115.第9話「彗星観測」

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115.第9話「彗星観測」

46c4fec5-4d30-46e6-ad23-c654d6f9483f 文化祭の後片づけが終了した。そして、私達は中間考査の勉強のために、慌ただしくなった。自分の勉強だけでなく、図書部としての活動も含めての事だった。  図書館は、中間考査の勉強のために、連日大繁盛だった。私達、図書部はカウンターに自分の席が確保されているが、他の人達は、自習をするための自分の席を確保するために、大変だった。幽霊部員の2年生3名も、この時ばかりは、図書館に来て、カウンター席で勉強を行っていた。旅行の時のように、マンガを読んでいる余裕はなさそうだった。  中間考査が終了すると、天文学部の呼び出しがあった。年に2回しかない天文学部の天体観測の話だった。 「本体は、8月に2回目の天体観測を行う予定でした」 「しかし、悪天候のため、延期になりました」 「9月、10月は、学校行事で忙しく、11月になりました」 「本来、3年生は今の時期、部活動を引退していて、参加はしないのですが・・・」 天文学部の3年生が次々に説明した。部長の三和昴先輩、副部長の時崎通先輩、そして、遠藤那摘先輩と安斉蒼空先輩だ。 「しかし、僕たちの後を継いでくれる2年生がこの天文学部には存在しないので、3年生で話し合い、僕達がこの11月の天体観測を責任持って、行う事にしました」 「ですから、今の1年生、3人は是非、来年、多くの新入部員を勧誘し、入部させてください」 「でないと、3年生の時、このように大変になります」 「私達、4年生は今回の天体観測をもって、この天文学部を引退します」 随分、気合いの入った説明。 「顧問の斎藤広先生と副顧問の森川優先生に先崎春美先生の3人と、3年生4人で来年の天文部の事を話し合いました」 「部長には1年1組の田中一男くん」 「副部長には1年2組の安藤なつさん」 「庶務と会計、2つの役の掛け持ちには1年4組の安斎順くん」 まあ、部長以外は、あまり役職がついても、大変ではないし・・・。 「じゃ、1年生、よろしく。私は二本松西高校で教えているから週の半分はいない。何かあったら、森川先生か先崎先生に聞いてくれ」 斎藤広先生が森川先生と先崎先生に仕事を押しつける。まあ、森川先生と先崎先生は、大学時代の先輩後輩だから、うまくやっているのだろう・・・。 「今回の天体観測は、11月6日、土曜日と7日、日曜日です」 「場所は田村市にある仙台平キャンプ場」 「近くにあぶくま洞や星の村天文台があります」 「明るい内はそれらを体験したいと思います」 「今回、一番の観測対象は、ハートレー彗星です」 「ハートレー彗星は、1986年3月にマルコム・ハートレーがオーストラリアの天文台で発見しました」 「ハートレー彗星は、この太陽系を約6.5年の周期で楕円軌道を描いて公転しています」 「今回、11月6日が新月なので、天体観測日よりです」 「彗星とは長周期のものと短周期のものがあります。彗星の最大の特徴は、その尾です。明るく長い尾を伸ばした大彗星の姿は素敵です。彗星の核から放出されたガスやチリが長く伸びて彗星の尾となります。ガスは太陽から吹きつける太陽風によって、太陽の正反対側にほぼ直線状に伸びていきます。これを『イオンの尾』と呼びます。  一方、チリは核からの放出速度と彗星本体の速度との関係から、新たな太陽周回軌道を運動するようになります。この時、放出時期やチリの大きさの分布など、いくつかの要素が絡み合って曲線状に伸びていきます。これを『ダストの尾』と呼びます」 「今回は地球と太陽の両方に接近するので、明るくなると期待されています。地球にもっとも接近するのは10月21日、太陽にもっとも接近するのは10月28日です。本当は、その頃、4等くらいの明るさになるので、観測したかったのですが、都合で11月6日になります」 「あとは、要項を見て下さい」  要項に書いてある事は、4人の先輩が全て話してしまった。4人の先輩は息がぴったり合って、上手に分担して話していた。そして、みんな、地学準備室を出て行った。私は地学準備室に残った森川先生にカフェオレを煎れてもらった。 「昔から、突然のように現れて夜空に長い尾をたなびかせる彗星は、忌まわしきものと言われてきたからね」 「だから、何です?」 「大彗星の出現は天変地異の前触れなどと言われていたんだよ。彗星の正体が分からなかった時代の人々にとっては、ボーッとした頭部とそれに続く長い尾、そして夜空を日々移動して行く彗星の姿は、人心を惑わす不思議なものと映ったのだろうね。今回、何も不吉な事がないといいね」 「『森川行くところに事件あり』ですか?」 「誰から聞いた?」 「前回、吾妻小富士の浄土平で天体観測をした時、先崎春美先生からです」 「・・・」 どうやら、森川先生自身もそう思っているらしい。  11月6日、土曜日、朝。二本松高校に天文学部員7名と顧問3人が集まった。今回も顧問3人の車に分乗して、仙台平キャンプ場を目指す。キャンプ用具があるので、斎藤広先生は大きめの車を借りて、キャンプ用具や天体望遠鏡を積み込んだ。生徒はくじ引きで乗る車を決めた。で、私は、部長の三和昴先輩と遠藤那摘先輩と先崎春美先生の車に乗った。 車の中は、うるさかった。 「僕の趣味は、プラモデルを作ることなんだ」 助手席に座った三和昴先輩が、後部座席の私に話しかけてくる。 「特に、第二次世界大戦の時の戦艦や空母を作るのが趣味で・・・」 私は全く関心がなく、あまり先輩の話に夢中になれなかったが、先輩はずっと話している。戦艦や空母の名前が出るわでるわ・・・。 「昴、今どきそんな事している暇あるの。受験生なら、大学入学が決まってから、趣味はやったら・・・」 遠藤那摘先輩に釘をさされる。 「那摘だって、そろそろ星占いとか辞めて、受験勉強に勤しめよ」 そういえば、遠藤那摘先輩は、星占いが得意だと、天文学部の自己紹介の時に話していた。それから、隣に座った遠藤那摘先輩は、星座や星占いの話を永遠に話し続けていた。私の知らない星座の名前まで、出てきた。  ラジオからは、今日の午前中、白河市であった現金輸送車強盗のニュースが流れていた。  結局、2人の話は、あぶくま洞に到着するまで終わらなかった。 「なっちゃん、うるさくて大変だったでしょ」 先崎春美先生も運転をしながら、大変だったらしい。    私達は、天体観測の前に「あぶくま洞」を見学した。1本道を車で上ると、目の前の山肌が見えてくる。石灰岩や大理石の壁だ。福島県は全国3番目の広さ。そのため、県内の観光地を見るのはこんな時しかない。私も「あぶくま洞」を見るのは生まれて初めてだった。  あぶくま洞は1969年、採石場跡地から発見された。この辺りは阿武隈高地と呼ばれる高原地帯であり、中央に位置する大滝根山の西側斜面には仙台平と呼ばれるカルスト台地が広がっている。したがってこの辺りは、古くから石灰岩や大理石の採掘が盛んな土地だった。あぶくま洞が発見されたのも石灰岩採掘中の事。ここの採石場は「あぶくま洞」発見の年に操業を停止。だから、辺りは採石場の跡が残っている。 最初に発見されたのは、小さな鍾乳洞だった。しかし、1970年、日本大学の探検隊が洞内を探索し、それまで終点とされていた北端部の風穴の先に、あぶくま洞主洞部を見出した。発見から4年後の1973年には見学用に洞内が整備され、一般に公開された。  あぶくま洞の一般見学ルートの長さは600メートル。入り口から150メートルほどの地点に、有料の「探検コース」(約120メートル)への分岐があり、このルートを含めると720メートルになる。一般には公開されていない経路を含めた洞内の総延長は約3300メートルで、日本国内第11位。しかし、今後の探索によってはさらに伸びる可能性がある。 「ここの平均気温は14度前後、1年間あまり温度に変化はないから、真夏に来ると、自然のクーラーが効いている大きな部屋だね」 斎藤広先生が先頭に立って、案内してくれる。 「この『あぶくま洞』は、およそ8000万年という歳月をかけて創られた大自然の造形美なんだ」 森川先生は、いつも通り、一番後から歩いてくる。  神秘的な「あぶくま洞」の見学が終わると、私達はそのまま隣接する「星の村天文台」に向かった。大きな展望台が見えてくると、先輩達の目が変わった。 「平成3年の7月に天文台ができたんだ」 「平成4年の8月に残りの施設が完成して『星の村』として開村した」 「まあ、滝根町の町興しの一環だね」 「天文台には直径6.5メートルのドームに三鷹光器製65センチカセグレン式反射望遠鏡が使われている」 「プラネタリウムは60人収容の8メートルのドームに投影機としてミノルタMS-8が使用されているんだ」 4人の先輩達は予習でもしてきたのだろうか?それとも、これは天文学部の知識か? 展望台に入る。私が予想していた感じとは違って、見学者がいなくて、簡素だった。それでも、3人の先輩は、食い入るように見ていた。1年生3人は、すぐに飽きて外から展望台を見ていた。というか、先輩達が早く来ないかと待っていた。  車で近くの仙台平のキャンプ場に向かった。細い道の両脇がただ草むらになっている。キャンプをするにはもってこいだ。その中に2階建てのロッジが見える。しかし、人気がない。 「7月と8月は近くのロッジを貸し出しているけどね・・・」 斎藤広先生が大きなキャンプ道具を車から降ろしながら、残念そうに話す。 「まあ、この時期なら、天体観測の邪魔をするような人がいなくて、良かったですね」 先崎春美先生は斎藤広先生をフォローする。  空に大きな鳥が飛んでいる。 「大きなワシだ飛んでいる」 遠藤那摘先輩が空を見上げる。 「遠藤さん、あれはタカだ」 生物科卒業の森川先生が訂正する。 「タカとワシの違いなんて普通の人にはわかりません」 先崎春美先生がまたフォローする。 「大きいのがワシ、小さいのがタカ、とでも覚えておけばいい」 「でも見慣れていない人は、何が大きくて、何が小さいかわかりませんよ」 田中一男くんが私と同じ意見を口で説明してくれる。 「尾が扇状に広がっているものがタカ、尾が直線状で、外側には広がっていないのがワシ。  独特の鷹斑(たかふ)と呼ばれる模様があるのがタカ、ないのがワシ。  羽ばたいて飛ぶのがワシ、羽ばたかないで、気流に乗っているのがタカ。  大きな違いは3つだね」 森川先生に説明されても、覚えられない。  斎藤広先生と4人の先輩達は、手慣れた手つきでテントを張り、天体望遠鏡を3台、設置していく。私がテントを張っていると、安斉蒼空先輩は手伝ってくれる。 「なっちゃん、来年は後輩の教える事になるから、今のうちにテントの張り方、覚えないとね」 蒼空先輩は優しい。  今日の晩ご飯は1年生の担当。というか、田中一男くんと安斎順くんは当てにならないので、私人で何とかする他ないと思っている。  3年生が天体観測の準備をする中、1年生3人は夕飯の準備に取りかかる。既に今朝、マンションで切ってきた野菜を出す。 「これ、オヤジが持って行けって・・・」 安斎順くんが大量のお肉を保冷箱から出す。 「そういえば、コイツの家、肉屋だった」 「まあ、そういう事で・・・」 今日はカレーだ。私が大きな鍋でお肉を炒め、ペットボトルから水を入れ、野菜を入れる。 「手慣れているね、なっちゃん」 先崎春美先生が手伝いに来てくれた。隣で森川先生がご飯を炊いている。煙が目に入って泣いている。1年生男子にしてもらえばいいのに、森川先生らしい。  早めの夕飯。森川先生は自分でカレーを分けた。野菜しか入っていない。 「お肉のアレルギーなんだ」 そんな事を以前、話していた。  新月だった事もあり、辺りは大変真っ暗。外灯もない。斎藤広先生は、持ってきたランタンに火をつける。ランタンをこんなに持っている人を初めて見た。 「二本松西高校の合宿でも使うから・・・」 1人1つのランタンは贅沢だ。 「時崎先輩、『ウルトラマン』の星はどれですか?」 安斉順くんが副部長の時崎通先輩に望遠鏡を覗きながら、尋ねる。 「実はね、安斉くん・・・」 時崎通先輩が「待っていました」とばかり、説明をする。 「『ウルトラマン』の出身地は『M78星雲』。しかし、当初の設定では『M87』に由来する『おとめ座』にある『M87星雲』にする予定だったらしい。でも、企画書で『M78』と誤植された。そのため、『M78星雲』になったんだ。そのため、特異な性質を持つ星雲、まあ正確には銀河だけどね、『M87』星雲ではなく、地球から見て明るい以外にこれといった特徴のない星雲である『M78』星雲が名前となった事は、有名な話さ」 有名じゃない。私は知らなかった。 「オリオン座がわかるかい?」 「あの光っているのがペテルギウス、逆にある明るいほしがリゲルですね」 「ペテルギウスを平家星、リゲルを源氏星と呼ばれている」 そんな専門知識、いらない。 「その間にあるオリオンのベルトは?」 「見えます。ミンタカ、アルニラム、アルニタクですよね」 安斎順くんもなかなかだ。 「一番左のアルニタクの左上にある星雲が『M78星雲』だ」 安斎順くんは感動して、ずっと望遠鏡を見ている。 「『M78星雲』の『M』はフランスの天文学者シャルル・メシエがつけた。彼は彗星の発見も多く、13個の彗星を発見したんだ」 後で三和昴先輩が語りかける。  ハートレー彗星は、きちんと観測する事が出来た。カメラで撮影もした。来年の文化祭の展示もこれで安心だ。  夜12時前には、天文学部の観測は終了した。テントは全部で5つ。3年生男子、三和昴先輩と時崎通先輩で1つ。遠藤那摘先輩と安斉蒼空先輩で1つ。1年生男子、田中一男くんと安斎順くんで1つ。顧問の斎藤広先生と森川優先生で1つ。そして、顧問の先崎春美先生と私で1つ。3年生の先輩達は、早々と天体観測を終わり、テントに入った。1年生3人で天体望遠鏡の片付けを行い。私は最後にテントに入った。夜の1時前だった。隣の先崎春美先生がまだ起きて待っていてくれた。私は森川先生が先崎春美先生と同じ二本松大学に在学中の話を聞いた。私達の声がやんだのは、3時くらいだった。明日の朝食当番は、3年生。少し、寝坊が出来る。  朝、6時。森川先生の声がした。尋常でない事はその声の張り上げ方からわかった。私はすぐ起き上がった。 「3年生がいない」 私はテントの外に出た。既に、森川先生をはじめ、斎藤広先生や先崎春美先生が着替えていた。 「4人で早朝の散歩に出かけたとか・・・?」 森川先生は私を3年生のテントに連れて行く。 「安藤くん、テントの中を見て御覧」 森川先生はテントの中にある寝袋を持つ。 「ほら、寝袋を使用した様子がないだろう。それは、あちらのテントも同じさ。つまり、3年生4人は、ここで眠っていない。または、眠る前にこのテントからいなくなっている。そこから今の時間まで散歩をするかい?」 「寒いですね」 「安藤くんは、何時まで起きていた?」 「望遠鏡を片付けて、テントに入ったのは1時頃です」 「3年生は?」 「12時前にはそれぞれのテントに入ったと思います」 「で、安藤さんが眠ったのは?」 「先崎春美先生と話をしていたので、3時頃だったと思います」 「外の気配は?」 「覚えていません・・・」 「すると、午前1時から5時の間に、3年生4人はいなくなったのか・・・」 森川先生はテントを出た。 「斎藤先生、春美先生、私、この辺りを調べてみます。2人で朝食の準備をお願いします」 斎藤広先生は、田中一男くんと安斎順くんを起こしていた。 「わかりました」 返事をしたのは、先崎春美先生だった。  私は森川先生の後を追った。森川先生は、テントからの足跡を追っているようだった。そして、100メートルくらい離れたロッジの前に立った。 「ここだな」 森川先生は、ロッジの入口を探した。そして、車庫の入口と見られる場所にたどり着いた。 「誰かいないか」 森川先生のこのような場合の声は大きい。しかし、誰も答えない。  森川先生が車庫の入口に手を当てると、ドアが自然と開いた。森川先生は何の躊躇もなく、ロッジの中に入っていく。勿論、私も後に続く。森川先生はロッジの中の車があったであろう所を腰をかがめて何かを探している。  ロッジは大きい。1階は車庫とキッチン。2階は宿泊施設のようだった。車庫の床はコンクリートではなく、土だった。 「安藤くん、動かないで!」 森川先生が大きな声で怒鳴る。それだけ、時間が迫っているという事がわかった。私は車庫に入口で止まった。森川先生はいつも以上に必死だ。 「安藤くん、3年生はここにいたよね」 森川先生が腕時計を私に見せる。 「これは、安斉蒼空さんの腕時計だよね」 「そうです」 見覚えがあった。安斉蒼空先輩が一緒にテントを張ってくれた時に見た。 「安藤くん、こちらに・・・」 森川先生が指をさした場所を見る。 「『ALT』ですかね?」 アルファベットが土に書いてある。 「安藤くんもそう見えるか?」 やはり、森川先生もアルファベットに見えるらしい。 「安藤くん、これは何と見える?」 「数字の『91』ですかね?」 また土に書かれた文字を見つける。車庫の四隅に森川先生が見つける。 「この土の様子は、ここに誰から座っていたようだ」 森川先生の独り言が聞こえる。 「これは?」 また森川先生が文字を見つける。 「『三人』ですかね?」 「こちらに続きがある」 「『日』が2つあります」 「この車庫の車の痕からすると、数時間までここに車があった事は事実だ」 「でも、3年生は車の免許を持っていません」 「これは大変かも・・・」 森川先生は、ロッジの外に出た。そして、テントに戻ると、スマホを出して電話をしていた。 「朝早くすみません、森川です」 「そうですね。吉田繁警部補が小野警察署に出向していて良かったです」 「ヘリの要請です」 「今は、あぶくま洞です」 「誘拐というか・・・」 「大鷹鳥谷山周辺です」 「高校生4人ですね」 「黒の大型バンです」 「これから・・・」 「お待ちしています」 森川先生はスマホを切ると、斎藤広先生と先崎春美先生を捜した。 「すぐテントをたたんでください。4人を緊急手配します。誘拐の可能性があります」 先崎春美先生は、すぐ事態を把握したようで、1年生の2人のお尻を叩いで急がせた。 「これから小野警察署の警察官が来るから、対処してくれ。あの吉田繁警部補が丁度、小野警察署の出向中だったから、この早い時間でも、何とかしてくれる」 先崎春美先生と森川先生が何を話している。 「もう少し、手がかりを探してくる」 私は森川先生の後を追う。森川先生は再び、ロッジの中に入っていく。「管理人室」の部屋の鍵を開け、中の書類を次から次に見ていく。  スマホで電話をする。 「森川です」 「ありがとうございます」 「大鷹鳥谷山の近くにダムがありますね。その周辺に家があると思います。その辺りに黒いバンが停まっていると思うのですが・・・」 「よろしくお願いします」 「じゃ、小野警察署の前で・・・」 森川先生は、ロッジを出ると、テントのある場所に戻った。  斎藤広先生、先崎春美先生、田中一男くん、安斉順くんが不安そうに待っていた。勿論、私も全く分からなかった。 「たぶん、3年生4人は、誘拐されたのだと思います」 目が開く程、驚いた。 「4人が見ては行けない事を見たか、遭遇してはいけない場面に出会ったかして、誘拐された可能性があります。今、小野警察署にいる吉田繁警部補に依頼して、ヘリコプターを出して、捜索してもらっています」 「森川先生、4人の居場所の見当はついているのですか?」 「一応、吉田警部補には話したけど・・・。あとは警察の仕事だから・・・」 森若先生は出来る事は全て行ったような感じだった。私達は、荷物を車に積むと、小野警察署に向けて車を走らせた。 「4人が見つかったそうだ」 森川先生は私達にそう話したのは、小野警察署の駐車場で休んでいる時だった。私は胸をなで下ろした。  隣にいた先崎春美先生は、喜んでいた。 「で、何が決め手だったのですか?」 「そう急かすな、安藤くん」 みんなの前で森川先生が眠たい目をこする。 「3年生は、天体観測が終わった後、別の場所に行こうとしていたんだ」 ようやく、森川先生は話し出す。 「3年生は、ロッジに向かった。何か話でもあったのだろう。テントの外に出たら、安藤くんと先崎春美先生の声が聞こえ、近くで話をするのが無理だと知って、少し離れているあのロッジに向かったと思われる」 私のせい・・・? 「あのロッジの駐車場に入った。もちろん、無断で・・・。ところがそこに先客がいた。あの駐車場で隠れていた強盗犯だった?」 「強盗犯?」 「昨日、白河市で現金輸送車の強盗があっただろう。それさ」 頭の整理が必要だった。 「白河市の現金輸送車強盗の犯人は、4人。強盗に使用された車は黒のバン。報道で流していた。犯人は、一時、身を隠すため、犯人の1人の父親が経営していたキャンプ場のロッジに身を隠した。  ロッジの経営者は、尾形謙治。52歳。ロッジに経営者の証明書があった。小野警察署の吉田繁警部補に調べてもらったら、1人息子がいて、名前が尾形春樹、27歳。白河警備に勤めていた。今回、被害に遭った現金輸送を担当していた警備会社だ。  少しの間、ロッジで身を隠そうとしていた。仙台平は、夏こそ賑わうがこの11月は人が来る事もない。でも、今回、二本松高校の天文学部が天体観測で来てしまった。それで、夜になるまでロッジの中で待った。私達が寝るまで・・・」 そういう事か・・・。 「でも、天体観測なので、夜も活動した。そして、12時が過ぎた。ロッジから出ようとした時、そのロッジに入ってきた人間がいた」 「それが先輩達・・・」 「そう・・・。寒い中、温かそうなあのロッジの駐車場に入った。あのロッジの駐車場の入口が開いていたのだろう。だから、3年生4人は、無断で駐車場に入った。  ロッジの駐車場のカギを見た。無理矢理こじ開けた形跡がなかった、つまり、あのロッジの合い鍵で開けた人間がいるという事さ。だから、私は、ロッジの合い鍵を持っていそうな管理人に目をつけた。その子供にも・・・」 「だから・・・」 「そして、4人は現金を数えている犯人を見たのだろう。そして、捕まった」 「・・・」 「たぶん、犯人達は今後、どうするか悩んだのだろう。ここで、4人の高校生を殺害するのは簡単。でも、その後処理に悩んだ。ここで殺害すれば、血は残る。そうすれば、管理人の尾形謙治が疑われる。その息子、尾形春樹が捜査線上に浮かぶのは避けられない。だから、それだけは避けたかった。もし、尾形春樹の名前が出れば、他の人間の名前も出てくる。だから、あのロッジで殺害する事は出来ない。  だから、他の場所に運んで、4人の高校生を殺害する事にした」 「それは・・・?」 「犯人は、もっと山の中を探した。すると、尾形春樹の父親が所有する山小屋が、あの仙台平から1時間の場所にあるのを思いだした」 「えっ?」 「その話を天文学部の4人は聞いていた。だから、手がかりを残した。4人がいなくなれば、必ず私が捜索してくれると信じて・・・。  安斉蒼空さんは、自分の腕時計を残した。部長の三和昴くんは漢字を書いた。副部長の時崎通くんは、数字を書いた。そして、遠藤那摘さんは、英語を書いた。全て、後からあの場所で捜査をしてくれるだろう私に対してのメッセージだったのだろう・・・」 「あれらは、どういう意味だったのですか?」 「尾形春樹の父親の山小屋は、双葉郡の河内村にあった。山の中さ。目立つ物は1つだけ・・・」 「何?」 「大鷹鳥谷山」 「何ですか。それ?」 「日本で2つしかない場所さ」 森川先生は久しぶりに余裕の顔を見せた。スマホを見る。 「4人全員が健康上、大丈夫で、現在、こちらに向かっていると報告があった」 みんな、安心の表情を見せる。 「森川先生、じらさないで教えて下さい」 先崎春美先生が森川先生をつつく。 「現在、電波時計という物がある」 「知っています」 「日本、どこでも同じ時刻になるようにある場所から時刻の電波を送っている」 「知っています」 「その電波時計を送っている場所が、西日本が福岡県と佐賀県の県境に1つ。東日本では、この福島県にある。それが大鷹鳥谷山さ」 「知らなかった」 「その名前をあのロッジの中で3年生4人は聞いた。安斉蒼空さんは、電波時計を受信していた腕時計を残した。部長の三和昴くんは『春日』と書いた」 「『三人日日』じゃなかったのですね。でも、『春日』って?」 「『大鷹鳥谷山』とはメッセージを書けないだろう。犯人に見つかったら、消される。だから、違う方法にした。それが『春日』だ」 「『春日』と『大鷹鳥谷山』のつながりは?」 「部長の三和昴くんの趣味は、プラモデル作成だ。それも第二次世界大戦の日本の艦船」 「それは、先崎春美先生の車の中で聞きました」 「『春日』とは、第二次世界大戦の時の病院船『春日丸』の事。その病院船『春日丸』は戦争が悪化して、空母になる。空母になった時の名前が『大鷹(たいよう)』つまり大きい鷹さ」 「・・・」 「ちなみに、航空母艦『大鷹(たいよう)』は、大鷹型航空母艦の1番艦。1942年、昭和17年、軍艦籍に編入。特設航空母艦春日丸から航空母艦大鷹に改名。  しかし、1943年、昭和18年『大鷹』はアメリカの潜水艦の雷撃で大破する。そして、1944年、昭和19年まで修理。その後、8月、ルソン島西方でアメリカ潜水艦の魚雷攻撃により撃沈されんだ」 もしかして、森川先生もオタク? 「副部長の時崎通くんは『16』と書いた」 「『91』じゃなかったんですね」 「手を縛られて、土に書くと『16』と読める」 「で、『16』とは・・・?」 「時崎通くんは天文学者シャルル・メシエがつけた『メシエ星雲』の名前をすべて暗記していた」 「『16』は? 「『M16』星雲は別名『わし星雲』。『わし星雲』は、へび座に位置する散開星団と散光星雲の複合した天体」 「でも、『わし」でしょ」 「安藤くん、覚えていないかい?遠藤那摘さんが『ワシとタカの違いがわからない』と話していた事を・・・」 「覚えています」 「星座や星雲には『鷹』はない。だから『鷲』で代用したのだろう・・・。私になら通じると念じてね・・・」 「だから、『鷲』が『鷹』だと・・・」 「そして、同じように遠藤那摘さんは『ATL』と書いた」 「何です?」 「わからないかい、安藤くん」 「わからないです」 「『アンタイル』の事さ」 「『わし座』の恒星だよ、安藤さん」 田中一男くんが教えてくれる。 「それも、『鷲』と『鷹』の違い」 「・・・」 「あのロッジの中に管理人室に、尾形謙治さんのメモが残っていた。そこには、『大鷹鳥谷山』近くの山小屋の記載が残っていた。読んでみると、尾形謙治さんの山小屋である事が分かった。だから、3年生4人が連れて行かれるとしたら、そこかなと思ったのさ」  3年生4人は、大きなケガなく警察官に連れられて帰ってきた。現金輸送車を襲った4人組は、山小屋の近くで逃亡を図ったらしいが、全員、吉田繁警部補指揮する警察官に確保された。3年生4人は、自分が入る墓穴をスコップで掘っている最中だったらしい。特に遠藤那摘さんは、ずっと泣いていた。小野警察署の駆けつけたそれぞれのご両親に抱きついたままだった。  私達が二本松高校に帰ってきたのは、既に真夜中だった。学校では、渋川渉教頭先生が待っていてくれた。 「大変だったね」 私達をすっと待っている教頭先生も大変だなあと思った。 「3年生4人は、明日、休んでも大丈夫だよ」 渋川教頭先生は、3年生の保護者にそう話していた  翌日、8日、月曜日。3年生は4人共、二本松高校に登校した。朝刊の一面は、私達の事で賑わしていた。私のクラスも大変だった。  結局、私は、その日、疲れがたまって、1階の「アンダンテ」で夕食を食べる事にした。森川先生も「アンダンテ」の私の席に隣に座っていた。 「疲れましたね」 「久しぶりにね・・・」 「私、1つ、疑問が残っているのですが・・・」 「3年生4人がなぜ、真夜中、ロッジに向かった事かい?」 「そうです」 「安藤くんだから、特別に話そう・・・」 「誰にも言いません」 「いなくなったと気づいた時、3年生のテントの中を覗いた。4人共、寝袋を使用した形跡がなかった。それに、落ちていたバックを見ると、どんな事があったかを考える事ができた」 「何でした?」 「部長の三和昴くんと副部長の時崎通くんが一緒、遠藤那摘さんと安斉蒼空さんが一緒のはずだった。でもね、三和昴くんと遠藤那摘さんは付き合っている」 「えっ・・・」 「それに、時崎通くんと安斉蒼空さんも付き合っている」 「えっ・・・」 「よく考えてごらん。車のくじ引きを?」 「何かありました?」 「くじ引きを作ったのは?」 「部長の三和昴先輩」 「その結果は?」 「森川先生の車に、時崎通先輩と遠藤那摘先輩に天体望遠鏡。斎藤広先生に、田中一男くんと安斎順とテント一式。そして、先崎春美先生の車に三和昴先輩と安斉蒼空先輩と私」 「だろう・・・」 「仕組んだのさ。部長の三和昴くんがね」 「それが・・・?」 「だから、夜のテントの位置も3年生の2つのテントは一番、ロッジ寄りにした。入口をロッジの方に向けて、出入りが1年生や顧問から見えないように設置した。そして、夜、時崎通くんと安斉蒼空さんが入れ替わった」 「それって・・・」 「いいじゃないか。それぞれ、結婚したいと話していたから・・・」 「聞いたのですか?」 「一応ね。自分の考えが当たっていたかどうか・・・」 「それで・・・」 「あの夜、ずっと1つのテントから話し声が聞こえていた」 「それ、私と先崎春美先生です」 「だから、テントの中で過ごすのは難しいと思った」 「何を?」 「自分で考えなさい!  最初に動いたのは、部長の三和昴くんと安斉蒼空さんだった。2人はそっとテントを抜け出し、近くのロッジに向かった。あそこなら、2人の声を気にせず愛し合えると思った。そして、開いているドアを開けた。そこに札束を前でお酒をあおっている4人に出会った。  『殺される』と思ったらしい。蒼空さんを捕まえられて、三和くんは大人しく縛られた。そこに同じ目的で時崎通くんと遠藤那摘さんもロッジに入ってきた。同じ運命をたどった」 「自業自得ですか?」 「それじゃ、可哀想だよ。  それから、犯人達がもめた。4人をどうするか。顔を見られているから殺す他ないと、犯人達は皆話していたらしい。だから、それぞれ、私に向けた暗号を残した。4人は打ち合わせも出来なかったが、それぞれ暗号を残したのは、偶然だった。  すぐ、犯人達はあのロッジを出発するつもりだったが、外に出ると、テントから話し声が聞こえていた」 「それも、私と先崎春美先生です」 「だから、声が聞こえなくなるまで待った。午前5時頃に、犯人達は3年生4人を車に乗せて、静かにロッジを出た。そして、尾形春樹の父親が所有する山小屋そばのダムまで来ると、4人を車から降ろして、スコップを持たせた。  『一番早く穴を掘った人間だけ、解放する』と言われて、自分が埋められる墓穴を掘らされたらしい。でもね、4人はわざとゆっくり穴を掘った。『好きな人にこの世に残って欲しい』と思っていたと話していた。そして、『ここで時間を稼げば、私が助けにくる』と思いながら・・・」 「大変でしたね」  オムライスとナポリタンが食べ終わる頃、「アンダンテ」のマスター西村貢さんが寄ってきた。 「今日は、いつもと来る曜日と時間が違いますね」 西村貢さんは、毎回、観察していると言わんがごこく話した。森川先生が天体観測中にあった事件の事を話した。 「お二人はそんな所まで一緒なんですね。新聞に載っていましたよ。テレビでも放映されていましたね。すっかり有名ですね」 マスターは話しながら、キッチンに戻っていった。  お店の中には、先日から「二本松市民オーケストラ定期演奏会」のポスターが目立つように貼ってあった。そして、指揮者の所には、「森川優」と印刷されていた。 「森川先生、やはり、二本松市民オーケストラの指揮をするんですね」 私は話題を変えた。 「まあ、他にやる人、いないって言うし、貧乏なオーケストラだから、お金のかかる有名な指揮者を頼めないのさ・・・」 「へぇ、大変なんですね」 私はカウンター出来から立ち上がると、ポスターの近くに行って、じっくりポスターをのぞき込んだ。そして、ゆっくり、また同じ席に戻った。 「12月5日の日曜日、再来週ですよ。そろそろ練習しなくていいんですか?」 「仕方がないだろ。昨日は高校の仕事で天体観測だったのだから。これを見越して、少しきつめの練習しておいたし・・・」 「でも、先生、1人1000円の入場料、高くないですか?」 「安藤くん、忘れていたよ」 森川先生はポケットから2枚のチケットを取り出した。 「尾行仲間の清水美咲さんにも招待券をプレゼント」 「いいんですか?」 「指揮者だから。大丈夫。何枚か招待券をもらってあるし・・・」 意味がわからない。何で指揮者だと、大丈夫なんだ! 「ポスターは、特別にマスターに、目立つ所に貼ってもらったのさ」 西村さんが、笑顔で近付いてくる。 「いつも、先生にはお世話になっていますし。それに、二本松市民オーケストラの団長さんの大河内さんをはじめ、他の人達も、ここをご贔屓にしていただいていますし・・・。それに・・・」 「それに?」 「何でもないよ。安藤さん」 マスターの西村貢さんは、食後のカフェオレとミルクティーを出してくれた。  私はミルクティーを飲みながら、「アンダンテ」の店内を見回した。最近、何かいつもと違う感じがしていた。何だろう、と思ったが、よく分からなかった。森川先生はいつものように、カフェオレを飲みながら、ボーッとしていた。 「ねえ、先生・・・」 「何でしょう、安藤くん。そういう猫撫で声の時は、何か困っている時だね」 「分かりますか、やはり・・・。あのですね、私の感性が鈍っているのか、どうか分かりませんが、この『アンダンテ』の店内、何か変わりましたよね。私の気のせいでしょうか?それとも、あの目立つポスターが貼ってあるからでしょうか?」 「安藤くん、観察力が鋭くなったようだね」 「やはり、何か違っていますよね」 「そうだね。少し場所を変えて話そうか・・・」 先生はいつものカウンター席から、奥のテーブル席にカップを持って移動した。 「どうして、移動するのですか?誰かに聞かれちゃまずいのですか?」 「そうだね。一応、マスターに聞かれない方がいいかなと思って・・・」  私達が奥のテーブル席にカップを持って移動すると同時に、新しいお客さんが入ってきた。その人はいつもの常連さんで、文化祭の時、森川先生が助けた一条のり子さんだった。一条さんは私達を発見すると、コートをフックにかけ、私達の方に歩み寄ってきた。 「先日はありがとうございました」 彼女は、深々と頭を下げた。 「何回もお礼を言わなくて、いいですよ。そのように、会うたびに感謝をされると、私も照れてしまうので・・・」 一条さんはいつものキッチン前のカウンター席に座った。マスターは、黄色いコーヒーカップにブラックのコーヒーを一条さんに出した。  私達は奥のテーブル席に座り直して、一口ずつカフェオレとミルクティーを飲んだ。そして、森川先生が最初に口火を切った。 「で、安藤くんは何が変わったと思うの?」 「そうですね・・・」 店内を見回した。以前来た時の記憶を思い出しながら、現在、変わった所を捜した。そして、私は一つ変化した物を発見した。 「先生、1つ発見しました。あの大きな観葉植物が増えました」 「そうだね。前はここには『パキラ』しか、観葉植物はなかった。しかし、この二週間で、入口の近くに『トックリラン』、そして、カウンターの奥には『ジャスミン』が増えたね」 この先生は、数学の先生なのに、なぜこうも観葉植物の名前がすらすらと出てくるのだろう?私が知っている花の名前なんて、アサガオ、ヒマワリ・・・ぐらいしか、すらすら出てこないのに・・・。そういえば、春美先生が、森川先生は生物科の卒業だったと言っていた事を思い出し、少し納得した。 「あと、気が付いたことはありますか、安藤くん」 私はまた店内を見回した。知らない人が見たら、挙動不審の人に見えるに違いない。 「そうですね、今日のミルクティーの味がいつもと違うような・・・」 「どんな風に?」 「どんな風にと言われても・・・。牛乳の味が強いかなと」 「安藤くんの舌って、敏感なんだね。驚いたよ」 「そういう事じゃなくて、同じ物を半年も飲んでいるので・・・」 「でも、舌は敏感だよ。あとは、何か気付いた?」 「そのくらいですかね。もっとあるような気がするのですが、分かりません」 「それは、目には違った物が入っているのに、脳が認識しないのさ。いつも、たくさんの物を脳が確認して行動していれば、気が付くかもよ」 「そんな事を日常でしていたら、脳がくたびれてしまいます」 「そんな事を言っているから、安藤くんの数学の成績が伸びないんだよ。  安藤くんの数学のノートが良い例だ。安藤くんはいつも、黒板に書かれた事しか記入していない。だから、頭が理解しないで、数学の内容が頭に入らない事が多いのさ」 「大きなお世話です。どうせ、私の数学のテストはいつも平均点数ぎりぎりですよ」 私は少しふてくされて、ミルクティーを飲んだ。森川先生は何の罪悪感もなく、カフェオレを飲んでいる。しかし、何か憎めないカフェオレの飲み方だ。 「で、森川先生は他に何を発見したんですきか?」 「それより、今の安藤くんの発見から、何が導き出されるかな?」 「観葉植物とミルクティーの味からですか?」 「そう」 「何も分からないです、これでは、ヒントが少ないです」 「それでは、私の観察したことをヒントに加えて、考えてみてください。  マスターが、ここ2、3週間、機嫌が良いという事。カウンターの角にある花の生けてある花瓶が、毎日、花がいろいろと替わって、綺麗になっていること。トイレに飾ってあった『オリズルラン』の手入れが、きちんとしてあること。それから、マスターの前掛けが変わった。  最後に、決定的証拠が、閉店時間が夜の10時から9時に変わったこと。  さて、この多くのヒントから、安藤くんは何を推理しますか?」 私はいろいろと考えてみた。 「マスターの機嫌が良いのは、先生はなぜ分かるんですか?私も感じますが」 「今までのコーヒーや紅茶の出し方が乱暴だったりしたが、最近はとても丁寧になっている。それに、今なんて、鼻歌さえ出ているじゃないか」 そう言われれば、今現在、マスターは鼻歌を歌って、コーヒーを入れている。顔もにこやかになっている。 「花瓶や観葉植物は、ただ、マスターが花好きになっただけ?」 「急にそんな事はあるまい。だって、あの花は2、3日ごとに変わっている。これは、まめに花を買ってこないとできない。そんなまめな性格に、いきなり変身できるかい?  それに、ここの『パキラ』は緑々しくなっている。これは、きちんと手入れして、たまに霧吹きを掛けたりしないと出来ない育て方さ。  それに、トイレの『オリズルラン』も以前は、枯れた葉はそのままだったが、今は枯れた部分を切って、目立たなくしている。とても花に詳しくないと出来ない栽培方法さ。そんな事が、ここ2、3週間で変わらない。  今まで、枯れた花でも平気でカウンターの花瓶に置いてあったあのマスターが、ここまで変身するか?」  私は納得した。いくら生物科出身の森川先生だからといって、なぜ、こんなに観葉植物の栽培に詳しいのだろう?先生の部屋には、観葉植物など1つもないのに・・・。 「それに、あの前掛けは、誰かからのプレゼントだろう。今までのお気に入りの前掛けをしていたのを、いきなり変えたのだから、大分、プレゼントした人に、気を遣ったのだろう」 「という事は、マスターの陰に女あり、という事ですか?」 「違うな、安藤くん。陰じゃない、前だ」  私はキッチンのマスターを見た。その前には、あの一条さんが座っていた。 「えっ、どういう事ですか?マスターと一条さんが・・・」 「だから、マスターの前と言っただろ」 「どうして、そう思うのですか?」 「まず、一条さんの肩には、よくいろいろな花粉がかかっている。つまり、一条さんは花粉の多い所にいる証拠さ。でも、その花粉は野生の花ではない。それは、季節に咲かない花粉もある。という事は、彼女は花屋に勤めているという事さ。だから、ここの観葉植物や花瓶の花も、良く手入れされているのさ。『パキラ』に葉水をしたりね。葉水とは、霧吹きで水を掛けることだけど、まめに花を手入れしたりしないと、ここまで『アンダンテ』の植物は育たない。たまに来て、ここで花を手入れしているさ。それも、ここがまだ開店する前か、閉店した後に・・・。  また、いつもマスターは、彼女が何も言われなくても、ブラックコーヒーをあの黄色いコーヒーカップで出す。つまり、彼女の事をある程度、気にしているし、理解している証拠さ」 「ミルクティーの味は?」 「浮かれていて、集中、出来ないのだろう」 「何にですか?」 「一条さんに」 「えっ?」 「閉店時間が早くなったよね。早くお店を閉めて、その間に花屋から来た一条さんに花の手入れをしてもらっているのさ。だから、店が閉まる前に比べ、翌日の朝、この『アンダンテ』の花の雰囲気が変わっている。  つまり、以上の事から考えると、マスターと一条さんが付き合い出したという結論になる」 私は、驚いて、手に持っていたティーカップを落としそうになった。そう言えば、マスターと一条さんの会話が、最近とてもはずんで聞こえる。  でも、これだけの事でマスターと一条さんが付き合っている事まで推理してしまうとは・・・。でも、今まで、森川先生の推理が間違った事は一度もない。という事は、やはり先生の推理通りか・・・。  私は黙って、カウンターの奥の西村さんと、その前のカウンターに座る一条さんをずっと見ていた。 「先生・・・」 私は静かな声で話しかけた。 「はやり、マスターも男だったのですね」 「そのようだね」 「で、付き合うきっかけは何だったんでしょうね?」 「安藤くん、それは直接、マスターに聞いてみないとね・・・」 「先生、それはいかに私でも、聞けません」 「いいんじゃない。男と女だから、万有引力があったんじゃないの」 「また、万有引力ですか・・・」  ここで2人を見ていると、どうしてもお似合いの2人に見えてしまうのは、なぜだろうか? 「付け加えると、あの黄色いコーヒーカップの事だけどね」 森川先生は、話を続けた。 「あれは、他の人には使用しない。一条さん専用のカップなのさ」 先生はカフェオレを飲み干して、席を立とうとした。 「ところで、話は変わりますが、もう1つ、不思議な事を発見したんです」 「おや、ワトソン君、また、気になった事があるの?」 「そうなんですよ、ホームズ先生」 森川先生は、私の話に食らいついてきた。 「このグリーンマンションの504号室に、青木さんという若くて、色白で、少しやせている女の人が住んでいるのを、先生は知っていますか?」 「知っているよ。たまに、見るから・・・」 「私、先生と土曜日に昼食を『アンダンテ』で、食べますよね」 「はい」 「その後、時々、私は、同じ時刻の電車で、福島に帰るんですけど、いつも、青木さんと同じ電車なんです」 「それは、不思議な事には、入らないだろう。ここは、東京じゃないから、1時間に1本くらいしか、東北本線の在来線は通らない。一緒に福島行きの電車に2人で乗る確立は多いよ」 「それなら、私も不思議に思いません」 「それでは、何が不思議なの?」 「あのですね。大体、このマンションから、同じ時刻に2人で駅に向かいますよね」 「はい」 「そして、2人で同じ時刻の電車に、二本松駅から福島方面に向けて乗りますよね」 「はい」 「しかし、青木さんは、福島駅の1つ前、南福島駅で降りるんですよ。私は、福島駅で降りますが・・・」 「それで?」 「でも、翌日。2人で、同じ福島駅から、同じ時刻の電車に乗るんですよ」 「・・・?」 「不思議じゃないですか?それに、先生に習ったように、観察もしましたが、服装も靴も荷物も、同じ時や、違う時と、色々なんです」 「観察力が増したね」 「はい。『名探偵の助手』ですから・・・」 「で、その『名探偵の助手』は、どう考えているの?」 「例えば、土曜日は南福島駅まで彼氏が迎えに来て、日曜日に福島駅に送って行くとか・・・」 「それは、矛盾しているよ。わざわざ、帰りに二本松駅より遠い福島駅まで送る必要はない」 「それでは、土曜日は南福島駅の近くで内職をしていて、夜、福島市にいる彼氏に迎えに来てもらって、日曜日に彼氏の家に近い福島駅まで送ってもらうとか・・・」 「彼氏が随分、多いね。私が彼氏なら、わざわざ、彼女を電車に乗せないで、帰りはこの二本松市まで送ってきてあげるけどな」 「それも、そうですね。わざわざ、車で30分くらいですから、普通なら送ってきますよね」 「それに、彼氏がいるなら、わざわざ、この二本松市に住まないで、福島市に住めばいいし・・・」 「青木さん、車の免許がなかったりして・・・」 「それは、ないな。一階の駐車場に、彼女の車が停めてあり、彼女が車を運転して行く姿を、私は何回も見ている」 「そうですか・・・」 「だから、逆に言うと、問題は、なぜ、青木さんは、土曜日と日曜日、車を持っているのに、車で行かないで、東北本線の電車を使うか、という点だな」 「そういう問題点の考え方もあるのですね・・・」 私は、自分で切り出した内容なのに、自分で分からなくなってしまった。 「そろそろ、練習に行かないと・・・」 「私も疲れたので、部屋に帰って寝ます」 私達は、2人して『アンダンテ』を出て、私は、203号室に戻った。  森川先生は、またすぐ部屋を出ていったようだった。  学校では、私達の担任の森川先生が「二本松市民オーケストラ」の定期演奏会で指揮を振るという事で、大分前から騒がれていた。私達のクラスにも森川ファンがたくさんいるようで、わざわざ1000円の入場券を購入している人が多いようだった。  吹奏楽部や合唱部の練習もその日は練習がなく、たくさんの人が演奏会を聞きに行く予定だと、同じクラスの清水美咲や新川純子から聞いていた。  私は美咲に招待券を渡して、一緒に先生に花を買って、演奏会に行く事となっていた。私は一条のり子さんの花屋さんを捜し、一条さんに先生用の花を予約した。  顧問をしていた天文学部や図書部では、全く二本松市民オーケストラの演奏会の話は出てこなかった。 「人間ってそんなもんか」 図書司書室で片平月美先生にいれてもらったミルクティーを飲ませていただいた。図書館の入口にも、「二本松市民オーケストラ定期演奏会」のポスターを片平先生が貼っていてくれた。 「片平先生も演奏会にいくのですか?」 「はい、森川先生に招待券をもらったのです。安藤さんは行くの?」 「はい、クラスの吹奏楽部の子と。先生は誰と行くんですか?」 私はわざとらしく聞いてみた。 「招待券は2枚、頂いたのですが・・・」 「気にしないで彼氏と一緒に行ったらどうですか?会場で偶然、会ったようなふりして・・・」 「安藤さんは、私に彼氏がいると思うの?」 「何もわかりません。片平先生の男の噂、高校で聞いたことはありませんし・・・」 私は、一応、片平先生に気を遣ってみた。気まずくなった私は、ミルクティーを飲み、ティーカップを早々と片付けると、カウンターに戻った。  11月13日、土曜日。いつものように、「アンダンテ」で先生と昼食が食べ終わる頃だった。 「安藤くん、先週の疑問を解明しに行こうか?」 「先生は、大体、見当はついているの?」 「確信はないけど、いくつかは考えた」 「聞かせて下さい」 「これから、行くのに・・・」 「その前に!」 「少しは、自分で考えてみたら・・・」 「何から考えていいかわかりません」 「そういう時は、1つ1つ思いあたる物から考えるのさ。そして、不可能な事を消していく」 「残った事が真実ですか?」 「そう」 「最初は何でしょう?」 「まずは、車かな・・・」 「車ですか?」 「そう、福島市と二本松市のわずか30分の時間を、なぜ車を使用しないで、電車で移動するかだ。それも毎週。しかし、青木さんは、毎日、車で4号線沿いの本屋に、車で出勤している。別に、車の運転が苦手という訳では、なさそうだ。片道15分もかかるのに・・・」 「先生は、いつ調べたんですか?」 「企業秘密・・・」 「だから、車で行けない理由があるという事さ。安藤くんは、車で行けない理由は何だろう?それが解ければ、安藤くんの疑問も解決さ」 「車を運転しない理由ですか?」 私はそこで、ミルクティーを飲みながら、少し考えた。ここは、「名探偵の助手」として、少しは、格好いい解答を、先生に聞かせてあげたいと思っていた。 「お酒を飲むから。実は、実家が福島市にあって、家の人に車を持っている事を内緒にしているから。南福島駅まで彼氏が迎えに来るから・・・」 「どうしても、安藤くんは、彼氏から、離れられないようだな」 「そうですか?」 「次の問題としては、降りる駅が南福島駅、帰る時に乗る駅が福島駅、つまりその間はわすか一駅なのに、何の違いがあるかだな。車で移動しても、10分もかからない。電車だと5分もかからない。でも歩くとなると、大変な距離だ。では、その間の距離を、青木さんは、どのように移動しているのだろうという事も、1つのヒントかな」 「その後の電車で、もう一度、移動している。バスかタクシーで移動している。彼氏が車で送ってくれている」 「また、彼氏かい・・・」 「だめですか?」 「もし、飲み会を毎週、行っているなら、わざわざ、この二本松市に住まないで、福島市に住めばいい。なぜなら、タクシー代やバス代、電車代が大変だ。それに、帰り、わざわざ、南福島駅より二本松駅に遠い福島駅に送っていく彼氏も変だ。南福島駅まで彼氏が送って行ってあげた方が、電車代も安い。それなのに、わざわざ1つ駅が二本松駅より遠い、福島駅まで送っていくのは、どうかなと思わないかい?」 「そうですね」  私の考えは、先生に撃破されている。「名探偵の助手」の名が廃れてしまう。 「彼女の実家は、福島駅の西口にあるようだ」 「それは、いつ調べたのですか?また、企業秘密ですか?」 「まあまあ・・・。つまり、青木さんは、訳あって、車を運転できず、土曜日に二本松駅から南福島駅に行く。そして、どうにかして、福島市の西口にある実家に戻り、日曜日に福島駅から電車に乗り、この二本松駅まで帰ってくると考えられる」 「なぜ、実家に帰ると思うのですか?」 「それは、安藤くんが観察していただろう。服装、靴、荷物がその時によって、色々だって。それは、彼氏の家ではなく、実家だからこそ、そうなるのではないかい。気が休める実家だから、同じ服でも、帰ってくる事に、そんなに気を使わないのさ。毎週、同じ服を着て、大人の女性が彼氏に会いに行くと思うかい?」 「なるほど・・・」 「で、決め手は、あの青白い顔だと思う」 「どうしてですか?」 「普通の本屋に勤務する時は、しっかり化粧をしている。電車に乗る時の同じ青木さんには見えない。しかし、土曜日には、化粧をしないで、電車に乗る。普通ならば、そんな事はあるまい。それに、彼女が勤めている本屋も見てきた。彼女は、別人のように化粧をして、すっかり大人の女性になっていたよ」 「そうですね」 先生の話に聞き入っていた。 「それで、先生の考えはどうなのですか?」 「これから、行けば分かると思うが、化粧をしないで、車を使用しないで、電車に乗り、途中下車する理由は1つしかないと思うのだけど・・・」 私はまだ、見当もついていなかった。 「たぶん、青木さんは、南福島駅に近くにある大きな総合病院で、毎週一回、検診か検査を受けているのだと思う。だから、化粧もしないで、車にも乗らない。多分、泊まりの検査もあるのだろうし、とても疲れる検査もあるのだろう。そして、病院が終了した辺りに、実家の誰かが青木さんを迎えに来るのだろう。それで、福島市の実家に帰り、次の日は、実家の近くの福島駅から、電車に乗って、この二本松に帰って来る、というのが私の考えだけどな」  私は反撃出来なかった。というより、先生の推理が今まで、間違っていた事がなかったため、そうかもしれないと思ってしまった。  私と先生は、車に乗った。そして、私がいつも乗る電車が南福島駅に到着する時間に合わせて、二本松のマンションを出発した。  20分くらい国道4号線を走らせ、先生は途中から旧国道に左折した。  南福島駅前には、人がそんなに多くなかった。駅の前には、沢山の自転車が並び、私達は、少し遠目から、駅の入口を見ていた。南福島駅は、出入り口が東側に1つしかないため、駅から出てくる人を見張る事は楽だった。  そのうち、私がいつも乗る電車が、南福島駅に入ってきた。そして、改札口からは、沢山の人が降りてきた。  私達は、その中から青木さんを捜すのは、そんなに難しい事ではなかった。青木さんは、いつもと同じく、青白い顔をして、荷物を持って、少し長めのスカートをはいていた。その青木さんは、他の人が行く方向と違って、駅の横の通りで、何人かと、まるで、バス停でバスを待つように、立っていた。  するとそこに、「南福島総合病院」と書いてある、大きなボックスカーが来て、青木さん達を含め、そこに並んでいた人達がその車に入って行った。先生の運転する車は、その車を追い掛けて、ゆっくり走っていった。 「病気の人の乗った車だから、多分、ゆっくり運転しているのだろう」  車は、色々な道を通って、何カ所かで、停まっている人を乗せていった。そして、最後は南福島駅の西側の近くにある「南福島総合病院」に入って行った。まさに、先生の推理通りだった。しかし、その車は、大きな玄関を通り過ぎてしまった。しかし、そのまま建物の周りを半周すると、建物の裏のある「肝臓透析者入口」という看板の書いてある入口の前でゆっくりと、停まった。そして、車のドアが開いて、車の中の人達はゆっくりとその入口に消えていった。皆、青白い顔をしているように見えた。そして、その中に青木さんの姿も見えていた。 「もう、ここで、いいだろう」 「つまり、青木さんは、1週間に一度、ここの病院で、人工透析を受けていたという事ですか?」 「そうなるね。それで、すべて、納得が行く。化粧しないのも、患者の顔色の変化が分かるように。車で来ないのも、人工透析の後は、車を運転するのが困難な事。そして、南福島駅で降りるのは、この南福島総合病院に来るため。多分、人工透析が終了すると、先程の車が、南福島駅まで青木さん達を送って行くか、福島駅まで経由してくれるか、実家の誰かが迎えに来るのだろう」  自分の203号室に戻って、ぼーっとしていた。すると、夜中、廊下が騒がしくなり、その音が201号室に消えていった。多分、演奏会の打ち合わせでも、201号室で行っているのだろう。私は自分の気持ちを確かめようと、何回も202号室のチャイムを鳴らそうとしたが、結局、押すことは、できなかった。 「明日は早く起きて、久しぶりに先生と並んで学校に行ってみようかな」 早めにお風呂に入った。外は恋人達を包むように、寒い風が吹いていた。 「私は一体誰を好きなのだろう?」  お風呂に入り、窓から見える11月の月を見ていた。
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