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3 令和七年 六月十七日
その日も朝から雨が降っていた。
「とうとうこの町でも感染者が出たらしい。一体世の中はどうなってしまうんだろうな、コロナの治療薬が開発されてやっと生活が落ち着いたと言うのに」
父親が朝刊に目を通しながら、食後のお茶をごくりと飲み込んだ。
「睡ったまま目が醒めなくなるのよね、いやだわ早く治療法が見つかるといいんだけど」
母親が洗い物をしながら相槌を打つ。
「行ってきます」
そんな両親の会話を聞きながら、倉田華菜は玄関に向かった。
「華菜、お弁当忘れてない。ちゃんと持ってってよ」
「ちゃんと入れたよぉ、じゃあ行ってくるね」
「はい、行ってらっしゃい」
いつもの何げない会話だった。
埼玉県結芽浦市の公立高校の二年生、倉田華菜十七歳。
芽吹いた若葉のように、彼女は青い春の真っ只中にいた。
まだまだこれからいくらでも、明日が広がっているはずであった。
彼女の通う県立結芽浦北高校は、徒歩で十五分ほどの近さにある。
自転車を使うまでもなく、十分に徒歩圏内だ。
やっと目覚め始めた人影まばらなアーケード商店街の中を通り、住宅地域を過ぎるといきなり農村風景が広がる。
そこに結芽浦北高校は建っていた。
黄色い傘をさした華菜が校門のそばまで来た時に、一台のミニバンが通り過ぎた。
「きゃっ」
華菜は思わず声を上げた。
車が水溜まりの水を撥ね上げたのだ。
「大丈夫か倉田」
見上げるとそこには黒く大きな傘を手にした、露城(つゆき)真吾の顔があった。
「あっ、露城先輩──」
華菜の頬が一瞬で赤く染まる。
「まったく非道い車だな、濡れなかったか」
「は、はい大丈夫です」
華菜は胸の動悸を悟られまいと俯くと、ぴょこんと頭を下げ小走りに校門内へ駈けて行った。
まだ、華菜の周りには日常があった。
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