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プロローグ
あれは中学生の時、家族みんながリビングに集まってテレビを見ているときだった。
突然流れた化粧品会社の香水"bubble drop"のコマーシャル。青い海の底に沈んだ船の中に煌めく何かを見つけた人魚が、手を伸ばして触れた途端、香水瓶が弾け、辺りは眩い光に包まれる。そして人魚は、青く長いベールとシフォンのドレスを見にまとい、光を目指して泳いでいくーーというものだった。
そのあまりの美しさに珠姫は息を飲み、食い入るように画面を見つめた。
なんてきれいなんだろう……まるで本物の人魚みたいーー。どこか中性的で、性別がはっきりとしないシルエット。華奢なように見えて、鍛えられたような体つき。見るたびに心臓の高鳴りを感じる。
それからもbubble dropコマーシャルが流れるたびにうっとりと見惚れ、店頭に置いてあったチラシをもらって部屋に貼った。お小遣いで念願だったこの香水のミニボトルを買い、その香りを嗅いだ瞬間、すうっと体の力が抜けていく。
なんていい香り……でも今の私がつけても香りに負けちゃうかなーーこの香りがしっくりくるくらいの大人の女性になりたいと、珠姫は心の底から思った。
しかしそれからしばらくしてコマーシャルは刷新され、あの時の人魚とは違う女性が起用されたのだ。
普通に観ていれば気付かないかもしれないが、食い入るように見つめ続けた珠姫には違いがはっきりとわかった。この人魚はあの人じゃないーー。
とはいえ、この香水が嫌いになったわけではないし、むしろ好きになるきっかけをくれたのがあの人魚だったというだけ。少し残念ではあるけれど、同じ人が続けることの方が珍しいだろう。
bubble dropの香りと美しい人魚は、目標のなかった珠姫に希望を与えてくれた。私もあの香水に携わる仕事がしたいーーその気持ちが入社を目指すきっかけになった。
珠姫の部屋の壁には、今でもあの時に店頭でもらったチラシが額に入れられた状態で飾られているのだった。
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