序章

1/1
前へ
/7ページ
次へ

序章

 咳が止まらない。  どうやら砂が入ったらしい。  暴君に支配された祖国から亡命し、早一週間。門衛の目を掻い潜り何とか足を踏み入れた希望の道程も、一日目を過ぎた頃には生き地獄と化していた。終わりの見えない広大な大地。暴力的な炎天と砂埃。原生生物の血に飢えた眼差し。もはやあの国で辛酸を舐めていた方が平和だったんじゃないか。そう後悔する程まで、この黄砂の海は満遍なく死で満ち溢れていた。  だが、あの帝国で妻と子の未来を奪われるぐらいなら、私は喜んで死を選ぶ。恐らく他の二人も同じ想いであるはずだ。 「もう少しの辛抱だ。頑張ってくれ」  ナップザックを肩にかけ直し、私は背後を振り返る。カランと鳴り響くアルミ製の水筒はとうに中身が尽きていた。  家族を鼓舞するその声も、突風の不意打ちによってかき消されてしまう。それに呼応するように砂塵が視界を覆う。砂丘の大地を突き進む強大な風は、時に呼吸困難になるほどの危険性が伴う。この調子では身を隠せる場所に向かうのも探すこともできない。  せめて二人を救おうと手を伸ばすが、すぐに無茶な行動だと悟った。視界が砂で覆われたあまり、路傍の石に足をすくわれた。全身に広がる衝撃と痛み。それと目に砂が入ったらしい。私の道を照らす希望が涙で淀んでしまう。  一週間、か。突発的な計画だったものの、まあ頑張った方だろう。砂の大波に晒されながら、私は覚悟を決める。  気のせいだろうか。猛烈な風音に紛れ、重たいエンジンの音が耳に届いてきた。  ──おい、オッサン! 寝床にしては趣味が悪すぎるぞ!  ぶっきらぼうな青年の声。薄れゆく意識の中で、私は襟を何かで釣り上げられる感覚に陥った。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加