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十二
源内は、玄白の持って来た荷物から、一尺角ほどの四角い布を取りだした。
「こ、これは!」
源内から渡されたのは、赤い服を着た西洋婦人の胸像画。浮世絵とも、水墨とも、違う色使い。布に描かれていて、鉄蔵が生まれて初めて見る絵だ。
「これはなあ。油絵というんや。油絵具という、西洋の絵の具を使って描くんや」
「油絵……でやすか。重厚な色の、のせ方で、浮世絵とは全然違う色使い……」
「まあ、あんたの絵の、参考になるかどうかは、わからんけどな。ああ、これも置き土産や。油絵を描く時の顔料や。油絵は、この顔料と油を混ぜて絵の具を作るんや。この色は、『ベルリン藍』って言うんやけどな。どうや、綺麗やろ。いつか、てっつぁんの絵に使って見てや」
粉がところどころ固まった『ベルリン藍』。その深い紺色に鉄蔵は見入った。今まで見たことのない藍色。これで顔料をつくれば、深く透き通った青ができるに違いねえ。鉄蔵は、源内からもらった『ベルリン藍』を見つめて高揚感を覚えた。
「ついでに、聞くけんど。てっつぁんの画号は、なんやったかな?」
「へえ、勝川流から名前をいただき、勝川春朗といいやす」
「ふーん。ほれもええけど。わしがもっとええのを考えたる。勝川……か、かつ、かつ、そうや葛飾これがええ。ほれと、てっつぁんは、命の恩人や。北極星の神さんの妙見菩薩みたいやから、北斎、そうや北斎がええ。あわせて葛飾 北斎。この画号にしたら、絶対売れる浮世絵師になる。わしの言うことに嘘はないで」
「ありがとうごぜえやす。いっぱしの浮世絵師になって、その画号を名乗らせていただきやす」
深々と頭を下げる鉄蔵。
「おっと、頭を下げるのはわしや。ほんにありがとうな。てっつぁんのことは一生わすれんで」
「へえ。うれしいっす」
手のひらを鼻に当てて、ずずっと鼻水をすする。
「そろそろ、ここを出た方がいいよ」
もう、じっとしてはいられない玄白だった。
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