佐々山電鉄応援団 第1巻

12/18
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/18ページ
   ♢ 温泉に行く当日。  朝8時に、自宅脇のガレージから父親の運転する自動車で前橋市の自宅を出た。  ゴールデンウィーク前の週末は地球温暖化の所為なのか少し汗ばむような初夏を思わす気温になった。  僕は、山の方の温泉なので気温差があると思い長袖を着ていた。  麻友は薄手のワンピースを着て居て、寒くなったらカーデガンを着るから大丈夫と言っていた。  途中で愛理を乗せて、関越自動車道で北上するルート。  榛名山の中腹にある佐々山町の叔父の家まで一時間弱で到着した。  ホテル鈴木。  叔父の家は、低温の源泉が湧く地獄沢鉱泉という場所で個人経営のホテルを夫婦で営んでいる。  佐々山電鉄小湯線の地獄沢駅前にある個人経営の三階建てのホテル。  自動車を降りると、前橋市より標高が高いので寒いと思っていたけど気温差は無かった。  僅か、前橋市から自動車で一時間ほどの距離なのに、とんでもなく遠出したような錯覚をする場所。  周囲を山々に囲まれ、佐々山川渓谷のザーッと心地よい清涼感ある渓流を流れる水の音。  なんとなく、子供の頃から好きな場所。  無人駅で、短いプラットホームとジュースの自動販売機、ベンチがあるだけの小さな駅に老婆が一人。  一時間に一往復しかしない小湯線の二両編成の電車が、ちょうど小湯山トンネルを出てくる処だった。  カンカンカンカンと赤色の踏切警報機が交互に点滅をして、黄色と黒の遮断機が降りていた。  ゴーッ、ゴーッとトンネルの中から轟音がしてライトが見えると山吹色の電車がトンネルから飛び出してきた。  地獄沢の名前の由来である砂防ダムのある小さな沢を跨ぐ緑色のガーダー鉄橋を轟音を立てて渡ると駅に停車した。  駅員も車掌もいないので、運転士が路線バスみたいに、ドア扱いや精算をするため先頭車の一番前のドアだけが開く。  老婆は、慣れた感じでオレンジ色の機械から整理券を抜き取ると運転士はドアを閉めて電車を発車させた。  鉄道が好きな僕は、その様子を興味深く眺めていた。  叔父達から、この小湯線が近いうちに廃止になるかも知れないという話は聞いていた。  むしろ、いままで廃止の話が無かった方が不思議な路線だと感じていた。  伯父夫婦が経営しているホテルも、小湯線が廃線になれば大打撃になる。 「なんとかならないか?優は勉強してるんだろ」と叔父から相談を持ちかけられる。  高崎交通経済大学の中島先生から、前橋市に限らず群馬県の公共交通についてレクチャーは受けていた。  愛理がホテルの自動ドアを抜けて駆け寄って着た。  まるで、朝のテレビのモーニングショーとかの清楚なワンピースを着た女子アナみたいな格好だった。  愛理は、背も伸びて大人っぽい服を着ていたので別人みたいになっていた。  そんな大人っぽくなった愛理と一緒に温泉に入る事になると思うと憂鬱な気持ちが余計に増幅した。 「おはようございます。今日は、よろしくお願いします」と愛理が挨拶をして乗ってきた。愛理は動揺も悪びれる様子も無い。 「じゃあ、出発するか」  叔父夫婦が、ホテル前まで出てきて僕達を見送ってくれた。  関越自動車道の沼川インターチェンジから高速道路に入った。  一般道と違い、防音壁に囲まれた単調な道路。  沼川インターを過ぎると山が迫り、勾配が続きトンネルが増える。  一般道に降りて暫く走ると、そのホテルが見えてきた。  到着したのは、山の上にある温泉ホテル。  テニスコートや夏季限定らしい屋外プールがある。予想していたよりも、少し大きくてグレードが高そうなホテルだった。  日帰り入浴という気軽さが無ければ、僕達には縁のないホテルでもある。  グレーの制服を着たホテルマン達も、場違いな家族に嫌な顔もせずに「いらっしゃいませ」と迎え入れてくれた。 「日帰り入湯で家族風呂を予約した鈴木です」大理石のフロントカウンター。 「はい。鈴木様。鈴木愛理様でのご予約ですね」 「お一人様の通常入湯料の他に、貸切湯は追加料金が加算されますがよろしいですか」  会計を済ませて、家族風呂のあるエリアに移動する。  お母さんと麻友、愛理はレンタル用の湯浴み着をスタッフから受け取っていた。  麻友が歩きながら、湯浴み着を広げた。 ワンピースみたいな着衣式。  愛理は「レジオネラ属菌という温泉施設では死活問題に成りかねない衛生上の管理は個室で監視が困難な風呂なら尚更ね」  僕は「愛理も入るの?」と念の為聞いた。 「もちろん。優ちゃんと混浴。楽しみね」  愛理は、中学生になってから友達も出来て社交的になったとは聞いていたけど無口で一人遊びが好きな小学生時代とは別人だ。でも、僕にとって小湯山の続きを聞き出したいという目的があるので我慢処かも知れない。  愛理は「初恋の相手が身体を隠して、優ちゃんだけ愛理に見られるのは酷かしら」 「知っていたの?」 「それと小湯山の件を知りたい訳ね」 「全部お見通しなの?」 愛理はニコニコして 「愛理は変態じゃないからね。ちゃんと愛理と優ちゃんが混浴しない回避方法を考えているわよ。安心して」とクスクスと笑う。僕は安心した。 麻友は僕を見て「お兄ちゃん。悪いね」とニヤリと笑ったけど、愛理は顔色一つ変えずに廊下を歩いていた。  家族風呂は、内湯と露天風呂があるそうで、同じ区画の貸切湯は3部屋並んでいる。  その一つが指定された家族風呂で、既に2部屋が使用中の札になっていた。  麻友は「どんなお風呂か見てくる」と掛けだした。  お母さんが「コラっ麻友。走らない!」と怒鳴ると「あの子。ホントに中学生なのかしら」と嘆く。  麻友が歓声を上げているのが聞こえた。  僕達は、服を着たままで裸足になり貸切湯という施設を見学する事にした。 高級そうな大理石の内風呂。 浴槽は5人ぐらい一緒に入れる大きさ。 洗い場は2つ。  露天風呂は、展望式の湯船で海外の有名ホテルにありそうな断崖絶壁な部分から湯が滝のように落ちるような仕組みで、湯船だけは隣接する三つの露天風呂とは繋がっているらしい。さすがに浴槽だけが繋がっているけど目隠しで近隣の様子は窺えない。  山々に囲まれ、青い空には白い雲が流れ、鳥が鳴き、川のせせらぎ。  確かに、入らないのは勿体ない。  恥ずかしさよりも、今すぐにでも温泉に入りたいという気持ちになった。  でも僕も愛理も混浴は無い筈。 「あっ、滑った」と愛理の声と同時に僕は背後から愛理に押されて、服を着たまま露天風呂に突き落とされた。 硫黄臭い湯と、ヌルっとした浴槽の床でまた転倒した。  ケガはしなかったけど、水着でもダメな浴槽に服を着たまま転落したのでホテルの人に怒られると思った。  愛理は「ごめんね」とお祈りポーズをして僕に詫びた。  着替えなんか持って居なかった。  愛理が「優ちゃんが嫌じゃなければ、服が乾くまで愛理の着替でも着てれば」と進言してきた。  鞄から出してきたのは 濃紺の地味な丸襟だけが白で細いリボンタイのついたワンピースだった。  硫黄臭い、濡れた僕の服は変色してきて乾いても、仮に洗濯をしても着られなくなると母親に言われた。  まして風呂に落ちた事は内緒にしようという話し合いで、硫黄臭い服を着た  男子中学生がホテル内に居たらアウトだ。  母親に「優。愛理ちゃんの服を貸して貰いなさい。黙ってれば解らないから」  僕は脱衣場で着替えた。  麻友は「キモっ」とクスクスと笑う。  愛理が「へぇ。優ちゃん。可愛い」と僕を見て言った後に僕の手を引っぱった。  愛理も「アタシもパスします」と言った。 「優ちゃん。愛理と来て」と小声で脱衣所を連れ出された。  僕と愛理はロビーに戻りソファに座る。 「うふふっ。予定通り」と愛理は笑う。  愛理は、周囲をキョロキョロと見渡してから「奴らはいないな」と呟いた。  僕を風呂に突き落として、事前に女の子用の着替えを用意していた理由。 「さて本題。雨宮親子は、昨晩から此処に宿泊してるよ」 「でも僕は女の子の服だよ。着替えたいよ」 「雨宮京子は究極の男子嫌いだよ。優ちゃんが男子なら相手にもされないよ。 そのためには優ちゃんが女の子の恰好になってて貰う必須があるの」  「京子ちゃんって、そういう子なんだ」 「あと、京子ちゃんは自分が認めた相手じゃないと話すらしないよ。難しい子なんだ」  愛理は「作戦としては、優ちゃんから声を掛けるのでは無視されるのは確実。優ちゃんは女の子の服を着たまま女の子として、会場の前で交通関係の難 しそうな本か資料を見ていて、京子ちゃんの興味を誘う。相手が話しかけてきたら質疑応答。京子ちゃんを満足させる回答ができるか?」  僕は心配になった。  自分のレベルを試したいとは思ったけど、いきなり相手が京子ちゃんだと自信が無い。論破されて終わってしまう。下手をすると再起不能までに叩きのめされるかも知れない。  愛理は、ソファを立って、僕に「こっちよ」と場所を移動した。  貸し切り露天風呂のあるエリアから階段を下りてフロント前のロビーに降りた。 「交通経済学者の雨宮教授が主宰する交通政策の勉強会があるの。メンバー制だけど」と言いながらホテルの会議室前に来た。  何故、愛理が雨宮教授の事とか詳しいのかは謎だった。 「メンバー制でね。招かれない人は入れないの」 「じゃぁ僕はダメだね」 「でもね。去年の秋に猿山さんって福井県の中学生の女子だけが京子ちゃんの伝手で参加できたのよ」 「京子ちゃんに気に入られればいいわけだね」  整理すると、愛理は何処からか雨宮教授の事や、教授の娘の事、僕が交通政策に関わって居る事を調べ尽くしていた。  愛理は、事前に用意していたらしい資料を僕に渡した。  グリーンスローモビリティの資料だ。 「この資料。優ちゃんがホールの手前にある椅子に座って読んでいて。雨宮京子が話掛けてくる事を願いましょう」  結構な厚さの資料を僕に手渡した。  グリーンスローモビリティとは、時速20キロ以下で公道を走行可能な少人数向けの小型電動自動車。イメージとしてはゴルフ場のカートに似ている。通常は窓がなく、冷房も無く、環境にやさしい電動で排気ガスを出さない等の車両が多い。  あえて言いきれないのは実証実験の試行錯誤の車両が一部ある為で、将来的には基準を満たした車両と定義になると思う。  いわゆる電車や路線バスなどの駅や停留所までのファースト・ラストワンマイル(自宅や目的地という連続移動をする為に最初と最後の移動手段)  愛理は「優ちゃんの腕次第よ。雨宮京子に気に入られるように、この資料を読み解いて質疑応答をしてね」と愛理はウィンクした。  愛理は、僕をマジマジとみると「さすがに兄妹ね。麻友ちゃんに似てる」と僕に手鏡を見せた。  よく麻友と姉妹に思われるけど、なるほどっと納得した。 「ところで愛理って何者なの?」 「普通の女子中学生よ。優ちゃんの従姉妹」 「女子中学生はこんな細工しないよ」 「じゃっ。国家機関の施設から派遣された女子中学生かもね。うふふっ」 「えー。嘘っぽい」 「あははっ。信じろって方が無理だねぇ。信じても信じなくても良いよ。その うち嫌でも解るから」 「なんか。愛理って施設から来て、僕達と距離を置いて居て……って感じだったけど」 「そういう初期設定。アタシが施設から来たのは事実。違うのは国家機関の諜報の”施設”だけどね」 「それって本当なの?」 「ほんとうだよ。国民の生命と財産を守る為。指示命令があれば、愛理は優ちゃんと添い寝、混浴、エッチだってしちゃうよって話」 「エッチもするの?」と聞き直した。 「優ちゃん。それセクハラ」 「愛理が先に言ったんからだよ」  愛理は「まぁ良いか。優ちゃんは愛理の事が好きで、初恋の相手という訳だよね」 「ちょっと。ハッキリ言いすぎだよ」 「えー。違うんだ。愛理は優ちゃん好きよ」 「なにそれ。従姉妹として?」 「愛理は、任務が終わると鈴木家から居なくなるよ。恋愛対象だと別れが辛くなるよ」 「それ本当?」 「うん。小湯山の件が片付いたら任務完了」  愛理が居なくなる前に、今回の京子ちゃんと仲良くなる作戦が成功させないと、すぐに愛理は任務不履行で解任され鈴木家に居られなくなる。  だから、僕は女の子のフリをして京子ちゃんと仲良くならないと何も始まらない。  愛理は「じゃぁ。愛理の王子様。愛理を守る為に、女装して任務遂行を頼んだわよ」  愛理は、ソファを立つと思いだしたように 「雨宮京子はね。たぶんRRMS計画って奴の中核的な人材にスカウトされる筈なの。日本に取っては大打撃」  愛理が国家機密を握っている理由。  雨宮京子という交通政策とまちつくりの天才的頭脳を持つ美少女を奪取する。  僕は半信半疑だけど、なんとなく理解しつつある。  叔父と叔母は、今は佐々山町のホテル鈴木という温泉ホテルのオーナーだけど、元は航空自衛隊の精鋭部隊に居た。叔母も自衛官。  今は夫婦で予備自衛官という立ち位置に居る筈だ。 「叔父夫婦も知ってるの?」 「当然でしょ。小湯山の機密保持と監視目的なんだから。今日の温泉の話も政府からの指示で誘ってるのよ」  どうやら僕は、既に巻き込まれてしまっているようだ。 交通経済学者・雨宮教授と娘の雨宮京子ちゃん
/18ページ

最初のコメントを投稿しよう!