佐々山電鉄応援団 第1巻

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 第4章 交通政策の神童・雨宮京子  僕が、佐々山町に転入した中学二年生の  9月。  美佳ちゃんと話をして、二人だけの応援団では佐々山町も渋沢町も話を聞いてくれないし、僕達には実績も経験も無い。  僕は、他力本山で何処かの大きな組織や団体を巻き込まないとダメだと判断した。  運よく、雨宮親子が前橋市で講演会をするので、中島先生に相談して雨宮親子を小湯線シンポジュームに巻き込まれば、それだけで渋沢町、佐々山町だけでなく群馬県や国も動いてくれると考えて相談する事になった。  秋雨前線の影響で、朝から雨が降っていた。  前橋市のテルサと呼ばれるコンベンションホール。  日本屈指の交通経済学者である雨宮教授の講演会が行われる。  前橋市には、元はデパートだった場所や建物を、コンベンションホールや新たな形の商業副業施設にするケースが多い。  特に前橋テルサは、現在は閉館しているけど、当時は宿泊も出来たり会議や様々なイベントが開催されていた。  雨宮教授は、いつも愛娘の京子ちゃんを連れてくる。  中島先生を通して渋沢温泉の大女将の依頼をお願いしていた。  雨宮教授も多忙。  京子ちゃんも学業と平行して全国の鉄道存廃問題や路線バスの問題に相談を受けるなど多忙。  結局、正式な返答も無く講演会当日を迎えた。  雨宮教授と京子ちゃんは、もう会場入りしている。  交通政策に関わる講師は、あえて主催者サイドからの、お迎えのタクシーを拒否する。  理由は、基調講演の挨拶で必ず、講演依頼のあった街の様子、交通の様子を前泊したり、早めに現地到着して自分の目と足で調査したりしてコメントを語るためだ。  「素晴らしい街ですね。ただ交通網は寂しい。街を歩く回遊性が乏しい。ところで此処に来場した皆さんでマイカーで来場した方いますか?」と意地悪い質問をする講師もいる。  公共交通利用を促進する集いに不便な公共交通を使わずに、マイカー依存する参加者を叱咤する場面もある。  主催者としては、基調講演の講師選択は慎重に決定したとしても、突然の発言は顔面蒼白、冷や汗物だ。  雨宮教授は控え室にいる。  「雨宮先生は、講演前は他の人と逢わないし、依頼も受けない。いまは逢わない方が良いよ」と中島先生が言う。  「じゃあ京子ちゃんを探します」  でも京子ちゃんは何処にも居ない。 「トイレに行ってきます」と、僕は落ち着きが無い子供のように中島先生の隣の席からトイレに向かった。   ホール脇の男子トイレに行く。  白のセーラー襟の濃紺のワンピースを着た美少女が洗面台の前に居た。   ソバージュが掛かった髪に、アイドルみたいな容姿端麗の美少女。  居るのは構わないけど、そこは男子トイレの洗面台。  別に、学校でも最近では、女子トイレが混み合っている場合で休み時間内に済ませられないと判断すれば、空いている男子トイレの個室や職員専用トイレも借りて良いという話は聞いた事あるので、あえて気にしないようにした。  鏡の前で鼻歌を歌っている。 京子ちゃんだ。  特段、女子トイレは、混んでいて並んでいるとかいう気配は無いようだけど?  僕は、少し嫌な感じがしたけど、我慢出来ないので小便器の前に立つ。  京子ちゃんが近づいてきた。 覗き込んできた。 「うわっ。なに?」 「久しぶりね。詐欺師の鈴木さん」 「詐欺師?」 「なにが女子よ。付いてるじゃない」 「見ないでよ!出て行って」 「えっ、こんな可憐な美少女に出て行け!って酷くないですか?」  僕が不思議そうな顔をすると 「中島先生の秘蔵っ子って、お父さんから聞いてた。たぶん鈴木さんだと思ったけど。男子だっていうから確かめに来たのよ」 「確かめに来たって。変態なの?」 「変態?失礼ね。詐欺師の分際でっ」  確かに女の子の服をきて騙していたのは事実だし、今日は頼みごとがある。  僕が話しかけようとすると 「講演が終わったらお伺いします。うふふ。楽しみ、楽しみ」と笑いながらトイレを出て行ってしまった。  僕がロビーに戻ると、中島先生は「京子ちゃん。戻ってきたよ。いまね控え室」と残念そうに言う。  「いま本人に逢いましたよ。しかも男子トイレで」と言うと中島先生は「やっぱりね」と笑った。  中島先生の話だと、京子ちゃんは普段から少しでも何かに興味を持つと解決しないと気が済まない性格らしい。 だから、僕が男子か女子か解らなければ、平気で覗きに来る。  そういう好奇心旺盛な正確が、天才の土壌らしい。    開演。  僕と中島先生は、ステージの一番前にある関係者席に座った。 「定刻になりましたので、前橋市交通市民フォーラム。市街地中心商店街と鉄道・路線バスの施策を開演します」  登壇と言っても段差がある程度のステージなので、結構な至近距離。  来賓挨拶。  良くありがちな音響は五月蠅くて、慌ててスタッフが音響チェックを調整したり、パワーポイントのスライドが止まるなどのトラブルは珍しく起きなかった。  「本日の基調講演は、国立何処乃大学経済学部交通経済学科教授の雨宮先生にお願い致します」と司会者の紹介。凄い拍手。  開演したら、さっきの服装のまま壇上に雨宮教授と並んで登壇してきた。  やはり雨宮京子ちゃんだった。  基調講演は雨宮教授が行い、そのアシスタントに先ほどの美少女がチョコンと椅子に座って居る。  交通政策界の神童”雨宮京子”。  雨宮教授と雨宮京子ちゃんの講演会を拝聴して、同年代でありながら大学の先生や大人達が「天才美少女」と褒め称え、天才的かつ神々しい才能を存分に語り、噂に違わぬ本物であると認めざる得なかった。  僕も、中島先生の指導を受けているので、何を語って居るのかは全て理解している。  基調講演後の第二部。  パネリストとして登壇した京子ちゃんが登壇した大人顔負けのトーク。  誰もが感銘し、知識だけでなく実務的な事例まで語り出す手腕は、僕に身の程知らずという言葉を投げつけられた気持ちにさせた。  可愛らしいイラストと、子供っぽい声で可愛らしく解説する姿は学校の自由研究発表会みたいで和んだ。  でも、可愛いらしいのは語り口だけで、内容は交通問題の核心に迫る地域課題を的確に指摘していた。  質疑応答では、天才美少女の鼻っ柱を折ってやる的な悪意を持った質問、または交通政策に関係無い質問などが集中して終了が15分遅れた。     ♢  僕は、閉幕後に楽屋に招かれた。  楽屋に入ると雨宮京子はノートパソコンを叩いていた。  眼鏡を掛けていた。  美少女の眼鏡は、なんか愛らしいと思った。  「先ほどはどうも」と僕が声を掛ける。  ハッとした顔になり「すいません。集中していたので」と立ち上がり眼鏡を外しテーブルに置いた。  「まぁ、おかけください」と京子ちゃんと並んでソファに座った。  佐々山電鉄小湯線シンポジュームの依頼の件をお願いした。 「別に構いません。お受けします」 「良かった」 「でも。優さんは出ないの?地元でしょ?その美佳さんって人も出た方が良くないですか?佐々山電鉄応援団」 「うーん。美佳ちゃんは難しい話をすると寝ちゃうから。たぶん僕が出る事になるよ」 京子ちゃんは、腕組みをして目を瞑り、直ぐに目をぱっと見開くと 「アタシと勝負しませんか?」 「勝負って?」 「一年後に佐々山電鉄小湯線の存廃問題でアタシも登壇します。お父さんにも別に正式に講演依頼が来るはずです」 「佐々山電鉄小湯線と路線バスだけでなく、本体も廃止の危機って聞いたけど?」 「まだ水面下の話ですけど、佐々山電鉄が公的支援を狙うなら廃止を匂わせて行政や市民を煽る可能性はアリです」 「佐々山電鉄も群馬版上下分離方式を貰う為の危機感のあおり」 「さすが!その通りです。でも路線バスと小湯線は切りますよ。だから危機感を持ってる訳です」 「そうなんだ。僕の親戚の家が地獄沢駅前でホテルを経営してるけど、小湯線が廃止だと困るなぁ」 「うふふ。そこで勝負するんです。アタシのお父さんが基調講演をして、その後にパネルディスカッション。そこでアタシと鈴木さんがパネリストとして対決する。地元と天才美少女対決。ジャッジはウチのお父さん。観客の反応で採点って訳ですよ」 「勝負っていうからには、なにか掛けるの?」 「はい。アタシは絶対に勝つのは解ってますから、アタシが勝負に負けたら絶対にアタシが不利な条件を掛けます。エッチな事でも何でも優さんの言う事を聞きます。優さんが負ければアタシとお父さんの助手をして貰います」 「雨宮さんのお父さんがジャッジって不利だよね」 「アタシに勝つには死に物狂いで勉強をして貰わないと勝てませんよ。頑張って欲しいです。一年後アタシ。イイ女になってますよ」  そしてニコッと笑い「どう受ける?」と僕に回答を求めてくる。  いつの間にか、中島先生と雨宮教授は戻ってきていた。  雨宮教授は、娘を叱るどころか笑っていた。  「鈴木くんだったね。ウチの京子は一度決めたら引かないよ。迷惑だろうけど受けてあげてほしいね」と頼まれた。  僕は「でも!京子さんは」と訴えた。  「うん。だから安心してる。約束は守らせる。だから遠慮無く京子をギャフンと言わせて貰いたい。生意気な小娘をね」  それは、京子ちゃんが負けることが無いという話らしい。  「それより鈴木君。助手の件も本当に約束を守って貰うからね。私達も忙しいので手伝って貰うことが沢山あるんだ」  京子ちゃんは「中島先生の秘蔵っ子なら大助かりだわ」と勝手に親子で盛り上がっていた。  楽屋を出て中島先生は「うーん。優くん。一年間、スパルタ教育になるけど基礎から勉強しないと勝てないぞ」と言われた。  その翌日から、沢山の教材や資料、論文を貰い、週末は経済学や土木、法令や過去の事例などを中島先生の大学のゼミにいったりして勉強をした。 数学的な計算や理論もあるので、佐々山 町に住む従姉妹である愛理の家から、佐々山町の中学校に転校した。  遅れていた学校の勉強に併せて、どんどん中島先生の講習は難しくて専門的になっていった。
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