか?」 私は自分のネームプレートを隠した。 「名字は安藤で、名前は平仮名で『なつ』・・・かな」 「やはり、私のネームを見ていたのですね。チェックが早いですね。  それでは、私の所属は?」 「福島市立福島第6中学校の3年2組。だぶん、出席番号は1番じゃないかな」 「へぇー、制服を見ただけで福島第6中学校と言えるのは、相当な制服フェチですよ」 「私は、そんな制服フェチじゃないと思うよ。ただ、倒れた自転車に『第6中学校』と書いてあるからね。それに、ここは福島第6中学校の学区だろう。  逆に、私はね、その制服がどこの中学校の制服すらわからないよ。中学生の制服は、皆、同じに見えてしまうからね」  彼は言い訳がましい事を話した。 「次の質問です。私の家庭環境までわかりますか?」  私は、そこまで私の事を知らないだろうと、高をくくっていた。 「たぶん、あなたの自宅は、矢野目辺りかな。両親がいて、一戸建ての家に住んでいる。そして、だいぶ年上のお姉さんがいて、名前は・・・玲さんというかも。そのお姉さんは福島にはいないってことかな」 「ねえ、あなた、私のストーカー?」  あまりにも、私の事を当て過ぎたので、驚いて聞いてみた。初対面の人にここまで自分の事が当てられるのは、ストーカー以外、あり得ない。 「そんな事ないよ。現に、今、私は初めてあなたに会ったばかり・・・」 「それじゃ、なぜ、そこまで当たっているの?」 「ほとんどの中学校の自転車通学者は、中学校から2キロ以上の通学距離の生徒。だから、福島第6中学校でここを通り2キロ以上に家があるのは、矢野目に住んでいる人くらいだ。松川より南だと、学区が違う福島市立福島第4中学校になってしまうからね。  そこに倒れている自転車に、学校の防犯登録が2つ付いている。何年か前の物と現在の物と。つまり、だいぶ年上の姉がいる証拠。お兄さんなら、そんなママチャリには乗らない。  矢野目から、福島市内に通うのは、自転車でないと無理。バスでも、難しい・・・。今、あなたがこの自転車に乗っているという事は、お姉さんが新しい自転車を購入したか、福島市以外に行っているかだ。今、あなたが悩んでいるという事は、悩みを話せる姉が近くにいないから・・・。  ということは、たぶん、福島市以外に行っているからだと思う。そこに落ちているヘルメットには『安藤玲』という名前が内側に書いているし。また、先ほど、自分の制服を『お下がり』と表現したから・・・」  そこまで聞くと、すべて納得してしまう。彼をフリーターにしておくには、もったいない。現に、姉は、東京の音楽大学に行っているし・・・。  思い切って尋ねてみた。彼は、それ以外何を今の私から推理できるのだろうかと・・・。 「他に、今の私から推理できる事はあります?」 「推理というわけじゃないけど。本当に思った事を話していいの?」 「どうぞ。今日の私、人生の最悪の日だから、何を言われても大丈夫です」 「人生最悪の日なんて、そんな若さで言う事じゃないよ」 「だって、そうなんだもの」 「県立高校の受験に失敗して、すべり止めに受けていた私立高校に進学しようか、Ⅲ期募集で県立高校に進学しようか迷っているとしても、これから未来はあるじゃないか」  私はまたまた驚いた。なぜ、そんな事まで、この人は言えるのだろうか。 「なぜ、そこまでわかるの?」 「今日は、3月15日、月曜日。県立高校の合格発表の日だ。高校合格発表はほとんど正午なので、合格した生徒は遅くても午後2時くらいには、中学校に喜んで報告しに行くはずだ。しかし、今は午後4時を少し過ぎた当たり・・・。そして、福島第6中学校から自転車に乗らず、とぼとぼ自転車を押しながら歩いてくるあなたは、たぶん県立高校を不合格になり、合格した生徒が帰った後に中学校に呼び出され、今後の進路を担任の先生と話してきたというところかな・・・。あなたの自転車のカゴには、私立高校のパンフレットと県立高校の受験者数の載っている新聞記事のコピーが入っている。つまり私立高校に進学するか、県立高校のⅢ期をこれから受験するか悩んでいるということで迷っているように見える。通りすがりの車の風で倒れるくらいだからね」 「試験の前日、インフルエンザにかかり、熱が40度近くなったの。そして、県立高校入試を高校の保健室で受けたの・・・。言い訳にしかなりませんね・・・」  私は、普段の体力不足を呪った。 「その他には、何がわかりますか?」 「そうだね、たぶん、中学校での部活動は、吹奏楽部かな。楽器はクラリネットだろう。唇の少し腫れているのは、リードをくわえていた証拠。サキソフォーンの大きさではないな。そして、その右手親指のクラダコがその証拠。3年間、頑張って練習してきたことだよ。どう?」 「全部当たっています。あなたは探偵?シャーロック・ホームズのような・・・」 「それは違うよ」 速攻で男の人に否定されてしまった。彼はそう言うと、今度は、青紫色に変化していっている雲を再び見上げた。そして、先ほどと同じように、眼鏡を左手で直した。どうやら、その仕草が彼の癖らしい。 「県立高校を落ちたのは、あなた1人じゃないだろう。また、県立のⅢ期で合格しても、このまま私立高校に行っても、どちらも同じ高校生さ」 「それって、私に対する励ましですか?それともあわれみ?」 「違うさ。若いっていい事だなってことさ」 「そうですか?」 「そこの駐車場をみてごらん」  彼は河原の駐車場を指さした。 「そこの駐車場、アスファルトで覆われているだろう。でも、よく見ると、アスファルトの中央から、何くそって、雑草が出てきているだろ。あんな堅いアスファルトを破って・・・。私はあんな雑草のような生き方にあこがれるのさ」  駐車場のアスファルトのあちこちはヒビ割れて、緑色した雑草が生えてきている。生きようとする生命の力を感じるように・・・。 「あの雑草・・・」 「こちらの近いのがセイヨウタンポポ。向こうの伸びているのがハルヒメジオン・・・」 「詳しいのですね。雑草の名前・・・」 「有名な草だよ」 「今の私もあの雑草のようになりたいです」 「私もさ・・・」 「そうなんですか?」  彼はくすっと笑って見せた。 「それじゃ、君から見て、私の事はどう思いますか?」  逆の質問をされて、私は少し、目の前にいる彼を観察した。先ほどは全部、言い当てられてしまったので。今度は私から何か当てたかった。だから、色々、観察した。右手首に包帯を巻いている。しかし、他に何も観察できず、当てずっぽうで言ってみた。 「年齢は22才。名前はわかりません。職業はフリーターか私立探偵。でも、昨日、右手をケガして、クビになり、これからどうしようか迷っている」 「ふーん」 彼は苦笑いをしながら、私の話を聞いている。後ろの堤防をまた黒い色をした車が通り過ぎていく。彼の視線がその車を追っていく。そして、再び私の方を見る。それを見ながら、私は話を続ける。 「それから、家はこの近所。というか、堤防の後ろあたり。そして左利き。仕事に失敗してバツイチ。そのくらいかな」  私は彼の風貌から考えられる事を言ってみた。男の人は、川の向こう岸に先ほどから停まっている車を見ながら、堤防の斜面に横になった。 「どう、当たった?」 「1つだけかな」 「何が当たったのですか?バツイチ?フリーター?」 「違うよ。左利きということ。でも、1つ当たったから、すごいね」 「ううん。それは、左手で眼鏡を直していたし、右手に腕時計をしていたから・・・」 「観察力があるね。安藤くんは、すごいね」 「それってほめ言葉ですか?だって他は全て外れたのでしょ。あなたは全部言い当てたし・・・。人は見かけによらないって言うけど、見た目で判断してすみませんでした」 私は強がって言ってみたが、完璧に私の負けだった。悔しい。彼の観察力は私を上回っている。いったい彼は何者?負けず嫌いの私は他の挑戦を考えて、何かないかと探した。 「ねえ、私ともう1つ勝負しない。あそこで釣りをしている人がいるから、あの人がどんな人か当てるっていうのはどう?」 私は、先ほどから目の前の松川で、釣りをしている男性の方を向いた。どう見てもここからじゃ、彼にもあの釣りをしている人のことは分かるまい。まあ、私も同じ条件だけど・・・。  私は、釣り人を観察してみた。どこにも名前を示すような物は見あたらない。普通の背広姿なので、職業も識別できない。持っている道具は、どこにでもある釣り道具一式。靴もスニーカー。さて、何と言おうかと自分から挑戦していて、迷ってしまった。 「私から推理した事を言ってみてもいい?」 「どうぞ。レディーファーストということで・・・」 彼はまた土手に横になり、太陽の光がかすかになり始めた雲を見上げていた。 「そうね。彼は、平凡なサラリーマン。まして、今日は休みの日なの。だから、日曜が出勤の職業に就いている。まして、平日の午後5時前に優雅に釣りをしているから、少し裕福な人かも。しかし、彼は釣りが下手と見えるわ。だって、私が来てから、まだ一度も魚を釣った所、見ていないし・・・」 彼は、雲を見つめていた。 「そんなに雲が好きなの?私の推理、聞いていた?」 「聞いていたよ。でも、今のが推理なの?その続きは無いの?」 「え、その続きって?」 私はいきづまってしまった。 「それじゃ、あなたの意見というか推理を聞かせて・・・」 彼は上半身を起こした。 「私は推理するような事はしないよ。ただ、『なつ』さんに言われたから、観察をした事だけを話すけど、いい?」 「それでも、いいです。これは、勝負だから、話し終わったら、直接、あの人に聞きに行くの」 「いや、直接、聞きに行かない方がいいと思うな。それより、聞きに行けない状態かもしれないし・・・」 「えっ、それ、どういう事?」 彼はつくづく不思議な人だと思った。 「つまり、彼は平凡なサラリーマンでも、公務員でもないと思うよ。たぶん、資産家か金持ちだ。彼をよく観察してごらん。  普通、釣りに来た人は、じっと釣り糸の先のウキを見て、魚がかかったかどうか見ているはずさ。しかし、彼は全く自分のウキを見ていない。それどころか、彼の隣にある大きな紙袋に包まれた物をやたら、気にしている。そして、その紙袋の上に置いてある携帯電話を非常に気にしている。たぶん、誰かからの連絡を待っているのだろう」  彼は釣りを真剣にしているというより、どこかそわそわしている。しきりに自分の隣に置いた紙袋の上の携帯電話を気にしている。 「それに、釣りに来るなら、背広にスニーカーという服装はおかしいし、川のそばに携帯電話を置いておくもの変だ。風や自分で触って携帯電話が川に落ちたら、使い物にならなくなる。  そして、横に捨ててある細長いビニール袋。あれは、量販店から購入してきた釣り道具一式を入れておいた袋に違いない。釣りをしに来るなら、もっといろいろ道具やエサ袋、釣り針、糸、ハサミなどを入れる道具箱があるはずだ。たまには、折りたたみの椅子とか。しかし、彼はその釣り道具一式しか持っていない。つまり、彼は釣りをした事が今までない証拠さ」  彼の周囲にあるのは、大きな紙袋だけと捨てられた長いビニール袋。そして、よく見ると、近くに白い旗のようなものが立っている。 「あの白い旗な何でしょう?」 「たぶん、あれは目印だね。ここでお金を持って、釣りをしながら、待っていろという」 「お金って?」 「あの紙袋の中身は、たぶんお金だ。濡れてもいいように、ビニールで包んでいる。それに、松川のあの場所は急流というより、流れが緩やかで、魚のポイントじゃない。あんな所に釣り糸をたらしても、魚は来ない。そして、あの場所は相当、深さがある所さ」 「釣りをしている場所が、彼がどんな人物かを当てるのに、決め手になるの?」 「あるさ」 「何?」 「それは、この川が松川だってことさ」 「松川で釣りをしていちゃいけないの?」 「そうじゃない。この松川の上流は、有名な高湯温泉と姥湯温泉だ。高湯温泉の成分は硫黄が大分含まれている。だから、その硫黄がこの松川に流れ込んでくる。何といっても、この松川のphは『4』の酸性の川だ。硫黄が多い水には魚が生息しない。つまり、この松川には、魚はいないってことさ。だから、この松川で魚釣りをしている事自体がおかしいのさ」  彼以外、誰もこの松川で釣りをしていなかった。 「先ほどから私達の後ろの堤防を何周もしている同じ車。同じ車が、たかが松川の堤防を何回も走るか?そして、向こう岸にいる車。あの車も変だ。男二人が、先ほどからずっと前の席で彼を観察している」 「どういう事?」 「つまり、警察の車が、彼を見張っているという事さ。警察も、もう少し考えて、車の人間を男女にするとかしないと、バレてしまうのにな・・・」 「えーっ!」  私は、彼の「警察」という言葉に驚いた。彼はさらっと言いのけると、驚く私を制してた。 「普通に今まで通りしていた方がいいよ。態度に表すと、周囲が乱れるから・・・」 彼はまた土手に横になり、また、空を見つめていた。 「たぶん、誰かが誘拐され、彼は身代金をこの場所、つまり、あの白い旗の場所に持ってきたのだろう。それを、警察がマークしていると思っていい。誘拐の場合、身の代金の受け渡し時が一番の犯人逮捕の時なので、警察も真剣なのだろう」 「犯人は捕まるのかしら・・・」 「たぶん犯人はラジコンのモーターボートで、あの身の代金を運ばせようとするだろう。あの紙袋、ビニールで包んでいるし、防水してあるようだし・・・」 「げーっ」 そんな事まで、このフリーターは考えていたの。考え過ぎじゃない。 「犯人は、魚のいない松川で、彼に釣りの準備をさせている。身の代金をモーターボートで運んでも、上流は浅瀬が多いから、そんな長くは運べない。途中に関もあるから、ラジコンのモーターボートでこの松川をどこまでも上流に向かうのは無理さ。  逆に、下流に行くと阿武隈川に合流し、両岸の堤防に道路が走っているから、逆に犯人の方が目立って、大変だよ。  犯人は、この松川の上流から近くの下水道管へモーターボートを操るだろうね。犯人にとって、身代金を確実に奪う方法だ。  でも、犯人は意外と早く捕まるかもね」 「ふーん。そうなんだ」 「それに、あの上流の松川グラウンドで野球の練習をしている人達も、警察だろう。彼らはずっとキャッチボールしかしていない。普通、野球の練習をするなら、川にボールが落ちないように、川から離れて練習するはず。しかし、あのチームは川に近い所で練習している。まして、一時間もキャッチボールしかしていない。いかにも、あの釣り人を観察するようだ。そして、決定的な事も・・・」 「決定的な事って?」 「彼らは野球の練習をしに来たのに、バットを持っていない。下手くそだ。集中力がない。声が全く出ていない。彼らは、野球をしには来ていない」  なる程、ずっと先ほどから、キャッチボールしかしていないし、こちらばかり見ている。ボールもボロボロと落としている。バレバレだ。彼の言う通りだった。  私の横で寝ていた彼が起きて、立ち上がった。堤防の上に向かって、歩こうとしていた。 「あれ、どこに行くのですか?あの釣りをしている人に真相を聞かないのですか?」 私も起きあがり、自転車を直して、堤防を登った。 「ここにいると、警察に疑われるぞ。警察署で事情聴取なんて、面倒くさいし・・・。  それに、安藤くんはそんな暇じゃないだろ。後は警察にまかせて・・・」 彼が歩き出した。 「ラジコンは使える範囲も決まっている。たぶんあの紙袋にも、警察の発信器が付いているだろう。日本の警察は優秀だから、犯人はじきに捕まるよ。私の車はそちらに停めてあるから、少し歩こうか」 そう言って彼は、松川の堤防から離れて、ゆっくり歩き始めた。私も倒れている自転車を起し、彼の後を追った。  私は、堤防に上ると、制服の汚れを落とし、自転車を直した。私は自転車を押しながら、いつの間にか彼と並んで歩いていた。 「あなたをフリーターにしておくは、もったいないね」 「だから、私はフリーターじゃないよ。今日は、いろいろあって心の整理をしたくて、仕事を休んだだけだから・・・」 「ふーん」 私は半信半疑で彼の話を聞いていた。  どのくらい、松川の堤防を歩いたのだろう。グラウンドで野球をしている警察官も見えなくなりそうだった。彼はいきなり立ち止まった。私は自転車を押しながら、思わずぶつかりそうになった。堤防の曲がり角に小さな公園があった。公園と言っても、ブランコと鉄棒、そして、滑り台しかなかった。一瞬、彼はその奥にある三階建てのアパートを見つめていた。  彼はその公園に入っていった。なぜか私もついて行ってしまった。彼は、そのアパートの入り口らしき場所を見つめてから、ブランコの近くに戻り、そのままブランコに腰をおろした。私もつられて、公園の隅に自転車を置いて、その隣のブランコに座った。彼は、お尻のポケットから携帯を取り出し、どこかにメールをした。 「彼女にメールですか?」 冷やかしたつもりだった。 「ボランティアさ」 意味不明!  少し微笑みながら、彼は携帯をまたお尻のポケットに片付けた。  彼はいきなりブランコを揺らし始め、私の方を振り返り、優しい顔つきで話しかけてきた。 「ねえ、なぜ、夕日が赤いかわかるかい?」 私は、考えてもいない質問に驚いた。そんな当たり前の事じゃないか。パトカーは白と黒。木の葉は緑。みかんは黄色。そして、夕日は赤。決まっていること。 「だって、昼間の太陽はどちらかというと、黄色でまぶしいだろ。でも、夕日になると赤くなる。なぜ、夕日は赤いか考えたことがあるかい?」 私は、少し頭を悩ませながら、ブランコをゆっくり揺らし始めた。 「今、考えますから、ちょっと待っていてね」  頭の中をいろいろ巡り始めた。小学校や中学校では習ったことはない。こんな簡単な事。夕方になると、太陽が地球に近づくわけじゃないし・・・。 「降参です」 「あれ、随分、今度は諦めが早いね」 「だって、今、それどころじゃないもん」 「そうか、ごめんね。  太陽が赤いのは、昼間から夜になった時、いきなり暗くなったら、皆、ビックリするでしょ。だから太陽が少しだけ気を利かせて、周囲を茜色に染めてくれるわけさ。そして、『これから夜になるよ』って、周囲に知らせているのさ」 「何、それ!」 期待した私がバカだった。 「だから、その太陽を見て、今日あった事を一人一人振り返る時間を作ってあげているわけさ。私達は『生きている』のじゃなくて『生かされている』んだよって」 「それって、答えになっていないじゃん。  それより、今の私は明日までに今後の自分の進路を決めなくてはいけないのよ。福島第二高等学校を落ちたのだから・・・。市内にある私立高校は自転車で通学できるけど、お金がかかるし、姉が音大にいっているから、これ以上お金は両親にかけられないし。まして、私立高校には女子しかいないし・・・。Ⅲ期募集のある二本松高等学校は男女共学で、大学進学に力も入れていて、授業料も県立だからまあまあだけど。でも、電車で通学しなくてはいけないし、片道30分500円の通学は、結構大変かも。でもここから、一緒に行く友達も少ないし・・・。インフルエンザのせいには、したくないし・・・」 ため息をついた。空は既に薄暗くなっていた。私の乗ったブランコは意味もなく、揺れていた。 「で、今、どうしようか迷っているの。だって、これから3年間通学するのだから・・・」 彼の速度に合わせて、私はブランコを揺らし始めた。 「昔の偉い人が『生きる事は、死ぬための前奏曲、プレリュードである』って言ったんだ。その言葉に感動したフランツ・リストというピアニストで作曲家が1848年、交響詩「前奏曲(レ・プレリュード)」いう曲を作曲した」 「それが今の私に何の関係があるの?」 「中学校3年間は、高等学校へ行くための、前奏曲。つまりプレリュードみたいなもの。そして、高等学校の3年間は、大学や社会にでるためのプレリュードみたいなものさ」 「で?」 「そのプレリュードをどう過ごすかは自分次第。福島第二高等学校に進学したとしても、福島の私立高校に進学したとしても、二本松高等学校に進学したとしても、要するに、自分がその3年間で何を見つけるか、何を探すか、そして3年間で他の人間より心をどれだけ成長させるかって事を考えた方がいいと思うな」 「フリーターというより、教師や哲学者みたいな事をいいますね」 「そんな事ないよ。まっ、後悔しないように、自分の人生だから、自分で決めるのが一番だろう。両親もあなたの考えを受け入れてくれると思うよ」  自分で決めないとダメか。と思っているうちに、周囲が徐々に暗くなっていく。 「そろそろ家に帰った方がいいかもね。特に今日は・・・。  娘が高校を落ちたショックで、自殺でもと考えられたら、大変だよ。両親は、気が気ではないと思うよ」 「両親は、最近、何かあったらしくて、私の事なんて、構ってくれていないから・・・。  でも、言われてみると、そうですね。今日は、見ず知らずの私のために、つまらない相談にのって頂いて、ありがとうございました」 ブランコから降りた私は、ペコリと頭を下げた。彼もブランコから降りた。 「たぶん、ここで私と安藤くんが出会うことは、必然だったのさ。私も少し、気分が軽くなりましたよ。ありがとう」 「そうですか?」 「そうです。また、縁があったら、会いましょう」 「そうですね。もし、縁があったら・・・」 「誰かが『夜明けのこない夜はないさ』と、歌っていましたよ。あなたにも必ず夜明けはきますよ。もう少し、肩の力を抜いて考えてみたらどうですか」 「あなたにも、夜明けが来る事を祈ります。いいえ、絶対、あなたには、夜明けはきますよ」  私がそう言うと、彼はブランコから手を離し、公園の出口に向かって歩いていった。私は再び頭を下げ、心の中で「ありがとうございました」と呟いた。私の何かが、彼に会って、吹っ切れたようだった。  家の近くになると、遠くでパトカーのサイレンの音がたくさん聞こえた。  家に戻ると、帰りが遅くて怒って心配していた両親に謝り、着替えもせずに、部屋に閉じこもった。ネットでフランツ・リストの交響詩「前奏曲(レ・プレリュード)」の曲をダウンロードした。  とても大切な事を忘れていた。彼の名前を聞くのを忘れていた。縁があったら、会えるといっても、本当にまた、会えるのだろうか。その時は名前を聞くのを忘れないようにしなければと、思って家に向かった。風にあおられながら自転車をこいでいる私は、今の自分の気持ちのように、すがすがしさを感じていた。  今日一日、いろいろな事があった。私の進路は、このダウンロードした曲を聴いてから考えてみようと思った。  周囲はすっかり暗くなり、3月というのに、少し白いものが舞ってきていた。  1階に下りると、テレビのニュースで、福島市で誘拐事件があったと報じていた。その誘拐犯人が、身の代金の受け渡しの時、松川でラジコンのモーターボートを使用したこと、犯人は松川沿いのアパートに隠れていたこと、モーターボートが松川から下水道管を抜け身代金を運んだこと、そして最後に、警察が犯人の隠れ家に突入し犯人が捕まったというニュースが流れていた。彼の推理が当たっていた。  テレビのニュースは、私が彼と別れたあの公園の裏にあった3階建てのアパートを映していた。あのアパートが犯人の隠れ家だったのだろうか?彼は、そこまで見込んで、隠れ家を確認したのだろうか?やはり、彼をフリーターにしておくには、もったいない。  私は、なぜか、またあの人に会えそうな気がしていた。  2010年3月。私の進路は、私が決める。私の人生は、私が決める。今日、一日で、私はだいぶ大人になったような気がする。それは、あの彼の影響かもしれない。  自分の人生を自分で決める。それは、自分が大人になるための、プレリュードだから・・・。
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