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 帰宅するといつものように玄関は真っ暗だった。リビングの扉を開けると、薄闇の中に小さな人影が浮かび上がる。 「翔太、またこんな時間までゲームをしているのか」  案の定、翔太は何の反応も返さない。  血の繋がりがないとはいえ、我が子に対してこれほど愛情を感じることができない自分に、今更ながら感心する。  隣室から地鳴りのような低い断続音が聞こえる。襖を引いてから俺は身震いした。万年床に横たわる真理のシルエットは、流氷帯に生息するアザラシそのものだった。  カップ麺の容器が積み重なったシンクを横目に冷蔵庫を開け、缶ビールを取り出す。ダイニングテーブルの椅子に腰かけると、俺は深いため息を吐き出した。  そして今夜も何百回目かの追憶をはじめる。  ユキ……  俺は一人の女性に思いを馳せる。その名の通り透き通るように白い肌の女だった。特段美人でも可愛くもない地味な女。ただ、家庭的で奥ゆかしく、よく笑った。そして何より俺を心から愛してくれた。  グラスにビールを注ぎながら、俺はまた何百回目かの後悔をはじめる。  なぜ、俺はユキを選ばなかった? どうしてこんな醜い女と結婚してしまったんだ?  それは虚しい自問自答だった。  答えは真里が優良企業の社長令嬢だったからだ。結婚すれば次期社長の座が俺には約束されていた。それは連れ子の存在など霞んでしまうほどの魅力だった。そういった訳で、欲に目が眩んだ俺はユキと最悪の別れ方をしてしまったのだ。  真理と結婚してすぐに、俺は真実を知って打ち砕かれた。その会社はすでに多額の負債を抱え、立ち行かなくなっていたのだ。  ほどなくして会社は倒産した。俺たち家族は家を失い、この(ゆかり)のない静かな町に逃げるように落ち延びた。  俺はすぐに現場作業の職にありついたが、生活は苦しく破綻していく一方だった。当然だ。真理は豊かだった頃の生活が忘れられず、パートに出る気配もなく、夜な夜な夜の街を飲み歩く生活を続けているのだから。そして俺はこの醜い女がホストに貢ぐ金を稼ぐために、ひたすら働いているというわけだ。  一生逃げ出すことはできない。それが俺に課された罰なのだ。  ふと、先ほど帰宅途中に体験した奇妙な会話を思い出す。  俺はポケットに手を突っ込むと、くすんでクシャクシャになった小さな袋を取り出した。
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