第一話

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第一話

 引っ越しをするべきか、ここに留まるべきか。  人魚のおかげで、ようやくどうするべきか決心できた。  少し長くなってしまうが、その経緯を話そうと思う。      *  僕は大学を卒業してすぐに建材メーカーで営業の職に就いた。それをきっかけにはじめた一人暮らしはもうすぐ二年になろうとしている。ごく一般的なワンルームマンションであっても、二年も同じ場所に住み続けていると、なんとなく愛着がわいてくるものだ。しかし、上司からは他所への引っ越しをすすめられていた。  職場が移転して遠くなったからだった。  これまでの通勤時間はおよそ三十分だったが、移転後は一時間半近くもかかるようになった。もし、引っ越しをするのであれば、会社が費用を全額負担してくれるという。  家族のいる社員であったとすれば、子供の学区の問題などで、引っ越しも簡単ではないかもしれない。しかし、僕は独身で一人暮らしだ。引っ越しになんの枷もないのだが、どうするべきかもう一ヶ月ほど悩んでいた。 「白川君、引っ越しはどうするが決めた?」 「すみません。あと少しだけ考えさせてください」 「わかった。でも、引っ越しの期限は半年以内だよ。それ以降は費用が出なくなるから気をつけて」  上司は優しく対応してくれているが、そろそろ痺れを切らせそうでもあった。僕以外の社員は引っ越すか否かを決断し、すでに書面での意思表示も済ませている。  そういった状況のときに、僕は人魚を飼うことになった。  取引先と打ち合わせをした帰りだった。駅前の雑多として場所に、僕はアクアリウムの店を見つけた。店内にも店頭にもたくさんの水槽が並び、色とりどりの熱帯魚たちが、楽しげに泳ぎまわっている。  その店の前を通り過ぎようとしたとき、僕はなにかの視線を感じて足を止めた。  店頭に並んだ水槽のひとつに、奇妙な生き物がいる。大きさは二十五センチほどで、上半分には顔があり腕があり、下半分には金色の尾鰭を認めた。その生き物が水槽のガラスに顔を近づけて、僕をじっと見つめていた。
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