24 最後の一人

1/1

8人が本棚に入れています
本棚に追加
/26ページ

24 最後の一人

「いや、すまんね」 「なんのなんの」 「友達の頼みですし」  結華は美紀とともに、香菜に頼まれて大学の芸術系の敷地に来ていた。 「ホントにおれも一緒でいいの?」  その三人の後ろを、湊が周りをキョロキョロ見ながらついて行く。 「うん。音子(ねね)さんには伝えてあるし、いいよって返事もらったしさ」  香菜が答える。香菜は自分のカバンのほかに、先ほど大学の購買で買った鉛筆が入ったビニール袋を持っていた。 「で、その、Eの五の自由室って、どこだっけ」 「このエレベーターで四階まで上がって、少し行った所」  湊の質問に、結華が答える。結華も美紀も、こうやって香菜に付き添うのが当たり前になっていた。  そして、着いた自由室という名の部屋のドアを、 「失礼します」  香菜が開ける。と、 「おー。待ってたよ」  と、胸像のデッサンをしていたらしい手を止め、長い黒髪を一つに纏めた女性が四人へ振り向いた。 「やー、手数をかけるねぇ」 「音子さんの頼みですし」  音子と呼ばれた女性は立ち上がり、香菜へ近寄ってビニール袋を受け取る。そして、 「香菜はいつ見ても可愛いなぁ」  と、自分より少し背の高い香菜に抱きついた。 「……音子さん。だから、あんまり……」 「大丈夫大丈夫。そっちのイケメン君にも話は伝わってるんでしょ? 今ここには、カラしかいないし」 「カラ?」  美紀が首を傾げる。 「あそこの」  音子に示された先を見れば、この広い部屋の隅、キャンバスの前で背を丸めた人物が、項垂れた様子で椅子に座っていた。背をこちらに向けているので、顔は見えない。 「ほっ、ほかに人……!」  香菜が顔を赤くして慌てる。香菜の恋人──音子は、「だから、大丈夫だって。ねえ、カラ」と、『カラ』と呼んでいる人物に声をかけた。 「……騒ぎ立てたりなどしないし、変な噂を流すつもりもない。安心してくれていい」 (……おい?)  結華は、その言葉でなく声に、眉をひそめる、という反応をしてしまった。 (おい、まさか、神様? マジで?)  艶のある、低い声。項垂れているその人は男性。 「は、はぁ……」  まだ不安そうにしている香菜へ、カラと呼ばれている人は顔を上げ、 「すまないが、……いや、すまなくないか。俺には今、喫緊の課題がある。誰が誰を好いているだとか……」  と、その人はこちらに顔を向け、 「……」  動きを止めた。結華を見て。 (当たったぁ……)  その人は、唐沢鏡夜だった。 「……ちょっと、すまない、いいか。あ、いや、すみません。いいですか」 鏡夜は椅子から立ち、ずんずんと結華へ向かってくる。 「なんですかねぇ?」 「ご要件は?」  その前に立ちはだかったのは、美紀と湊。 「あ、いや、少し、その、話が……」  通せんぼをされた鏡夜は、慌て気味に、どう言えばいいかと前二人とその先の結華へ顔を向ける。 「話ってなんですかぁ?」 「なんですかねぇ」  そこに、結華のほうから近づいていき、 「二人とも、ありがとう。でも、たぶん、大丈夫」  と、美紀と湊の肩に手を置いた。そして、鏡夜を見上げる。 「唐沢さん、ですよね?」 「! そうです。一◯三号室の。覚えててくださったんですね」 「いちまるさん?」  美紀は首を傾げ、 「なんだ? 柏木荘の仲間か?」  湊は結華へ振り向く。 「えー、なんと答えればいいか」  プライバシーに関わることは下手に言えない、と結華は困った顔になる。 「でもとりあえず、バリケードは必要ないと思う。唐沢さんは何か私にご用があるんですよね?」 「用、というか、頼みたいことというか」 「頼みたいこと?」 「カラ。その子が言ってたあの子だってこと?」  そこに、香菜の手を引いてやってきた音子も加わる。 「そう、なんだが……」  鏡夜の困った様子を見かねてか、音子が言う。 「カラね、モデルになって欲しい子を見つけたんだけど、どうやってモデルになってもらうか悩んでたんだよ」 「モデル」  結華の言葉に、 「そう。モデル」  音子が答える。 「なぁんだそういう話かぁ」  と、美紀が退いて。 「道理で敵意や悪意がないと思った」  と、湊もぽそりと言いながら、退く。 「……で、その……モデル、とは」 「いや……絵のモデルになってもらいたいんだけど……ちゃんと金も払う。もちろんヌードじゃなくて着衣だ。イメージが固まるまででいい。引き受けてくれないか」  前髪の奥の眼差しは真剣で、この言葉に嘘はない、と結華は思った。 「……分かりました。けど、モデルなんてやったことないし、どうすればいいんですか?」 「本音を言えばちゃんとやりたいが、それだと君に負担がかかる。俺は自然体の君をイメージしてる。ちゃんとしたモデルじゃなくていい。一日十五分、期間は一旦七日間。ここでも、高校の空き教室でも、アパートでもどこでもいい。君を描ける条件が揃っていればどこでもいい。ポーズもなんでも良い。というか、出来るなら様々な角度から描きたい。描いている間に喋っててくれても構わない。ごく自然体な君を──」 「カラ。ストップ」  音子が、ぽん、と鏡夜の肩に手を置いた。 「え、あ。……すまない……」  鏡夜は結華の眼前まで近づいてしまっていたことに気づき、すっ、と距離を取った。 「い、いえ……大丈夫ですので……」 「こいつはねー、一個のことに意識が行っちゃうと、周りが見えなくなんのよ」  音子の言葉に、 「その通りですまない……」  肩を落とす鏡夜。 「いえ、ですので、大丈夫ですから。えーっと、一日十五分、ですよね」 (湊のこと、どうしよう)  そう思いながら、結華が湊へ顔を向ければ、湊はニッ、と笑って。 「でさ、確認なんだけど。話からして鏡夜……名前で呼んで良い?」 「ああ」 「鏡夜も柏木荘の仲間だってことだ? なら、ちょっと、結華と鏡夜との三人で話したいんだけど、いい?」  その言葉に、鏡夜は首を傾げる。 「話、は、良いが……なんの話だ?」 「柏木荘についての話。なあ結華?」  湊が結華に顔を向ける。 (体質のこと、話すってことだよね) 「まあ、そうだね。話しといたほうがいいと思う。あ、唐沢さん。変な話ではないので。ご近所付き合いの情報共有みたいなものです」 「はあ……」  そして湊が鏡夜の腕を取って「ちょっとプライベートなことなんで」と部屋の隅に寄り、結華も香菜たちへ「ちょっと待っててね」とそれに混ざる。 「……柏木荘、今誰が住んでるんだろうね?」 「さあ……」  その様子を見ていた香菜と美紀は、顔を見合わせる。 「……は? え?! あ、ああ、いや、すまない……」  三人集まって何を話しているのかと思えば、鏡夜が変なリアクションを取る。そして、スマホでなにかやり取りしたかと思うと、三人で戻ってきた。 「あの、帰ってから見せて……会わせてくれないか? その、あれ……」  鏡夜は湊に何かをお願いしており、 「良いよ。アンタは良い人みたいだしな」  湊が軽い口調でそれに答える。 「なんか分かんないけど、話は纏まったのかな?」 「ああ」  音子の問いかけに、鏡夜は深く頷く。そして鏡夜はキャンバスやイーゼルや自分の物を素早く仕舞うと、 「(つぐみ)はどうする。まだやっていくのか」  と、聞いた。 「んー? 帰るの?」  それに音子が首を傾げる。鶫とは、音子の名字だ。 「いや、皆が残るなら俺は如月さんを描く。帰るなら、俺も帰る」 「なら、帰ろっかな。ね、香菜、今日、これから、家来る?」 「! 行きます!」  音子は実家暮らしだが、香菜のことも了解している。つまり、お家デートしよう、ということだ。 「じゃ、帰ろっか」 「わあ、私、ひとりだ。この前の結華の気持ちが分かる」  美紀の言葉に、 「いや、私は家に帰るのとほぼ同等だし」  と結華は注釈のように言った。  そして、六人で揃って大学を出て、帰路につく。 「あ」 「ん?」  電車内、結華の声に、湊が反応をすると、 「あ、いや、大鷹先輩にも声かけなきゃなぁ、と、思ってね」 (昨日あの時言えばよかったなあ……) 「大鷹? バスケの? なんで?」 「え? あ、いや、なんでもない」 (そっか。湊は大鷹先輩が住んでることは知らないのか。個人情報漏らすとこだった) 「……大鷹って、俺と同日に引っ越してきた子、方、か?」  そこに、鏡夜が思い出したように言ってくる。 「え? あの人も仲間?」 「仲間というか、柏木荘の住人だ。住んでる階が違うから、まだ一度も顔を合わせてはいないが」 「ほぉん」  鏡夜の説明に、湊が軽く頷く。 「結華、声かけてないの?」 「……。かけられてないねぇ……」  もう情報はバレたも同然なので、結華も話に混ざる。 「じゃ、帰ったら声かけてみようぜ」 「たぶん、まだ帰ってないよ。部活してると思う」 「あ、そっか。部活から帰ってくるの、何時だか分かる?」 「さあ……自主練とかもするだろうし、分かんないよ」 「じゃあ、帰ったら、ディアラに様子見に行ってもらうか」 「ディアラに?」 「帰ってきたかの確認。それから声かけに行こう」 「……柏木荘の住人は、全員紅蘭関係なのか」  鏡夜が言ったそれに、結華は内心ギクリとする。 「すごい偶然だな」 「だな。あ、そっすね」 「口調はタメで構わない。そういうのはあまり気にしないからな」 「そう? なら、遠慮なく」  紅蘭関係、には深く突っ込まずいてくれた二人に、結華は胸を撫で下ろした。
/26ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加