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119.第13話「落ちていた薬」
2011年、2月28日。勿論、今年は閏年ではない。
眠い目の私は森川先生と一緒に7時にグリーンマンションを出て、学校に向かった。私はそのまま教室に向かわず、先週の忘れ物を取りに行くため、地学準備室のドアを森川先生と開いた。先生の机の上に緑色のリボンの付いた箱が置いてあった。
「松村美香子先生からお誕生日のプレゼントですね」
私は察した。
森川先生は箱を開けて、中の手紙を読んでいた。そして、その手紙を机の上に置いた。悪いと思ったが、目に入った。
「たまには、背広とかネクタイとか学校で着用してね。大学の浪人生みたいだから・・・」
やはり松村美香子先生の字だった。
地学準備室をノックする音がした。この叩き方は天文学部副顧問の先崎春美先生だ。
「もてますね」
私は冷やかした。
「森川先輩、おはようございます」
「その『先輩』って言う言い方、もうやめないか?春美先生」
「だって、癖なんですもの?あら、なっちゃんも・・・プレゼント?」
「いいえ、忘れ物を取りに来ただけです」
「森川先輩、お誕生日、1日早いけど、おめでとうございます。これプレゼント・・・」
先崎春美先生は森川先生に私の前で小さな猫のぬいぐるみを渡した。
「ありがとう」
先崎春美先生は、プレゼントを森川先生に渡すと、地学準備室を出て行こうとした。
「そうそう、忘れてた。これ、落ちていたの?森川先輩なら、誰のか分かるかなと思って、持ってきたんです」
春美先生は薬局の袋を森川先生に見せた。
「どこに落ちていたの?」
「第一理科室の前の廊下。それも、今」
「ふーん」
「どう、わかる?名探偵の森川先輩。大学の時のように、すらすらと推理できる?」
「そんな事じゃないけど・・・」
「じゃ、お願いします。森川先輩」
「だから、『先輩』じゃなくて・・・」
「なるべく、生徒の前では『先生』って呼べるように頑張ります。天体観測の時も・・・」
「プレゼント、ありがとう」
「名推理、期待しているわ。でも、森川先輩の事だから、もう90%ぐらいは推理できていますね」
春美先生は地学準備室を出ていった。私もその後について地学準備室を出た。そうだ。早めに教室に行かないと、高橋光太郎くんが待っている。1年2組の作戦があったんだ。
朝のホームルームの前、私と光太郎くんはみんなを落ち着かせた。そこに、いつも通り、森川先生が教室に入ってくる。
「なんだ、いつもと雰囲気が違うな・・・」
森川先生にバレたかもしれない。私は光太郎くんの顔を見た。しかし、光太郎くんはいつもの様に黒板を見ていた。
私のクラスの1時間目は自習だった、私はいつもの様に教科書を持って、図書館に行った。司書室で森川先生と片平先生が話をしていた。
「あのですね、星くんが何か迷った時、あなたにメールをしたいというので、メルアドを彼に教えても、よいかという、質問です。信用のできる生徒だと思うので、大丈夫だと思うのですが・・・」
そう言うと、片平先生は、森川先生に笑ってみせた。そして、片平先生は私に緑のリボンのついた大きな箱を出していた。
「明日、お誕生日なんですってね。でも、4年に1回しかない。以前、他の人から聞いたような気がしていたのですが、星くんから聞いて、思い出しました。このプレゼント、2人で選びました。それに、この手紙も星くんが是非、森川先生に呼んでほしいって言って、渡してくれるように頼まれました」
「片平先生、声が大きいです」
私は貸し出しカウンターから司書室の中の2人にそっと叫んだ。片平先生は顔を赤くしていた。それでも片平先生の声は私に聞こえてきた。
「今日は、早めに図書館を閉めようと思うのです。もう、花瓶を使用しないから。片づけようかと・・・」
「そうですね。もう2人には、必要なくなりましたね」
「森川先生に、バレたのは、早かったのですから。まさに、名探偵ですね。あの時と全く、変わっていませんね」
「星くんはお父さんに似ていますね」
「やはり、森川先生は、知っていたのですか?」
「はい。彼の正義感の強さ。そして、あの顔立ち・・・」
「彼から、明日の卒業式、みんなが憧れるような素敵な格好で来てほしいって、言われて、悩んでいるのです。どうしようかって・・・」
「それは、片平先生が一番良く知っているのではないですか?星くんの一番、気に入る姿は・・・」
「そうですか?」
「それじゃ、片平先生、ここ、片づけるの、手伝いますよ。そして、いつもより、早めに帰宅して、明日の準備を彼の為だけにしてあげてください」
「ありがとうございます」
森川先生は花瓶の片付けをしていた。片平先生の機敏な動きに私は驚いた。
「なっちゃん、今日はこれで図書館を閉めようと思うの」
「わかりました」
私は持ってきた教科書を片付け、図書館の中にいる数人の生徒に声をかけた。それから、3人で図書館を閉めた。まだ1時間目だったが、片平先生は入口に「終了」の札を掛けてしまった。そして、片平先生は休暇を出して、帰ってしまった。
4時間目は先崎春美先生の「生物」だった。私は先崎春美先生と地学準備室に向かった。
「森川先生、朝の薬袋の謎、解けていますかね?」
「森川先輩なら、大丈夫」
森川先生が入ってきた。
「森川先輩、先ほどの薬、分かりました?」
「たぶん・・・」
森川先生は、先崎春美先生にアップルティーを入れてあげた。私は自分で勝手にミルクティーを飲んだ。
「森川先輩、私の好み、まだ覚えていてくれたのですね」
「たまたまだよ」
「記憶力がいい証拠です。それで、先ほどの話、どうなりました?」
先崎先生は、アップルティーに砂糖も何も入れずに飲むのが、先生のスタイルのようだった。先崎先生の長い髪の毛が眼鏡にかかり、少し大人の色っぽさを感じた。
「あの薬の袋には、2種類の薬が入っていた。1つは、『カームダン』、もう1つは『ルボックス』という薬だ」
「森川先輩、やはり博学なのね。こんな見たことのない薬まで分かっているなんて・・・」
「違うよ。私もね、昔、世話になった薬だからさ」
「何の薬なのですか?」
「この『カームダン』は、不安や緊張を和らげる薬で熟睡ができるようにする薬だ。それも1錠0.4㎎。
もう1つの『ルボックス』は、強い不安感や緊張感を取り除いて、気分を安定させる薬。そして1錠25㎎。つまり、どちらも、精神科で処方する鬱病の薬」
「じゃあ、誰かが精神科に行っていて、そこで処方された薬を落としたという事?」
「そんなものだろう。この袋が第一理科室の前にあったという事は、ここに関係ある人が落とした事になる。
昨日、27日、日曜日。私が帰る時はなかった。そして、朝、君が来た時にはあった。という事は、その間に、ここに来ることができる人だ」
「生徒ではなさそうね」
「そうだね。
まず。理科関係の先生方。でも、今日の1時間目、ここの理科室を使用したのは、君しかしない。春美先生は関係ないだろ」
「それじゃ、誰?」
「この『ルボックス』には25㎎と50㎎がある。症状が弱かったり、最初に薬を処方したりする時に、25㎎の方を使用する。そして、患者が慣れてきたり、症状が続いたりした時、50㎎に変更する。
しかし、落ちていたのは25㎎の方の錠剤だ」
「それでは、落とした人は、精神科に通院して間もない人?」
「いや、1錠だけ、薬が半分になって、それも丁寧に割ってある。
1970年に制定された薬事法では、15才以上を「1」とすると、11才以上15才未満が「3の2」、7才以上11才未満が「2分の1」、3以上7才未満が「3分の1」、1才から3才未満が「4分の1」の薬を与える事になっている。
この薬は丁度、半分だから、わざと、「2分の1」にして、7才以上11才未満の子供に与えたと考えるのが、妥当だろう」
「ここは高校よ。みんな15才以上だと思うけど・・・」
「だから、自分の子供に薬を与えたのさ。この学校で小学2年生以上の小学生を持ち、昨日の夜から今日、春美先生が来るまで、ここの第一理科室の前を通る人物が、1人だけいる」
「誰?」
「昨日の夜、この高校を施錠するために見回った渋川渉教頭先生だ。昨日の夜。高校の裏でボヤ騒ぎがあったらしい。その点検のために管理職の教頭先生が学校に入った」
「そうなの」
「それに、この薬袋に書いてある『西口薬局』は、福島駅西口にある薬局。住所と電話番号まで載っている。近くに精神科と心療内科がある。
多分、渋川教頭先生は、随分前に、その病院に通院しているのだろう。そして、同じように渋川教頭先生の娘が鬱状態になり、前に自分が飲んでいた薬を半分、自分の娘に分けているのだろう。不登校か何かになって。じゃないと、普通、薬局では、子供の年齢に合った薬を調合するはずさ。渋川教頭先生が娘を医者に連れていけない状況なのだろう。だから、氏名の欄の所の用紙を、はがして持っていたのじゃないかな」
「森川先輩は、袋1つで、そこまで推理できるのですか?」
「渋川教頭先生の住所は、福島の野田町。小学校に通うなら、市立は三河台小学校だ。その小学校に、私の同級生の森静香が働いている。春美先生も知っている先輩だろ」
「森静香先輩ですか。大学の時、お世話になりました」
「彼女に先ほど、メールで確認した所、三河台小学校に今年になって不登校になった渋川加世子という小学校4年生がいる。住所は、もちろん、渋川教頭先生と同じだ」
「全部、確認済みなのですね。さすが名探偵。大学時代と変わらないですね。その推理力と迅速さ。そして、確認の適格さまで」
「偶然さ・・・」
「その先輩の言い方も」
「この薬、どうしましょう?」
「私がさりげなく、渋川教頭先生の机の上に置いてきてあげるよ」
そう話すと、私は、その薬袋を自分の机の引き出しの中にしまった。
「また、何かあったら、相談に乗ってくださいね。森川先輩」
「だから、『先輩』って・・・」
「大学の時みたく、袖には降らないでくださいね」
「はいはい」
2人の大学の恋人同士のような会話に私の出番はなかった。先崎春美先生は地学準備室を出ていった。
お昼の後、私達は卒業式の準備のために、教室に集まった。今日は、何故か森川先生が「自分の宝物・自慢」の順番になっていた。
「皆さんは閏年については知っていますね。ローマ時代に今の暦ができた時、4年に1日暦が狂う事を知った天文学者達が、4年に1度、2月を1日、増やしたのです。
しかし、ここからは、あまり知られていませんが、何と、閏年は1000年に1度、なくなります。ですから、西暦1900年は閏年がありませんでした。ところが、1000年に1度は、そのパターンが復活するのです。ですから、西暦2000年は閏年でした。でも、2100年は、閏年がなくなります。
是非、皆さん、その2100年まで生きて、みてください。
ちなみに、閏秒というのも存在していて、世界一斉に9時59分59秒と10時の間に9時59分60秒というのが、たまに入ります。そうやって、人間は暦を正常に直していくのです。
という事で、私の年はまだ6才です。まだ、誕生日を6回しか迎えていないのですよ。だから、高校1年生の皆さんより若いのです、という、自慢でした。以上」
クラスに拍手が響いた。
高橋光太郎くんと、私は立ち上がった。私は隠しておいた花束を持って森川先生に近付いた。
「森川先生、1日、早いですが、お誕生日、おめでとうございます。1年2組一同からのプレゼントです。というより、今年は森川先生の誕生日はないんですね」
私は光太郎くんの言葉の後に花束を渡した。クラス全体から拍手が鳴った。
「皆さん、お心遣い、大変、ありがとうございます」
私は深々と頭を下げた。
「どうせ、こうなるって知っていたんでしょ」
私は森川先生の耳元で囁いた。無視された。
夜、202号室に行った。森川先生は、片平先生からもらった手紙を見せてくれた。
「安藤くんに見られる事は想定すみさ」
私は星先輩からの手紙を見た。
「 森川先生へ
全ての事は片平先生から聞きました。森川先生の観察力と推理力、そして、心の深さに感服しております。その昔、月美さんを助けたことも聞いて、大変、驚きました。そして、その名探偵ぶりに心を打たれました。
月美さんと悩んだ2年間でした。しかし、二本松高校に赴任してわずか1ヶ月で、森川先生は私達の事ばかりでなく、その連絡方法までもが推理されていたとは、思いもよりませんでした。
しかし、先生はそのことを公にすることなく、胸の中にずっとしまい続けてくれていた事、大変、感謝しております。
私は、この度、二本松大学に合格し、まだ二本松から通う事にしておりますので、森川先生にはまだまだ、お世話になると思います。しかし、これから彼女をどう守ったら良いか、悩んでおります。
是非、森川先生の御指導などを頂ければと思っております。文末にアドレスを書いておきますので、3月の先生のお暇な時でも、連絡をください。先生とお話ができるなら、どこにでも参ります。
また、父からも先生の話も聞きました。とても素晴らしい探偵だと話していました。先生という職業にしておくのも、もったいないとまで・・・。
今まで温かく見守っていただきまして、ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。
『月球儀』は月美さんと一緒に選びました。もし、先生の手元に既にあるなら、申し訳ありません。名探偵の助手にもよろしくお伝え下さい。
乱文乱筆、失礼いたしました。
二本松高校で2番目に尊敬する先生へ
星 高陽」
森川先生は早速、星高陽先輩にメールを打っていた。すると、星高陽先輩からすぐ返信が来たようで、喜んでいた。
私は森川先生が一段落すると、持ってきた大きな包み紙を森川先生に渡した。先生はいつものように、牛乳を温め、コーヒー豆を挽き、カフェオレとミルクティーを準備してくれた。
「この『月球儀』、片平先生からのプレゼントですよね」
「半分正解」
「星先輩も忘れいました」
「そうだね」
「2人とも、いい名前ですよね。月美さんと高陽くん。そして、結婚したら名字が星になるのですけど。なんかロマンチックですよね」
「何か、良い所に目をつけるね。安藤くんは・・・」
「これでも天文学部副部長ですから・・・」
「前にも聞いたけど、何故、月はいつも同じ面を地球に向けているか分かるかい?あのウサギの餅つきの面を・・・」
「えーと、何ですかね。引力。月のわがまま。裏に宇宙人の秘密基地があるから。まさか、月が平面だったりして・・・」
「君は本当に天文学部副部長なの?」
「そんな事、いきなり質問されても・・・」
「実は、月の裏側にはオオカミが済んでいて、いつも表側のウサギを狙っているのさ。だけど、月が表面しか見せていないので、オオカミはウサギを食べられないのさ。月は優しいだろう」
「・・・」
私はあきれた。
「森川先生、誕生日のプレゼントと手紙です。セーターは手編みです。どうぞ」
「サイズが合うよ。いつ測ったの?」
「これでも『名探偵の助手』ですから・・・」
「ありがと」
「どういたしまして。でも、サイズが合ってよかったです。『ダサイ』とか言われたら、乙女の心が砕けちゃうのですが、そんな事なかったので、良かったです。いつも、お世話になっている御礼です。
そして、これが指揮棒です」
長い箱を先生に渡した。最高級品の指揮棒を準備した。
「こんな素晴らしい指揮棒、今まで見たことないよ。私にはもったいないよ」
「いつも、鉛筆で指揮をするよりは、いいと思います」
「次の演奏会で、使用させていただきます」
「喜んでもらって、よかったです」
それから、「特製チョコレートナッツ入り改訂版」というケーキを出した。今回は前回に比べて、ブランデーが多めに入れた。
「味はどう?」
「いいと思うよ。ブランデーも効いていて・・・」
「さすが名探偵。前回の味も覚えているなんて・・・」
「残りは、明日ね」
先生は「特製チョコレートナッツ入り改訂版」にラップを丁寧にかけて、冷蔵庫にしまった。
そして私は203号室に戻った。
3月1日、火曜日。いつもより早く起きた。二本松高校まで森川先生も一緒だった。「春は名のみの風の寒さや」とあるが、最近は地球温暖化で雪も満足に降ることはなかった。
「明日から、当分の間、休むよ」
森川先生は私に詫びるように話した・
「大丈夫です。たまには心を休ませて来て下さい」
私は森川先生を見送った。
体育館で吹奏楽部の音が聞こえてきた。地学準備室で森川先生は着替えていた。私は教室に行こうと地学準備室を出た。すると、遠藤伸先輩が素敵な女の子の姿で現れた。
「遠藤伸先輩、今日は一段と素敵ですね」
「ありがとう、なつ。今日は特別さ」
「森川先生にお披露目ですか?」
「ちょっと借りるよ」
「どうぞどうぞ・・・」
「今日、待ってる。お昼もうちでご馳走しますから・・・」
「わかりました」
地学準備室から出てきた遠藤伸先輩の胸には青いペンダントが光っていた。私はその件について何も言わなかった。伸先輩は笑顔で背筋を伸ばし、堂々と歩いていった。それは、何かに挑戦する戦士のように見えた。ここから見える空は、遠藤伸先輩に対する声援のようにとても青空になっていた。それに、弓道部の練習する弓音も聞こえなかった。もちろん、チャイムの音も・・・。
私達と入れ替えに、何人かの3年生がプレゼントやカメラを持って、この地学準備室に向かってきた。
最後に来すれ違った3年生は、あの演劇部の立川未知子先輩だった。
「安藤さん、先日はありがとうございました。」
「いいえ、私は何も・・・。森川先生の所ですか?」
「はい。お礼を言いに・・・」
「先輩は、どこに進学ですか?」
「二本松大学の美術科に決まりました。森川先生のお薦めです。推薦状を書いていただきました。森川先生の同級生で三田村茂樹っていう美術科の先生を紹介してもらって・・・」
「良かったですね」
「そのお礼も・・・」
立川未知子先輩はそう言うと地学準備室のドアをノックした。
今日の学校は、いつもと違って、どこの教室からも音が聞こえてこなかった。私は、他の生徒代表と一緒に静かな体育館に入っていった。そこには、椅子が整然と並んでおり、今の私の心とは全く違う状態であった。
卒業とは、旅立ちでなく、これからの前奏曲である。これは終わりでなく、始まりなのだ。それも未知への序奏であるのだ。森川先生が昨日、話していた言葉だ。
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