五_記憶

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しばらくすると霧は晴れ、僕たちはどこかの森の岩へ座っていた。数回瞬きをして情報を整理すると、驚くこともなくそっと立ち上がる。 「いや、なんで俺は地面なんですか。」 何故か地面に座り込んでいたルークから不満な声が漏れた。 魔導書となった本に転移されることはしばしばある。行き先は様々で目的も様々。持ち主の意志を伝えようとしたり、ただただ悲しんだり、中には悪意を持つモノもあり、目の前にドラゴンが居るなんてこともある。 霧による転移魔法は貸出人のものなのだろうか。包み込むようなそれからは悪意を感じなかった。むしろ持ち主の優しさを感じた気さえした。ちなみに本来なら体勢をそのまま転移するはずなので、僕にもさっぱりである。 彼に手を差し出す。体重をかけられ一瞬体を持っていかれそうになるが、なんとか体制を立て直す。しかし彼を立ち上がらせようと体重を後ろにかけると、今度は後ろに倒れそうになった。まずいと来たる衝撃に備えて目をつぶると、腕を引かれる。今度は前に傾くが、ぽすんっと抱きとめられそれ以上傾くことはなかった。思わず顔を上げれば、いつの間にか立っていたらしい彼と目が合う。 「なにしてるんですか……。」 呆れたように言われれば、首を傾げずにはいられない。 「あり、がとう……?」 そんな僕の様子を見て、再びため息をつく彼からそっと離れる。何となく恥ずかしくなって顔をそらすが、視界の先に手を差し出され思わず彼を見る。 「迷子になりますよ。」 珍しく機嫌が良いのだろうか。手を取り、暖かな体温に触れる。まるでここに繋ぎ止めるかのように握られた左手は、彼が返却処理をやりたがる原因になった事件を彷彿とさせる。何となく懐かしくて、彼の心を蝕む出来事を忘れたくなくて、帰ったらあの事件の記録を見直そうと頭の片隅で考える。 しばらく歩けば、森の一角に小さなレンガの家が建っているのが見えた。きっとここが目的地なのだろう。見えない壁に阻まれてこれ以上は進めない。気がかりが解消されたのか、左手から体温が離れた。少し残念に思っていることに気付き、すぐにそれを否定する。これではまるで手を繋いでほしかったみたいで、子どもっぽいではないか。頬が赤くなっていないことを願いながら、仕事だと唱えて平然を装う。 家の方を見やると、大人っぽいお姉さんがジョウロを持って出てきた。過去に転移した場合なんかは未来が変わってしまうこともあるので、バレないように息を潜めて茂みに隠れる。しかし彼女は一向にこちらに気づく気配はない。 「シグ、絵本みたいじゃないですか?」 しばらく黙っていたルークが口を開く。言われれば、レンガの家も彼女も、水をやっている地面も、まるでクレヨンで描いたようだった。所々ぼやけているようにも見えて、まるで思い出を無理やり現実にしてるようだった。 「記憶……。」 ぼそっと呟けば、聞こえていたらしい彼から肯定の返事が来る。どうやら転移してきたのは、本の記憶のようだ。
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