5.遺産

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5.遺産

 どん、と衝撃が背中を押した。  何が起きたか、一瞬理解が追い付かなかった。しかし反転する視界の中、赤い水滴が宙に舞う様を目にし、否が応でも理解してしまう。  大量の瓦礫と爆炎を背景に、少年の顔が目前に迫る。腰より先を化け物に喰われながら、私を庇うために。  やがて、ざらざらとした砂の感触と、人にしては軽すぎる体重とに挟まれて、無力感と共に地面へ着地する。周囲に巻き上がった砂埃が、皮肉にも我々を捕食者から覆い隠してくれていた。 「な、何故このようなことを……ッ!」  四つん這いになりながらも、私は少し離れた場所に落ちた少年の半身に急ぎ近づいた。切断面から溢れ出る生命の源を枯れた大地吸収し、段々と赤黒い塊へと変貌していく。 「君には積荷を待っている顧客がいるだろう? 私のような愚かな人間と天秤にかけるなど……そうだ、妻と息子を乗せていただろう? 君には二人を目的地へ運ぶ約束が──」 「いい加減にしろッ!」  不意な怒号に、思わず肩が跳ね上がる。その言葉がなけなしの活力を無理矢理振り絞って出したものだとは、顔色や声音から嫌でも実感してしまう。 「……本当はアンタも解ってんだろ?」  横から掴みかかってきた少年の手が、震えながらも私の服の裾を強く引っ張ってくる。 「アンタはオレと同類だ。大切な存在を喪ってなお過去に染み付いた呪縛に囚われ、あたかも人生の目標だと豪語する。オッサンはオレみたいになっちゃ駄目だ。オレが今まで関わってきた誰よりも、純粋な心を持ってんだから」 「な、何を言って……」 「……ここまできて現実逃避か」  裾が更に強く引っ張られ、少年の歯を食いしばる様が目前に迫った。 「アンタの言う家族は、ハナからオレの船に乗っていない。あの日引き上げてやった時も、アンタの周りには鞄ぐらいしか落ちてなかった」  頭の中で何かが、パリン、と割れた気がした。 「勝手に鞄の中身を見させてもらったよ。ギョッとしたね……まさか二人分の頭蓋骨が丁重にしまい込んであるとは。さてはアンタ、身内の半身が目の前で喰われるの、これが初めてじゃねぇだろ?」  途端、今まで奥底にしまっていた記憶が脳内で明滅する。  亡命生活が始まって四日目のこと。持ってきた食料や水分が底を尽き、意識は茫然としていた。そこへ奇襲をかけてきたのが、先刻と同じサンド・ワームだった。  息子は自覚するより先に頭だけになった。妻は逃げる道中、奴に喰われる寸前で私を突き飛ばした。貴方だけは生きて──死の間際にも拘わらず穏やかな笑顔を最期に浮かべながら。  そうだ、私は狂っていたんだ。過去の幸福な景色を現実に張り付け、強引にも正常を保とうとした。そうでないと、自我が根本から崩れ去ってしまいそうな気がしたから。 「怒りに身を任せるのはいいが……本来の目的だけは忘れるな」  呼吸が細くなっていく中、少年は裾から手を離し、首飾りについた宝石を、プチン、と引きちぎった。 「この場にはオッサンしかいねぇ。だからアンタにこれを託す。母さんに広い世界を見せてやってくれないか。オレには……味気ないだけの砂の海しか見せてやれなかった」  差し出される翡翠の石を、私はゆっくりと両手で包み込む。自分で見せてやれ、とかまだ足掻けるだろ、とは言える言葉は他にもあった。けど、確実に死に近づきつつある彼に対しては、もはやこれぐらいしか効果がなさそうだった。 「今ならまだ逃げ切れる。船とは反対側に走れ。そこなら安全面でも、方角的にもアンタに都合がいい。ほらボサっとすんな、走れ」  走れ──低く冷たいその声音に突き動かされ、宝石と共に私は少年に背を向ける。  彼の声も、砂塵が噴水の如く撒き上がる音も、怪物の嬉々とした雄叫びも、全てが聴こえなくなるまでがむしゃらに走り続けた。
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