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少年の話
歌声が聞こえる。
どうしてこうなったのだろう。
あの日も、いつも通りの朝だった。
「朝ごはん、できたわよ〜!」
母さんの声が家中に響いた。
リビングに行くと、ダイニングテーブルには朝食が並んでいた。父さんは既に椅子に座って、パンを食べ始めている。
「おはよう、父さん」
「あぁ、おはよう」
父さんの向かいに座り挨拶をすると、いつも通りの返事が返ってきた。椅子に座り、パンに手を伸ばしたところで母さんが父さんの隣に座った。
「母さん、おはよう」
「おはよう。早く食べちゃいなさい。学校に遅れるわよ」
まだまだ時間があるのに、いつものように急かしてくる。僕は母さんの言葉を気にせずにパンをちぎって頬張った。
この時まではいつも通りの朝だった。
その時、テレビから耳を劈くような警報音がけたたましく鳴り響いた。
ビーッ! ビーッ! ビーッ!
僕たちは驚いてテレビの画面を凝視する。普段は穏やかな表情でニュースを伝えるアナウンサーが、明らかに動揺し、声を張り上げ原稿を読み上げる。
「つい先程、隣国から一方的な宣戦布告が通達されました! 隣国は既に侵攻を開始しているとの情報が出されています!」
僕はアナウンサーが何を言っているのか理解できなかった。
父さんと母さんも同じだったに違いない。二人とも、パンを持ったテレビ画面を見つめ、固まっていた。
ドーン
大きな衝撃音が聞こえ内蔵が震えた。窓の外を見ると真っ黒な黒煙が見える。
父さんが叫んだ。
「地下室へ行くんだ!」
僕たちは地下室へと走った。
後ろで「先程、西部のF都市にミサイルが着弾したとの情報が……」とアナウンサーの声が響いていた。
*
日常が崩れ去った日の夜、父さんは情報収集のために市役所へ出掛けていき、母さんは泣きながらずっと祈っていた。
(これはきっと夢だ。悪い夢をみてるだけだ)
僕はそう信じようと必死だった。でも、頭の片隅ではちゃんとわかっている──これは現実だと。
薄暗い地下室の中で、僕はラジオのダイヤルをクルクルと回した。
ザッ……ザァー
ラジオから意味のある音は流れてこない。でも、そんなことはどうでもよかった。何かしていないと嫌なことばかりが頭に浮かんでくるから。
どのくらいダイヤルを回しただろう。不意に人の声が聞こえてきた。
(あっ!)
僕は慎重にダイヤルを調整する。
そして聞こえてきたのは、女の人の歌声だった。
(この歌、知ってる)
聞こえてきた歌は、この地域を流れる大河を賛えるもの。学校でも習うし、何か地域で行事がある時には必ず歌われる歌。
(あぁ、川はいつもと変わらないのに……)
そんなことをぼんやり思っていると、歌声が段々と大きくなり、大河のうねりを感じさせた。歌の終わりに女の人が叫んだ。
「歌よ届いて! 故郷を守って! 皆を救って!」
(僕たちのことを案じてくれている人がいる……)
心がじんわりと温まった気がした。
*
深夜、物音で目を覚ました。はっきりしない意識の中、目を開けると、父さんと母さんが話し込んでいるのが見えた。
「──そんな! あなたと離れるなんて……」
「──仕方ないんだ。頼むから、お前たちだけでも避難して欲しい」
ぼんやりとした頭で両親の会話を聞きつつ、僕は再び眠りに落ちていった。
*
朝、目覚めると、父さんも母さんが荷物をまとめていた。
「父さん、母さん、おはよう」
「おはよう」
父さんが手を止めて、少し寂しそうに僕の顔を見つめてきた。
「あら、おはよう。起きたなら、荷物をまとめなさい」
母さんは手を止めることなく返事をする。
「あぁ、うん? 荷物をまとめるって、なんで?」
「ここを出て、東へ行くのよ」
母さんは当たり前かのようにサラリと言う。
「え?」
「ここにいたら危ないでしょう。避難するの」
「……わかった」
僕は小さく返事をして、荷物をまとめ始めた。
*
簡 単な朝食をとり、皆で地下室を出ようとした時、父さんが荷物を持っていないことに気付いた。
「父さん、荷物は?」
僕が聞くと、父さんは少し目を伏せる。
「父さんは一緒に行けないんだ」
頭を殴られたような衝撃だった。
「え⁉ なんで? 一緒に行こうよ!」
僕は父さんの両腕を掴んだ。父さんはそんな僕を優しく見つめ、左右に小さく首を振った。
「ごめんな。父さんはこの街を守らなきゃいけないんだ」
「そんな……。いやだよ! 父さんも行こう!」
僕は父さんの腕を掴み、力いっぱい揺らした。でも、父さんはびくともしない。
不意に父さんが屈んで僕を抱きしめた。父さんの匂いと温かさを感じ、鼻の奥にツンとした痛みがはしる。
「ごめんな、ごめんな」
父さんの声に反応したように、僕の目から涙がこぼれ落ちた。
ギュッと強く抱きしめられた後、父さんが離れ、僕の目を真っ直ぐにみつめた。
「父さんは必ず帰ってくるから、今は母さんと避難するんだ。いいか、母さんのこと頼んだぞ」
僕は泣きながら頷くことしかできなかった。
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