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 私が好きな「君の知らない物語」を聴きながら、血に染まった出刃包丁を拭き上げていると、玄関のドアホンが鳴った。無意識に、ちっ、と舌を鳴らす。誰だか知らないが、しつこく鳴らされて私は苛立った。包丁を片手に、LDKに備え付けてあるテレビドアホンに歩み寄り、モニターを睨みつける。そこで目に入ったのは、スーツ姿の男だった。よく見ると、苦み走ったオジサマである。  もしや、可奈子の父親だろうか?  直感的にそう思った私は、鋭く息を吸い込んだ。大ピンチである。なにしろここには、彼女の影も形もないからだ。  もし――もしも、この男性が可奈子の父親だとしたら?  そう考えただけで、私は全身の血の気が引いた。 「可奈子、いるんだろ。開けてくれ。パパだよ」  渋い声のわりには、媚びるような感じに聞こえた。  ともあれ、やはり可奈子の父親だった。ホントに私のカンはよく当たる。  刻は四月二十日午後十時ジャスト。ここが正念場と判断した私は、平穏な大学生活を賭けて、ヤケ気味に返事をした。 「可奈子は外出していまーす。私は友人の野上ですぅー。彼女に頼まれて、留守番してるんですけどぉ」  自分でも笑ってしまうくらいにかわいい声でモニターに話しかけると、父親が安堵の微笑みをもらした。 「野上さん――申し訳ないが、ここを開けてくれないかな。ほら、このとおり両手がふさがっていてね」  父親は両手いっぱいの土産袋を掲げて見せた。この状況からして、ドアを開けないわけにはいかないだろう。私的には非常にマズい展開であるが。  こうなったら土産だけ受け取って、お帰りいただくとするか。  一応、私はピッチピチの女子大生。頭の切れるキュートな女の子なのだ。あの子の父親とはいえ、いやあの子の父親だからこそふたりっきりにはなりたくない。念のため、血のりのついた包丁を背に隠した。
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