109.第3話「グランドマンションの謎」

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109.第3話「グランドマンションの謎」

caebb2f3-9552-459a-b831-b680b060473e 5月の連休が終わった土曜日の昼下がり、私の住んでいるグリーンマンションの1階、レストラン&カフェ「アンダンテ」に、私はいた。それも、窓際にあるカウンターの一番奥の席で、丁度、目の前の窓から旧4号線の駅前の道路が見える席だ。なぜか隣には森川先生が座っていた。今、私はミルクティーを、先生はカフェオレを飲んでいる。昼食は、私がナポリタンで、森川先生がオムライス。これがなぜか、私と森川先生の土曜日の昼食のメニューになっていた。 この「アンダンテ」にはカウンター席が8席。旧国道が見える窓際に5席、その横のキッチン前に3席だ。その他にテーブル席が幾つかあり、午前10時から夜の10時まで営業している。こぢんまりとしたレストラン&カフェだが、常連客も多いらしく、いつも同じメンバーが、この「アンダンテ」に揃っている。マスターの西村貢さんは、年齢不詳の優しそうな男の人だ。私の推理からすると、だいたい30代前半くらい。お手伝いの渡辺さんは、それより大分若くて25才くらいで、今時の男性。しかし、私はこの渡辺さんとあまり話した事がなく、口数が少ない人だと思っている。  2人が「アンダンテ」を仕切っている。店の中には、観葉植物のパキラが1つ置いてあるだけ。しかし、手入れがなっているのか、いつも緑々しい色をしている。また、壁にはカペストリーが1つ飾ってあるだけの飾り気のない店である。このお店が人気なのは、コーヒーがおいしいというのと、紅茶の入れ方が上手だという事らしかった。実際、ミルクティーは森川先生が入れてくれる次くらいにおいしい。だから、食事をしないで、コーヒーや紅茶だけ飲みに来る人が多い。  常連さんも多いらしい。いつも私達が帰る頃に来る、近所の二本松楽器屋の主人である大河内鷹道さんは、決まって奥のテーブル席に座り、ナポリタンを注文する。大河内さんは、ここにある二本松市民オーケストラの団長をしていると、マスターの西村さんに聞いた。また、たまに来る若くて素敵な女の人は、キッチン前のカウンター席に座り、ブレンドのコーヒーを注文する。食事をする時もある。しかし、ここに来る時間はいろいろで、年齢不詳、職業不詳だ。今度、森川先生と、彼女の推理合戦をしようと思っている。  なぜか私と森川先生の土曜日は、2人でここに来て、それも、カウンターの決まった場所に座り、ナポリタンとオムライスを食べ、食後、私がミルクティー、先生がカフェオレを飲むという事になっていた。別に私達2人で決めたわけでもなく、気がつくと、そうなっていた。  私も土曜日の昼食くらい、自分で作らずに何かを食べたいと思って、最初にここのナポリタンを食べたのが、はまったのだ。しかし、他の食事はきちんと、平日に自分で作っているので、両親は心配をしていない。我ながら感心している。しかし、森川先生がどんな食事をしているかは、全く知らない。  私が森川先生を隣にして、土曜日の昼食をするのは、彼が私との会話で一切、学校の話をしないからだ。つまり、私からすると、彼は教師の匂いを感じさせない人と言える事になる。だから、毎週のように土曜日、2人で食事をしても、私は森川先生を嫌がらない。彼はどう思っているかは知らないが・・・。 今日の私達の話題は、「なぜ、このマンションに住むことに決めたか?」という事だった。 私達の目の前、つまり、旧国道4号線を挟んだ目の前にも「グランドマンション」という大きな建物が建っている。グリーンマンションより二本松駅に近い。家賃も同じくらいだ。建物自体の形は異なっている。私達が住むグリーンマンションはL字型の6階建てになっているのに対して、目の前のグランドマンションは、コの字型の11階建てになっている。建物のスペース自体は2つとも、四角形。グリーンマンション1階の空いている場所が駐車場になっているのに対し、グランドマンションは空いている所に木が植えてある。駐車場が地下にあるらしい。私としては、木が植えてあり、立派に見えるグランドマンションの方が良かったのだが、両親が1階に食べる所があるグリーンマンションを勧めたのだ。森川先生はというと、何と駐車場が地下にあるのが厭で、グリーンマンションにしたらしい。人にはいろいろ事情があるという事を知った。  私達のマンションは、二本松駅から北へ延びる100メートルぐらいの道が旧国道4号線にぶつかったT字路から北側の二本松神社の東側にある。つまり、神社と旧国道の西と南に建物が建っていてLの字になっている。「アンダンテ」と玄関は神社側、つまり建物の西側の1階にある。私は、その上の203号室に住んでいる。ちょうど、Lの曲がっている所だ。  国道側の壁にも、神社側の壁にも、窓が付いていている。西日が強くて、大変な日もある。  向かいのグランドマンションは、二本松駅から延びている道にコの字の空いている部分を向けている。したがって、旧国道側の並びが北側、そして駅から延びる道に平行して東側、それから南側に平行して部屋がある。このマンションと二本松駅の間には、二本松では珍しくホテルが建っている。玄関は、西のコの字の空いている部分から入るらしい。  そんな話をしていると、マスターの西村さんが話に割って入り、冷やかしが始まる。 「2人はいつ見ても、恋人同士のように見えますね」 「先生と生徒、禁断の恋。あこがれますね」  私達の間に何もないのを知っていて、更にからかい始める。このからかいが出始める頃が、この「アンダンテ」から逃げ出す時間だ。私は、いつも怒ったり、言い直したりしていたが、森川先生は全く気にせず、カフェオレを飲んで、外の風景を眺めたりしている。  今日も、マスターのからかいが始まったので、私と先生は会計を始めた。別々に支払いをしている。当たり前の事ではあるが・・・。 「今日、相談したい事があるので、このあと先生の部屋に行っていいですか?」 私は真面目に、森川先生に聞いてみた。 「何?安藤くん。恋の悩みか?」 森川先生は、冗談ぽく返してきた。 「残念ですが、違います。1つは私の事。そして、私の先輩の事と、今、私が推理をしていることです」 「そう。では、30分後に来てくれ。部屋を片付けておくから」 私達は2人で2階に上りながら、そう話し、203号室の前で別れた。   30分後、私は部屋の鏡の前にいた。先ほど、ジーパンから上着に合ったピンクのスカートにはきかえ、自分でミルクティーを一杯作って飲んでみた。やはり、他の人に入れてもらうミルクティーの方がおいしい、と思った。そして、髪を結い直し、少し緑がかったリボンで止め直した。そして、鏡を見た。 「完璧!」 自分で自分を見直した。  何も男の子とデートに行くわけでもないし、恋の告白をしに行くわけでもない、と思いながら鏡を見ている自分が照れくさくなった。多分、森川先生は今頃、カフェオレとミルクティーのために、お湯とミルクを沸かしているのだろうと、思った。  私は、自分の部屋を出ると、202号室の玄関のチャイムを鳴らした。玄関が開くと、まずコーヒーの薫りが私の心に漂ってきた。 「どうしたの、安藤くん。そんなに着飾って。これから誰か他の男の子とデートにでも行くつもりなの?」  玄関を開けた先生が最初に言った言葉だった。別に高校1年生の15才の女の子だもの、学校以外ではお洒落をしても・・・。そう言って、この人に通じるとは思わなかったので、私は、先生の言葉を無視した。 「おじゃまします」  私は、先生を追い越して、いつもの自分の席に座った。「いつもの」というと毎日、この202号室に来ているような事に勘違いされるが、4月にあった強盗事件の日から、なぜか先生と親しくなり、1週間に2、3日はいろいろな相談を話に来ている。とても美味しいミルクティーを、無料で飲ませて頂いている。  私専用のティーカップにミルクティーが出てきた。先生は、牛乳を温めて、紅茶の葉に入れ、それをカップに注ぐのが主義らしい。そして、砂糖は私が入れる。先生は、大きめのカップに半分程コーヒーを入れ、砂糖を2杯と冷たい牛乳を入れるのが主義らしい。カフェオレが冷たくなると、いつも私が言ってはいたが、猫舌なようで、熱い飲み物は苦手ならしい。人にはいろいろと主義主張があるようだ。棚には楽器を持った猫の置物が3匹いるし・・・。 「そのリボン、いい色だね」 「一応、先生が緑色を好きだと思って、気を利かせたんです。これだけ、部屋の中が緑色なら誰でも気が付きます。カーテン、テーブル、台所用品、トイレカバー、本棚などなど。それに極めつけは緑色のコンピュータ。よくこんな緑々しいところで眠れますね。もしかしたら、先生の血の色も緑色だったりして・・・」 「安藤くん。ケンカ売りに来たの?」 「違います。相談です」 「で、相談って何?安藤くん」 「それが1つ目の相談です」 「えっ、緑色の事?」 「違います!」 「じゃあ、何?」 「先生は私の事、『安藤くん』といつも呼んでいますよね」 「2人の時はね」 「クラスの人は、なっちゃんとか、なつとか呼びます。たまにドーナツと言われる時もありますけど・・・。  まあ、それは友達や同級生だからいいですけどね」 「逆に、私がそう呼んだら気色悪いだろ・・・」 「はい。でも、私と先生の時は『安藤くん』で、他に誰かいると、つまり3人以上になると、先生は私の事『安藤さん』に変わります。その『くん』と『さん』の違いは何ですか?」 「ああ、そういう事ね」 「そんな事を考えていると、夜、眠れないのです。もしかしたら、先生は私に2人の時、気を遣っているのかなぁとか思っちゃうと・・・」 「申し訳なかったね。あまり、意識はしていないんだけど・・・。安藤くんは、その理由を聞きたいの?」 「はい」 「理由を聞いて、怒らない?」 「多分」 「他の人があなたに向かって『安藤さん』と言うのを聞いて、どうしても私は、その言い方が『あん、象さん』に、聞こえてしまうのさ。つまり、『象さん』に・・・。  だから、意識して、安藤くんと2人の時はなるべく『安藤さん』より『安藤くん』と呼んでいるだけだよ」  今まで、「あんドーナツ」とか「ドーナツ」とか言われたことは多くあったが、「象さん」と言われた事はなかった。私は、頭の中で、「安藤さん、安藤さん」と繰り返し言ってみると、確かに「象さん」に聞こえないこともない。 「わかりました。1つ解決しました」 「これで、ぐっすり眠ることができますか?」 「はい。これからも、2人の時は『くん』付けで呼んでください」 「はい、はい」 「では、2つ目の相談です」 「はい、何でしょう?」 「これは、今のよりかなり深刻です。よく聞いてください」 先生は、私の顔を見ずねカフェオレを飲んだ。 「どうぞ」 「何日か前から、眠れない日が何日か続いて、夜中、ボーッと前に建っているグランドマンションを見ていたのです」 森川先生は緑のカーテンが閉じていて、窓の外が見えないのに、そのマンションの方を見つめた。 「そうしたら、何か変な事に気が付いたのです」 「何に気が付いたの?」 「約束があるのですけど・・・」 「何でしょう?」 「もし、先生が推理してわかっても、私以外にその内容を話さないと約束してください」 「大丈夫だよ。今までも、安藤くんからの相談事、他に話した事はないだろう」 「そうですね。先生は信用できます」  まさしく、その通りだった。森川先生は、口が堅い。それだけは、自慢できる。  森川先生は私のミルクティーが無くなったのに気が付き、2杯目を作って、持ってきてくれた。私は、それを一口、飲むと、今、頭の中でうごめいている謎を話し始めた。 「先生、あのですね、私達の、向かい側のグランドマンションなんですが、私の部屋の窓から、こちら側の棟が1階から屋上まで見えるんです。そして、毎晩、何気なしに見ていたら、何か変なことに気付いたのです。  まあ、4階から上はあまり見えないのですが、1階から3階まではほとんど見えます。逆を言うと、私達の部屋もあちらから丸見えなんですけど・・・。  それで、グランドマンションの北棟はそれぞれ3部屋ずつあって、2階から上はベランダが付いています。洗濯物とかは、多分北側なのでどの部屋も干していないけど、カーテンは閉まっていますが、明かりが付いているのは、見えるんですよ」 「それって、覗き趣味・・・?」 「違います!  ただ、ボーッと見ていただけです。そしたら、グランドマンションの北棟はみんな、ベランダに物置を置いてあることに気が付いたのです。多分、それが北棟の便利な所なのでしょう。洗濯物が南側に干せない替わりに、物置が付いているのです」 「それで、何に気が付いたの?」 「このグリーンマンションもそうですけど、火事の際にベランダから隣に逃げられるように、ベランダとベランダの間に破れる壁がありますよね」 「今の建築法ではそうだね」 「ところが、グランドマンションの3階の一番西の部屋と、その隣の部屋のベランダの間に、物置が置いてあるんです。まるで、お互いの顔が見えないように、そして、お互いの部屋やベランダを視るなというように・・・。今、そっと見てみますか」 私は立ち上がり、部屋の緑のカーテンを開けた。先生にその場所を示した。 「先生、ほら、あそこです。3階の3つ並んだ部屋の一番右の部屋と、その隣の真ん中の部屋です。その部屋の敷居の両脇に物置が置いてあるでしょ。他の部屋はみんな同じ方向に物置を置いているのに。お互い、来るなと言っているみたいでしょ」 森川先生は少しだけ、私の示したグランドマンションの方を眺めると、台所へ戻って、カフェオレとミルクティーを入れ直した。そして、緑のカーテンを閉めると、私も先ほどまでいた場所に戻った。 「どう思います?先生。どう考えたって、おかしいでしょう。他の部屋は、みんな同じ方向に物置が置いてあるのに。どちらかの部屋で、ケンカや殴り合い、殺人とかがあったりして・・・」 「安藤くん。考え過ぎじゃない」 「そうですか?でも、おかしいでしょう」 「世の中には、いろいろな人間がいるからね。それに、今、まだ4時だし、まだどちらの部屋にも人がいないようだし・・・」 「なぜ、いないと先生は言えるのですか?」 「どちらの部屋のカーテンも閉まっていた」 「先生のこの部屋だって閉まっていますよ」 「それは、私がこれから出かけるからです。この明るさで部屋の電気も付けず、厚いカーテンを閉めておくのは、人があの部屋にいない証拠です」 「先生、これから、どこに行くんですか?」 「内緒です」 「いじわる。デートですか?」 「ごめんなさい。それは違います」 「それじゃ、何ですか?」 「内緒です」  先生はカフェオレを飲み干した。 「ところで、安藤くん、その2つ目の疑問はどうしたいのですか?」 「それは・・・なぜ、あの3階の1つの部屋だけ、物置がくっついていて、いがみ合っているか心配なだけです。その理由が知りたいだけです」 「そんな他人のプライベートまで・・・」 「だって、先生は、他人のプライベート、たくさん、知っているじゃないですか。だから、推理すれば分かるかなって思って・・・。  私は何かこう悩み始めると、夜、眠れないのです。だから・・・」 「それじゃ、来週の火曜日まで考えてみよう。今日は土曜日だから・・・」 「今、推理できないのですか?」 「だから、今、出かけるの」 「その火曜日までの間に、殺人事件があったら、どうするのですか?」 「それは、ないと思うよ」 「先生、その根拠は何ですか?」 「それは、あのマンションの状態が、私がここに引っ越してきた時からあの状態だから、今すぐ何かなるとは思えないからさ」  私はまだやりきれない状態ではあったが、森川先生に無理矢理、部屋を出されてしまった。  週が変わって、約束の11日、火曜日になった。昼休み、私は森川先生が地学準備室にいるだろうと思って、顔を覗かせに行った。そして、地学準備室のドアを開けると、思った通り、先生はカフェオレを飲んでいた。 「失礼します」  地学準備室に入ると、先生はとても古い雑誌を読んでいた。先生は、雑誌を机の上に置くと、私にミルクティーを入れてくれた。 「先生、今日は約束の日です。推理できましたか?」 「推理という程、大した物じゃないよ」 「それじゃ、分かったのですね」 「9割ぐらいかな」  いつも、森川先生は、自分の推理を9割と表現する。    私は、地学準備室に森川先生の他に誰もいなかったので、先生の隣に椅子を持っていって、詰め寄った。先生が読んでいたのは、昔の「財界福島」という雑誌だった。財界や政界に疎い先生にしては、珍しい本を読んでいるなと思った。すると、先生はその雑誌を机の上に置くと、椅子から立って、窓際から外を見下ろした。二本松高校の一番北側校舎の2階にある地学準備室の窓からは、その下に弓道部の練習場が見える。 「熱心っていい事だね。この昼休みなのに、部活動をしている生徒がいるよ」  私も先生のそばに寄って、窓の下を見下ろした。すると、誰かが弓道の練習をしていた。 「すごいですね。昼休みまで練習なんて。それに比べ、天文学部は昼休みどころか週に一度の定例会も、最近、全員集まったことがありませんね。  目標ある高校生と、だらけた高校生と・・・。日本の行く末が心配ですね」 「安藤くん。とてもいい事を言うね。でも、そう言う安藤くんはどうかな・・・」 「私は昼休みにはきちんと図書館の貸し出し当番を行っていますよ。今日は特別ですが・・・」 私は、胸を張って言った。先生は再び自分の椅子に座ると、カフェオレのカップに手を伸ばした。 「で、先生の推理はどうなりました?」 「推理というものではないけど・・・。安藤くんは本当に知りたいの?」 「はい」 「世の中には、知らなくてよい事や、そっとしておいた方がよい事があると思うよ」 「でも眠れないのです。あの日からずっと。あの2つの部屋を観察しているのですけど、いつ事件が起こるかと思うと・・・」 「で、事件は起こったの?」 「いえ、全然です。たまにカーテンが開いたりしますが、誰が住んでいるか分からないのです」 「そうなんだ」 「先生は、約束を守るって言っていましたよね。是非、聞かせてください。私が熟睡できるように」 「それじゃ、今晩、私の部屋に来る勇気がある?夜の10時頃だけど。寒くなるかもしれないから、防寒着も持ってね」 「げっ・・・」  夜の10時に女子高生が、独身の男性の部屋へ・・・。乙女のピンチ・・・でもないか。今まで、チャンスはたくさんあったし、森川先生にとって、私は女としての基準をみたしていないかも・・・。 「そんなに遅く、訪問していいのですか?彼女とか、いきなり来たら大丈夫ですか?」 「彼女、いないから、大丈夫。心配しないでください」 「わかりました。完全防備でお伺いさせていただきます」  私は、地学準備室を出ると、校舎の北側の弓道場で練習する弓道部の弓音を聞きながら、図書館に向かっていった。  夜、9時50分、私は自分の部屋の鏡で、上下黒に着込んだ自分の姿を見て、「完璧」と思った。 「泥棒じゃん」  こんな格好で街を歩いたら、泥棒と間違われて、職務質問されて、逮捕されてしまうかもしれない、とも感じた。  隣の部屋に行くだけだからと思って、外に出て、202号室の前に立った。チャイムを鳴らそうとした瞬間、202号室のドアが勝手に開いて、いつもの顔が出てきた。 「そろそろかなと思って、開けてみました」  先生の横を通り抜けて、私は、いつもの席に座った。 「まるで、泥棒さんみたいですね」 「だって、目立たない格好でって・・・」 「まあ、そうですが・・・」 先生はいつもの温かいミルクティーを私に出してくれた。先生は勝手にカフェオレを飲み始めた。 「先生、それで、私の悩みは、解決できそうですか?」 「たぶん・・・」 「じゃ、なぜ、私はこんな格好で、外出禁止令が出そうな時間に・・・」 「私が話すだけなら、信用できないと思ったので、自分の目で実際に確認した方がいいと思って・・・」 「そうですか。で、どうなのですか?」 「本当は、安藤くんに相談された土曜日には、ほとんど予想が付いていたけど、少し確認する時間が欲しかったので、今日まで待ってもらったのさ」 私は、ミルクティーを飲んではいたが、今、全く何のことだか分からない自分に、いらだちを感じていた。先生は、私の事を分かったのか、推理を話し始めた。 「まず、あのグランドマンションの3階に住んでいる人だが、二本松高校の生徒だ。生徒名簿を持っていたので、実は、安藤くんに相談された時には、知っていたけどね」 「誰ですか?あそこの部屋に住んでいるのは?」 「3階の一番西の308号室に住んでいるのは、2年生の女子弓道部副部長の相原ひとみさん。で、その隣の307号室に住んでいるのは2年生の男子弓道部副部長の佐藤勇くんだ。今日の昼休み、地学準備室の北側で練習していた弓道部がいただろう。彼らだよ」 「分かりました。2人は、弓道部のライバルで、お互い腕を磨いているため、昼休みを惜しんで練習していたのですね。  たまたま住んでいる所が隣同士だったので、顔も見たくないから、物置でお互いベランダを遮断していたのですね。  そこまで、嫌ってまでのライバルなんて、高校2年生ですごいですね」 「安藤くんの推理はすごいね。とても飛躍するし、根拠がない」 「じゃ、私の推理が間違っているのですか?」 「いいかい。どっちみち、2人のベランダは防火壁で遮られている。何も物置を置かなくても、お互いの顔は見ることは出来ない」 「そうなんですか」 「それに、あの3階の南棟の302号室。つまり、丁度、佐藤勇君の真南には、男子弓道部の部長で3年生の相原学君が住んでいる。名字が同じで分かるように、302号室の相原学君と308号室の相原ひとみさんは兄妹だ」 「兄妹なら、同じ部屋に住めばいいのに。家賃が一回で済むし・・・」 「それが、できれば、今、安藤さんを悩ませているような事態にはならないと思うよ」 「それが知りたいのです」 「勇君もひとみさんも、2年生の先生に聞いたが、成績は学年でも、トップクラスだ。しかし、2人とも、二本松出身ではないのさ。二本松市の南隣の郡山市出身だ。それも、電車で通学もしていない。安藤くんと同じだが・・。そして、郡山一高でも郡山二高でも入学できる能力があり、授業についていける生徒達らしい。多分、その辺りが、この謎を解く鍵だと思って考えてみた」 「そうですよね。郡山市でも成績がいいなら、わざわざこの二本松まで来なくてもいいのに。それに、弓道が盛んな郡山の高等学校だって、たくさんあるし・・・」 「調べてみたが、相原学君は、安藤くんと同じ入学らしい」 「という事は、県立を落ちて、二本松高校のⅢ期入学ですか」 「そうだ。しかし、勇君とひとみさんは2人とも、Ⅰ期入学。つまり、スポーツ推薦らしい」 「弓道の・・・」 「そう」 「しかし、面白いのは、学君が年生の時、郡山の自宅から電車で通学していたらしい。しかし、妹がこの二本松高校に合格した2年生から、3人で向かいのグランドマンションに住むことになった。面白いだろう」 「それは、学先輩が、1年間、郡山から電車で通学するのが大変だと分かったから、2年生になって、妹も合格して、その大変さを分かって、二本松に暮らし始めたんじゃないですか?」 「なら、先ほど、安藤くんが言ったように、兄と妹、2人で住むだろう」 「そうですね・・・」 「で、ここからは、私の観察と考えだけど、勇君とひとみさんは、中学校から知り合いだと思う。中学校は違っていたようだが、大会などで顔なじみなんじゃないかな。というより、もっと深い関係だと思う」 「それって、付き合っているということ?」 「多分」 「なぜ、そう思うのですか?」 「2人が同じ高校をⅠ期で、それも地元でなく、マンション暮らしができる高校を選択したこと。同じマンションの隣同士に入居したこと。そして、2人の弓道の道具に同じお守りが付いていたこと」 「いつ、そんなお守り見たの?」 「まあ、それはいいから・・・。  で、あの物置さ」 「あれはいったい・・・」 「2人が付き合っていることを誰にも言えない理由があったのさ」 「なぜです。もう高校生同士ですから、堂々と付き合えばいいのに。そんなに、親同士が厳しいのですきか?」 「もっと、大変らしい」  先生はカバンの中から、昼休み、地学準備室で見ていた古い雑誌を取り出した。そこの雑誌の表紙には、「現代のモンタギュー家とキャビレット家」という見出しのゴシップが書いてあった。私がその雑誌のページをめくると、郡山の大地主で佐藤家と相原家の先祖代々からの争いが載っていた。それが、郡山市長選挙や土地勧誘、新幹線の誘致、高速道路の路線図まで影響していると書いてあった。そして、郡山市議会も、佐藤派と相原派に分かれているらしい、とも書いてあった。 「これは、今から10年前の『財界福島』という雑誌さ」 「よく見つけましたね」 「まあね。生まれた時から先生じゃないから、いろいろ、友達に聞いてみた」 「と言うことは・・・」 「彼ら2人は、あの郡山市を動かす程の旧家の出身。それも、二大勢力の子供達なのさ。そして、お互いの家は仲が悪い。今でもその関係は続いている。前の郡山市議会選挙も大変だったらしい。  相原家では、娘のひとみさんが佐藤家の嫡男の勇君にたぶらかされないか、慌てたらしい。それで、同じマンションにひとみさんの兄の学君を住まわせた。それも、同じ階で2人の玄関が見える部屋に・・・」 「でも、毎日、見ているわけでは、ないのでしょう」 「ところが、よっぽど、両家は仲が悪いらしい。日曜日のちょっと向かいのマンションを見てきたが、普通では分からない小型のビデオカメラが、2人の玄関を24時間、監視していた」 「先生、そんなカメラどうやって見つけたのですか?先生は、先生になる前、何をやっていたのですか?」 森川先生は、私の言っている事を無視して、話を続けた。 「そこで2人は考えた。玄関がダメなら、ベランダからお互いの部屋に行き来しようと。でも、こちらのマンションから見張られているかもしれないと、相原さんの物置をずらして、勇君の方に近づけた。そして、お互いの物置の接する壁に穴を開け、行き来できるようにしたのさ。2人の愛を確かめ合うために・・・」 「そのための物置だったのですか?」 「そうらしいね。その確認のために、今日、こんな時間に安藤くんを呼んだ。今の話だけでは納得しないと思って。  では、見てみようか。10時過ぎに下の『アンダンテ』の明かりが消えて、向かいのグランドマンションが見づらくなるから・・・」 そう言うと先生は部屋の電気を消した。そして、姿勢を低くして、カーテンを静かにどけ、ベランダへのドアを開け、ベランダに出た。私も先生の後を追った。でも、これではまさしく覗きではないかと、思った。ベランダに出ると、そこには、最新式の天文学部の天体望遠鏡が準備してあった。 「先生、これ完全に覗きですよ。それに、この天体望遠鏡、学校のじゃないですか」 「私は天文学部の副顧問だろう。それにこれは、安藤くんの依頼だろう。やめるか?」 「いいえ」 仕方がないので、言われるままにベランダに背を低くしていた。先生は、望遠鏡を覗いた。少し経つと、先生は私に望遠鏡を覗くように言った。私は言われるまま、望遠鏡を覗いた。 「まず、部屋のベランダの上に糸のようなものがあるだろう。あれは、多分、お互いの電話かチャイム線だ。2人でどちらかの部屋にいる時、電話かチャイムがなった時、すぐ対応できるようにしているんだ。携帯じゃ無理だからね」 「なるほど」 私は感心してしまった。 「防火壁をよく見てごらん。壁枠だけで、中身がないだろ。物置の中から行き来、できそうだろう」 「そうですね。この天文学部の望遠鏡だと、よく分かります」  相原先輩の方のカーテンが動いた。 「先生、カーテンが・・・」 「分かっている。多分、相原さんが佐藤君の部屋に移動すると思う」 先生はいつの間にか双眼鏡を別に持っていて、見ていた。  相原先輩のカーテンが揺れたと思ったら、そのベランダの裏のドアが開いた。姿は見えなかったが物置に入ったのが分かった。その後、勇先輩の部屋のドアが開き、その裏のカーテンが動いた。勇先輩のカーテンに2つの影が映った。 「安藤くん、もういいだろう。確認できたろう?」 「はい」 「では、確認終了。10時36分。じゃ、部屋に私達も帰ろうか」 そう先生は言うと、私の手をひいて、部屋に戻った。 「先生、相原先輩が戻るまで張り込みしないのですか?」 「そうしたいの?安藤くんは?」 「そういうわけじゃ・・・」 「安藤くんは朝までこのベランダにいるつもり?」 「あの2人は朝まで2人でいるのですか?」 「あそこまで苦労して会っているんだ。朝まで2人でずっと誰にも邪魔されないでいても、いいじゃないか。外では会えない2人だから」 「先生、いいのですか?あれって、半同棲ですよ」 「いや、同棲だ」 「高校2年生ですよ」 「愛に年齢は関係ない。お互いのハードルが高い程、2人は愛し合えるじゃないか」 「注意するのですか?」 「最初に、他に話すなと言ったのは安藤くんだろう。だから、安藤くんにしか話さないよ」 「生徒指導の国松先生なら、速攻で廊下に正座ですよ」 「私は生徒指導の係じゃないからね」 「彼らは今後どうするのでしょう?心だけじゃなくて、体だって結ばれていますよ。たぶん・・・」 「多分ね」 「でも、2人の家を考えると、2人が可哀想ですね」 「時代というのは、流れているからね。先ほどの『財界福島』という雑誌も10年も前のものだ。彼らが大人になる頃には、世間や周囲の環境が変わっている事を祈りましょう。現代の『ロミオとジュリエット』のようにならないように。佐藤家だって、相原家だって、2人が死ぬことは期待してはいないはずだからね」 「森川先生も、たまには、いい事を言いますね」 「好きになっては、いけない人もいる。出会ってしまっては、いけない相手もある。しかし、2人は出会って、好きになってしまった。障害が高いほど、乗り越える力は必要だし、そのように目標を定めたからには、その障害を乗り越えた時の充実感が素晴らしいと思いますよ。2人は若い。時代の流れを変える力は十分持っているはずです。時代、時代に合った物を取り入れ、合わなくなった部分を捨てていく。だから、伝統は現代まで生き続けるのさ。時代に合わず、その時代に乗れない物は、その時点で消えていく。彼らが時代の波を乗り越え、伝統を変えていくことを期待しましょう」 「なんか、今日は先生が、哲学者のように見えますね」 「そうですか?」 「私も今日、ここに泊まっちゃおうかなぁ?」 私は冗談で言ってみた。 「男は狼ですよ」 「食べられたい日もあるのです。女の子には・・・。  それに、もうすぐ、起きる時間だし・・・」 「身の危険を感じない女の子ですね」  私、安藤なつは、生まれて初めて男性の部屋に泊まってしまった。  泊まったと言っても、別に先生と一夜を共にしたわけでもないし、眠ったわけでもない。ただ、朝の5時くらいまで、2人でカフェオレとミルクティーを何杯も飲みながら、話していた。手も握らず、ベッドにも横にならず、・・・。  しかし、向かいのグランドマンションの307号室を考えると、何かこう・・・。    私は、翌日、12日、水曜日の学校で、何度か居眠りをして、先生方に怒られた。もちろん、数学の授業中まで・・・。原因を分かっているのに、文句が来た。 「徹夜の勉強したのか?」 「悔しい!」  昼休み、地学準備室を訪れてみると、森川先生は、ずっと眠っていた。その地学準備室の北側の弓道場では、相変わらず、2人が弓道の練習する弓音が聞こえていた。お互いにライバルとして練習することも、彼らにとっては一種のデートなのだろう。でも、よく眠くないなとも思った。そんなに、恋をするって素晴らしい事なのだろうか?私はいったい誰に恋をするのだろう?  15歳の今の私には、まだまだこれからのように思える、5月の昼休みだった。
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