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父親の話
歌声が聞こえる。
どうしてこうなったのだろう。
妻と息子の顔を見つめながら思う。
俺は無惨に破壊された街の中を、自宅に向って進んでいた。
無事な建物なんて一つもない。人影も見えない。
やるせなさと絶望が胸に去来する。
(きっと誰もいないだろうが……)
そう思ったが、家族で過ごした大切な我が家だ。確認せずにはいられない。
家に着いた。いや、かつて家があった場所に着いた。そこには崩れた壁が残っているだけ。
(何も残っていない……)
砲撃ですべて吹き飛んだのか、地面が抉られ、かつての面影はない。
俺はその場に崩れ落ちた。
(こんなことになるなんて……)
深い絶望がのしかかってくる。項垂れて、地面についた手を見遣ると、泥に塗れたガラスや陶器の破片が散らばっているのが見えた。
(あぁ、あの日々はガラスみたいだったな……)
そんなことを考えていると、歌声が聞こえてきた。
「まさか…………」
顔を上げると、視線の先に妻と息子の姿が見えた。徐々にその姿がぼやけ、頬に生温い感覚が伝う。
俺はヨロヨロと立ち上がり、一歩、また一歩と、二人の元へ近づく。
(あぁ……まさか……)
信じられなかった。でも、そこにいるのは間違いなく、妻と息子だ。震えながら手を伸ばし、二人を抱きしめた。
「あなた」
「父さん」
二人の穏やかな声が耳に届く。俺の目から止めどなく涙が流れ落ちる。
「……会いたかった……よかった……会えてよかった……」
どれくらい二人を抱きしめていただろうか。腕を緩め、二人の顔を正面から見つめた。
二人ともニコニコと俺を見つめている。平穏な日常をおくっていた時と、全く変わらない笑顔だ。
でも、何故だろう。違和感を感じる。
「父さん、川が歌っているよ!」
息子が弾んだ声で川の方を指さした。
「えっ⁉ そんなこと……」
「本当よ。川が歌っているの」
俺の言葉を遮り、妻も息子の言葉を肯定した。
「お、おいっ! 川が歌うわけないだろう」
俺が慌てて否定すると、妻はフフッと笑い人差し指を俺の口元に当てた。
「しーっ! 静かに。目を閉じて、よ~く耳をすまして」
俺は戸惑いながらも、言われるままに目を閉じた。すると、微かに川の方から歌声が聞こえてきた。歌声はだんだんと大きくなっていき、うねりをもって襲いかかってくる。
俺は驚いて目を開けると、微笑んだまま俺の顔をじっと見つめる妻と息子の顔が目に飛び込んできた。
「ねっ! 歌が聞こえるでしょう?」
これは現実なのだろうか?
──川の歌声が聞こえる。
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