112.第6話「なつのアルバイト」

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112.第6話「なつのアルバイト」

5d1ff542-aa05-4ca5-b437-2f91b383d4f7 「ねえ、なっちゃん。お願いがあるの」 お盆が終わって、二本松市に帰ってきた私は、8月16日、月曜日、清水美咲から呼び出され、グリーンマンション1階の「アンダンテ」に来た。  清水美咲は、この二本松高校に入学するため、吹奏楽部の推薦入試でクラリネットを演奏した。そして、1年生から吹奏楽部のレギュラーとしてコンクールに出場している同級生だった。私は、自分と同じ、クラリネットを演奏していた事もあり、私と美咲は、すぐに友達になっていた。  アンダンテで私と美咲とレディーストークをしていた。 「この暑い時に、なっちゃんはよく熱いミルクティーが飲めるわね」 美咲は、冷たいアイスコーヒーを飲みながら、「お願い」と一緒に話し掛けてきた。 「それで、美咲のお願いって、何?」 肩のないタンクトップの服に、短めのスカートをはいた美咲に尋ねる。 「吹奏楽部の先輩が、森川先生に惚れちゃったみたいなの」 私は、そろそろ、そんな高校生が出てくる頃だと思っていた。 「それで、私が1年2組なので、『担任の森川先生に手紙を渡して欲しい』と、って頼まれたの。  でも、私よりなっちゃんの方が、森川先生につながりがあるから、先輩からの手紙、渡しやすいかなと思って・・・」 「何も、美咲が渡せばいいじゃない。お盆が終わったから、森川先生、学校にいると思うよ。それに、お昼は地学準備室で寝ていると思うから・・・」 「でも、私がいきなり渡すより、なっちゃんの方が、スムーズに行くかなと思うし・・・。なっちゃん、天文学部でしょう、図書部でしょう、どちらも森川先生が副顧問でしょう。それに、住んでいる所、同じでしょう・・・。  なっちゃんの方が、私より森川先生と話す機会が多いと思うし・・・」 美咲は私に封筒を渡した。封筒の裏には、「奥村留菜」という名前が書いてあった。 「奥村留菜って、美咲の先輩?」 「そう、私と同じ、クラリネットのパートの3年生」 「わかった。仕方がないから、森川先生に渡しておくわ。美咲、1つ貸しね」 「ありがとう、なっちゃん。そう言ってくれると思っていたわ。持つべきものは友ね」 「それだけ?」 私が空になったカップを見つめて尋ねる。 「もう1つあるの」 「もう1つ?」 私が美咲を見る。 「うちの近所にお金持ちのおばあちゃんが住んでいるの。漆原登志子さんという方」 美咲は、アイスコーヒーを飲みながら、話してきた。 「そのおばあちゃんが、アルバイトをしてくれる高校生を捜しているの」 「美咲がやればいいじゃん」 「それがね、部活に入っていない子がいいって・・・」 「それで、私に話にきたの?」 「そう」 「バイトの内容は?」 「まだ、聞いていないけど、1日、1万円のバイト」 「ヤバイ話じゃないの?」 「でも、依頼人がおばあちゃんよ」 「どんな種類のバイトかも聞いていないの?」 「うん」  私は、美咲と一緒にそのおばちゃん、漆原登志子さんの所に行くことになった。  暑い街中から離れ、美咲の家の近くに来た。 「あの大きな門が見える家が、漆原さんの家なの」 明らかに、お金持ちとわかるような家だった。最近では見ることが出来ないような門構え。そして、その奥に見える2階建ての瓦屋根が、私の目に焼き付いた。  門をくぐって、家の中に案内された。和風の家は、大きいとしか言えなかった。風通しの良い縁側に通された。縁側には、大きな藤で出来た椅子が3つ置いてあった。私と美咲は、その椅子に座った。若い女の人が、私達に、麦茶を出してくれた。 「奥様は、今、参ります」  美咲と2人だけになった。 「お手伝いさんがいるんだわ」  庭は、日本庭園だった。これも、小説の中でしか見たことのないお庭だった。私は、目の前に広がった日本庭園を見つめ固まっていた。 「これ、ハーブティーだわ」 美咲が麦茶だと思って飲んだのは、ハーブティーだった。私も、グラスを取って、口を付けた。今まで味わったことのない味がした。 「お待たせしてすみません」 奥から、女の人の声がした。襖を開けて入ってきたのは、着物を着た女の人だった。とても柔らかい顔をしていた。その女の人は、私達の前に椅子に座った。 「お邪魔しています」 私と美咲は、声を揃えて言った。 「あなたが、安藤さん?」 「はい」 「私は、漆原登志子です。年は、60を越した時から、数えていないわ」 漆原さんは、そう言うと、若い女の人が持ってきたハーブティーを飲んだ。 「漆原さん、彼女が、先日、話したバイトのことを聞きたいと・・・」 「そうなの。引き受けて頂けるの?」 優しい声だった。 「どのような内容のバイトでしょうか?」 「優しいことよ」 漆原さんは、そう言って、日本庭園を眺める。 「犬の散歩をお願いしたいの」 「犬ですか?」 「そうなの。少し大きい犬を飼っているの。でもね、私が年ということもあり、なかなか、散歩に連れていることが、大変になってきたの。だから、誰かいないかなと思っていたのよ・・・」 「部活をしていない人という限定は?」 「それはね。今の季節、暑いでしょう。だから、朝と夕方の涼しい時間に散歩をして頂ける方を捜していたの。以前、他の人に同じバイトをお願いしたら、その方、部活に入っていて、朝の練習や放課後の練習で、私の思っている時間にバイトが出来なかったから・・・」 「その時間は?」 「朝は、6時30分。夕方も6時30分なの・・・。早起き出来る?」 「それなら、大丈夫です」 「毎日よ」 「はい」 「まずは、1ヶ月、お願いしようかしら?」 「大丈夫だと思います」 「今まで、犬を飼った経験は?」 「ありません」 「2匹いるから、ゆっくりで構わないわ。  それに、散歩コースだけど、家を出て、お城の前の道を歩いて、二本松西小学校の前の交差点を渡って、久保丁の坂を上って、二本松北病院のお庭で、休憩。たぶん、そこまで犬を2匹、連れていくと、疲れるから・・・。そして、帰りは、その逆のコースで戻ってきてね」 私は、そのコースを思い描いた。普通に歩けば、20分はかからない道のりだ。まあ、犬を2匹と途中の休憩で30分。十分な時間。まあ、途中の上り坂が大変だが、毎日、高校に通っていることを考えれば、キツくは、ない。 「大丈夫だと思います」 「それでは、契約成立ね。バイト代は、1日1万円。お金は、毎週土曜日の午後の散歩が終わった時に手渡すわ」 「そんなにお金が多くて、大丈夫ですか?」 「いいのよ」 「大変な犬とか?」 「噛まないように仕付けてあるわ」 「そうですか?」 「明日の朝からでいい?」 「はい」 私は、連絡先の電話番号を書いた。 「犬を見ていく?」 「はい」 私たちは、立派な日本庭園に出た。しかし、犬は玄関の近くで飼われていた。2匹の犬は、大きいシベリアンハスキーだった。私と同じくらいの大きさだった。 「真っ白な方が、シュージー。茶色がかった方が、リーフ」 大きな犬小屋は、新しかった。2匹が食べたと思われたエサの入った器は、綺麗に空になっていた。 「これだけ、綺麗に食べれば、大きくなるわ」 私は、美咲と2匹の犬を見たあと、漆原さんの家を後にした。 「あの犬、危険なのかなあ。1日、散歩2回で、1万円だなんて・・・」 「私が、吹奏楽部に入っていなかったら、私がやっていたわ」 美咲は、自分の家に帰って行った。  翌日、17日、火曜日。私は少し早起きをして、漆原さんの家に向かった。暑いことも考えて、Tシャツに短パン、タオルを持った。  6時25分前に漆原さんの家に着いた。すでに、門の前で、彼女は待っていた。 「時間通りね。そういう方、好きよ」 漆原さんは、私にビニール袋とシャベルを持たせた。  私は、犬の散歩は初めてだったので、2匹の犬を操ることが大変だった。それでも、犬はこの散歩コースに慣れていると見えて、動きはスムーズだった。坂道も犬が率先して歩いてくれた。歩道から車道に飛び出ることもなかった。二本松北病院までの道のり、すれ違う人がみんな、大きな犬と同じくらいの私を振り向いて見ていた。少し、恥ずかしかった。シュージーとリーフは、二本松北病院の庭でも、大人しく休憩してくれた。私は、そこで10分の休憩をした。    同じ道を通って、漆原さんの家に戻った。私は、玄関の中に犬に引き寄せられて、入ってしまった。すると、玄関近くにある大きな犬小屋のそばで、漆原さんは、犬の朝食を準備していた。 「ご苦労様。大丈夫でしたか?」 紐を彼女に渡した。 「大丈夫でした」  2匹の犬は、朝ご飯を食べることに夢中になっていた。私は、2匹の犬が朝ご飯を食べ終わらないうちに、漆原さんの家を出てきた。 「毎日、晴れてくれたらいいな。雨の日は大変かも・・・」 そう思いながら、マンションに向かった。あまり運動をしたことがなかったので、私は少し疲れていた。その日、久し振りに夏休みの高校に行った。  3年生は既に、大学入試対策の補習という事で、午前中から3年生の各学級で行っていた。それで、音が出る合唱部や吹奏楽部、ジャズ研究会などの活動は、午後からの活動に限られていた。  吹奏楽部の県大会は、8月の上旬に終了して、3年生にとって、あとは定期演奏会を残すのみとなっていた。 「演奏会が近いのに、午後しか練習できない」 合唱部の生徒は、嘆いていた。  美咲達、吹奏楽部員は、夏休み、午後の練習をしていた。校門を入ったところで、美咲に声を掛けられた。 「散歩、大丈夫だった?」 「大丈夫」 「手紙の方は?」 「まだ、渡していない」 「よろしくね」 「美咲、これから部活?」 「ええ」 美咲は、クラリネットのケースを持って、音楽棟の中へ消えていった。  残暑も長く続き、まだ熱いアスファルトを照りつけ、「夏休み、クーラーもない教室で補習をしている3年生は大変だな」と、思ったが、2年後に私もあのような補習をしなければいけないと思うと、今からげっそりだった。  森川先生も、数学の補習の手伝いで、3年生の数学の補習に借り出されていた。教師という職業も大変だな、と思った。今頃、冷房のない教室で教えているのは・・・。  夏休み中、吹奏楽部の1、2年生は午前中、音が漏れない視聴覚室で無理に練習していた。視聴覚室の担当の先生と、吹奏楽部の部長と顧問の皆川友美先生が交渉したらしい。でも、打楽器の人は、大きな打楽器を視聴覚室に持っていくことが大変らしく、小物や机を叩いて練習している、という事だった。  大会が近づくと、合唱部と吹奏楽部は、音楽室などの練習場所の取り合いで、大変らしい。「何か面倒くさい・・・。やはり、吹奏楽部に入部しないで正解だったかも・・・」と、つくづく感じた。  私は、冷房の効いている図書館に向かった。2階の図書室では、まだ3年生が教室で補習を行っているからか、自習をしている人が、1、2年生に限られ、図書館にいる人数が少なかった。  司書室に入ると、司書の片平月美先生が冷たいミルクティーを出してくれた。 「久しぶりね、なっちゃん」 「はい、私の両親が、福島市に帰ってこいってうるさくて、お盆の間、福島市に帰っていました」 「そうなの。でも、久しぶりに甘えることが出来たじゃない。自分で料理や洗濯しなくても良かったじゃないの」 「はい、そうですね。少し楽をさせてもらいました。片平先生は、この夏休み、どうだったのですか?」 「内緒です。大人ですから・・・」 「わかった。彼氏とデートですか?」 「じゃ、そういう事にしておいて・・・」  私は、そんな事を聞いて、失敗したと思った。なぜなら、片平先生の彼氏、星高陽先輩は、この夏休み、大学進学の受験対策で、ずっと夏期講習に参加し、今は補習で学校に来ているはずなので、片平先生が星先輩とデートなんかする余裕なんかないと思った。  私は、片平先生の胸に新しい星形のペンダントが光っているのを発見した。でも、星先輩に、「片平先生にペンダントのプレゼント、あげましたか?」なんて聞けないし、まして片平先生に聞くこともできないし・・・。  これは、森川先生の推理でも、お聞きしようかと思った。美咲から渡された手紙を渡さないといけない事もあるし・・・。  ミルクティーを飲み終わり、私は、カウンターで夏休みの課題を行った。  夕方、犬の散歩に間に合うように、マンションに帰った。夕方の散歩も、朝と変わることは何もなかった。ただ、疲れが増しただけだった。  何日かが過ぎた。雨も降らず、土曜日には、きちんとバイト代が入った。  ところが、バイトを始めて1週間とたたない22日、日曜日。夕方の散歩の時、漆原さんが姿を見せなかった。変わりにお手伝いさんが、犬を私に預けてくれた。散歩が終わった時も、漆原さんの姿はなかった。    翌日、23日、月曜日の朝。漆原さんは、少し、微笑んで待っていてくれた。犬の散歩を終えて、漆原さんの家に着いた。 「これ、今までの分」 漆原さんが、封筒に入ったバイト代を私に渡した。 「今日で、バイトを終わりにしてくれない」 「私、何かしましたか?」 「いいえ、何もしていないわ。私の方の都合なの」 私は、それ以上追求しなかった。しかし、何か靄のようなものに包まれた感じがして、後味が悪かった。    美咲にメールをした。 「バイト終了」  美咲に、今日の部活前に会う約束をした。  高校の図書室は、やはり、私にとって居心地がいい。カウンターで、少し眠りにつきそうだった時、美咲に声を掛けられた。 「なっちゃん、ヨダレ」 「まだ、眠っていません」 「バイト、辞めたの?」 「違う。漆原さんから、『終わり』って言われたの」 「何か、悪いことしたの?」 「何もしてない。先方から一方的に」 「それじゃ、仕方がないね」 「調子に乗ってきたのにな・・・」 私は、数学のノートをたたんだ。 「ところで、なっちゃん、どうだった?」 「どうだったって?」 「手紙よ」 「まだ、森川先生に会ってもいないよ」 「なーんだ」 「それより、今週の土曜日、夕方から美咲、時間、空いている?」 「何で?」 「いつも森川先生、土曜日の夕方、6時っていうと外出するの。別に見張っているわけでないけど、そこに森川先生の何かがあるような気がするの。本当なら、犬の散歩の時間だったけど、なくなったから・・・。  探偵のように尾行してみようと思うの。でも、1人じゃ少し恐いから、美咲も一緒にどうかなって・・・」 「面白そうね。手紙の借りもあるから、いいわ。今週の土曜日の吹奏楽部の練習は、午前中だから、午後5時30分になっちゃんのマンションに行く。だから、着いた時、メールするね。それまで、手紙、よろしくね」 「はいはい、わかりました」 「何か、なっちゃん、森川先生の話し方に似てきたね」 「そう?」 「『はいはい』って、森川先生の癖だよ。移ったのかな・・・」 「・・・」 私は美咲に返す答えが見つからなかった。  私は吹奏楽部が終了するのを待って、美咲と待ち合わせて、途中まで帰り、二本松西小学校の前で別れた。私は、本町地区の坂から南側へ向かった。そして、美咲は、そのまま西の若宮地区の自宅へ向かっていった。  私は、暑い中、坂道を歩きながら、今週末、探偵になるべく、計画を練りながら歩いていった。  週末、28日、土曜日のお昼。グリーンマンション、1階のレストラン&カフェ「アンダンテ」のいつものカウンター席で、私はいつものように森川先生と昼食のナポリタンとオムライスを食べていた。 「先生、今日の午後、空いていますか?」 「どうしたの?何かまた、悩み?」 「まあ、そんなものですかね・・・」 私は曖昧に答えた。 「私は、5時くらいまでなら空いているよ」 やはり、夕方5時以降は何かあるらしい。 「相談があるので、昼食後、お伺いします」 森川先生は、右手の腕時計を見た。 「それじゃ、午後1時くらいではどう?」 「OKです」  それから、先生はカフェオレを、私はミルクティーを飲んだ。マスターの西村貢さんはいつも、私達がナポリタンを食べ終わる頃に、注文していないのに、出してくれるのだ。  丁度、ミルクティーが出る頃、カウンターの一番奥の席には、いつもの若い女の人が座りにくる。 「先生」 「何でしょうか?」 「あのカウンターの若い女の人なんて、先生の趣味ではないですか?」 「彼女も常連さんらしいね。でも、彼女は私に興味を示していないと思うよ」 森川先生はそんな事を気にもとめないというように、会計を済ませ、私と2階の部屋に戻った。  午後1時には、私は美咲から預かった手紙を持って、202号室で森川先生の作ったミルクティーを飲んでいた。そして、森川先生は、今、台所で自分のカフェオレを作っている。そして、大きなカップを持って、私の前に座った。 「で、相談って何?」 「まずは、先生に3年生の先輩から手紙がきています」 「・・・」 私はそっと、森川先生に奥村先輩からの手紙を手渡した。 「森川先生にアンケートもあるので、答えてください」 私は、美咲が奥村先輩から預かった手紙の内容をまとめた用紙を取り出した。  鉛筆を取り出すと、先生の答えを記入する準備をした。先生は、一応、先輩からの手紙の中身を取り出し、その内容を読んでいた。  手紙の中から奥村先輩の写真が床に落ちたが、私は気が付かない振りをしていた。先生は、あっという間に手紙を読んで、ハガキ入れにその手紙を案の定、早々としまってしまった。 「このアンケートに答えないといけなかったのかい。手紙、しまっちゃったよ」 「早々と手紙をしまってしまうと思って、一応、アンケートはメモしてきました。答えてください。  美咲経由に頼まれ事なので、断れなかったのです。私が質問しますから、先生はアンケートに答えてください。面倒くさがりの先生の替わりに、私が代わりに書きますから・・・」 「小学校みたい・・・」 「少しの間ですから。氏名は森川優ですね。生年月日は?」 「2月29日」 「昭和何年生まれですか?」 「忘れた」 「年齢?」 「不詳」 「出身高校は?」 「福島高校」 「大学は?」 「二本松大学」 「家族構成?」 「1人」 「実家は?」 「福島市」 「好きな食べ物?」 「果物。特に枇杷」 「好きな動物は?」 「猫」 「苦手な動物は?」 「ノラ猫」 私はそこで、手を止めて、分からない答えに質問した。 「森川先生、好きな動物が猫で、苦手な動物がノラ猫って、どういう意味ですか?」 森川先生は、頭の毛を左手でかいた。 「家にいる猫は大丈夫だけど、ノラ猫には、ネコダニがつくだろ。私は、そのネコダニのアレルギーなのさ。だから、ネコダニが付いている猫、特にノラ猫は触るだけで、皮膚が赤くなったり、かゆくなったりするんだよ・・・」 「それは、アンケートの答えには、書かないでおきますね」 森川先生には、まだ私が知らないことが多いと思った。 「森川先生、質問を続けていいですか?」 森川先輩はあまり興味なさそうだった。 「ああ」 「趣味?」 「寝ること」 「特技?」 「どこでも眠れること」 「好きな飲み物は、カフェオレですね」 「そんなもんかな」 「現在の恋人?」 「いない」 「好みの女優?」 「わからない」 「過去に付き合った女性の数?」 「忘れた」 「好きな女性のタイプ?」 「優しい人。いじめない人。そして、ホッとできる人」 私も、段々、小学生じみた質問に飽き飽きしてきた。 「先生、最後の質問です。女子高校生と付き合えますか?」 「無理」 「以上です。アンケートのご協力、ありがとうございました」 「あまり、小学生と変わらない質問だね」  私は、メモした用紙をわざと先生に見えるようにしまうと、温くなったミルクティーを一気に飲み干した。 「先生、片平先生が首に星形のペンダント、していたのですけど、それって、やはり星先輩からのプレゼントですかね?」 「それが、2つ目の質問?」 「まあ、そうです・・・」 「あまり、他人の事に首をつっこまない方がいいぞ。そっとしておいたら・・・」 「そうですか?」 「でも、2人で夏休み、ディズニーランドに行って、そこで買ったのだろう」 「えっ、なぜ、そんな事、わかるのですか?先生、片平先生に聞いたのですか?」 「今日は、自分で考えなさい」 「時々、森川先生、意地悪になるのですね」 「ヒントは図書館の司書室にあるよ」 「分かりました。後で、推理します。でも、先生はいつ、図書司書室に行ったのですか?」 「今日、安藤くんが帰ってから・・・」 「ちょっと休憩」 緑色のビーズのクッションに横になり、天井を見つめていた。私は、先生と同じ格好になれば、何か推理できると思い、座っている場所を移動し、森川先生と同じクッションに横になった。先生と同じ視線の方向を見つめた。 「女子高生が、そんなに男の人の近くに寄っていいの?」 森川先生は天井を見つめたまま、ボソッと言った。 「先生、高校生なんて、もっとすごいのですよ。私のように、奥手ではないです。先生方が遅れているのです。多分、二本松高校にいる女子の先輩の半数は・・・」 「女子の半数は何だって・・・?」 「何でもないです」 私は少し顔を赤くしてしまった。そんな事を私が発言するなんて思ってもみなかった。 「先生とは3㎝くらい離れています」 「誰が見ても、恋人同士のように見えるぞ・・・」 「玄関のドアに鍵がかかっているので、誰も来ません。先生と同じ格好になれば、推理できるかなぁと思って・・・」 先生の体温がわかる程、自分が森川先生の近くにいる事はあきらかだった。「奥村輩から、森川先生への手紙の嫉妬かな」と、思った。  森川先生の気が変わり、いきなり私の上に覆い被さってきたら、私は果たして抵抗するのだろうか?それとも、何もしないで、そのまま受け入れてしまうのだろうか?そんな事を考えると頭の中がぐらぐらしてきた。  横目で天井を見つめている森川先生を見てみた。森川先生は全くそんな気はなさそうだった。そうよね。私を押し倒す気なら、もうとっくに押し倒されているし、私には女を感じていないようだし・・・。私は、少しふてくされてしまった。  気が付いた時には、驚いた。私はいつの間にか私は、眠っていたようだった。それも、森川先生の隣で・・・。  服装には乱れはないし、何もされていないようだった。時計を見ると、4時を少し過ぎていた。 「安藤くん、やっと起きたね」 「やはり、私、眠っていましたか?」 「はい、ぐっすりと・・・」 「先生は?」 「少し考え事をしていました」 「私、どのくらい、眠っていました?」 「1時間くらいかな・・・」 「何か寝言、言っていましたか?」 「何も・・・。可愛い顔で寝ていましたよ」 「早く、起こしてくれれば・・・」 「安藤くん、バイトで疲れていそうだったから、そっとしておこうかなって・・・」  先生は台所に行って、冷たいカフェオレとミルクティーを作って、持ってきてくれた。 「私、バイトの話、先生に話したかな?」 自分の心に聞いてみた。話した記憶がない。先生は、元と同じ場所に座り、私と並んで座った。私は森川先生と肌を付ける感じになってしまった。とても緊張した。心臓がドキドキした。何も言えなかった。ミルクティーも飲めなかった。 「相談は終わり?」 先生の質問は、私の緊張を解いてくれた。私は我に返り、何を相談しにこの部屋に来たか、思い出した。 「そうでした。3つ目の相談です。  隣の人が何をしているか分からないのです。既に、半年経つのに・・・」 「204号室?」 「それもありますが、エレベータの向こう側なので、あまり、気にしていません。  私が気にしているのは、201号室の人です」 「それが、何か気になるの?」 「本当の事を言うと、誰が住んでいるか、よく分からないのです。たまに出入りする人物を見るのです。  つまり、この202号室の前を通るってことは、201号室に行くって事ですよね。しかし、201号室には表札も出ていないし、いろいろな人が、この202号室の前を通るのです。男の人や女の人。たまには何人かで・・・。それも、その時によって、いろいろなのです。荷物を持った人もいたりして。先生も私と、ここに同じ時期に引っ越した訳ですから、隣の人、どう思いますか?ご存じですか?」 「安藤くん、観察力が冴えてきているじゃないか。そこまで分かっているなら、あとは推理力だけだよ。安藤くんなら自力で解けると思うよ」 「やはり、今日の先生、意地悪ですね」 「そんな事ないよ。安藤くんの観察力の成長を喜んでいるのさ」  そこでまた、森川先生の体温を感じてきた。今日、長い時間、この部屋にいたのでは、自分がどうにか、なりそうだったし、美咲との約束もあった。それで、私は先生にお礼を言って、自分の部屋へ戻った。  美咲は時間通りにグリーンマンションに来た。美咲に早速、森川先生のアンケートを渡した。時間まで、2人で吹奏楽の話をして過ごした。  私の心は、片平先生のペンダントと201号室の住人の事、そして、森川先生への自分の気持ちが合わさって、もやもやとしていた。  午後5時30分、2人で帽子をかぶり、ジーパンに黒っぽい上着を着て、二本松神社の入り口で、森川先生の出発を待った。 「ねえ、どう見ても怪しいよ。挙動不審で警察に職務質問されそう」 「だって尾行でしょ。目立ったら困るじゃん、なっちゃん」 そんな事を話していると、手提げカバンを持った森川先生がマンションから出てきた。先生はそのまま、二本松駅前の旧道を安達地区方面へと歩いていった。私達は真っ直ぐ続く道を、先生に見つからないように尾行した。 「高校に行くのかな?」 「あのね、美咲。先生は、高校へ行く時、この道を通らないで、別な道を近道するの。だから、高校に行くわけじゃないと思う」 私が美咲に説明している間にも、先生の影は遠ざかっていく。先生は、亀谷地区の坂を左に曲がり、登っていった。 「やはり、高校じゃないの?」 この道は、二本松駅から二本松高校へ通っている人が通る道となっている。私達は急いで、その曲がり角を曲がった。  そこに森川先生の姿はなかった。道沿いにあるお店を覗いたが、先生の姿はなかった。亀谷地区の坂の途中まで来ると、そこには「二本松市コンサートホール」があった。でも、今日は何の催し物もないようで、看板は出ていなかった。ロビーに明かりさえ付いていなかった。 「気付かれて、まかれちゃったかな?」 「そうね、森川先生、私達の尾行に気づいたのかも」 「待って、なっちゃん。吹奏楽部の顧問の皆川先生だ」 美咲が言う方向を見ると、コンサートホールの駐車場に車が停まり、吹奏楽部顧問の皆川友美先生が、車から降りてきた。 「助手席に誰かいるよ。男の人だ」 「あっ、皆川先生と同じ社会を教えている大石光秀先生だ。でもおかしいよ。2人は社会科で仲が悪いと評判なのに、一緒の車に乗っているなんて・・・」 そう美咲が話した。2人の先生は、車を降りると、トランクから皆川先生はホルンのケースを、大石光秀先生はトランペットのケースを取り出した。  2人はコンサートホールの裏口のドアから中に入って行った。 「なっちゃん、どうする?」 「どうするって・・・。森川先生を追っていて、もう1つの謎にぶつかっちゃった」 「私、コンサートホールに来た事あるから、裏口から中に入ってみようか?」 「そんな事、できるの?」 「できるよ。でも、誰に会っても堂々としていないと、怪しまれるからね」 そう美咲が言うと、私の手を引き、コンサートホールの裏口のドアから、2人の先生が入っていったように、堂々を入っていった。  中に入ると、楽器のいろいろな音がした。なぜか、昔懐かしい音だった。 「なっちゃん、こっち」 美咲は、ホールの2階の陰に私を連れて行った。 「ここなら、ステージから見えないから・・・」 私達が潜んだ所は、ステージを見渡せる2階の照明ある所だった。今、コンサートホールのステージの上では、二本松市民オーケストラの人達が、練習の準備をしていた。ホルンのトップの位置に皆川先生。トランペットの中央に大石先生が見えた。そして、何と、森川先生がステージの下にある客席の前で、二本松楽器の大河内鷹道さんや、何人かと話をしていた。私は、よくいろいろな楽器の音が鳴っている前で、話し合いができるなと感心していた。  一斉に音が止んだ。バイオリンのコンサートマスターがオーボエのA音でチューニングを始めた。吹奏楽のB♭のチューニングの音より低いので少し気になった。それでも、森川先生達は静かな声で話し合いをしていた。  チューニングが終わると、コンサートマスターの人が森川先生に声をかけた。すると、森川先生達はステージの上に上がった。 「起立、お願いします」 森川先生に挨拶をした。森川先生はいつものように、挨拶を返した。  そして、マネージャーのような人が、全員を座らせ、話を始めた。 「今日のメニューです。今日は、初めてのステージ練習ですので、配置を気にしながら、森川先生に振っていただきます。  最初にワーグナー。7時からピアコン。もちろんソロなし。そして、休憩を取って、最後にリムスキーです。降り番の人は、観客席にいるか、どこかで時間まで待機していてください。最後に9時から打ち合わせをします。なるべく途中で、帰らないでください。  では、先生、お願いします」 専門用語が並んだが、私達、吹奏楽部経験者の2人には、ある程度理解できた。  つまり、森川先生は土曜日の夕方からは、いつも二本松市民オーケストラの練習をしていたのだ。  森川先生は指揮者の場所に行くと、鉛筆を指揮棒代わりに振り始めた。すると、分厚い和音と素敵なワーグナーのメロディーが流れてきた。私達の吹奏楽とは全く違っていた。弦楽器の響きが、とても素敵に聞こえた。そして、指揮をする森川先生の後ろ姿が、とても素敵に見えた。私は心を奪われていた。 「なっちゃん」 美咲に気が付いた。 「そろそろ行かない。大体、わかったから・・・」 美咲の手に引かれて、私達はコンサートホールをあとにした。  20分後、私達は203号室にいた。 「つまり、うちらの担任の森川先生は土曜日の夕方、二本松市民オーケストラの練習に参加していたって事なのね」 「そういう事になるわね」 「これで、なっちゃんの悩みも1つ、解決ね」 「でも、数学の先生よ、森川先生。音楽の事はいろいろ詳しいと、日頃から思っていたけど、まさか、オーケストラの指揮をしていたなんて」 「だから、合唱部の指導も、松村先生に依頼されて、行ったんじゃない?松村先生は知っていたのよ。森川先生が指揮をできること」 「いつから指揮をしていたのだろう?」 「そう言えば、うちの吹奏楽部顧問の皆川先生、『松オケの指揮者、上手だ』って話していた。吹奏楽部の2、3年生は松オケの指揮を、森川先生が行っている事を知っていると思うよ。『この2、3年で、松オケの音が良くなった』って話していたから・・・」 「そうなんだ。という事は、森川先生が二本松高校に赴任する前から、松オケの指揮をしていたんだ」 「そういう事になるね」 「一体、森川先生って、どんな人なんだろう。半年、担任でいるのに、私はほとんど彼の事、知らない。私達の事は良く知っているみたいだけど・・・」 「そう言えば、なっちゃん、皆川先生が『明日、松オケの指揮者が、二本松高校の吹奏楽部の練習、指導をするから、集合時間厳守!』って言っていた」 「えっ、という事は、森川先生が明日の日曜日、二本松高校の吹奏楽部の練習、指導をすることになるの?」 「そうなるね」 「それに、もう1つ違う疑問だけど、あの仲が悪いと言われていた、社会科の2人の先生、一緒に松オケの練習に来ていた。1つ疑問が解決して、1つ疑問が生じた」 「私もそう思った、なっちゃん」 「でもね、これは、私の推理よ、美咲。顧問の皆川先生って二本松の美咲に家の近くの若宮地区のアパートに住んでいるでしょ。逆に大石先生って、二本松高校の近くの郭内地区に住んでいるじゃない。  コンサートホールは、その中間の亀谷地区にある。つまり、どちらかと言えば、皆川先生の住んでいる近くにあるっていう事よね」 「そうね」 「女の皆川先生が、男の大石先生を助手席に乗せていたという事は、皆川先生が大石先生を迎えにいったという事よね。近くのコンサートホールを通り越して大石先生の所に行って、また逆戻りしたという事でしょう」 「そうなるね」 「という事は、2人、仲が悪いんじゃなくて、逆に仲がいいんじゃない。わざわざ、遠回りして迎えに行くくらいだから・・・」 「それじゃ、なぜ2人は仲が悪いふりをしているの?」 「多分、同じ社会科で、男女でしょ。それに、同じ社会科準備室に他の先生方と一緒にいるから、仲が良い事を他の先生はともかく、生徒にバレたらうるさいから、仲の悪い振りをしているんじゃない?」 「なるほど」 「本当は、ベタベタしたいのに・・・」 「そう言えば、似合いのカップルかも。同じ金管パートだし・・・」 「多分、森川先生も2人の仲は、知っているんじゃない。森川先生の観察力のすごさから言えば」 「そうね。森川先生は他の人の事を言いふらす性格の先生じゃないから・・・。2人とも、安心しているんじゃない。授業中、生徒にそんな先生方の話をする先生じゃないし・・・」 「そうね、教科書も授業中に持って来ない先生だけど、余計な話も授業中にしない先生だから・・・」 そんな事を長々と話ながら、美咲は私が代筆したアンケートを持って、夜遅く帰って行った。  翌日、8月29日、最後の日曜日。私は美咲と打ち合わせをしていた通り、吹奏楽部の練習を見学にいった。別に入部するつもりはなかったが、森川先生の指導が見たかったので、吹奏楽部の入部希望者という名目で、クラリネットの美咲の席に隣にわざわざ席を準備してもらって、座って見学することを、皆川先生に承諾してもらった。森川先生の指揮者姿も前方から見たいと思っていたのだが・・・。  午前中、森川先生は松オケの指揮者として紹介され、二本松高校の吹奏楽部の人達を驚かせた。中には、その事を知っている先輩もいたようだが、1年生にとってはミラクルだった。  基礎練習を始め、二本松高校の吹奏楽部が先月の合唱部のように、上手になっていくのが分かったからだ。 「この人は、すごい人じゃないのか」 改めて私は、森川先生のすごさや、知らない部分を知らされた。とんでもない人が担任になっている。そして、私はとんでもない人の隣に住んでいる。もしかして、とんでもない人に、私は段々惹かれているのじゃないかと・・・。  翌日、30日、月曜日。私は放課後、早速、図書館に宿題をするつもりで行って、図書司書室で片平先生に冷たいミルクティーをご馳走になった。そして、何気なしに、私は森川先生の宿題を考えた。そして、やっとその解答を見つけた。  カウンターには星先輩が受験勉強をしに来ていた。私は、そっと、星先輩に気がつかれないように、観察した。  高校からの帰り、二本松のお店を何軒がまわって、201号室の住人の謎も分かったような気がした。 「今夜、202号室を訪問したい」 森川先生にメールを打った。 「OK」 返信が早かった。  夕方、森川先生が高校から帰ってくるのを待って、202号室を訪問した。  先生は、すぐ、カフェオレとミルクティーを準備してくれた。 「謎の解答が分かったようだね」 「なぜ、森川先生はそう思うのですか?」 「安藤くんの顔に書いてあるから」 何か私の行動から気が付いたに違いない事は、理解できた。 「で、素晴らしい解答か名推理を聞かせてもらおうか?」 森川先生はテーブルの側に座って落ち着き、カフェオレを飲みながら、私に尋ねた。 「まず、片平先生のディズニーランドですが、図書館の司書室にある片平先生の後ろの本棚に、ディズニーランドの雑誌が2冊ありました。それも今年度版が・・・。  そして、その雑誌の折り目のあったページに、片平先生の身につけていた星形のペンダントが載っていました。今年の夏、限定の商品らしいです。  星先輩の筆入れに、ミッキーマウスの合格祈願のお守りを発見しました。それも、今年の夏、限定商品でした。そして、その2つの商品は、お盆の3日間のみの発売なので、その3日間に2人がディズニーランドに言った事は明確です。まさか、別々に行きませんよね・・・」 「でも、一緒に行った証拠はないよ。安藤名探偵」 「森川先生は分かったのですか?2人が一緒に行ったことが?」 「たまたま、ディズニーランドで2人が撮った写真を、見てしまったんだ。日付入りの写真をね」 「いつですか?」 「先日。片平先生が不注意に司書室で写真を見ていた所に、たまたま。片平先生は、いつも司書室に行かない私が司書室に入ったので、慌てて落としたのだろう。私が拾ってしまって片平先生に渡したのさ。彼女は私に何か言い訳をしようとしたが、『前から知っていましたよ』と付け加えて、『誰にも言っていませんから』と言ったら、『すみません。ありがとうございます』と、言われたよ」 「それ、推理じゃなくて、偶然じゃないですか」 「誰も推理なんて言っていないよ。安藤名探偵くん。でもね、2人でディズニーランドに行く事は知っていたよ。宿泊予約表がディズニーランドの雑誌に、お盆の前に挟んであったから・・・」 「森川先生はそうやって、いつも他の人の物を見ているのですか?」 「違うよ。本棚から雑誌が落ちたのさ。カフェオレを作ろうとしたら・・・」 「でも、2人は大胆ですね」 「そんな事はないかもよ。写真には、変装した片平先生と星くんが写っていたよ」 「そうですか?」 「ハードルが高い程、恋も燃えるっていうから。それに、『何かの時には助けてください』って、片平先生から言われてしまったし・・・」 「いいですね、いろいろな女の人から相談されて・・・」 「安藤くん、それは女の嫉妬なの?」 「違います!」  私は断言したが、自信はなかった。本当は嫉妬しているのかもしれないと思った。私はミルクティーを飲み干して、次の話題に話を持っていった。 「それで、201号室の住人の事なのですが・・・」 「さすが、安藤名探偵、分かったようだね」 「はい。結論から話すと、201号室には誰も住んでいないという事です」 私がそう話すと、森川先生の顔がほころんだ。 「つまり、201号室は、二本松市民オーケストラの事務所兼楽譜室兼楽器室兼会議室になっているという事です」 「完璧だね。さすが、土曜日、下手な尾行をしただけあるね」 「知っていたのですか?」 「あんな尾行じゃ、小学生だってわかるさ」 「そうでしたか。分かっていたのですか。その時に練習会場で知っている二本松楽器屋の大河内さんを発見したので、彼に、今日の帰り、隣の二本松楽器に寄って、201号室の事を聞いてきたのです。  そうしたら、彼が団長を務める二本松市民オーケストラで二年前から森川先生が指揮をしていると聞きました。推理じゃありませんね」 「それだって、立派な推理さ」 「でも、先生の指揮の後ろ姿、素敵でした」 「後ろ姿だけね・・・」 私は何か、悪いことを言ったのだろうか・・・? 「そういえば、もう1つ発見しました」 「社会の先生達の事?」 「なぜ、分かるのですか。私が発見した事?」 「君達がコンサートホールに来る直前に、あの2人がコンサートホールのステージに来たから、安藤くんに2人は見られたと思ったのさ」 「じゃ、2人の仲が悪いというのは・・・」 「2人の作戦さ。付き合っているよ。生徒にバレるとうるさいから、高校では仲が悪いようにしている・・・」 「そうなのですか?」 「秘密にして欲しいな。そう1人の名探偵にも言っておいて」 「美咲にもですか?」 「あれは、清水美咲さんだったのか。あの黒ずくめの女の子?」 「はい」 「よく警察に捕まらなかったね」 「美咲も、先生の指揮姿、素敵と言っていました。それに・・・」 「それに、何?」 「先生の指揮も上手だと」 「ありがと・・・」 一応、私は森川先生に気を遣ってみた。    森川先生は、ミルクティーのお代わりを準備してくれた。 「そういえば、安藤くん。犬の散歩のバイトは、終了したのかい?」 いきなり、森川先生が質問してきた。 「美咲に聞いたのですか?」 「何も聞いて、いないよ」 「じゃ、なぜ?」 「観察の結果さ」 「また、観察ですか」 「そう、お盆前の安藤くんは、毎日、朝、ゆっくりと起きていた。しかし、10日くらい前から、早めに起きて、6時には、部屋を出て行く音がしていた。それも、規則正しく、毎日のようにね。また、8時過ぎに私が高校に行く時、いつも風呂場の換気扇の音がしていた。毎朝、どこかに出掛けて、必ず、お風呂に入り、シャワーを浴びていた証拠さ。  お盆前は、夜まで涼しい高校の図書館にいたはずなのに、片平先生に言わせれば、お盆過ぎには、午後5時に毎日、規則正しく帰るようになった。  これらのことから、安藤くんが、お盆過ぎから、何かを始めたという事さ。それに、図書館の安藤くんのカウンターの席に犬の毛が付いていた。そうだね、3回くらい。シャワーをしても落ちなかったんだね。  私は、安藤くんが、朝と夕方、犬の散歩を始めたと考えたのさ。それも、安藤くんの周りには、犬がいないから、誰かに頼まれて行っているバイトだとね。  最近になって、朝、換気扇の音が聞こえなくなった。これは、犬の散歩がなくなった証拠さ。短期間のバイトだったようだね」 森川先生は、いつものように、淡々と説明した。 「その通りです。しかし、バイトは、もっと長く行うはずでした」 「・・・?」 「それが不思議なのです。その日の朝、いきなり、辞めてくれといわれて・・・。」 私は、そのバイトについて、森川先生に説明をした。 「不思議な事もあるものだね」 「そうでしょう」 「でも、人間の行うこと。必ず、理由がある」 「わかるのですか?」 「知りたい?」 「はい」 「では、少し、考えてみよう」 「お願いします」  私は、203号室に帰った。残暑の厳しい、寝苦しい夜が待っていた。  翌日、8月31日、火曜日。高校に行った。昼休みに森川先生が休んでいる時間に合わせて、地学準備室に行ってみた。森川先生は丁度、試験管の花瓶の水を取り替えている所だった。 「水、まだ試験管に入っているじゃありませんか?」 「安藤くん、水は、毎日、取り替えるのが、基本さ」 「なぜです?」 「水と言っても、その中に植物が好きなものが一晩でなくなっている事が多いから、水があっても、その植物に本当に必要な水なのかは、わからないんだよ。だから、毎日、新鮮な水にしてあげると、その中の植物も長生きするのさ」 「いろいろな事、知っているのですね」 「人生、長かったから・・・」 「いつもと、セリフが違いますね」 「たまにはね」 私は、椅子に座り、森川先生のいれてくれたミルクティーを一口飲んだ。 「バイトの話、わかりましたか?」 森川先生は、カフェオレの入ったカップを机においた。 「昨日の夜、相談されたことだからね」 「やはり、今日は、無理ですか」 「少しなら」 「えっ?」 「安藤くんは、『葉山修司』という人を知っていますか?」 「いいえ、初めて聞く名前です」 「やはり、そうでしたか?」 「その葉山っていう人、誰なのですか?」 「先週、亡くなった高校生です」  私と森川先生は、少しの間、沈黙した。 「そのバイトの話の中で、私が一番、気になったことは、なぜ、漆原さんは、散歩の途中、休憩する場所を指定してきたかという事でした」 「坂道を登るからですか?」 「そう言っても、二本松の坂です。二本松高校に毎日、通っている人にとっては、何ともありません。それに、往復20分の距離です。休憩するなんてね」 「森川先生は、何を見つけたのですか?」 「今日の午前中、安藤くんが休憩した場所に行って来ました」 「二本松北病院のお庭ですか?」 「はい」 「何か見つかりましたか?」 「見つけることは出来ませんでした。しかし、今回、安藤くんが1日、1万円のバイトをさせられた理由が、見えたような気がしました」 「もったいぶらないで、話して下さい」 「安藤くんが、二本松北病院で休憩した庭は、丁度、病棟から見える場所ですよね」 「そうです」 「毎日、同じ場所で、同じ時間に休憩するということから考えて、病棟から誰かが見ているかもしれないと思ったのです。  医大の先生で、その二本松北病院に出張している新島信二先生という心臓外科医の先生と知っていたので、病院の中を見せてもらったのです」 「いろいろな人とお知り合いなのですね」 「人生、いろいろありましたから・・・。  それで、安藤くんがいつも犬、2匹を連れて座ったベンチを見ることが出来る病室で、最近、何か変化がなかったか尋ねました。  すると、1人の高校生が亡くなっていたことを知りました」 「その人が・・・」 「そう、葉山修司くん、二本松西高校の3年生でした」 「高校生・・・」 「そうです。  そして、もう1つ。葉山くんのおばあさんにあたる方を見つけました。毎日のように、その病院に、葉山くんを見舞いに来ていた方です」 「誰ですか?」 「漆原登志子さん」 「えっ」 「そうです、あなたに1日1万円のバイトを依頼した方です」 私は、どこがどうなっているのか、見当が全くつかない程、頭の中が混乱し始めた。目の前にあるミルクティーを飲むことか、精一杯だった。 「葉山くんの病室に、安藤くんの写真が飾ってあったそうです」 「私の写真が?」 「新島信二先生に、安藤くんの写真を見せると、そう話していました」 「いつ、撮られたのでしょう?」 「さあ、私もわかりません。でも、葉山くんは、今年の6月まで、元気に二本松西高校に通っていたということですから・・・。  安藤くんは、二本松西高校に行ったことがありますか?」 「そう言えば、天文学部の機材を取りに、天文学部顧問の斎藤広先生の車に乗って、5月に2度ほど、二本松西高校に行きました。その時、高校の理科室まで機材を運びました」 「たぶん、その時、葉山くんが安藤くんを見つけたのでしょう。そして、一目惚れをした。写真は、二本松高校の知り合いに、こっそり撮影してもらった。ところが、心臓が元々悪い彼は、7月上旬に二本松北病院に入院してしまった。そして、安藤くんの写真だけを病室に飾った」 「私のバイトは?」 「話はこれからです。  そこに、毎日、孫の見舞いに来ていたおばあさんがいた。漆原さんは、孫が心臓の病気で、もう長く生きることが出来ないと知っていた。そこで、病室に飾ってある安藤くんを、葉山くんに見せたいと考えた。  安藤くんの事を調べた。自分の家の近所に、友達の清水美咲さんが住んでいること。部活動に入っていないこと。グリーンマンションに1人で住んでいること。  葉山くんの病室から、病院の庭が見えて、そこにある3つのベンチ全てが見渡せること。葉山くんの朝食の時間が、午前7時。夕食の時間も午後7時。  安藤くんにあの二本松北病院にこの時間に行かせるために、犬の散歩を考えついた。そのため、人間慣れしている2匹の大型のシベリアンハスキーを飼った。だから、犬小屋も新しかった。散歩の途中で、病室から見える庭で休憩させることも。バイト代は、安藤くんがバイトに食いつきやすいように高めに設定した。近所の清水美咲さんに、部活動をしていない生徒をあたらせた。  こうして、準備は整った。そして、安藤くんが、漆原さんの家にやってきた。  でも、漆原さんの予想していないことが起こった」 「何があったのですか?」 「安藤くんに、まず1ヶ月のバイトをしてもらおうと考えた。もし、良かったら、バイトの期間を延ばそうかもと・・・。  しかし、葉山くんが、日曜日、突然の心臓発作で亡くなってしまった。その知らせを聞いた漆原さんは、二本松北病院に向かった。あの日の夕方、漆原さんは、安藤くんの犬の散歩の時間、自分の家にいなかったのさ」 「じゃ、私のあの日の夕方、二本松北病院の庭で休憩した時、あの庭から見える病室に漆原さんがいたのですね」 「たぶんね。  翌日。もう、安藤くんに犬の散歩の意味をなくしたことから、バイトを辞めてもらったのさ」 「葉山くん、可哀想・・・」 「自然の流れから考えると、自分の方が先に死ぬべきところ、孫が先に亡くなった漆原さんも可哀想だよ」 「世の中、無情ですね」 「人は必ず死ぬものさ。その長さがいろいろなだけ・・・」 「私、葉山くんの家にお線香を上げに行こうかな・・・」 「家が分からないだろう」 「はい」 「案内してあげるよ」 「えっ?」  彼のお葬式はすでに終わっていた。彼の家に着くと、彼の両親が、とても驚いていた。両親は、私を葉山くんの初恋の相手だと信じていた。息子が私と付き合っていたと・・・。 「両親より、毎日、話をしていたおばあちゃんの方が、彼の心情を知っていたのさ」 帰り道、森川先生が話してくれた。  葉山くんの家には、漆原さんもいた。漆原さんは、そこで何も話してくれなかった。私と森川先生が、お線香をあげて、失礼すると、玄関の外に漆原さんが追いかけてきた。 「どうして、ここが?」 「担任の森川先生が推理してくれたのです」 「安藤さん、ごめんなさい」 漆原さんは、目に涙を浮かべていた。 「そして、ありがとう」 とても切なかった。  漆原さんは、バイトの理由を説明してくれた。内容は、森川先生の推理通りだった。私は、漆原さんに挨拶をして、そのまま森川先生の部屋に直行した。1人でいる自信がなかったのだ。森川先生は、自分の部屋でも、私にミルクティーを出してくれた。私は、話題を変えるため、二本松市民オーケストラの話をした。 「私、二本松市民オーケストラに入団できる基準、クリアしていますよね」 さすがに、この私の発言に、森川先生は驚いたようだった。 「だって、入団規則は『大学生以上、若しくは、高校生で音楽の部活動に入部していない者』ですから・・・。  そして、『自分で練習会場に来ることができる者』ですよね。入団していいですか?」 森川先生は今までにないくらい、困った顔をしていた。 「安藤くん、お前、自分の楽器、持っているのか?」 「はい」 「何の楽器を持っているんだ?」 「もちろん、クラリネットです」 「メーカーは?」 「ヤマハのR35です。マウスピースはクランポンですが・・・」 「随分、高いの買って貰ったんだね」 「姉もバイオリンに比べればまだ、安い方ですよ」 「そうか、お姉さんはそんなに高い楽器だったのか?」 「大分、両親におねだりしたようです」 「それで、なつのクラリネット、どこにあるの?」 「福島市の実家です」 「半年も触っていないの?」 「はい」 「動かないんじゃないか?」 「そう言われると、不安ですね」 「動かなかったら・・・」 「今度、福島市に帰った時、調整しておきます」 そこで、森川先生は少し考えたようだった。 「それじゃ、クラリネットが自由自在に演奏出来ないかもしれない。すると、入団も無理かもしれないな・・・」 意地悪を言ってきた。 「多分、大丈夫ですよ。クラリネットが大丈夫だったら。どうするのですか?」 「それじゃ、『なぜ、夜が暗いか?』という問題に5分以内に答えられたら、入団を許可するよ」 「何ですか?それ。私だけその変な問題」 「太陽がないから・・・。  人間が眠れるように・・・。  流れ星を恋人同士で見ることができるように・・・」 私はできる限り、森川先生が好みそうな答えを言ってみた。 「時間切れ」 先生は右手の腕時計を見て言った。 「それじゃ、答えは何ですか?」 「夜明けが来ないと、人生、希望がなくなるからさ・・・」 そう言うと、森川先生は理科年表を取り出し、私の顔をわざと見ないようにしていた。そして、また、右手の時計を見た。 「安藤くん、そろそろ眠る時間だ」 私は、自分の心の整理するため、先生の部屋を出て、自分の部屋に戻った。  そして、私は、二本松市民オーケストラに入団する事をすっかり忘れて、夭折した葉山くんの人生を考えていた。
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