不幸癖

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不幸癖

私は赤ちゃんポストからもらわれてきた 今私には好きな人がいる。私より一回り以上歳上の人である。私が勤めている地元の田舎のスーパーによくお昼のお弁当を買いにくるので顔はよく知っていた。いつも落ち着いたネクタイに高そうな腕時計をしているサラリーマン風なのだがなぜサラリーマン風かというとこの人の髪がサラリーマンには似つかわしくない茶髪なのだ。それは後日この人の職業を知ったのだが。いつも落ち着いた様子で物腰も穏やかで、いつだったか私が会計中に手を滑らせお弁当をひっくり返してしまいぐちゃぐちゃにおかずとご飯が混じり合い炊き込みご飯のようになってしまったことがあった。 「すみません、すぐ取り替えてきます」 慌てて走ろうとした私を彼は笑顔で引き止めたのである。 「大丈夫ですそのままでいいですよ」 「あ、でも」 「本当に平気、食べたら一緒、大丈夫」 そう笑い千円札を彼は置いた。私は会計の間中ずっと、すみませんを連呼していた。 「いつもどうもね」 そう言い彼はいつもならしない袋の持ち方をして店を出たのである。袋をあちこちに大きく振りながら歩いて行ったのである。いつもならそんなことをしないのだが。それを隣のレジで見ていた年配の人に休憩時間に話した。 「優しい人なんじゃない?さもそれは自分が振り回して持っていったからこうなった、みたいな?たぶん」 さらに彼女は煙草をくゆらせながら続けたのだ。 「お客さんにも評判いいみたいよあの人」 たしかにあの人柄ならばそうだと思った。私の家の向かいのお地蔵さんの前に毎朝早くに止まるバスを気にもとめていなかったのだがある日に二階の窓からなんの気なしに見下ろすとあの茶髪の人が缶コーヒーをお供えしたり水を取り替えたりしているのを見たのだ。この僻地というか限界集落に近い村の路線バスを乗っている人であった。辺鄙な村のバス会社はドレスコードが緩いようで髭のお爺さんまでいる。ほとんどがお爺さん運転手ばかりで若い人は珍しいがあまり意識していないものだから知らなかったのだ。若いと言ってももう六十に近いらしい。店に訪れるお婆さんたちに尋ねると彼のことをみな詳しく知っていた。名前や生まれやこの仕事をする前はエリートサラリーマンだったことなどとにかくバスを利用する老人の間では有名な人だったのである。 「由花子ちゃん、あの人好きなの?」 おばちゃんたちに言われたとき私はこの人をきっと好きなのだと気づいた。私も婚期を逃した四十過ぎ。金髪のおかげでまだ二十代と間違われることもあるが結婚間近の交際相手の暴力癖が露呈し逃げるように村へ帰ってきたのである。実の両親ではないことを知らされた家へ。両親は本当に優しく私はまさか他人であるとは夢にも思わず育ったのだが小学生の頃、クラスの悪い男子らが私を捨て子、捨て子と囃し立てるようになりやがて意地悪な女子もそれに加わり虐めがはじまった。泣いて帰りそのことを話すと両親は普段のにこやかな表情を曇らせた。そして私は赤ちゃんポストに捨てられそれを両親が貰い受け育てられたことを知らされた。両親はふたりとも泣いていた。 「もし俺たちが嫌なら別の親戚にでも」 父親がそこまで言ったのを遮り私は言った。 「これからもずっと本当のお父さんとお母さんだと思う、大好きだもの」 両親は大泣きした。しかしこれは両親はひとつも悪いところがない。悪いのは私を産んだ女だ。それは誰かは全く知らないが悪いのはその女だ。私は見たこともないその女を憎むようなことはなかった。私は両親の元で幸せに暮らしているのだから。思えば父兄参観などで私の両親は他の子たちの親より歳をとっているような気がしていた。それはそういうことだったのかとこのときに合点した。なかなか子どもを授かることができず諦めていたとき地域の有力者から町の中心部にある総合病院の赤ちゃんポストに捨てられていた私のことを知ったそうだ。私は幸せであった。この人たちに引き取られ本当に幸せであった。これからも本当の親として生きていくと決めたのだ。それからの私は連中と対峙しいつの間にか不良になっていた。中学では誰も私に捨て子などと言う者は男でもいなかった。攻撃こそが最大の防御。こうするしか自分を護り自分の気持ちを貫くことができなかったのだ。しかし私は不良と呼ばれても家に帰れば両親には優しくしたし、外での私の様子を知る両親もそれを咎めたことはいち度もなかった。強い者は叩かれないのだ特にこんな田舎では。やがて私は高校へも行かず町のデパートの中の洋服屋に勤めた。だが通勤に車で片道一時間もあり数年して私はそのデパートの近くに部屋を借りた。両親はとても心配していたが休みには親孝行のつもりで毎回必ず帰るようにしていたのだが何度か恋愛をする度に帰る頻度も減ったのだが両親もそれには理解がありたまに帰ると何も変わらず温かく迎えてくれた。私はものすごく歳上の男性が好きなのだがいつも恋愛関係になるのは同年代の男ばかりであった。世間ではそれが当たり前なのだろうけれど私の好みは違った。きっとその忌々しい生い立ちのせいなのだろうと思った。心のどこかで見たことも知りもしない父親を欲したのかもしれない。だから何度恋愛をしてもしっくりくることはなくただ成り行きでいつもそうなっていた。やがて三十路を迎える頃に出会った人とは結婚を考えようと言われた。私はあまり乗り気ではなかったがなんとなく話しを合わせ嬉しいふりをしていた。だが付き合いが長くなるほどにその男の暴力的な一面が見えはじめとうとう暴力に耐えられなくなり逃げるように別れて村に帰った。両親は噂でそのことを知っていたようであった。何変わらずやはり温かく迎えてくれた。もう勤めには出なくともよいと言われたが何かしなければ高齢の両親に申し訳なく、父親が村に一軒きりのスーパーに話しをしてくれてそこに勤めて今に至る。もう今は四十になったが店長も髪色は自由でいいと言ってくれたので相変わらずの金髪であった。地元にも似たり寄ったりの年頃の男はいたがやはり私はずっと歳上の男がいいと思っていたが恋愛には苦い経験しかなくもう嫌気がさしていたし結婚をする気もなかった。例の彼と知り合うまでは。しかしその淡い想いも一瞬で消える出来事があったのだ。その日もお昼のお弁当を買いに来た彼に私は思い切って声をかけてみたのだ 「あの、今日もお地蔵様に行って来たんですか?」 きっと頭でもかきながら、見られてたのかぁ、と恥ずかしそうにする彼を勝手に想像していた。すると彼は私が望んだ予想とは裏腹の言葉を口にした。 「オレじゃないよたぶん違う人」 例の高級腕時計をジャラツと鳴らし無表情に続けた。 「オレはそんないい人間じゃねえよ⋯」 私は彼に声をかけたことを酷く後悔した。一瞬にして顔から血の気が引くのを覚えただそこに立っているのがやっとであった。そのままレジで泣きそうになるのをこらえた。私が勝手に描いた妄想なのだ。きっと恐い人なのだ。この世の男はみんな怖くて悪いヤツしかいないのだ。バスの乗客はみんな騙されているのだ。もう人を好きになることなどないと思っていた。バスのお客さんにも親切でお地蔵さんにお参りもする感じの良いちょっと男前なとても歳上の人。正に理想の人であった。しかし本当の彼は冷たい嫌な人間なのだ。私が出した答えはそうであった。しかしそこには当然私の知らない彼の事情があるとは気付かぬまま私の最後の恋は片思いに終わろうとしていた。 生まれついての不幸癖 このまま幸せを知らずにしんでゆくのか 堪えていた涙がレジカウンターへひと粒落ちた
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