11 保健室で

1/1

8人が本棚に入れています
本棚に追加
/26ページ

11 保健室で

(くそ……足首をひねるとは……)  結華は保健室の養護教諭に手当されながら、心の中で悔しがっていた。 「はい。終わり」 「ありがとうございます……」 「一人でここまで来たんだよね? 一人で戻れる? 辛いなら松葉杖出そうか?」 「いえ……大丈夫です……」  結華は体育の授業でダンスの練習をしている時、足首をひねってしまった。 「これ、どのくらいで治りますかね?」 「人によるけど、二、三日から一週間くらいかな」 (ダンス……なんとかギリギリ間に合うかな……)  そんなことを考えていたら、保健室の扉が叩かれる。 「どうぞ」 「すみません……」  入ってきたのは、伊織だった。 「あ」「あ、え?」  結華のほうは、四月一日さんだ。と思ったくらいだが、伊織からすれば、どうして大家の娘がここにいるのか、訳が分からないらしい。 「今日はどうしたの、四月一日くん。また具合悪くなった?」 「あ、は、い……少し、休ませてもらいたくて……」  伊織は少し青白い顔でそう言いながらも、結華のことが気になるんだろう、結華のほうへ顔をチラチラと向ける。 「なに? 二人はお知り合い?」 「あ、はい」  結華はこともなげに答える。別に隠すことでもないと思ったから。  それを聞いた伊織は、びっくりしたけど安心した、という奇妙な表情になる。 「あの、如月さんは、どうして」 「ダンスの練習でね、足首ひねっちゃって」  結華はひねった、その左足を少し上げ、こっちの足だと示す。 「足、大丈夫なんですか?」 「長くても一週間くらいだってさ。みんなで気合入れた振り付けだから、少しムズくて。練習してる時に気を抜いちゃって、これですよ」  結華は軽い口調で説明して、 「あ、ごめん。具合悪いんだよね? 立ち話させちゃってごめん」 「いえ、それは……如月さん……如月先輩?」 「私二年」 「えっと、如月先輩は、もう行っちゃいますか……?」 (はい?)  首を傾げそうになった結華だったが、頭を回転させ、 「まだ足痛いから、もう少し休もうかなって。先生、いいですか?」 「全然いいよ。四月一日くんは、またベッド使う?」 「……あの、今日は座って様子見ます」 「そお?」  伊織は、緊張した面持ちで結華の近くに来ると、 「……あの……」 「隣、座る?」  結華のその問いかけに、伊織はホッとした顔になり、 「いいですか……?」 「うん。どうぞ」 「失礼します……」  緊張の顔で、結華の左隣に座る伊織。  それを見ていた養護教諭は何も言わず、道具を片付け、 「ゆっくりしてってね」  と声をかけた。  数分、そのまま静かな保健室だったが、 「あ、ちょっと出てくるね。そのまま楽にしてていから」  養護教諭はそう言うと、保健室から出ていってしまい、結華と伊織が残される。 (さて、どうするかな。話しかけるか、そのままそっとしとくか)  結華が考えていると、 「……あの……」  伊織のほうから声をかけてきた。 「ん? なに?」 「おんなじ高校に通ってたんですね……知らなかったです……」 「そうだね。私もびっくりしたよ。あの有名な四月一日さんがうちに越してくるなんてねぇ」 「え、僕、有名ですか……?」 「え? 分かってない? 可愛い系男子の一年として有名だよ?」  結華がそう言うと、伊織の顔が見る間に赤くなる。 「そ、そんなんじゃ、ないです。僕、普通です。……普通の、高校生です」 「そっか。普通か。じゃ、これから見かけることがあったら、普通の後輩として接するね」  結華が笑顔を向けながら言うと、伊織は薄い茶色の目を丸くして、次には照れたように少し俯き、ふわふわな髪の先をいじって、 「よ、よろしくお願いします……」 「こちらこそ」  結華は、なるべく警戒されないように明るく言った。けど、気になることがある。 「具合、悪いんだよね? このままで大丈夫?」  今日はどうしたの、と言われていた。またベッド、とも言われていた。 (保健室に頻繁に来てて、その度にベッドを使ってた、んだと思うんだけど)  そうしなくていいのだろうか。結華は、もしこのまま倒れたら、と少し不安になる。  来た時より顔色は良くなっているように見えるけれど、それも素人判断だ。油断出来ない。 「はい。なんか、先輩を見たら、少し良くなりました」 (笑顔でそんなこと言わないでね? 天に召されてしまうよ、私が) 「そう? 驚いたのが良い効果を発揮したのかな」 「……いえ、その、そうじゃ……ない、と……」  話している伊織の頭が揺れ始める。正確に言うと、船を漕ぎ始めた。 (そういえば、薄いけど、クマがある)  寢れていないのだろうか。だからベッドで休んでいたのだろうか。 「四月一日さん。……んや、四月一日くん? まあいいか。眠いなら、ベッド行ったほうが良いよ?」 「そう……なん、です……けど……」  かくんかくんと頭を揺らしながら、伊織は半分寝ぼけているのだろう。妙なことを口にした。 「そしたら……先輩……行っちゃう……」  そして寝ぼけたまま、伊織は結華のジャージの袖を掴む。 (んー……一人暮らしで寂しいのかな……) 「じゃ、ベッドまで一緒に行こうか」 「……はい……」  結華はふらふらと立った伊織を転ばせないように、ゆっくり移動する。 (足痛ぇ……けど今はそんなこと言ってる場合じゃない……) 「ほら、ベッド着いたよ。寝よ?」 「……一緒が……良いです……」  伊織はそう言うと、掴んでいた袖を引っ張って、結華の左腕を抱きしめて寝てしまった。 (わあ……こんな展開ある……?)  そう思いながらも、結華はそっと、自分の腕を抜こうとした。が。 (待ってうそ力が強い……! まだ一年の、しかもその細腕なのに……! 抜けない……!)  結華は数分格闘したが、これは無理だと根負けして、側にあった椅子を引き寄せ、そこに座った。 「四月一日くーん。起きてくれないかなー」  言ってみる。けれど起きる気配はない。それどころか、 「……う、うう……!」  うなされ始めた。 「やだ……違う……! 僕お母さんじゃない……! やめて……!!」 (ね、寝言が鮮明! 聞かなかったことにしよう。聞かれたくないだろうし)  しかしそのままうなされる伊織を、どうにか出来ないかと思ってしまう。苦しんでいる人を放置するのは嫌だ。  結華は一瞬迷ったが、伊織の頭に手を乗せて、 「だ、大丈夫だよー……安心してねー……」  小声で呼びかけながら、その頭を撫でる。 「……えっと……安心して大丈夫だよ。……怖いことなんてないから……何かあっても守るから……」  そうして撫でていると、その効果かただ時間が経ったからなのか、少しずつ、伊織が落ち着いていく。 「おか……さん……おいてかないで……」  幼い頃の夢を見ているのか、最近そういうことがあったのか。どちらにしても、胸が痛くなる言葉だ。 「……置いてかないよ。ずっといるよ。だから安心してね……」  声をかけ続け、頭を撫で続け、どれくらい経ったか、伊織の寝息は安定したものになった。 (……これ、夜もずっとこんな感じだったなら……)  一大事だ。精神科に通うべきではなかろうか。 (なんか、次、会った時……それとなく聞いてみようかな……)  そして、落ち着いた伊織にホッとしたのか、ずっと腕を固定されているという結構疲れる体勢だったためか、気が抜けた結華のまぶたも落ちていく。 (ウッソだろ……寝てしまうのか……? ここで……? この状態で……?)  けれど結華の上半身はベッドに落ちていき、ああ、こりゃ駄目だ、と結華は早々に諦め、 (まあ、戻らなかったら、美紀とか香菜とか……誰か来るでしょ……)  と、意識を手放した。 「だからお前さ……」  保健室の外で、窓側の壁に寄りかかり、湊は呆れた声で呟く。その足元で「クルルゥ」と、ディアラが鳴いた。
/26ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加