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離宮の最上階は屋根も小さく、風がものすごい勢いで吹き荒んでいた。
「エレン、離宮を出たいことはわかった。しかしそれは許されぬ」
シェンブルの冷え切った声が、風に乗って離宮から遠ざかり闇の中へと消えた。
「もうイヤなの。離宮に軟禁されて、王宮に近づくこともできない。それなのにどうして婚約破棄してくれないの」
これが精一杯の反抗だった。一年近く何も言わず耐えてきたのだからこれくらいは許されるだろう。
「……婚約破棄はできない」
「なぜ?どうせカテリーナ様を王太子妃に迎えるのでしょう」
「誰がそんなことを」
「みんな言っているわ」
シェンブルは振り返って専属護衛騎士ジュードの姿を探すが、なぜかすぐ側にはいなかった。その代わりにエレンの侍女メリッサが控えており、申し訳なさそうな顔で遠慮ぎみな会釈をした。
「噂を鵜呑みにしてはいけないことを、君が一番わかっているだろう?」
彼の言うことはいつも正しいが、エレンの心にまで響かなかった。
「全てが嘘とも限りません。みながそう言っているのに、まだ婚約破棄してくれないとはどういう理由からでしょうか。もうここを出て静かに暮らしたいのです。意味がない王太子妃教育はうんざりだし、ダンスのレッスンをしても踊る相手もいないのに、そんな無駄な努力を続ける虚しさがおわかりになりますか」
シェンブルの表情は変わらず、話すときにやっと重たい筋肉が動く程度だった。何を考えているのか、何年立ってもさっぱりわからない。幼いころはまだ表情があったような気がするが……
「……王太子妃についてはまだ何も言えない。私の一存では決められないことはエレンも知っているだろう。国の大事がかかっている。全て国民のためなのだ」
その返事で答えは出たようなものだった。国民のためにはエレンよりカテリーナが優勢であり、それが国の答えということになるだろう。嘘でもエレンを求めてくれれば、王宮に残る選択肢が残っていたかもしれない。側妃でも耐えられたかもしれない。
しかし、反対勢力に抗うほどには、シェンブルは自分を愛していない。そのことがわかってしまい、エレンの微かな希望は打ち砕かれ、気持ちは一気に地の底へと沈んだ。
「私は側妃になる気もないわ。早く出て行きたいの」
「わがままを言わないでくれ」
「わがまま?一体何がわがままなの?理由もわからないまま軟禁されているのに、出て行きたいと言ったらそれだけでわがままなの?それなら理由を話してくれないかしら。もううんざりだわ」
「少し冷静に話し合おう」
シェンブルが近づいて伸ばしてきた手を、エレンは思い切り振り払った。
「触らないで!」
もう触れられることさえイヤだった。気持ち悪い。おぞましい。
それなのにシェンブルはゆっくりとこちらに近づいて来ようとするので、エレンは外側の柵の方へと体重を移動させた。するとどうしたことであろう。後ろにあった柵がそのまま落下した。
錆びてもいない、美しい立派な柵だったのでエレンは驚いて、振り返って遥か下を覗き見る。
かなりの距離があったが、柵が落ちて壊れる大きな音が聞こえた。確かに立派な柵が地面に転がっているのが見える。
まさか、こんな丈夫そうな柵が壊れていたなんて、錆さえなかったのに……と動揺していると、足が震えバランスを崩しそのままエレンが真っ逆さまになって宙に浮かんだ。
「エレンッ!」
シェンブルの叫び声が最後に聞こえた気がしたが、たぶん気のせいだろう。
それ以降の記憶はぷっつりと途切れたままだった。
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