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3
キッチンに立ち、何度も何度も石鹸で手を洗っていると、またもや玄関のドアホンが鳴った。冷たい水が出ている蛇口をキュッと締めて、手を拭きながらモニターに目をやる。仄暗い夜だというのに、サングラスをかけた男が映っていた。
「一体増えたと聞いて飛んできたが」
ドアを開けるなり、男は加奈子の部屋という部屋をしらみつぶしに見て回り、ジャケットから携帯電話を取り出すと、私の方に顔を向けた。
「処理班を呼ぶ。お前はもう帰ってもいいぞ」
男の正体は、警視庁の刑事。愛想のない奴だ。
「それだけ? もっとこう、労いの言葉とかないの?――知り合いの子を手にかけて結構凹んでいるんですけどね」
言っても無駄だと知りつつ、無駄にかわいく取り繕う私。
「それで?」
「……公安の協力者は、もっと丁重に扱うべきだと思いますけど」
男は不機嫌そうに手を止めて、大きく息を吐く。
「吸血鬼もどきが何を言ってるんだか。我々に協力しているから穏便に済ませているだけで、本来であれば殺処分されているところだぞ」
「ちょっと!」
否が応でも声がデカくなるのは自然の成り行きだろう。この男は言ってはならんことを平然と言いやがった。
「私がいなければ、警察なんて烏合の衆じゃない。吸血鬼は人混みに紛れたら普通の人間と見分けがつかないんだからね。あとあんたさ、いつも格好つけてるけど、ラブホで裸の私を見たから気付いただけでしょうが、このいくじなし。悔しかったら何か言い返してみなさいよ」
これみよがしに首すじを見せつけてやる。
二つの穿った穴――一個上の先輩と寝たときにつけられたものだが、どうやら私には耐性なるものがあって、体力全増しのうえに嗅覚に優れた半端者として、ヴァンパイアとは程遠い存在となった。かといって、こんな身体になってしまっては病院にも行けず、親にも相談できず、仕方なく国家権力の庇護を受けて生きているわけで――
「私、帰る。じゃあね」
「また連絡する」
返事もせずに後ろ手でドアを閉めて、マンションの通路に出た。
あーいやだいやだ。こんなこと、いつまで続ければいいんだろ――とぼとぼ歩いていると、後ろから声をかけられた。
「何?」
振り向くと、刑事の姿がすぐそこにあった。
「さっきは悪かった。その、一杯おごるから機嫌を直せ」
「ふぅん……どういう風の吹き回し?」
刑事は辺りを見回し、「誰もいないな」と呟きながら、ネクタイを緩める。何をする気だろうと眺めていたら、通好みの鎖骨の艶かしいラインが露わに――って、そこじゃない。そこじゃないんだ。
「あっ」
なんと、刑事の首すじに私と同じものがあった。
「それってもしかして……」
「ああ、俺もお前と同じだ。恋人だと思っていた女からやられた」
「ざまあないね」
「まったくだ」
二人して、乾いた声で笑い合う。ニッチな同族同士が傷を舐め合うような、そんな救えない笑いだった。
「行くか?」
刑事がグラスをあおる仕草をした。
わかってるくせに、と言い置いて、私はエレベーターに乗り込む。
「あの店でいいのね」
扉が閉まる間際にそう言うと、刑事の顔が少しだけほころんで見えた。
「ふぅん……」
この男とはやっていける――直感がそう告げている。そしてそれは、寸分の狂いもなく当たるだろう。
私はほっこりした。
【おわり】
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