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118.第12話「僕の宝物」
1月の下旬、私の右足は段々良くなってきていた。あの二本松神社で足を挫いた翌日、病院に行くと、松葉杖を預けられた。成人の日はマンションで静かにしていた。
1月11日、火曜日からの1週間、森川先生は毎日、高校に私を車で送り迎えをしてくれた。そのため、森川先生は毎朝、早く登校し、誰もいないうちに学校に私を送った。
「タクシーで来ている」
私は一応、クラスのみんなには、嘘をついたりした。たまたま誰かに、森川先生の車に乗っているところを見られた時もあった。
「たまたま森川先生に出会って、送ってもらった」
1月が終わる頃には、私は普通に歩く事が出来るようになっていた。
2月の学校の話題は、チョコだった。中学校までと違って、先生から面倒くさい話が全くなかったからだ。
図書館に行くと、期末考査のために勉強をする1、2年生と、最後の大学入試が残っている3年生が勉強をしていて、混み合っていた。
私はカウンターで勉強をしていた國分有香の隣に座った。
「なっちゃんは、誰かにチョコ、あげるの?」
有香が話しかける。彼女もバレンタインデーには、関心があるらしい。
「この学校、中学校と違って、その辺は厳しくないらしいよ。堂々と先生に渡す人もいるって・・・」
「私、何も考えてなかった」
私は正直に有香に話した。
「私は、先輩に本命1つ。後は義理チョコを誰に渡すかね。担任の森川先生にもどうするかね。一応、図書部の副顧問だし・・・」
「クラスの男子は?」
「いないかなあ。オタクっぽいのが多くて・・・。私、そういうの苦手なの」
私は「谷川先輩も私に言わせると、オタクっぽいけど」と、喉まで出かかったが言わなかった。
「昨年、あの合唱部の部長の遠藤伸先輩なんて、女子なのに女の子からたくさん、チョコをもらったんだって・・・。だから、私がなっちゃんにも?」
「ありがと・・・」
私は無意識に答えた。それより、森川先生が甘いものが好きかどうかという事を考えていた。チョコ、食べているの見たことなかったし・・・。やはり、ここは松村先生に、聞く他ないかなと思った。
私はいつもより早めに帰り、夕飯の買い物も兼ねて、スーパーに買い物に行った。どこに行っても、二本松高校のセーラー服や二本松西高校のブレザー服がわんさかいて、バレンタインデーの準備に来ているのがわかった。
私の行ったスーパーで、國分有香を発見した。彼女は「手作りチョコ」のコーナーの前で、必死にメモを見ていた。私は有香に気を遣い、発見されないように、スーパーから退却した。こんな所で私が見つかったら、明日、教室に有香に何を言われるか分からないし、逆に有香に気を使わせそうだったので、会って話をするのをやめた。
私達、1年2組のクラスでは、担任の森川先生の提案で、毎日、帰りの時、みんなの前で「自分の主張・宝物・自慢」の話をする事になっていた。
ほとんどの人は話が終わっていて、残りは2、3人だった。2月10日、木曜日は、美術部に所属する高橋光太郎くんの発表だった。光太郎くんは、身長が高く、いつもニコニコしている。そして、クラスの男女、誰とでも話をすることが出来る。運動は、嫌いではないのだが、将来、画家になりたいという希望があり、美術部に入部したと、最近、清水美咲から話を聞いた。
また、クラスの人からの相談や頼み事を、嫌がらず聞いたりしてくれるので、後期にクラス委員になっていた。そして、もう1人のクラス委員は、なぜか私だ。
そんな光太郎くんはみんなの前に出ると、一礼し、自分の持ってきた写真を出した。そこには、幼い光太郎くんと、両親が写っていた。
「美術部の高橋光太郎です。今日は、自分の宝物を持ってきました」
光太郎くんは、クラス全体を見回すと、話を始めた。
「この写真は、僕が記憶している1番、幼い時の写真です。もちろん、一緒に写っているのは、両親です。僕は、両親をとても大切に思っています。そして、今まで育ててくれたことも、とても感謝しています。それは、今、この瞬間、ここにいる仲間に会えたからです。両親が、僕のことをしっかり愛情を込めて育ててくれたから、今日の僕が存在するのだと思っています。
そして、この写真です。
僕は、あまり幼い頃の記憶がありません。ただ、この写真を見ると、幼かった時の僕を思い出すことが出来そうな気がするのです。ですから、この時代の僕の写真を大切に残しておいてくれた両親に感謝しています。
だから、この写真は、僕の宝物なのです」
光太郎くんは、礼をすると、写真をカバンに入れ、自分の席に着いた。
学級から出て、図書室に向かおうとした。新川純子が、私を呼び止めた。
「なっちゃん、森川先生が地学準備室にお呼びです」
「今、学級にいる時、話せばいいのに・・・」
「学級を出てから、思い出したそうよ。森川先生」
「わかりました」
「光太郎くんも一緒にとのことです」
私は、学級で美咲と話している光太郎くんに話し掛けた。
「光太郎くん、森川先生が、地学準備室で呼んでいるそうよ。
美咲、悪いけど、光太郎くん、借りるわ」
私は、まだ、帰る準備もしていない光太郎くんと一緒に、学級を出た。
「何か、悪いことでもしなのかな?俺たち?」
「そうは、思わないよ」
「どうして?」
「もし、そうなら、学級で怒っているわ」
「俺、地学準備室に行くの、初めて・・・」
そう言う光太郎くんと一緒に、地学準備室のドアをノックした。中からコーヒーの薫りがした。
「悪いね、2人とも・・・」
「何でしょうか?」
「クラスを出て、途中の廊下で思い出したのさ。今度の卒業式、在校生の代表で、各クラスの委員は、制服で出席なんだ」
「他の人は?」
「体育館に卒業生と保護者が入れば、在校生が入る隙間がないだろう」
「他の人は、休みですか?」
「見送りに来る在校生は、いるらしい」
森川先生は、それだけを話すと、私と光太郎くんを廊下に出した。
「森川先生って、名探偵だって噂だけど・・・。なっちゃん、隣に住んでいて、どう思うの?」
光太郎くんは、地学準備室を出ると、歩き始めてすぐ、私に問い掛けてきた。
「何か依頼事でもあるの?」
「・・・」
「まあ、名探偵らしいわ」
私は、言葉を濁らせた。
「美咲の話では、森川先生の活躍は、なっちゃんに聞くのが、1番いいって・・・」
「そんなこと、話していたの、美咲」
「悪口じゃないよ」
「警察も一目置くという話よ」
すると、光太郎くんの足が止まった。
「明日、森川先生、部屋にいるかな?」
「私、聞いておいてあげようか?」
「いいのかい?」
「隣の住人だから・・・」
「あとで、メール、ちょうだい」
「いいわ」
光太郎くんは、クラスへの廊下を歩いていった。私は、図書館へ向かった。
図書館に着くと、早速、森川先生にメールした。
「明日、部屋にいる?光太郎くんが、何か話、あるみたいなの」
返信は、速攻だった。
「いつでも大丈夫」
「午前10時に、なっちゃんの部屋の前に行くから、森川先生の所に案内して・・・」
光太郎くんからの返信も早かった。
グリーンマンションの203号室に帰って、キッチンでの戦いが始まった。そのうち、202号室のドアの閉まる音がして、森川先生が帰ってきた事がわかった。それから私は、今日の宿題と期末考査の予習を兼ねて、少しばかり、机に向かった。
11日、金曜日。9時50分、私の携帯が鳴った。光太郎くんからだった。グリーンマンションの入口まで来たらしい。私は、玄関のドアを開けた。私は、部屋から出て、エレベータの前で、彼を待った。エレベータが開くと、少し大人びた光太郎くんが、カバンを持って現れた。
「休みの日なのに、ごめん」
「道、迷わなかった?」
「美咲に聞いたから・・・」
「そう、仲がいいのね」
「まあね」
私は、202号室のチャイムを鳴らした。
「帰りは大丈夫よ。森川先生がいるから・・・」
私は、自分の部屋に帰ろうとした。
「ちょっと待って。一緒にいてくれないか?」
「だって、光太郎くんのプライベートな依頼でしょ?」
「そうだけど・・・。美咲が、『なっちゃんにそばにいてもらった方が、心強い』って、話していたから・・・」
「美咲が・・・。2人は、私のことを、一体、どう話しているの」
すると、202号室のドアが開いた。
「どうぞ、光太郎くん」
「失礼します」
「安藤くんは?」
「一緒です」
光太郎くんが、私を202号室に引きずり込んだ。
先生は、いつものように、温かいカフェオレとミルクティーを出してくれた。光太郎くんには、ブレンドを出した。私達が座ると、すぐ持ってきたという事は、準備をしておいたらしい。さすが、森川先生だ。
「休みの日なのに、すみません」
「相談事があるのだろう?」
「はい」
「それも、あまり、人に聞かれたくないような・・・」
「そうです」
そうなら、どうして、私を202号室に一緒に引きずり込むかな!
「森川先生は、名探偵だと、みんなの話から聞いたので・・・」
「それは、噂だよ」
「でも、美咲さんも安藤さんも、同じ答えでした」
「2人とも、私を持ち上げているのさ」
「それは、違うと思います」
「それで、相談とは?」
光太郎くんは、深呼吸をした。
「まあ、今日という日は長い。コーヒーでも飲んで・・・」
森川先生が、光太郎くんにコーヒーを勧める。
「1回の依頼料金って、いくらになるのですか?」
私は、飲んでいたミルクティーをこぼしそうになった。そして、森川先生の顔を見た。先生も同じ様に私の顔を見つめていた。そして、2人同時に笑ってしまった。
「何かおかしいことを、言いましたか?」
光太郎くんが、真剣に話す。
「失礼。ただ、今まで、お金の話をしたことがなかったので・・・」
「探偵料です」
「だから、私は探偵でもないから、お金は頂かないさ」
「でも・・・」
「話を聞くだけさ。そして、興味があれば、その先を手助けするよ」
「じゃ、依頼を受けない時もあるのですか?」
「光太郎くん、大丈夫。私の知る限り、森川先生は、依頼を拒んだことはなかったから。話をしてみたら・・・」
本当に、そうだったろうか?私は、その場の雰囲気で話してしまった。森川先生が否定しなかったところをみると、本当らしい。
「人捜しをお願いしたいのです」
「人ですか・・・」
「僕の本当の両親です」
「なるほどね」
森川先生は、光太郎くんの言葉を、動揺もせず、聞いていた。私は、心臓の音が、高鳴っていくのを感じた。
「詳しく話してごらん」
「はい。
僕が最初に気が付いたのは、高校に合格した時でした。それ以前に違和感がなかったかと聞かれると、否定はできません。しかし、はっきり、そう思ったのは、高校生になってからです」
光太郎くんは、コーヒーを一口飲んだ。
「高校入学の記念に、二本松高校の校門で、両親と一緒に記念写真を撮影しました。そして、すぐ、家のコンピュータで、プリントアウトしました。あまり、今まで、両親の顔形を気にしなかったのですが、この時は、自分の顔を含めて、両親の顔をよく観察しました。前日のテレビで、遺伝的特徴の話を聞いていたからです。
しかし、僕の顔の特徴が、両親のどちらの顔にもないことに気が付いたのです。気のせいではありません。特に耳の形です。体の中で耳だけは、誤魔化せないとテレビで話していました。
それに、血液検査の結果は、両親とも、O型。僕もO型。生物学上は、合致します。DNAは、調べる方法を知りませんので・・・。
僕は、自分のアルバムを調べました。1番、幼い時に撮影した写真を・・・。
でも、僕が見つけたのは、今日、クラスで紹介した写真でした。普通、初めての子供が生まれたら、その瞬間から写真を残しているはずですよね。でも、僕の家にあったのは、僕が幼稚園の低学年の時、両親と一緒に撮影したあの写真でした」
「ご両親には、聞いたのかい?」
「いいえ。怖くて・・・」
光太郎くんは、少しうつむいていた。
「僕の記憶も、幼稚園より幼い記憶があいまいなのです」
「みんな、同じ様なものさ・・・」
「そうですか?でも、僕の幼い時の記憶は、何か必死に歌を歌っている場面です。よくかぜをひいたり、熱が上がったりすると、その夢を見ます。そして、プラスの形の物が、目の前をちらつきます」
「不思議な夢だね」
「はい」
「光太郎くんの小学校は、二本松西小学校?」
「そうです」
「幼稚園は?」
「近くの若宮幼稚園です」
「一緒だった同級生は?」
「清水美咲です」
「彼女に確認した?」
「いいえ。この話をする機会がなくて・・・」
「光太郎くんの父親は、市役所で働いているよね」
「はい」
「お母さんは、近くのJAで?」
「そうです」
「いつから?」
「僕が小学校の時は、すでに働いていました」
さすが、森川先生だ。光太郎くんが、来ると聞いて、しっかり下調べをしている。
「今日、教室で拝見した写真があるといいね」
すると、光太郎くんは、カバンから今日、クラスで見せた写真を取りだした。
「大切に扱うよ」
森川先生は、そう言うと、その写真をテーブルの上に置いた。
「1番、良い方法は、直接、ご両親に尋ねる方法だけど・・・」
「それは、したくありません。
今日、学級で話したように、僕は、今の両親に心から感謝しています。だから、このままでいたいのです。僕が真相を知ってしまったと、両親が知れば、溝が出来てしまいそうで・・・」
「そうなら、捜さないという方法もある」
「それが、毎日、眠れなくなりそうで・・・」
「わがままなクラス委員だね。私のクラスは・・・」
「私もわがままですか、森川先生?」
すると、森川先生は、立ち上がり、カフェオレとミルクティーのお代わりを作りに行ってしまった。
「森川先生、本当に大丈夫なのかな?」
光太郎くんが心配そうに尋ねる。私も、森川先生が人捜しをしたところを見たことがなかったので、実際、心配だった。
しかし、ここで、私が弱気になったら、どうしようもなくなると思った。
「大丈夫だよ。名探偵だから」
自分に言い聞かせているようだった。
森川先生が3人分のお代わりを持ってきた。
「光太郎くん、火曜日の夜、もう一度、ここに来ないか?時間は、午後7時くらいで・・・」
「火曜日ですか?」
「そう」
「大丈夫です。
それと、この事は内緒にしてくれますか?」
「わかりました」
3人でカップに手を伸ばす。
「ところで、森川先生。いつも、こうして、安藤さんと一緒にいるのですか?」
光太郎くんの最後の質問には、焦った。私は、光太郎くんをマンションの外に送っていった足で、そのまま、202号室に戻った。そして、そのまま1階の「アンダンテ」に向かった。森川先生と2人で昼食を食べるためだった。
「先生、何とかなるのですか?」
私は、ナポリタンを一口食べて、質問した。
「こういう話は、難しいものさ。両親は、周囲の人間に、このようなことを話さないからね。それに、も10年以上、昔の話だから・・・」
先生は、そう言いながら、預かった光太郎くんと両親の写真を見つめていた。
「実際には、明日から動いてみようと思うのさ」
「どうやって?」
「光太郎くんの家は、美咲の家の近くだよな」
「同じ若宮地区よ」
「ということは、なつが以前、犬の散歩のバイトお願いされた、漆原登志子さんの家の近所ということになるね」
「同じ町内会だと思うわ」
「なら、彼女に聞いてみよう」
「何か知っているかな?」
「近所のお年寄りは、周りの家の事情に詳しいものさ」
「大丈夫?」
「なつが、漆原さんにコンタクトを取ってくれ」
「これから?」
「行くのは、明日の午後がいいだろう」
「私も一緒に行こうか?」
「よろしく」
「なら、後で、電話してみる」
「ありがとう」
「その後は?」
「漆原さんの話、次第だな」
午後、私は久し振りに、漆原さんに連絡をとった。内容は伝えず、夕方にお邪魔したいと話したら、承諾してもらった。
私は森川先生に連絡をしたが、隣の202号室には、いないようだった。光太郎くんの両親のことを、1人で捜索していたに違いない。明日の件をメールした。
12日、土曜日。森川先生の車に乗せてもらって、漆原さんの自宅に向かった。漆原さんは、以前と同じ様子で、自宅で待っていてくれた。しかし、あの時の犬は、いなかった。
「犬は、もう飼っていないのですね」
私の質問に、漆原さんはただ、笑っているだけだった。
「先日は、お世話になりました」
「森川先生がおいでになるという事は、私に何か聞きたいことがあるという事ですね」
「お察しがよろしいですね」
「この年寄りでよければ、何なりと・・・」
私達のいる居間に、家政婦さんがお茶を運んできてくれた。
「森川先生は、カフェオレがよろしいと、安藤さんから聞いていました」
「ありがとうございます」
「そして、安藤さんは、いつものミルクティーね」
「漆原さん、覚えていてくれたのですね」
「それは、孫の初恋の相手ですから・・・」
漆原さんは笑っていた。
「ところで、森川先生。お聴きになりたいこととは、何でしょう?」
先生は、コーヒーカップを置いた。
「実は、近所の高橋さんの事です」
「高橋さんというと、あの市役所に勤めている高橋和美さんの家ですか?」
「そうです」
「何でしょう?」
「漆原さんは、ここにいつからお住まいで?」
「結婚してからですので、40年近くなります」
「高橋さん一家は、どうですか?」
「そうですね、15年くらい前に、福島市から引っ越して来たようです」
「福島市ですか?」
「土地が空いていたので、そこに新居が出来たと思ったら、引っ越してきました」
「その時は、息子の光太郎くんも一緒でしたか?」
「3人家族でした」
「漆原さんから見て、家族の様子はどうですか?」
「奥さんの瑠美さんとは、夫婦関係が良いようです。光太郎くんは、1人息子のようですから、とても可愛がっているようですよ」
「そうですか?
高橋さんの家に、親戚の人はよく来ていますか?」
「見たことはありませんね」
森川先生は、そのくらいで、漆原さんの家を後にしてしまった。
「もういいの?」
「ああ、どうやら、光太郎くんの出生の秘密は、福島市にあるようだ」
私と森川先生は車に乗った。
「光太郎くんの話が本当だとすると、その可能性は3つある」
森川先生は、車を走らせながら、話し始めた。
「1つ目は、幼い光太郎くんを誘拐して、育てたという可能性だ」
私は、森川先生の顔を覗いた。
「しかし、その可能性はない。今日の午前中、授業がなかったので、調べてみた。安藤くんや光太郎くんが産まれた1995年に、幼児誘拐の未解決事件はなかった。だから、その可能性は否定された」
「それは、当たり前です」
「次に考えられたのは、知り合いの子供をもらった可能性だ。しかし、光太郎くんに、高橋家での幼い記憶がない。幼稚園より幼い時には、高橋家にいなかった可能性があると思う。普通、親戚の子供をもらう場合、産まれてすぐが多い。幼い記憶も、高橋家での記憶があるはず。写真も残っているはずだ。しかし、その写真もない。
光太郎くんは、幼稚園に入る頃に、高橋家に来た可能性がある。先ほどの漆原さんの話からも、裏付けされた。だから、その可能性も否定した」
「残りの可能性は、何ですか?」
「施設から親のいない子供をもらう里親制度だ」
「里親ですか?」
「光太郎くんの場合、その可能性がある」
「森川先生は、ある程度、予想をしているのでしょう?」
「福島市には、5つの施設がある。その中で、幼い子供が歌を歌う施設は、少ない。そして、プラスのような文字は、たぶん十字架だろう。
とすると、キリスト教の施設は、1つしかない。福島キリスト園という施設だ。明日にでも、そこに行ってみようと思う」
私達はグリーンマンションに戻った。
福島キリスト園という施設は、阿武隈川の近くにあった。13日、日曜日。私も知らなかったその施設は、民家の中に存在した。道路に車を停めた。今日、私は、森川先生の指示で、持ってきた少し大人っぽいスーツを着ていた。そして、少し濃い化粧も・・・。
「安藤くんも、化粧をすると、変わるね・・・」
私は、先生の言葉を無視した。
福島キリスト園は、道路からは、高い塀があって、中の様子がよくわからなかった。
「昨日の打ち合わせ通り、一緒に子供の欲しい夫婦ということで、この施設に入ってみよう」
私と先生は昨夜、202号室で一緒に夕食を食べながら、今日の作戦を練っていた。普通、このような施設の里親制度は、外部に漏らさない。秘密厳守が当たり前だからだ。
「連絡は?」
「もう、電話をしてあるさ・・・」
いつもの事ながら、準備の良い先生である。
門を開けて、中に入った。2階建ての建物があった。壁には、十字架の印が付いていた。建物の奥に、教会が見えた。先生は、正面玄関と思える場所のチャイムを鳴らした。小さな庭で、幼い子供達4、5名が遊んでいた。
「電話で話した森川です」
先生は、出てきた人にそう話した。
「こちらが、妻のなつです」
私のことを紹介した。16歳の私が奥さんに見えるか不思議だったが、私はその女の人にお辞儀をした。
「お待ちしていました」
私たちは、建物の中に入った。
私と先生は、少し古い感じのする園長室に通された。この福島キリスト園園長の三浦奈美子さんという年輩の女性が待っていた。
「私が、ここの園長の三浦です。お話は伺っております。子供を引き取りたいという希望ですね」
「はい」
「審査に時間がかかります」
「知っています」
三浦園長は、大きな封筒を取りだした。
「この封筒の中に、審査に必要な要項が入っています。それが準備出来ましたら、また、ご連絡を下さい」
「封筒の中味を見ても、よろしいでしょうか?」
「どうぞ」
先生は、封筒を受け取ると、その中味を出した。たくさんの用紙が出てきた。
「森川さんは、何か希望がありますか?」
三浦館長が尋ねてきた。私は、夫婦関係などの突っ込まれた質問がきたら、どうしようとハラハラしていた。その当たりは何も先生と相談をしていなかった。
その時、園長室のドアをノックする音がした。
「失礼します。三浦園長、事務室にお電話が来ています」
先ほど、私達をここまで案内してくれた人が入ってきた。
「今、忙しいから、後にして」
「でも・・・」
三浦園長の耳元で何か囁いていた。
「森川さん、少し、電話に出てきますので、ここで、待っていて下さい」
「ごゆっくり」
園長は、案内してきた人と一緒に園長室を出て行った。
私は椅子から立ち上がり、作戦通り、ドアの前で、誰か来ないか見張った。先生は、手袋をして、園長の机の中あったコンピュータを操作し始めた。
「これって、犯罪行為?」
私は、黙っているほかなかった。
「大丈夫なの?」
「時間はある」
森川先生は自信ありげだ。確かに、この園長室には、誰も近づいて来ない様子だった。遠くで子供の声がしていた。
森川先生は、コンピュータの隣に何枚かの書類を後ろの棚から出して広げると、持ってきたデジカメで撮影していた。
三浦園長がこちらに近づいてきた。
「先生、園長が帰ってきた」
「もう、大丈夫」
すでに、森川先生は椅子に座っていた。コンピュータは閉じていた。私も、急いで椅子に戻った。園長が園長室に入ってきた。私の心臓は、まだ、ドキドキしていた。
「今、妻と話しました。この書類が準備出来ましたら、ご連絡します」
園長が椅子に座る前に、先生と私は椅子から立ち上がった。
「そうですか」
園長は、玄関まで見送ってくれた。
「先生、犯罪行為をする時は、事前の打ち合わせで、話してください」
「安藤くんは、顔に出やすいから、逆に打ち合わせをすると、相手にバレやすい。だから、何もしない方が、自然かなと思ったのさ」
「『園長が部屋を出たら、ドアで見張る』しか、打ち合わせをしなかった!」
「だから・・・」
「でも、今日、園長室で、園長がいなくなり、時間がかかるって、わかっていたの?」
「福島警察署の星警部に、お願いをしておいたのさ。この時間に、福島キリスト園に電話をして、園長を引き留めてくれと・・・」
「星警部って?」
「まだ、話をしていなかった?」
「何も」
「図書部の星高陽くんのお父さんさ」
「・・・」
私は、目を開いた。
「犯罪行為よ」
「でも、その成果があった」
「光太郎くんの事が分かったの?」
「ああ、光太郎くんは、この福島キリスト園に少しの時期、在籍していたようだ」
「先生の推理通りね」
「ただ、この福島キリスト園に来る前の情報が、なくなっている」
「でも、後はどうやって、捜すの?」
「光太郎のお父さんの和美さんは、兄弟姉妹がいない。お母さんの瑠美さんは、お姉さんがいたが、幼い頃亡くなっている。だから、光太郎くんの血縁関係者は、ほとんどない」
「親戚がいないということ?」
「いいや、今から13年前に、父方のいとこが交通事故で亡くなっている」
「よく調べていますね」
「何事も、良く調査しておくことが、大切さ」
「さすがね」
「仙台市に住んでいたいとこが、亡くなっている」
「仙台市に行くの?」
「これから、仙台市の知り合いの私立探偵に会いに行こうと思っている」
「私、これから、福島の実家に戻る予定なの・・・」
「夜には、仙台から帰ってくる。大学の先輩の小林士郎っていう探偵に、今回の件を少し調査してもらうから・・・」
「どこまで、光太郎くんに話をするの?」
「私が判断する。本当の事を全て、話をしてもいいが、知らない方が良い事も、この世の中には存在するからね」
私は、そのまま福島市の実家の車で送ってもらった。家の前で森川先生は私と別れた。
夜7時前、携帯が鳴った。光太郎くんからだった。私は先日と同じ様に光太郎くんをマンションの中に入れた。森川先生の部屋に2人で入った。今日も先生は、温かいカフェオレとミルクティー、そしてブレンドを準備していてくれた。
「森川先生、僕の予想は当たっていたのですね」
先生は、カフェオレを飲んでいた。そして、ゆっくり、コーヒーカップを置いた。
「君は、もう大人だ。ある程度、本当の事を知る権利がある」
先生は、前置きした。
「君が話していたように、君は、高橋和美、瑠美夫妻の本当の子供じゃない」
先生は、はっきり話した。
「それでは、僕の本当の親は?」
光太郎くんが身を乗り出して尋ねる。
「君の本当の親は、もうこの世には、存在しない」
光太郎くんの動きが固まる。
「君のご両親は、事故で亡くなった。君だけが残り、施設を経由して、今のご両親に引き取られた。だから、今の君が存在する」
「そうですか?」
「君の両親は、高橋和美、瑠美さんだ。何か不自由があるのかい?」
「いいえ。真相は、わかりました。
先生が、僕を信用して話してくれたことに感謝します。それに、僕の悩みを真剣に聞いてくれて、調査をしてくれたことにも・・・。
僕は、今の両親に感謝しています。だから、両親がこの話をしないながら、僕もこの事を心の中にしまっていようと思います」
「私と安藤くんも、この話は誰にもしないよ」
私は、一足先に自分の部屋に戻った。先生と光太郎くんが、それから何の話をしたのかは、私は知らない。光太郎くんが、先生の部屋を出たのは、それから2時間が経っていた。光太郎くんから感謝のメールで分かった。
「起きていますか?」
私は、午前零時が過ぎた頃、森川先生にメールをした。
「起きているよ」
返信が来た。
「渡したい物があります」
「どうぞ」
私は、先生の部屋に入った。
「先生?」
「何?」
「これ、バレンタインデーの手作りチョコです。私が作りました。
先生は、明日というかもう今日だけど、たくさん、みんなに貰いそうだから、一番最初にあげたくて、今、来ました。受け取っていただけますか?」
「喜んで・・・」
先生は笑顔で私からのチョコを受け取ってくれた。そして、緑色のリボンを外し、包み紙を開け、「なつ特製、チョコレートナッツ入り」を取り出してくれた。
「中に入らないか」
「いいの?」
「なつ、カフェオレとミルクティーを入れ直して、2人で食べようか?」
「食べていただけるのですね」
「当たり前さ。なつの手首の汚れ方からすると、先ほどまで、チョコ作りに専念していたようだし・・・。それに『ナッツ』入りの洒落も効いているし・・・」
先生は、カフェオレと飲みながら、私の前で、「なつ特製、チョコレートナッツ入り」を食べてくれた。でも、一言の感想もなしに・・・。私も少し、食べた。少し苦かった。でも先生は、文句も言わずに食べていた。
私は何故か幸せな気分になり、涙が出てきてしまった。この人なら、私の全てを預けてもいい、という雰囲気に自分が包まれているのが実感した。
思えば、あの松川の河原で落ち込んでいた見ず知らずの私を勇気づけてくれてから、早一年が経とうとしている。この人は、何故か他の人と違う優しさや心の深さ、そして人にはない陰を感じる。気が付くと、いつも遠くを見ている先生の目には、私の知らない過去と戦っている戦士の薫りがした。
そして、他の者を近づけない憂いさも、漂わせている。そんな彼に私は今、こんなに近づいている。そして幸せを感じている。そして、全てを彼に任せてもいいと思っている。今、私の前で、子供のように私の手作り「なつ特製、チョコレートナッツ入り」を食べている彼に・・・。
私は、朝のモーニングコールもお願いして、202号室を後にした。とても幸せな気分で・・・。
翌日、やはり、モーニングコールで起こされた。朝早く一緒に先生と登校するのは、やはり至難の業だと思った。今年の私の目標なので、何とか眠い目をこじ開けて起きて、先生と登校した。
昼休み、静かに地学準備室に入ると、森川先生は昼寝中だった。先生の足下のカバンには、たくさんのチョコレートの箱が入っていた。
「一体、いくつチョコをもらったんだ、この男は・・・」
でも、一番初めに、チョコレートをあげる事ができて、良かったと安心した。
夜、8時頃、202号室のチャイムが鳴った。私が覗くと、それは合唱部部長の遠藤伸先輩だった。
「この時間、先生の部屋に何をしに行くのだろう?チョコでも渡しに来たのだろうか?」
気になって、勉強がはかどらなかった。
それから1時間後、私の部屋のチャイムが鳴った。玄関を開けると、そこには、いつもと感じが違う、少し女の子の感じの伸先輩が立っていた。
私は恐る恐るドアを開けて、中に誘った。
「ここでいいよ」
「卒業式の午後、空けておいて欲しいんだ。話があるから。別に脅そうという話じゃないから、安心して・・・」
「今、森川先生にも許可を得てきたから。担任としてではなく、安藤なつの保護者として・・・」
そう追加された。私は、いきなりだったが、その圧迫感から、コクンとうなずいてしまった。
「伸先輩、少々、お待ちください」
冷蔵庫にある青いリボン付きの包み紙を取りだした。
玄関で寒そうにして待っている伸先輩に手渡した。
「本当は、学校で渡そうと思ったのですが、3年生の教室が怖くて、行けませんでした。それで、持ち帰ってきてしまったのですが・・・。
これ、『特製ナッツ入りチョコレート』です」
「本当は、違うんじゃないか?それより、隣の人にはあげたか?・・・。もう、あげたよな」
伸先輩も何でも見通せるようで、そこでニコッと笑い、女の子らしさを見せた。
「オレ、本当に貰っていいの?」
「当たり前です。私、少し伸先輩に憧れていますから。その強さに・・・。あっ、お返しは大丈夫です。気にしないでください」
「それじゃ、頂いておくよ・・・」
「ありがとうございます。卒業式の午後、空けておきます」
「よろしくな。それに、うちで昼食も準備しておくから、一緒に食べような・・・」
そして、伸先輩は颯爽と帰っていった。いつ見ても、伸先輩は格好がいい。
私は、早速、森川先生にメールをしてみた。
「いくつ、チョコをもらったの?」
「忘れた・・・」
いい加減な返信が返ってきた。
まあ、頂く物は、何も先生が悪いんじゃないから、責めても仕方がないかと思って、再び机に向かった。
伸先輩の言葉や先生のチョコの相手が気になり、この日は、勉強にならなかった。
この時期は、図書部の一大イベントが待っている。書庫の清掃だ。普段、利用者が多いため、出来ないので、2月の中旬に行っていると、司書の片平月見先生が私たちを呼び出したのだ。
片平先生は、書庫清掃に役に立たない2年生を呼ばず、私と國分有香を呼んでいた。森川先生も片平先生に呼ばれていて、4人で活動を行っていた。
「もう1人の副顧問、国語科の小川誠先生は、来年の時間割を組む担当になっているから、この時期、大変で、図書館に来ることができないのさ」
森川先生が、小川先生の替わりに代弁してくれた。
2月の中旬になって、片平月美先生がコンタクトから眼鏡に変えたらしい。
「片平先生、眼鏡姿も可愛いですね」
「あら、ありがとう、なっちゃん。実は、コンタクトを壊してしまって、あわてて大学時代の時に使っていた眼鏡をかけたのよ」
「綺麗な人は、何をしても見合うのですね」
片平先生は、少しはにかみながら、司書室に向かった。私も休憩しようと、後を追った。司書室の入り口で立ち止まった。森川先生が片平先生に話しかけている声が聞こえてきた。
「そういえば、あの会津の時も、眼鏡でしたね」
「まあ、そんな昔の時の姿を覚えているなんて・・・」
「あの頃と片平先生は、全く変わっていませんよ。眼鏡も似合うし・・・」
「でもね、星くんが眼鏡を嫌っていたので・・・」
「それで、ここでは、コンタクトだったのですね」
「まあ、そんなところです。しかし、これから、どうしようかなあと、思って・・・」
「何をですか?」
「もちろん、コンタクトか眼鏡ですよ」
片平先生はティーカップにさわっていた。
「あの会津の時」って、どういう意味なのだろう?私は、まだまだ、知らないことが多いらしい。
私は、有香を休憩のために呼びに行った。有香は、図書館の一番奥にある百科事典のところにいた。
「なっちゃん、わからないことがあるの?」
私は、有香の話を聞いて、そのまま百科事典を持って、司書室に向かった。
「先生、この百科事典の名前の意味を教えてください。森川先生なら、何でも知っていると思って・・・」
「先生、いくら、なっちゃんと考えても、分からないのです。百科事典の名前なのか、そういう会社や人の名前なのか、また、そのような生物か植物がいるのか。森川先生の名探偵ぶりを発揮して、哀れな高校生の悩みを解決してください」
有香は大きな百科事典を優に渡した。
「森川先生、この百科事典の名前『サーニ』っていうのです。ここの表紙と背表紙に『サーニ』って、大きく書いてありますよね」
有香はいかにも真剣に森川先生に尋ねた。森川先生は、その百科事典をパラパラとめくると、笑い出していた。
「君達、高校1年生だよね。もうすぐ2年生になるんだよね」
「はい、そうですけど」
「これは、初歩的な問題だと思うんだけど・・・」
私たちは、森川先生に完全に馬鹿にされてした。
「なあ、図書部員の2人」
「はーい」
「これ何の本?」
「百科事典です」
「何を調べるの?」
「分からないこと」
「だよね。だから、何を調べるか、その項目を書いておくか、記入しておくか、表示するよね。調べる人のために。これは、植物とか生物とか百科事典とか・・・」
「はい。で、先生、もう少し分かりやすく話してください」
私は急かした。
「そこまで、話しても駄目か。あのさ、この『サーニ』の真ん中の横棒は、前の音を伸ばす意味じゃなくて、『サ』から『ニ』までの項目がこの百科事典に収まっているよ、という表示だよ。だぶん、同じ種類の百科事典に『アーコ』と『ヌーワ』があるはずだ」
「そう言えば、その2つもありました」
「だろ。だから、この百科事典の最初は、『サ』から始まってサ行、タ行、ナ行の『ナ』と『ニ』までが収まっているんだ。分かりましたか?名探偵諸君。
つまり、百科事典の2冊目。1冊目がア行からカ行の『コ』までの『アーコ』。3冊目が残りのナ行の『ヌ』から日本語最後の『ワ』までの『ヌーワ』じゃないか」
これが、「目から鱗」だと思った。自分の洞察力のなさが惨めだった。
「はい、ありがとうございました。森川名探偵」
有香は、そう話して、私を百科事典のあった場所に連れて行った。
「本当に、『アーコ』と『ヌーワ』の百科事典がある」
有香は感動していた。
「休憩にしましょう・・・」
片平先生が、後ろに立っていた。
司書室には、モカの薫りとダージリンの薫りが混ざった薫りがしていた。片平先生お手製のクッキーを頂いた。
「このままだと、なっちゃんと有香ちゃんが図書部の部長と副部長になっちゃうね」
片平先生が愚痴を言うのを、久しぶりに聞いた。
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