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三ノ二_生ノ痕跡
水をやり終えたようで、低い柵で区切られた何も咲いていな地面を優しい眼差しで見つめる彼女をよく観察する。
貸出を行ったのは数十年前なのであまり自信はないが、本の貸出人で間違いないだろう。確か近くの村で看護師の仕事をしていた気がする。オフ日なのだろうか。ロングスカートのワンピースに、ゆるっとポンチョを羽織っている彼女は、控えめに言って小説のヒロインのようだった。
「大きく育ってね。」
春の暖かな風を詰め込んだような声が投げかけられる。どうやら何かを大切に大切に育てているらしいことは、見ていても伝わってきた。しばらく彼女は園芸スペースの手入れをしていたが、正午を知らせる町の鐘の音とともに家へと戻った。彼女がその場を立ち去ると、風が僕の背中を押した。まるで先に進むことを望んでいるようで、足を一歩踏み出す。見えない壁はなくなっていた。
園芸スペースを近くで見ると、先程は見えなかったが小さなカードが地面に刺してあった。
「マース……。」
ただ一言。植えられている植物の名前なのだろうことは想像つくので、覚えてる範囲では思い当たる植物はなかった。
「知らない植物ですね。」
音もなく近付いて来ていたルークが呟く。
もちろんこの世の全ての植物を覚えてるわけではないので、知らないだけという説が高い。だが本がこの記憶を見せたのには何かしら理由があるはずで、何でもよいので植物に関する手がかりがないか辺りを見渡す。家の中はいつの間にか人の気配はなくなっていた。
家の周りを散策して見つけたのは、多くの園芸道具と立派な花畑。マースの植えられた場所は他のものは一切植えられていなかったが、家の裏の庭園は沢山の花で埋め尽くされていた。日頃からよく手入れしていることが分かる。
他に手がかりはなく、気づけばマースの前に帰ってきていた。
頭を捻っていると鈴の音が耳に届く。音の元を辿るように家の方を見やれば、入ってくださいと言うようにドアが開いていた。
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