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三
鉄蔵が玄の字に声をかける。
「旦那の屋敷は、ここから近いのですかい?」
「十町ぐらいかな」
十町とは約一キロメートルとちょっと。
「そうですかい。じゃあ、あっしの長屋の方が近い。こっから一町ありやせん。それに今なら、まだ長屋木戸も空いてやす」
鉄蔵の住む裏長屋は、防犯のために『長屋木戸』と呼ばれる木戸門が、路地口にある。暮れ六つ(午後六時頃)には、長屋の大家が木戸を閉める。それ以降は、木戸を通過するには、その旨を大家に申告しなければならない。まことに面倒くさいのだ。
「そうだな。じゃあ悪いけど、世話になるよ。源さん、もうちょっとだからな、頑張りなよ」
鉄蔵と玄の字は、猛烈に痛がる源さんを、半ば引きずりながら、長屋に向う。その間ずっと、源さんは情けなく叫び続けていた。
長屋に着くと、出迎えるものもなく、鉄蔵は手早く布団を敷く。源さんをゆっくりと煎餅布団に寝かせる。
「源さんよ、ちょっとここで休ませてもらおう。裏長屋だからね、静かにしてなよ」
源さんの右足を見ながら、坊主頭が、ふうとため息をつく。
「ああ、ああ。す、すまんなあ玄の字。ほいで、そこの若い衆は、だれや?」
「へい。鉄蔵と申します。ここは、あっしの長屋で……」
「おう、そうなんだ源さん。このお人が、通りかかって、助けてくれたんだよ」
「ほうか、そりゃあ、すまんな。鉄蔵……てっつぁんと呼んでええかな」
「へい。あっしは、構いません」
「ううううう、まだ痛てえよ。玄の字、早う、なんとかしてくれよ」
両拳を握り、歯ぎしりをする源さん。
「うむ。源さんの足は、刃物で切られたんだったね。切り口が膿んでいるんだ。縫合して消毒をしないと、破傷風になってしまうかもなあ。今は動かせないから、僕が家に戻って道具を取ってくる。その間……」
玄の字は、鉄蔵の顔を見る。
「鉄蔵君、源さんを、ここで寝かせておいてほしいんだ」
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