108.第2話 「図書館の花瓶」

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108.第2話 「図書館の花瓶」

167b1c5b-45d1-496b-85dd-7b0ef92eab65  「二十億光年の孤独」 人類は小さな球の上で  眠り起きそして働き ときどき火星に仲間を欲しがったりする 火星人は小さな球の上で 何をしてるか 僕は知らない (或はネリリし キルルし ハララしているか) しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする それはまったくたしかなことだ 万有引力とは ひき合う孤独の力である 宇宙はひずんでいる それ故みんなはもとめ合う 宇宙はどんどん膨らんでゆく それ故みんなは不安である 二十億光年の孤独に 僕は思わずくしゃみをした  4月になった。私はようやく春になった気分に浸っていた。両親に何日もかかって説得された。その結果、福島市内の私立女子高校に進学せず、自宅から遠い二本松高等学校の普通科に進学することにした。そして、二本松駅前のマンションを借りた。グリーンマンションという名前。その2階の203号室が私の3年間の部屋となる。  二本松高校に通学する交換条件として、二本松市内から徒歩で高校に行くことを提示した。二本松駅前のマンションから二本松高校までは、1つ山を越えて、徒歩で15分から20分くらい。適度な運動の時間であった。まあ、太らないためにも、運動するには良い環境であることを、親に納得させた。最初は、渋っていた父も、私立高校にかかる経費や、3年間の交通費を考え、承諾した。  私が1人で住む事になった二本松市は、平成の大合併の時、旧二本松市と安達町、東和町、そして岩代町が合併してできた新しい市だ。しかし、街そのものは歴史が古く、かつては城下町として栄え、街には色々な行事がある。また、私が通う事になった二本松高校は、今年定員に満たなかったらしく、Ⅲ期募集で、欠員の5名近くの生徒を取ったようだった。  二本松高校は、男女共学で各学年とも6クラスある普通科の高校である。大学進学にも力を入れており、両隣の福島市や郡山市からも高校に通学している人がたくさんいる。私のように、二本松市にマンションやアパートを借りている生徒は少なく、ほとんどの人は、二本松市内から徒歩で通学したり、両親に車で送ってもらったり、福島や郡山方面の人は東北本線で、二本松駅まで来て、そこから歩いて二本松高校まで行っている。ところが、この二本松。駅と高校の間に小さな丘のような山があり、そこを越えるのが大変らしい。また、近くには工業科と商業科を伴った二本松西高校がある。  私の住むことのなった駅前のグリーンマンションは6階建てで、1階はレストラン兼カフェの「アンダンテ」というお店とマンションの駐車場が入っていた。自炊が大変な時は、そこで夕食を食べるように親に言われていた。 「くれぐれもコンビニのカップ麺で、間に合わせないように・・・」 親から何回も言われた言葉だ。  セキュリティは万全で、オートロックのマンションになっていた。私は、3月下旬、早々とそのマンションを見つけ、引っ越しも済ませた。  目の前には、二本松駅があり、夜でも外灯がついていて、電車で通学する人もたくさんいる。だから、登下校が1人になることは、まずないらしい。また、道路の前にもマンションがあり、一応人通りも多いので、両親も安全を確認して、ここに決めたのだ。  1つの階に4つの部屋があった。挨拶にと、2日にわたり、インターフォンをならしたが、私が起きている時間には、どの部屋からも応答がなかった。  私の二本松暮らしが始まった。  始業式の数日前に高校まで歩いて行ってみた。まず驚いたのは、高校までの山越えの通学が思っていたより、厳しいという事だった。少々の運動どころではなく、体育のマラソンぐらいのきつさがあった。でも、自宅から30分、自転車をとばし、福島駅から30分、満員電車に立って乗ることを考えたら、山越えの徒歩の方がいいかもしれないと思った。そして、これ以上太らないで済むし・・・。朝、早起きして電車で二本松まで来るより、少し寝る時間が増えると思った。  二本松高等学校の入学式までの一週間があった。駅前の通りも慣れてみるため、歩いた。駅前は、小さな川の改修工事が数年前に終わっていて、とても綺麗になっていた。コンビニ、本屋、銀行、郵便局、おもちゃ屋、洋服屋など、必要とされるお店は、この二本松駅前にはそろっていた。しかし、私にとって必要とする楽譜や楽器がそろっている楽器屋さんは少なく、福島市に帰省した時にしか購入できないとわかった。  駅前の通りは、夕方が一番、にぎわっていた。春休みにもかかわらず、二本松駅を利用して下校する高校生が歩道を埋めた。夕食の準備をする主婦の姿も見えた。ところが、夜、7時を過ぎた頃から、人の姿が駅前の通りから消え始め、8時を過ぎると、駅前には、誰一人として歩いていなかった。夜はとても静かな環境だということがわかった。  翌日には、1階にあるレストラン&カフェ「アンダンテ」でミルクティーを飲んだ。 「先週、このマンションの2階に越してきました」 「『アンダンテ』マスターの西村貢です。ご贔屓に・・・」 「二本松高校に通います」 「そうですか、1人で住むのですね」 「よろしくお願いします」 「同じ階にも最近、引っ越してきた人がいますよ」 「出入りが多いのですね」 カウンターの中のマスター、西村貢さんは、私に話しかけてくれた。 「ミルクティー、とてもおいしいです」 「ありがとうございます」 「今まで飲んだミルクティーの中で、3本の指に入ります」 西村さんは、コーヒーカップを拭きながら、私の方を見ずに、微笑みを浮かべていた。 「安藤さんなら、500円のところ、450円にしておきます」 「本当ですか。ありがとうございます。これからも、頂きに来ます」 「いつでも、お待ちしております」 「一応は、自炊を考えていますけど、一番のお薦め料理は?」 「そうですね・・・注文が多いのは、ナポリタンとオムライスです」 「では、ナポリタンを・・・」  気さくな西村さんは、30代前半の男の渋い人だった。後ろにいる20代アルバイトの人に向かって、ナポリタンの準備をするように話しかけていた。アルバイトの人は、私たちが話している間も、黙々と働いていた。  その後、高校まで歩いて行ってみた。高校の前まで行って、帰ってきた。マンションの部屋のベッドに横になった。まだ、足がなじんでいないようで、くたくただった。私がいつ帰ってきても、隣りの部屋の明かりはついていなかった。「4月から忙しい人もいるのもね」と、私は思っていた。  親から離れて束縛もなくなって自由になりワクワクしたが、炊事・洗濯を毎日しなければいけないのは、大変だった。これで、忙しい部活動に入部したら、自分の生活に余裕がなくなる可能性があると思った。ので、部活動の選択は気を付けなければいけないと感じた。  気晴らしに、掛けてある届いたばかりの高校の制服を試着してみた。鏡を見て、始めに思ったことは、「高校生になってもセーラー服か」と、いう事だった。  制服を着てみると、この私でも高校生に見えるようだった。制服を脱いで、気軽になって、そのままベッドに横になった。 「このまま眠ってしまったら、牛か豚になってしまう」 引っ越しや、街を歩いたことによる疲れに負けてしまい、今日も眠ってしまった。  入学式までの一週間、父や母、そして姉までが代わる代わる私の部屋に来ては、泊まっていったり、食事を作っていったりしてくれた。そして、その一週間はあっという間に過ぎた。 「なぜ、大人はこんなに暇で、形式めいたことが好きなのだろう」  4月6日、火曜日。入学式がこんなに暇で、退屈だと思ったのは、初めてだった。式の最中、担任発表があったが、名前だけで、どこに座っている先生が自分の担任の先生かは、全く分からなかった。両親は、体育館での入学式にだけ出席して、そのまま帰ってしまった。 「仕事なの」 母が、申し訳なさそうに話した。  入学式の後、私は自分の学級である1年2組に向かった。出席番号は「あいうえお順」。私は「安藤」なので、出席番号は、1番だった。そのため、教室の席も、廊下側の1番前になっていた。すでに、教室の黒板には、全員が座る席が指定されていた。 「最悪・・・」  他の学級に行けば、朝倉とか相原とか安斎とか、私より番号が前にくるべき名前の人がいるのに、1年2組では私が1番だった。この座席では、授業中、サボれない。こんな時、「渡辺」という名前の人にあこがれた。  頭がムシャクシャしているうちに、担任の先生が入ってきたようだった。それまで雑談をしていた学級の人達も、静かになった。立っていた人も、自分の席についた。私は、目の前に貼ってあった大きな世界地図を見つめていた。 「この世界地図は、地理のテストの時に役に立つかな・・・」 この席で何か有利なことはないかと、考えていた。男の担任の先生は勝手に自己紹介を始めていた。 「これから、出席番号と名前を呼ぶので、返事をしてください。間違って呼ばれた人は、訂正してください」 担任の先生は出席簿を出して、名前を呼び始めた。 「1番、『安藤なつ』さん」 「はい」  私は気のない返事をした。そして、学級からクスクスと笑い声が聞こえた。それはわかっていた。私は名前コンプレックスなのだ。つまり「安藤なつ」は「あんどうなつ」。そして「あんドーナツ」になる。小学校に入って、周囲の人は私の事を、「ドーナツ」と呼んで、からかった人もいた。しかし、私がいじけるまで私の親は、自分たちが付けた名前のミスに、気が付かなかったらしい。情けない親だ。  担任の先生が10番、20番と名前を呼んでいくにつれて、私は嫌な予感を抱いていった。私は目の前の世界地図から、初めて担任の先生の方へ目を移した。出席簿で顔は見えなかった。  でも、この丁寧な言葉の遣い方、出席簿の脇から少しだけ見える髪型。そして、あの体型に眼鏡・・・。  まさしくそれは、私が福島第二高校を落ちた日に、あの福島市の松川の堤防で私の事を全て言い当てた男の人に似ていた。いや、まさしくその男の人そのものに見えた。顔は見えないが、女の直感である。40番まで出席をとり終わると、彼は出席簿を教卓に置いた。そして、彼は、左手で眼鏡を直し、右手にはめた腕時計を見た。 「森川 優」  黒板に彼の名前が書いてあった。私は体が固まった。私が半月前に彼の事を推理した内容は、やはり全て間違いだった。彼はフリーターではなく、公務員。高校の先生だった。彼は私の方を見ると、少しニコッとしたように見えた。どうやらあちらも私の事も気が付いているらしい。もちろん、私の名前も知っているし・・・。 「ヤベー」  私は、あのわずかな時間で私の事を全て言い当ててしまう程の観察力と洞察力と推理力を持った人が、私の担任なのである。何か少しの事で、私の心の隅まで全部、知られそうな気がする。やはり、親に反対してまで、福島市内の私立女子高校に進学しておくべきだったと、今更、後悔した。 「昨年度まで福島第二高校に勤務していました」 驚いた。つまり、彼は私を落とした高校から転勤してきたのである。私が落ちた時、彼は、その学校に勤務していたということになる。何だか、イライラしてきた。  休み時間や昼休み、放課後には、たくさんの先輩達が部活動の勧誘に1年生の教室を訪れていた。もちろん、スポーツ推薦で入学した新入生は、部活動に入部しているので、先輩達のねらいは、その他の部活動にまだ決まっていない私達に向けられていた。スポーツ推薦で決まっている1年生も、先輩達と一緒に協力して、部活動の勧誘にまわっていた。私の手元にもいつの間にか、たくさんの部活動にチラシが乗っていた。  私は中学校で吹奏楽部に入部し、クラリネットを演奏していた。今年の1年生の中にクラリネットで推薦入学をした人がいるらしく、もう春休みから先輩と部活動に参加し練習しているようだった。 「今から吹奏楽部に1年生が入部すると、打楽器かコントラバスにまわされるよ。クラリネットのパートは、すでに人数が足りているらしい」  うわさ話だ。私は、クラリネット以外の楽器は演奏したくなかったので、吹奏楽部に入部することは諦めようかと思っていた。しかし、今更、運動部に入部というのも、部屋に帰ってから、炊事・洗濯ができそうもないと思うと、迷ってしまっていた。  入学して何日か過ぎた日、私は、少し体調を崩して、保健室に向かった。 「今までの疲れが、体調に出たのだろう」  優しそうな保健の今泉洋子先生が、笑顔で話してくれた。彼女は「保健室の先生」という言葉が似合う優しい先生だった。私は彼女の言葉に従い、早退した。自分の住むマンションまで、ゆっくり歩いて30分。それも、山を越えなければ行けない。それでも、私はゆっくり歩いて、帰ることにした。  ところが、校門を出たところで、担任の森川先生に出会った。 「安藤くん。荷物を持ってあげるよ」 「え、いいです。家、遠いから・・・」 「駅前のマンションだろう。歩くと遠いし、体調が悪いのだから無理しない」 そう言われて、カバンを取られ、一緒に高校から並んでマンションまで歩いてきてしまった。その間、私は、担任の森川先生と並んで歩くのが恥ずかしくて、全く口をきかなかった。  グリーンマンションの入口まできた。オートロックになっていたので、ここで先生と別れようと思った。 「森川先生、ありがとうございました。ここで結構です」 「いや、部屋の前まで送っていくよ」 私は、少し固まった。「マズイな・・・」と心の中でつぶやいた。  担任ではあるが、男の人に自分の部屋の前まで来てもらうのは・・・。私のオートロックの番号もバレるし、部屋の前まできて、無理に部屋に入られたら大変だ。このまま「アンダンテ」に逃げ込もうかとも思った。しかし、相手は、これからお世話になる担任に先生だし・・・。森川先生は、女子高生、好きなのかな・・・。 「森川先生は、どこまで行くのですか?」  私は今、ベッドの上で横になっている。というか、無理矢理、そこに、休まされた。森川先生は、私の部屋まで入り、私がきちんと休むか見張っていた。うろうろしていた私を、ベッドに休むように叱り、カゼ薬を自分の部屋から持ってきて飲まされた。森川先生は今、202号室にいる。そこが彼の住まいだったのだ。私は、先生の隣の部屋に引っ越してしまっていたのだ。森川先生は私が引っ越す前の日に、ここに引っ越してきたらしい。  今日、森川先生も体調を崩して、早退したらしい。先生に自分のカバンを持たせるなんて・・・。また、頭の中であったが、先生を変態扱いしてしまった自分に嫌悪感を抱いていた。今までこのマンションで森川先生に会わなかったのも、春休みの先生としての仕事が忙しくて、夜まで高校で仕事をしていたらしい・・・。  何もかもが面倒くさくなった。そして、夕闇せまる窓の外を見つめているうちに、いつの間にか、私は眠り込んでいた。  翌日、7日、水曜日。何もなかったように、早起きした。体調も回復し、シャワーを浴びた後、パンをかじりながら、制服を着た。 「まあ、こんなもんだろう」 鏡を見た。いつもより早く登校しようと思って、玄関のドアを開けた。隣の202号室から森川先生も出てきた。 「おはよう」 先に挨拶を言われてしまった。 「おはようございます。昨日はありがとうございました」 「体調、大丈夫?」 「ええ、お陰様で。また、ダメになったら、早退します」 「無理しないようにね」  一緒に一階に降りた。高校に向かって並んで歩き始めた。 「森川先生は車で通わないのですか?」 「歩くのも、健康のためだからね」 「先生。あの時、私に嘘、ついたでしょ」 「何か、嘘をつきましたか?」 「はい。1ヶ月前」 「・・・」 「夕日が赤い理由です」 「そうでしたか?」 「夕日が赤い理由を、『1日1日を振り返るため』とか言う教師がいて、いいのですか?」 「ロマンチックじゃないか」 「私、あれから、きちんと調べました。朝日と夕日は、太陽からの光線が大気圏の中を通る長さが昼間より長くなるため、その分、紫外線がはじかれ、地上に赤外線が多く届いて、太陽が赤く見えるって・・・」 「さすが、高校生。勉強したね。興味を持つと、自分で調べたくなるだろ。それが大切なのさ。  でも、私はロマンチックな方がいいと思うけどな・・・」  彼は全く悪気がなかったような素振りも見せず、飄々と歩いていく。私もなぜか、遅れないように横について歩いていった。 「んー」 なぜか憎めない男! 「森川先生。松川で釣りをしている人の事、2人で推理し合いましたよね。あの人、新聞に出ていましたよ。先生の推理した通り、誘拐事件でしたね」 「そうでしたか・・・」 一応、担任の先生なので、持ち上げておいたが、彼はあまり興味を示さないようだった。 「それに、ブランコのあった公園・・・」 「公園がどうかした?」 「その公園の裏にあったアパートって、犯人の隠れ家だったのですか?」 「そうらしいね」 「森川先生はそれを知っていて・・・?」 「偶然さ」  彼は犯人の隠れ家を推理していたのだ。 「知っていて、あの場所まで来て、警察にメールしたのでしょう」 「ボランティアさ」  犯人の隠れ家を警察に通報し、逮捕させたのは、森川先生だった。 「でも、どうして、わかったのですか?」 「あの釣りをしていた人の場所からラジコンが使用出来る範囲は、限られている。そして、松川に入る下水道管は、全て松川の北側にある。松川全体を見渡せないと、ラジコンのモーターボートを操縦できない。  そこまで考えれば、後は、自ずと犯人の隠れ家がわかるさ」 「それで、3階建てのアパート・・・」 「あの当たりで、松川全体を見渡せるアパートは、あの3階建てのアパートしかない。アパートの玄関も独立していた。部屋に人質を入れる時、他の人に見られる心配がない。川沿いの部屋のカーテンは開いていた。そこに、双眼鏡で松川を見ている人間の影が見えた。また、あのアパートの横を下水道管が流れている」 「そんなことまで・・・」 私はとんでもない人が担任になったことを恐怖にさえ思えた。  二本松高校は、午前8時30分に自分の教室にいれば、遅刻にはならない。ので、私はいつも午前8時前にマンションを出ていた。でも、今日は、7時20分にマンションの玄関を出た。彼もいた。7時20分前後に玄関を出ることを避ければ、担任の先生と一緒に登校しなくてもいいという事になる。 「明日から考えよう・・・」  私は結局、図書部に入部した。二本松高校は、図書室というより図書館だった。高校の建物とは別棟に建てられていたからだ。建設2年目ぐらいの新しい図書館だった。1階は会議室で、2階が図書館だった。絨毯が敷いてあり、図書館に入ると、上履きを脱ぎ、特別なスリッパを履かなければいけない。  図書館は中学校とは比べ物にならないほど、広かった。図書館には若くて綺麗な女の先生がいた。その先生方専用の広い部屋もあった。「図書司書」というのが彼女の役職らしい。貸し出し用のカウンターもあり、図書部に入部した人は、その貸し出しカウンターに席がもらえるらしい。  この図書館は最新式で冷暖房完備。2階の扉を開けると、目の前に司書室があり、左にたくさんの自習用の机が並んでいる。1人1人にしきりがついていて、机も最新式だ。特に3年生は朝早く来て、席をとっていく。この高校は先生が不在の時は、自習となり、誰も替わりの先生が教室に来ない。本当に自習になる。だから、教室で遊ぶなり、この図書館に来て自習をするかは、本人の決断に任せられている。だから、1年生が図書館で自習の席を取るのは、とても大変なのだ。  その奥の6列に並んだ本棚が並んでいる。とても長く、一番上の段は普通じゃ手が届かない。本棚も長く、蔵書も多い。本棚の奥の扉を開くと、百科事典や歴史の本、大型図書など持ち出し禁止の本が多く並んでいる。しかし、本の貸し出しは1日に10冊程度。つまり、この高校の図書館は、ほとんどが生徒の自習用に作られている。夏や冬の時期、冷暖房完備の図書館の席取りはとても大変だそうだ。  私がこの図書部に入部した理由は、3つある。  1つ目は、1年2組の学級で一番初めに友達になった國分有香さんが、図書部に入ろうと誘ってくれたから。  2つ目は、図書部に入ると、無理をして自習の席を確保せずに、貸し出しコーナーのカウンターに、自分の席が確保できること。  最大の理由は、図書部の人は図書司書室に出入り自由で、司書の先生にミルクティーを頂いたり、お菓子を食べさせてもらったり、コピーを自由に、そして無料で使える事だった。  図書司書の先生は、片平月美先生という若い女の先生だった。その司書の片平先生が、図書の貸し出しを昼休みや放課後に行ってくれるので、毎日、図書館で仕事をしなくてもいいらしい。 「図書部の活動といったら、一体、何だろう・・・」 後で誰かに聞いてみようと思った。  図書部の顧問は、図書司書の片平先生だけど、なぜか副顧問には私の担任の森川先生と、国語を教えている、もう少しで定年の小川誠先生という男の先生の3人だった。何で私の担任の森川先生が図書部の顧問なのだろう。数学を教えているのに・・・。まさか、美人で図書司書の片平先生狙いなのであろうか。  図書館のカギは、高校本棟の事務室にある。毎日、朝早く来た部長か、司書の片平先生が、その事務室にカギを取りに行って、図書館を開けてくれている。有り難いことだ。だから、朝、早く来て図書館で自習したい生徒も、この図書館が開いているので、自習することができる。  私は、毎朝、高校に来ると、教室にカバンを置いて、図書館のカウンターの席に、自習用のノートを置きに行く。朝、時間がある時は、そのまま自習もするし、司書の片平先生がいる時は、そのまま司書室に入って、朝のミルクティーを頂いて、話をしたりしている。片平先生が遅く学校に来る時は、3年生の部長である星高陽先輩が図書室を開け、カウンターでいつも自習をしている。部長の星先輩は見るからに素敵な存在だ。男前で、高校生らしさを脱している。大学生と言っても通じる大人びたところを感じさせる魅力がある。私には近づきにくい存在でもある。私が話をする時には、いつもドキドキしてしまう。というか、その大人のオーラが、私を近づけなくさせている。    図書館の貸し出しカウンターには決まって一輪挿しの花瓶に、花が飾られている。部長の星先輩の趣味というより、司書の片平先生の趣味だろう。その心掛けが、片平先生の可憐な所だと思う。  司書室には、片平先生の机と副顧問の机が3つが並んでいる。そして、周りには新しい本などが積み重なっているが、司書の片平先生が手際よく片づけていて、いつも清潔感を感じさせていた。しかし、担任の机の上には、何も上がっていない。1つだけ球体の花瓶が上がっていた。その中には緑の観葉植物が飾られていた。  森川先生は、あまりこの図書館に来ないのかもしれない。私は、4月になってから、この図書館で担任の森川先生に会った事がない。私が片平先生からミルクティーを頂いて飲む時は、黙って担任の机を使用させてもらっている。私が森川先生の机を使用している所に、先生が来ても、文句は言われないだろうと、最近思ってきた。森川先生は、そんな人だ。  彼の数学の授業は、中学校のどの先生や他の高校の先生とも違っていた。  まず、授業が始まると必ず出席簿を出して、1人1人名前を呼んで、出席をとる。それも毎回だ。私はいつも一番初めに名前を呼ばれるので、そのあと39人の名前が呼ばれている間が、とても長く感じる。逆を考えると、その時間に、宿題を行ったり、別のことができたりする。  彼は自分の教科書を持ってこない。いつも出席簿しか持ってこない。たまに生徒の教科書を逆から見て、話をしたりする。例題はいつも黒板に書きながら考えているらしい。別に、時間をかけて黒板に書いているわけではないが、たまたま、他の学級の人に数学のノートを見せた時、全く例題が違っていたからだ。頭の中に教科書が入っているというか、何かすごいものを私は森川先生にこの数週間で感じていた。  4月20日、火曜日。毎朝、図書館に通うようになっていた。妙な事に私は気が付いた。それは、図書館の貸し出しカウンターの上に置いてある一輪挿しの花瓶が、日によって色が変わっているのだ。カウンターの棚の中には、同じ種類の花瓶で色違いの物が何種類かあるのに、気が付いた。  花は同じであるのに、花瓶だけが毎日変わっている。花が変わることはあるが、花瓶は毎日変わる。花が毎日変わるならわかるが、花瓶を毎日変えるのは、私なら面倒くさい事なので、気が付いたのだ。それも、私が図書館から帰る時と、翌日の朝に図書館に来た時の花瓶が違っている。と言うことは、私が帰ってから、朝、学校の図書館に来るまでに誰かが面倒くさい花瓶を、わざわざ変えている事をしているらしい。何も、花瓶は一本あれば十分なのにと思った。  私は、一度気になると、どうしようもなくなる性格で、このままゴールデンウイークに突入したら、何かもやもやして、どうしようもなくなると思った。司書の片平先生か部長の星先輩に相談すれば、すぐ分かることだと思ったが、なぜか聞きづらい。特に、星先輩とはあまり話したことがないので・・・。  朝、片平先生にミルクティーを頂いているとき、勇気を出して聞いてみた。 「片平先生、いつもカウンターのお花、綺麗ですね」 「その日の気分で、お花を飾っているの。学校に来る途中や、校庭の花壇のお花を無断でもらってきているから・・・、これは内緒ね」 「花瓶もおしゃれですね」 「そう、その日の気分で変えるの」 ふーん、と思いながら、私は森川先生の机でミルクティーを飲み干した。  ちなみに、私が入部した図書部は、3年生が2人。めったに図書館に顔を見せないというか、まだ見たことのない2年生が3人。1年生は私と有香の2人で、合計7人らしい。男子は3年生の2人と2年生の副部長の1人、残りの2年生2人と1年生は女子だ。3年生の2人は、国立大学を目指しているらしいと、片平先生からの情報だ。  花瓶の事は、片平先生の話を聞いても、私はなぜか納得がいかなかった。それで、いろいろ考えた挙げ句、私は森川先生の名推理の事を思い出し、彼に相談することにした。    翌日、21日、水曜日の朝、早起きをして、森川先生が玄関から出てくるのを待った。  午前7時20分、202号室の玄関のドアが開いた。 「おはようございます、森川先生」 先日は先に森川先生に挨拶を言われたので、今日は私が先に挨拶をした。 「おはよう安藤くん。プライベートな相談があるらしいね」 「なぜ、プライベートな相談だと先生は思ったのですか。たまたま、早起きしただけかも・・・」 「安藤くん。君が私と一緒に登校するのは、この前の早退した翌日以来だ。それからは私がこの時間に高校に行く時には、いつも部屋のお風呂の換気扇が動いていた。つまり、君はこの時間、いつもお風呂に入っているか、シャワーを浴びている時間だ。  今日は、こうして玄関にすでに登校できる状態で私より先にいた。というより、私を待っていた。高校に早く行く気なら、私の部屋の方ではなく、向こうの階段かエレベーターの方に向かっているはずだ。それに、パブリックな相談なら、高校で職員室に来て話せばいい。無理に早起きして、私と高校まで歩かなくていいはず。となれば、安藤くんが早起きして、わざわざ私を待っていたのは、高校では話にくい相談だからだ。とすれば、何かプライベートか高校では相談できにくい話があると考えたのさ」  私は、何も言えなかった。完全に私の考えと行動が読まれている。こんなに完敗した事は、今までになかった。先月の松川で森川先生と推理をした時以来、2回目だ。世の中には、こんな人がいたのかと思った。 「森川先生、いつもそんなに人の事を考えているのですか?」 「いや、普通さ」 私達はマンションを出ると、高校に向かって並んで歩いていた。 「で、相談は何?」 私は歩きながら、図書館での花瓶の事を森川先生に話してみた。森川先生は興味を持ってくれたようだった。 「安藤くん、今までのその花瓶の色など記録はあるのかい?」  森川先生も根っからの推理好きとみた。私は、手帳をカバンから取り出すと開いて確認した。 「安藤くん、私ね、一応、図書部の副顧問になっているけど、あまり図書館に行ったことがないので、花瓶の花の事は、よく覚えていないのさ。それに、今年、この高校に転勤してきたばかりだし・・・」 そうだ。入学式のあった日の自己紹介の時、そんな事を話していた。それに、森川先生の前任校は、私を落とした、あの憎っくき福島第二高等学校なのだ。 「手帳に記録してあります。私、観察力とかはダメなんですけど、記録するのは得意なので。私が変だな、と思った14日、水曜日の花瓶の色は、黒。花はヒヤシンスでした。  15日、木曜日の花瓶の色は白で、花はヒヤシンス。  16日、金曜日の花瓶の色は青で、花はチューリップ。  飛んで、19日、月曜日、花瓶もお花もありませんでした。  そして、20日の花瓶の色は赤で、花は菜の花です」 「安藤くんは、大変、まめな人だね」 「違います。気になると・・・」 「そういう事にしておこう。  全く、規則性を感じないね。片平先生の気まぐれかな?」 「でも、おかしいんです。片平先生より私が後に帰った時も、翌日の朝、花瓶の色は変わっているんです」 「で、安藤くんはどうしたいの?」 「何がですか?」 「この図書館の花瓶の色についてさ」 「その謎が解ければいいのです」 「それじゃ、今日は少し忙しいから、明日、帰る時、帰るふりをして、地学準備室に来なさい。もし、私がいなかったら、カギを開けておくので、入って待っていて。  それに、明日は天文学部もそんなに残っていないと思うし・・・」 「分かりました。先生の名推理に期待しておきます」 「そんなに期待されても困るのだけどな・・・」 森川先生はそう言うと、校門から職員入口に向かって行った。私は、森川先生と別れて、昇降口に入っていった。  今日の花瓶の色は、青で、菜の花が飾ってあった。  翌日、22日、木曜日。図書部が終わると、校舎に戻って、2階の地学準備室に行った。カギは開いていたが、誰もいなかった。地学準備室は図書館の司書室とは全く違っていた。  とても古くさい事。あちこちに地球儀や天体望遠鏡、地質の模型などが散乱し、あきらかに研究室といった感じだった。明らかに森川先生の机とわかる上には、試験管を花瓶にして、観葉植物が飾ってあった。何という感覚だ。そして、他の準備室や職員室と違っていたことは、匂いである。それは、匂いというか香りというか、コーヒーの香りが地学準備室に充満していた。  1人で暇だったので、明らかに森川先生の机と思われる椅子の横に自分の荷物を置いて、その椅子に座り、その机の上にあった天文学の雑誌を読み始めた。少し、宇宙について関心があったので、飽きる事もなく、30分くらい、読むことができた。その雑誌の「今週の詩」という所に、谷川俊太郎の「二十億光年の孤独」という詩が掲載されていた。  この詩は木下牧子さんの作曲で合唱になっていることもあり、私は昨年、福島第6中学校の文化祭の合唱コンクールで混声4部合唱の方を合唱した。混声3部の合唱もあるのだが、学級の男子が4部合唱を歌うと頑張ったのだ。私は、なぜか学級で指揮者に選出され、指揮を振った。そして、みごと私達のクラスの合唱は、1位になることができた。思い出深い合唱曲である。  しかし、詩の途中で意味の分からないことが書いてあって、音楽の先生に聞いてみた。 「俺にはわからないな」 「教師とはこんなもんか・・・」 私は、深く考えずに指揮を振っていたことを覚えている。  合唱の最初は、ア・カペラで何調かわからない難しい音程。それもピアノ伴奏が付かない部分が、困難を極めた。 「指揮者の力でここは決まる」 プレッシャーを先生に言われながら、みんなの前で振ったことを覚えている。  昨年の文化祭合唱コンクールの事を思い出しているうち、いきなり、地学準備室のドアが開いて、森川先生が入ってきた。 「安藤くん。行こうか」 私は雑誌を、元にあった所に戻し、自分の荷物を持って、地学準備室を出た。森川先生は地学準備室のカギを閉めて、周囲の様子をうかがいながら、小声で話しかけた。 「9割は解決済み。残りの1割を解決するために、これから図書館に行ってみようと思うのだが、どうだい、安藤くん」 「はい、わかりました」 「その前に約束があるんだけど・・・」 廊下を静かに歩き出して、小声で話しかけている森川先生の声は聞こえにくかったけど、意味は理解できた。 「約束ですか。いいですよ」 「あのね。今回の事件というか、花瓶の事実が分かっても、その真相を安藤くんの心の中にずっとしまっておいて欲しいんだ」 「えっ、どういう意味ですか?」 「話の通りさ。つまり、人には人、それぞれの理由があり、人には言えない事もあるのさ。しかし、それをわざわざ、他の人達に話す必要はない。私達2人が知った事で、何の害がないなら、騒がずにそのままの方が良い事もあるのさ」 「わかりました。詳しい事は、わかりませんが、『これから私達が知る事実を、私の心の中にしまっておいて、他に話すな』と、いう事ですね」 「そういう事。できれば、毎日、その事で、周囲に顔つきや顔色、そして偏見なども持たないでいて欲しいという事さ。難しいかもしれないけど・・・」 「難しいけど、わかりました」 「それに、片平先生も、いろいろな人生を送ってきたはずだ」 「なぜ、わかるのですか?」 「色々とね・・・」  森川先生は一体、片平先生の何を知っているのだろうか?  森川先生とそんな話をしているうちに、図書館の入口に到着した。周囲はすでに暗く、夜のとばりが降りている。図書館の明かりが消えていることから、すでに図書館には、誰もいない事がわかった。学校にも、教室にも明かりがなく、生徒もすでに二本松高校にいないことも分かった。しかし、職員室には明かりはついていた。 「もう1つ、約束」 「何ですか?」 「今日、安藤くんは何も触れないこと」 「えー」 「嫌なら、帰るけど・・・」 「分かりました」  森川先生は上着のポケットから何かを取り出し、図書館のドアを開けて、入っていった。図書館のカギは事務室に2つしかない。そのカギではない。いったい何のカギで森川先生は図書館を開けたのだろうか?そう思いながらも、私は森川先生の後に続いて、図書館の玄関に入ってしまった。 「玄関、閉めておきますか?」 「そうだね。誰にも今日は邪魔されたくないでしょう」 「はい。でも、森川先生。そのカギ、どうしたのですか?図書館のカギではないですよね。もう、事務室は閉まっていますし・・・」 「まあまあ、堅いこと言わないで。私も生まれた時から先生じゃないから・・・」 「ど、泥棒・・・?」 「違うよ。面倒臭いから、合い鍵を作っておいたのさ。内緒ね」 「どうしようかな?校長先生に言っちゃおうかな」 私は、図書館の2階へ続く階段を上りながら、少し意地悪を言ってみた。 「ここで帰る?安藤くん」 「分かりました。内緒にしておきます」  いつも私は、森川先生との言い合いには負けてしまう。それが、私にとって悔しい。  いつの間にか、森川先生の手には、手袋がはめてあった。森川先生は、先生になる前に本当は何をしていたのか、疑問がわいてくる。 「安藤くん。今日の花瓶の色は覚えている?」 「はい、青で菜の花がさしてありました」 2階のドアを開けて、電気をつけ、2人で図書館の中に入っていった。そして、ここのドアにも私はカギをかけた。そして、2人でカウンターの花瓶の飾ってある所に向かった。そして、今は今朝の青の花瓶でなく、白の花瓶に菜の花じゃない花が飾ってある。 「先生、白です。花は・・・」 「あれは、ハルヒメジオンだ」  森川先生がカウンターの中に入り、脚立を持って、出てきた。自習用の机の間を抜けていった。私は、カウンターの上に自分の荷物を置くと、先生の後を追った。先生は本棚の一番北側に脚立をかけた。そして、つかつかと登っていった。私は脚立の下で待っていた。 「安藤くん、ここまで来られるか?」 私は森川先生の後ろから脚立を登っていった。一番上で先生と並んだ。私は今までこんな近くで男の人に接近したことがなかったので、脚立が壊れるとか、なぜここに登らなくてはいけないかというより、男の人と接近しているというドキドキ感が覆っていた。少し体が触れていた。先生は、私の事など気にせず、窓の外を見ていた。 「落ちるなよ」  先生の声で我に返って、少し落ち着きを取り戻した。 「本棚の一番上なんて、誰も読まない本ばかりだ。ほら、証拠に一番上の本の上に埃がたまっているだろう」  当たり前だった。こんな本棚の一番上の本、脚立を持ってこないと読めないような所にある本、誰が借りるのか・・・。 「でも、安藤くん。一番端の白い本だけ、本の上に埃がないだろう」 先生はその白い本を手に取った。それは「谷川俊太郎詩集」と書いてあった。 「少し危ないから、脚立を降りようか」 私から先に脚立を降りた。先生は、詩集を持って降りてきた。 「これが答えさ」 そう先生が言うと、手に持った「谷川俊太郎詩集」をパラパラめくり始めた。  すると、本の途中に、封筒が挟んであった。その封筒を先生は丁寧に取ると、先生はそのページを抑えて、封筒を見はじめた。封筒には、のり付けがされてなかった。 「中を見る?」 「はい」 「約束、守ってね」 先生は、静かに言うと、封筒の中身の紙を一枚取り出し机の上に広げた。そこには、かわらしい字で手紙が書いてあった。 「 高陽くんへ  いつも心温まるお手紙ありがとう。私との年の差なんか気にしないで。それより、高陽君の方がおばさんの私に飽きるのじゃないかって、心配なの。だって、高陽君って、女の子にもてるじゃない・・・。  そういえば、昨日のお願いOKです。待ち合わせの場所と時間もOKです。楽しみにしています。 月美」  私が読み終えると、森川先生は、そっと手紙を封筒に入れ、「谷川俊太郎詩集」に挟んだ。なんとそのページは「二十億光年の孤独」が書いてあるページだった。 「先生、その詩、私、好きなんです。昨年、中学校の合唱コンクールで歌って、私が指揮して、一位になった曲なんです」 先生は何も言わず、「谷川俊太郎詩集」を持って、脚立に上り、元あった所にその詩集を戻した。 「その手紙・・・」 私が話しかけようとした。 「それより、大事なことが出来た」 「何ですか?」 「この高校の裏にある家が気になるんだ」 森川先生は、図書館の窓から見える隣りの家を見つめた。 「のぞきですか?」 「冗談じゃないよ。偶然、見えたんだよ」 「何がですか?」 「たぶん、裏の家に強盗が入っている」  それからの先生は、とても急いでいた。私と先生は、図書館の電気を消し、カギをかけ、荷物をそのまま玄関前に残し、図書館裏の塀を乗り越えた。 「無断で人の家に入って、いいんですか?」 「緊急事態だ」 「強盗がいたのですか?」 「いいや」 「見たの?」 「いいや」  森川先生は、手袋をしたまま、庭に入っていた。そして、私も仕方がないので、後に続いた。庭にある犬小屋の前を通り、家の中から見えないように窓に近付いた。まるで私たちが泥棒だ。 「どうして、手袋?」 森川先生が口に手をあてる。 「後で、警察が捜査しやすいように・・・」 小さな声が聞こえた。 「ここで、待っていろ」  森川先生は、1人で玄関から家の中に入っていった。玄関のドアが開いていた。私は、先生の言うとおり、玄関の横で待っていた。  30秒もたたないうちに、物音が聞こえた。すぐ静かになった。私は、気になって窓から家の中をのぞいた。でも、誰も見えなかった。荒らされていた家の中しか・・・。  森川先生は、玄関から出てきた。 「大丈夫?」 「強盗は確保した」 「本当に強盗だったの?」 「当たり前さ」 「警察は?」 「連絡した。君は、面倒くさくないように、先に帰っていろ」 「先生、私、いろいろ聞きたいことがあるので、先生の部屋に、後で行ってもいいですか?」 「8時くらいね」 「はい」 「着替えをしてね。どうも、自分の部屋にセーラー服の子を入れるのは、気になるからね」 「それじゃ、もっと短いスカートで、先生の部屋に行きます」 冗談を言うと、走って高校に戻り、荷物を持った。    7時50分、私は鏡を見て、服装がまあまあかなと思うと、202号室のチャイムを押した。いろいろ考えて、スカートでなく、ズボンにした。 「はーい」 部屋の声が中から聞こえ、玄関のドアが開いて、森川先生の顔が出てきた。 「こんばんは、森川先生」 「カギ、かけてね」  森川先生は台所で何かごちゃごちゃ始めた。私に見られはいけないDVDや雑誌を隠しているのかと思ったら、大違いで、お湯を沸かし、コーヒーの準備を始めていた。想像が外れた。ワンルームなので、男の部屋だから、覚悟はしてきたが、全く生活感の感じさせない綺麗な部屋だった。小さな机の上のコンピュータ。そして、ベッド。小さな本棚にたくさんのいろいろな本。テレビはない。  私は、どんな生活をしているのかと思いながら、小さなテーブルのどこに座ろうか迷っていた。 「適当に座っていいよ」 戸惑う私を見ていたかのように、森川先生が台所から声をかけてくれた。まるで、私の心を読んでいるようだ。  私はテーブルの一角に座った。ふわふわしたソファがあった。先生は、緑色のコーヒーカップとピンク色のティーカップを乗せたお盆を持ってきて、私の向かい側に座った。先生のカップはとても大きなものだった。先生のカップにはコーヒーは6割くらいしか入っていなかった。そこへ、先生は牛乳の紙パックから直接牛乳をカップへ入れ始めた。 「それじゃ、コーヒーがさめてしまう」 私は心の中で笑っていた。  私用のティーカップは、ピンクのかわいらしい物だった。中には、コーヒーでなく、ミルクティーが入っていた。 「森川先生、私の気に入りそうな色のティーカップでミルクティー、ありがとうございます」 「それは、安藤くんがピンク色とミルクティーが好きだと思ったからさ」 「私、そんな趣味、先生に言いましたっけ?」 「いや、聞いた事ないよ。でも、君の部屋のカーテン全部、ピンク色だろ。あのピンクに囲まれて眠るのだから、相当なピンク好きと考えたのさ。そして、図書司書室に1つ、増えたティーカップも、ピンク色だった。3年生2人はいつも自習。2生は全く図書館に来ない。それに、司書室の机の上についた最近のカップの痕。1年生のもう1人の有香さんが、私の机の上で飲むとは思えない。  と言うことは、あの司書室に増えたピンクのティーカップは、安藤くん、君のだ。それに、たまに、私の机の上に置き忘れていくティーカップの中には、コーヒーじゃなくて、ミルクティーが入っていた。だから、安藤くんはコーヒー派じゃなくて、ミルクティー派かなと思って、気を利かせたつもりなのさ」 「ありがとうございます」 そう話してはみたものの、そこまで私の趣味が見抜かれていたとは・・・。まだ、入学して1ヶ月も経たないと言うのに。恐るべし担任、「森川優」と思った。 「でも、先生、図書館にあまり来ないって言っていましたよね。それに、私とも図書館で会った事ないし・・・」 「当たり前じゃないか。私が図書館の司書室に行くのは、たまにしかない。それが、安藤くん達が授業を行っている時で、私の授業が空いている時に行くのが多いから。  私、図書部だけじゃなくて、天文学部の副顧問になっていますので・・・。だから、地学準備室にも私の机があるのさ。それに、図書資料室や1年の職員室より、地学準備室にいる方が多いね。私は、あまり、人ゴミや人間が多い場所が苦手なのさ」 「だから、あの地学準備室はコーヒーの香りがしたのですね」 「安藤くん、鼻がいいね。私が来てから、コーヒー臭くなったと言われているよ」 そう話している間に、私はミルクティーを飲んでみた。今まで私が飲んだミルクティーの中でベスト3に入るミルクティーだ。森川先生がこんなおいしいミルクティーを入れてくれるなんて、この202号室に入り浸りになりそうだ。 「で、安藤くん。聞きたい事って何だい?」 突然、森川先生が話題を変えてきた。 「まずは、図書館の手紙のこと」 「はいはい」 先生は、カフェオレが入ったカップを手に取った。 「二本松高校の図書館には、本棚が6つあるだろう」 「はい」 「花が本棚を指定して、花瓶の色が本の色を指定していたのさ」 「えっ?」 「つまり、タンポポなら北側から3つ目の本棚。菜の花なら4つ目の本棚。花がない時は、一番南側の本棚。  私が一番気になったのは、花がなくても、花瓶があった日があったり、花瓶もなかったりした事さ。だから、花がない事も意味があるんじゃないかと思ったのさ。わかったかな・・・」 「少し・・・」 「つまり、図書館を最後に閉める人が、手紙を6つの本棚のうちどれかの一番上に色付きの本に挟んで隠す。そして、その目印にその本棚の花と花瓶を置いておく。そして、翌日、手紙をもらう方が朝早く来て、花瓶と花を見て、手紙を取るために脚立を準備して本を探す、という事になる。  もう1つは、あの脚立がいつもカウンターの中にあったことさ。普通、脚立は借りる人のためにある物だろ。わざわざカウンターの中に片づけなくてもいい。毎日、カウンターの中にしまってある。そいつも脚立の位置はずれていたようだった。脚立に埃もたまっていない。毎日のように使用している証拠さ」 「今時、交換日記ならぬ、交換手紙ですか・・・。メールがあるのに・・・」 私は、ミルクティーを頂いた。とてもおいしく思えた。 「手紙に書いてあった高陽君っていうのは、3年生の星先輩でしょ。それで、月美っていうのは?」 「部長の他に最後に図書館のカギを閉められたり、朝早く図書館を開けたりできる人は?」 「司書の片平先生ですか?」 「そう、彼女の名前は月美だ」 私は余りにも突飛な事を耳にして、固まりそうだった。 「でも、先生。それって禁断の恋じゃないですか」 「だから、約束したじゃないか」 私の頭は、パニック寸前だった。 「なぜ、あんな手の込んだ事をして、2人は手紙の交換をしていたのでしょうか?」 「それは、たぶん、安藤くんのせいだと思う」 私のせいと言われて、驚いた。先生の説明を待った。 「昨年までは、朝、片平先生と星君は手渡しで、手紙を交換していたのだと思うよ。2人は、手紙を毎日、交換することで、愛情を確かめ合っていたのだろう。メールだと、携帯を他の人に見られる恐れがある。まして、高校の中なら、なおさらさ。だから、手紙というお互いに記念に残るものにしたのだろう。2人にとっては、宝物かもしれないな。  星くんの父親は厳しいという噂だ。家でメールの内容が何かの拍子に父親に見られたら、大変な事になる。  手紙なら何かあれば、破ったり、焼却したりすれば、残らない。メールなら、完全に消すことは、無理に近い。何かの拍子で、他の先生に見られたら、2人とも、この高校にはいられない。  安藤くんが今年になって、早く学校に登校し、図書館に行く日々が続き、荷物を置いたり、司書室でミルクティーを飲むようになったので、手紙を手渡し出来なくなったのであろう。1年生のあなたに見つかったら大変だからね」 「私が2人の恋を邪魔していたのですね」 私は、少し後悔してしまった。 「なぜ一番面倒な所、つまり、本棚の一番上で脚立を使用しなくてはならない場所を交換の場所に選んだのですか?」 「それは、万が一を考えてだろう。もし、何かの事故やケガなど不慮の事態が発生した場合、手紙を受け取る方が次の日、図書館に来ることができなかったら大変だろう。その時は、前日、手紙を隠した方が図書の整理をするふりをして、手紙を回収する事にすればいい。  2人が朝、図書館に来ることできない日もあるかもしれない。そんな時も考えて、絶対、誰も見ることのない、それも毎日場所が変更できるような所を考えたのだろう。司書の片平先生が今までの統計から、あの本棚の一番上の段が今まで、誰も本を借りていないということから、考えたのだろうな・・・」 「ふーん」 「それに、安藤くんには悪かったが、昨日も私は夜、図書館に行って調べてみた。昨日は、安藤くんも確認したように、青い花瓶だった。花は菜の花。つまり、北側から4つ目の本棚の一番上の青い本に手紙が挟まれていた。本はマルクスの『資本論』だった。脚立は、先ほどあった場所とは、少し異なっていた。誰かが動かした証拠さ。昨日の夜から、今までの間に。それに、事務室のカギの貸出帳には、司書の片平先生と部長の星君の名前が、今年になってからほとんど交互に記名されていた。  脚立の埃が全くない事から、隠したものは、高い場所に置いてあること。花瓶の色から、それが本の色と花の種類から、6か所の場所が隠し場所であると考えた。すると、目の前に6つの本棚が見えたのさ。あとは、少し本棚の一番上を確認しただけさ。すると、埃のかかっていない本は見つかったというわけさ」 「昨日も手紙の中身を見たのですか?」 「見たよ」 「先ほどの手紙に、『昨日のお願い・・・』ってあったのは何ですか?」 「んー、聞きたい?」 「はい」 私はすでに好奇心の固まりだったので、速攻で答えてしまった。 「デートの打ち合わせだよ。今度の土曜日の。だから2人をそっとしておいて欲しいと思ったのさ。いくら、先生と生徒だからといって、それはたまたま、2人がその立場になってしまっただけで、男と女には変わりないのだから・・・」 「はい、分かりました。静かに見守ります。  人と人の間に万有引力って存在するのですか?」 「それは、今回の件に関係するの?」 「まあ少し。でも、谷川俊太郎の『二十億光年の孤独』に書いてあった事です。中学校の時から気になっていたのです。中学校の時の先生に聞いても、何も教えてくれなかったし・・・。ずっと、悩んでいたのです。今回、たまたま、手紙が挟んであったページが『二十億光年の孤独』だったから・・・」 「ああ、谷川俊太郎の『二十億光年の孤独』の万有引力ね」 森川先生はそう言うと、少し顔に笑みを浮かべた。 「当たり前じゃないか。  万有引力とは、質量のある物質の存在するものだし、特に男女の間には、精神的にも万有引力は存在するのではないかな。だから、男と女、女と男は惹かれ合うのさ」 森川先生は、カフェオレを飲み干し、台所に行って、2杯目を作って、戻ってきた。 「その詩の中の、火星人の言葉で『ネリリ、キルル、ハララ』って、何を意味しているのですか?」 「そこまで、追求しなくても、いいんじゃない。無理に考えれば、対句だろうな」 「対句って?」 「つまり、人類は眠り起き、働くのだろ。そして、火星人はネリリ、キルル、ハララだろ。『眠り』と『ネリリ』、『起きる』と『キルル』、『働き』と『ハララ』じゃかいかな」 「あっ、そうか。そう言われてみると、わかるような気がします」 私は、今まで気が付かなかった事に愕然とした。そう言われてみると、そうだと思ってしまった。しかし、この森川先生に、「わからない」とか言わせることは無理なのだろうか・・・。 「森川先生。なぜ、詩の中で、『僕はくしゃみをした』んですか?」 「それも、『二十億光年の孤独』か。そうね。1光年は光が1年間に進む距離。つまり・・・9兆4605億キロ。だから二十億光年は何キロ?安藤くん」 「計算機があっても、桁が入りません」 「そうだろう。だから、そんな事を考えるより、何か今の内にできる事をした方がいい、というメッセージじゃない?それに、言うじゃない。『くしゃみをするのは、誰かが自分の噂をしているから』だって・・・」 「誰が噂をしたのですか?」 「地球にいる私を噂しているのは、火星にいる火星人じゃない?もしかすると、この僕も、地球に1人になっていたりする未来の時代に設定され、友達でも欲しがっているのかもよ。だから、くしゃみをすることで、自分以外にも誰かがこの宇宙には存在して、自分を噂してくれていることを願っているのかも。題名が『孤独』だしね。  逆に、火星人は地球人に噂をされて、くしゃみをして喜んでいるんじゃない。自分達以外にも生命がいて、自分達を気にしている生物がいるって・・・。孤独は寂しいからね。みんな誰かに支えられているから、生活できるのさ」 森川先生のいろいろな解釈の仕方に、私は脱帽するほかなかった。 「で、強盗は?」 ミルクティーのお代わりは、何も言わなくても、森川先生が出してくれた。気配り名人なのだろう。 「2階の図書館の窓から、裏の立花さんの家が見えた」 「立花さんを知っていたのですか?」 「いいや」 「どうして?」 「家に入る時、表札で確認したのさ」 納得。 「では、知り合いでもないのに、どうして強盗だと?」 森川先生は、3杯目カフェオレを飲んだ。 「1階の台所と、居間、玄関、2階の部屋の4カ所に、ずっと電気がついていた」 「それだけ?」 「1階の台所の換気扇が回っていた。つまり、夕食を作っている人がいるということ。でも、その他に居間と2階の部屋にも・・・」 「家族が多いのでは?」 「立花さんは、夫婦2人で住んでいる」 「どうしてそれを?」 「家に自転車や自家用車がなかった。子供の遊び道具なども見あたらない。昨日は、老夫婦2人が、仲良く、散歩から帰宅した」 「息子夫婦とか・・・?」 「昨日、散歩から帰る時まで、家は暗かった。つまり、誰もいなかったということ。家に入った後は、玄関灯もつけていない。後から家に入る家族がいないということだ。  だから、今日は、第三者があの家にいた。玄関の電気がついていたから、誰かが、家に来たということ。お客さんであれば、居間、台所、2階に電気はつかない。玄関に来た人間が、立花さん達を拘束したため、台所の換気扇は回っていて、2階にいた人も取り押さえられた。犯人は、居間で何かを探していたのだろう」 「近所の人が、突然来て、玄関で長話とか、考えなかったの?」 「犬小屋の上に野良猫がいたのさ」 「野良猫?」 「そう、昨日、犬はあの犬小屋にいた」 「でも、散歩に行っているとか、今朝、突然、死んじゃって、犬小屋をまだ、片付けていないとか・・・」 「立花さんの家のシェパードは、犬小屋から鎖でつないであった。塀の上を歩く野良猫に対して、果敢に吠えていたよ。しかし、先ほどは、同じ野良猫が犬小屋の屋根の上を歩いていた」 「散歩中とか?」 「家に電気がついているのにかい?鎖は、犬小屋の中に入っていた」 「・・・」 「犬が眠っていたのさ。それも、野良猫が屋根を歩いても、起きないくらいにね」 「薬?」 「たぶんね」 「それで、助けに・・・」 「ああ、立花さん夫婦は、台所で拘束されていた。私があの家に入った時、居間を探した強盗は、台所で立花さん夫婦に刃物を突きつけていた」 「立花さんにケガは?」 「なかった」 「よく、無事で・・・」 「今回は、強盗が弱かったのさ」 「運がよいことで・・・」 「偶然さ」 「警察は?」 「話はしたよ。何かあったら、また、話を聞きに来るそうだ」 森川先生は、機嫌がよさそうだった。 「この人について行こうかな・・・」 初めて思った瞬間でもあった。それは、あこがれにも似ていた。  森川先生は、いつものように左手で眼鏡を直し、コーヒーカップを片付けた。これは、「もう帰って、宿題をしなさい」と、いう合図であろう。 「先生、今度はお願いが2つあるのですが・・・」 「それは、内容によるな・・・」 「1つは、今度の土曜日、図書館の2人を確認したいので、一緒にデートのふりして、その場所に行ってもらえますか?  2つ目は、私を天文学部に入部させてください」 私は真面目な顔をして話してみた。 「1つ目は、考えておく。2つ目は、すぐOKだな」 しかし、森川先生は困った顔をしていた。 私は部屋に戻ると、中学校の卒業記念に頂いた文化祭のCDを久しぶりに聞いた。森川先生から言われた事を考えながら聞くと、『二十億光年の孤独』の合唱曲も少し聞き方が変わってきた。  翌日、23日、金曜日。図書館で朝刊を見た。高校裏の強盗事件が詳しく載っていた。しかし、森川先生の名前は、1つもなかった。もちろん、私の名前も・・・。事件解決のきっかけは、近所の人の通報によるものとも・・・。  強盗犯は、立花さんが骨董を収集していることを知り、その骨董品を狙って家に入ったと記載してあった。計画的犯行だったと・・・。  私は、その足で地学準備室に向かった。 「名前が公の場所に出るのが苦手なんだ」  朝のカフェオレを飲みながら、森川先生は笑っていた。  24日、土曜日、私は森川先生と、郡山市立美術館の駐車場で、彼の車の中にいた。目の前には、片平先生の車が停まっていた。中には誰もいなかった。この郡山市立美術館の中庭には、「不思議の国のアリス」に出てくるようなウサギをモチーフにした物がたくさんあった。その中の一つのベンチに、とても高校3年生とは思えない大人びた星先輩と、とても社会人とは思えない若々しい片平先生が、手をつなぎ合って座っているのが見えた。 「確認終了、帰るか?」 森川先生は、あっさり話した。 「えーっ、帰っちゃうのですか、先生。せっかく郡山まで着たのに。どこかで、カフェオレとミルクティーでも飲んでいきましょうよ。今日は、私がおごりますから・・・」  森川先生は、その言葉に応え、静かに車をスタートさせた。先生のお奨めのコーヒー屋さんに立ち寄って、私はミルクティーとミルクレープをご馳走になった。  それから、図書館での私は2人をまともに見ることができず、自習に集中することになってしまった。片平先生は私に、全く変わりなく接し、朝はミルクティーを入れてくれた。森川先生も、相変わらず、司書室には朝のうちに現れることはなかった。大人ってこんなもんかと思った4月が過ぎ、今は緑々とした5月になろうとしていた。  でも、メールが出来るこの時代に、手紙をやり取りするなんて、変わった2人だなと思った。
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