はじめに

1/1
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ

はじめに

 本日、40歳という節目を迎えました。  大厄(数え年42歳)を迎えた男性が、親族や友人に『初老祝い』を配り、厄落としをするという習わしがあります。  そのことから、『初老』とは、40歳の異称です。 (女性は大厄ではありませんから、初老祝いをしませんが、同じく初老と呼びます)  初老も還暦や古稀と同じく、人生の節目の祝いです。奈良時代の人々は、こうした節目を10年ごとに祝っていました。  ですが、現代の感覚で考えると、40代を初老と呼ぶには、少し違和感がありますね。まだまだ、働き盛りで、子育ても一段落していない人が多いからでしょう。  老い感じるのはまだ早い……はず……  女性の場合、大厄(数え年33歳)を迎えると長い物を、親族や友人から貰う人が多いように思いますけど、男性はどうなのでしょう?  正直、40歳ともなると、そもそも、誕生日を祝わなくなりますよね……  初老祝いはせずとも、厄落としはするのでしょうか?  ちなみに私は、神社で祈祷をしてもらい、両親からネックレスと腕時計を、姉から着物の帯と帯締を貰いました。  昔と現代では、時間の流れが違いますし、日本人の平均寿命も伸びましたから、奈良時代に始まった風習を、現代に照らし合わせて考えるのもどうかと思いますが、それでも、初老と言われると、ずっしりと重いものを背負ってしまったかのような気分で、落ち込みます。  老いてはいないはず……決して、老いなどではなく、節目を迎えただけ……だもん。  くまモンがんばるもん!  と、くまモンが言っていたので、私もがんばるもん!  『四十にして迷わず』(論語—為政)と、孔子は言いましたが、私は進むべき方向が定まらず迷走しております。  これが、偉人と凡人の違いなのでしょう。全人生をかけて悟りを開いたような人が、ようやく成し遂げられたことを、気まぐれ者の私が真似をするなんて、逆立ちしても無理というものです。  十有五にしてやりたい放題、三十にしてとりあえず働く。  そんな人生だった私は、いっそ、学識も見識も確立できていませんし、世に立つ自身も皆無です。  タイトルを『四十にして迷う』としたのは、そんな意図からです。    ジャンルをエッセイとしましたが、これは、四十にして迷いながら日々を過ごしている、私の日記です。 ※ご存知の方も多いと思いますが、数え年とは、生まれた年を1歳として、元日を迎えたときに、年齢を加算するという数え方です。  例えば、誕生日前であれば、【満39歳、数え年41歳】となり、誕生日後は【満40歳、数え年41歳】となります。 日本は元々『誕生日』という概念がなく、数え年が一般的でした。  生まれた日から丸1年経ってから1歳とする『満年齢』が広まったのは昭和の時代からです。 ※更新は不定期ですので悪しからず。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!