2.利害

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2.利害

 こんなに寝覚めがいい日は久々だった。祖国にいた時すらまともに寝付けなかった。  視線を上げると、部屋の丸窓から日差しが差し込んでいるのが見えた。あんなに暴力的な日光でも、境遇が変われば恵みの光になるのか。そんなことを考えながらうんと伸びをしたところで──部屋の外から銃声が響き渡った。  そういえば、あの少年の姿がない。  途端に嫌な予感がして、飛び起きた私は壁の引き戸を思い切り開く。砂埃と熱気が容赦なく顔面に降りかかるが、この際どうでもいい。再び聞こえた音を頼りに左折し、細い甲板の道を突き進む。銃声は、舳先の方から響いていた。 「敵襲か⁉︎」  そう叫んで辿り着いた先で、一つの小さな影が落ちてくる。見ると、そこにあったのは首から血を流した渡り鳥の死体。思わず、へ、と間抜けな声を出してしまう。 「んだよ、またぎゃあぎゃあ喚きやがって。言っとくけど仕事の邪魔だけはすんなよ?」  恐る恐る上げた視線の先で、かの黒肌の少年が猟銃の弾を装填していた。かと思うと、すぐさま上空めがけて発砲し、ぐえぇと小さな悲鳴を生み出す。やがてまた一つ鳥の死体が落下し、甲板に青黒い羽根を散らせる。 「蒼天の迷い鳥──トゥ・トゥルーの群れだ。一羽が死ねば全員がその場で慌てふためき格好の的となる……名前通りの間抜けな鳥だよ」  解説している間も、少年は慣れた手付きで弾を込めて、また空へと放つ。無を貫きながらもどこか楽しそうなその表情は、昨晩目にした白狼のそれに似ていた。 「んで? アンタは一体何処を目指してるんだ?」  狩りを終えて朝食の時間、不意に少年がぶっきらぼうに話を振ってくる。船のエンジンの余熱で焼いたトゥ・トゥルーの丸焼きは、重油の匂いが染み込んでなかなか癖の強い味に仕上がっていた。 「オッサン、見るからにここの原住民じゃねえだろ。身なりも違ぇし常識も知らねえ。一週間生き延びたって話が信じらんねぇぐらいだよ」 「……返す言葉もないな」 「推し量るに……『アッチ』の国から亡命してきたんだろ? たまに見かけるんだよ、アンタみたいな服装で砂に埋もれてる死体。オレらの界隈でも話題になってるぜ? あの国、いま圧政で住民が下敷きになってるって」  そこまで、推測されていたのか。  動揺を隠そうと、私は食べかけの肉を一口齧った。過去の記憶が脳裏をよぎるせいか、鼻につくあの匂いもかき消えてしまう。度重なる高額の税金。広がっていく貧困格差。貴族のでたらめで首を刎ねられる同胞。あの国にはもう、未来がない。  覚悟を決めるように、私は一度息を整える。 「……東洋の都へ、連れて行ってほしい」  ほう、という声と共に少年が顔を上げる。 「東洋には移民に寛容な国が存在する、と小耳に挟んだことがあるんだ。恐らくここ近辺は私の祖国の影響で検問が厳しくなっている。であれば、たとえ文化が大きく異なろうと一縷の希望に賭けてみたい」  妻と息子に、少しでも平穏な未来を歩んでもらいたい。それが今の私を形作る、唯一の使命なのだから。 「……一つ忠告しておく」  少年の冷淡な声が、ボイラー室全体に木霊する。 「この黄砂の海は広大だが必ず果てが存在する。東洋の都は果ての先。つまりそこに着けばオッサンはまたサバイバル生活に逆戻り。盗賊や猛獣がいるかもしれねぇ未知の世界を突き進むんだ」  アンタにそれが出来るのか──試すようにこちらへと伸びる視線。そんなもの、答えは一つに決まってる。 「今まで祖国の圧政にも、この大地の嵐にも耐え続けてきたんだ。ここで断念しては、過去の自分が可哀想だ」 「ハッ、どうやらアンタ、思ってる以上に頭がイッてるらしいな」  こめかみを何度も指でつつきながら、少年は溜息をつく。そうして立ち上がったかと思うと、部屋の扉へと歩みを進めていった。 「ちょうどオレもこの海の果てが見たかったところなんだ。まあ、利害の一致って奴だ。不本意だが連れてってやるよ」  その口元が明らかに吊り上がっていたことを、私は敢えて指摘しなかった。
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