本が好きな友人

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本を買うのが好きな友人がいる。でも誰かに彼女の話をするとき、本が好きな人だとは言わない。 よく一緒に映画を見たり、ライブに行ったりしますね。そのように紹介する。 部屋の一角にカラーボックスが並んでいる。日本でよくある三段重ねのオーソドックスなタイプ。色はそれぞれ違うけれど、すべて無地だ。 青いカラーボックスが一番のお気に入りらしい。「満足いく仕上がり」と彼女は言う。 中身はすべて書籍だった。小説、漫画、詩集、エッセイ、辞書、学術書、いろいろある。いろいろすぎて彼女の好みは分からない。 共通点といえば帯が外されていることくらいだろう。 「どれくらい読んだ?」 「うーん。半分も読んでない。たぶん」 「たぶん」 「半分は嘘かも。読んだかどうか覚えてないのがほとんど」 本を買うのが好きだと言うと、人は「読書家なんだ」と理解してしまう。それは尤もな反応だ。 しかし彼女は読書が好きではない。嫌いというわけでもない。読むものは読むし、興味がなければ読まない。 ただ、彼女は本を買うのが好きだ。 青いカラーボックスの中に青系統の背表紙が並んでいる。 一番上の段、左端。ちょっと昔にヒットしたSF小説の文庫版。なぜか三巻だけ。彼女は読んでいないらしい。ほとんど白に近い水色の背表紙。 一番下の段、右端。タイトルは聞いたことがある気がするミステリー小説。彼女は読んでいないらしい。ほとんど黒に近い濃紺の背表紙。 右から左に向かって彩度が高くなり、上から下に向かって明度が低くなる。 少し離れたところから、タイトルの文字を意識しないように全体をぼんやり眺める。色見本みたいだ。 赤いカラーボックスは上部に空きが目立つ。緑のカラーボックスは色の印象がちぐはぐで、あまり美しいグラデーションとは言えない。黄色のカラーボックスはすべての段が埋まっているけれど、ほとんど同じ色で代わり映えしない。 薄紫のカラーボックスは、真ん中の段だけきれいなグラデーションだ。でも青に寄りすぎたり赤に寄りすぎたり、紫よりもピンクに近かったりして、入居先に困った背表紙たちが下の段に集まっている。 確かに青いカラーボックスの完成度は高い。文字の色も控えめで、違和感なく統一された青、でも間違いなく両隣とは違う青。 「あ」 上段の右に、私が好きな漫画の二巻を見つけた。彼女も漫画はそれなりに読むほうだ。少しの期待をこめて尋ねる。 「これ、よかったよ。私は結構好き」 「読んだ~。四巻で泣いちゃった」 「じんわり刺さるよね、あそこ。……で一巻と三巻以降は?」 「ああ、二巻以外は表紙のイラストが背表紙まで続いててさ」 だから色合い的に入れられなくて、二巻だけ置いてあるのと真顔で答える。 なるほど。それで一巻と三巻以降は? 売ったのだろうか。 「中身読むやつは他の本棚に置いとけばいいのに」 「やだ。これはここに入れるために買ったんだから」 「じゃあ二巻だけ二冊買ったら」 「同じ本二冊も買うのもったいなくない?」 「……そうかもねえ」 おそらく一生読まない本も背表紙の色だけを理由に買い溜めるのはもったいなくないのだろうか。疑問に思いつつ、趣味はひとそれぞれと自分に言い聞かせる。 表紙のデザインが気に入ったから。パッケージがおしゃれだから。そういう買い物の仕方もある。 彼女は本を買うのが趣味だ。それは事実だけれど、彼女について説明する言葉として適切ではなかった。 ジャンルもバラバラ、全巻揃うことは絶対にない。そもそも読むために買っていない。観賞用ではあるが見るのは背表紙だけだ。 背表紙の色コレクターとかいう表現をすれば比較的正確になるのだろうか。 迂闊に彼女の趣味を人に話すと、まるで家の中にあるものすべての色にこだわりグラデーションになるように配置する変人かのように解釈されることがある。 そんなわけがない、と乱雑に散らかった彼女の部屋を見て思う。正直なところ彼女はずぼらだ。ファッションや食器類に関して色彩センスもあまりいいほうではない。 彼女のこだわりがあらわれているのはカラーボックスの中だけだ。 おかしな趣味ではあるかもしれない。でも誰のどんな趣味だって突き詰めてみればおかしなものだろう。 私は野球場に行くのが好きだ。野球のルールは分からない。球団や選手の名前も全然知らない。ただ野球が行われている球場の空気や音が好きなのだ。 野球観戦が趣味だという人と話しても会話はなかなか弾まないだろう。それでも、どちらも「趣味は野球観戦」と言って間違いない。 私は彼女よりは本を読む。彼女ほどは本を買わない。本棚の中身は、サイズ、作者、タイトル五十音順という優先順位で並べている。 同じような、しかし同じではない趣味。グラデーションみたいだ。
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