一_森ノクマ

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本を借りるほど強い想いのほとんどが物語となるが、直接的な表現であるとは限らない。その関係性を読み解くことは容易ではなく、僕たちの業務で重要な意味を持つ行為の一つだ。 ルークはさっそく関係性を考えているようで、尻尾を床へタチタチ叩きつけている。面白いことを見つけたときの彼の癖なので、横槍を入れないようにそっと彼の言葉を待つ。 長くなりそうな予感がし始めたところで、一度席を外し紅茶を入れようかと立ち上がるが、それは叶わなかった。 「これ実話ですか?」 腰をがっしりと掴むモフモフを剥がしながら頷く。 ヒントはもういらないのか、すぐさま考察の世界へ旅立ったようだ。僕の姿はもう頭にないだろうにも関わらず、痛いほどに離そうとしないため再度イスに腰を下ろした。 仕方がないので魔法で、すでに紅茶の入ったカップを出す。観念したと分かったのか尻尾は離れ、流れるように紅茶を飲みだした。自然と彼の分も出したのは、教育上よくなかったかもしれない。彼を育ててはいないが少し後悔した。手で入れたほうが美味しいし、節約になるのだ。次は意地でも自分で入れに行こうと、密かに心に決めた。 猫舌の僕には熱い紅茶を、火傷しないように少しずつ飲む。 「最初は理想かと思ったんですよ。」 唐突に話しだした彼を見やると、緑の目がこちらをしっかりと捉えていた。視線を紅茶に戻して、ただ話だけを聞く。 「これ、この人の幼少期の思い出ですよね。」 とりあえずは満足のいく答えが出たらしい。 本を探し客人と向かい合うとき、彼は助手としてそばにつく。ただしあくまで助手なので、全てを把握できるほど行動を共にはせず、データを記載する際に初めて知ることがほとんどだ。彼はこれを謎解きのように楽しむことがあるが、大概は僕の手が空いておらず実施できないので、意外と貴重な時間だったりもする。 無言は肯定と捉えたのか、更に言葉を紡ぐ。 「でもクマってなんですか。」 「小説家。」 なにはともあれ彼は満足したようなので、答え合わせの時間である。 「小説家はいつもヒーローを書いてた。憧れを必死に書き綴ってた。だから売れなかった。」 「ああ、だから心に届いてた。なんですね。」 察しが良すぎる。いつもどこか一箇所、ピースが足らないだけのようで。 小説家の書いた小説はまるで夢物語で、誰にも受け入れられなかった。しかしそんな小説家だったからこそ、誰も行きたがらない恐ろしい森へ、見ず知らずの少年を助けに行った。そのことを理解した者はどれほどいたか知らないが、そのまま引退してしまったようなので希望は無さそうだ。 「うん。憧れは確かに受け継がれて、少年は新聞記者になったみたい。」 あの少年は新聞記者になってココを訪れた。憧れを追い求めた先、届けることを選んだのは勇気のある選択だっただろう。あの人の書いた新聞は、人々に真実を知らせ、裏で努力する者を知る機会を増やし続けている。その優しい記事に惹かれる者は多いようで、今では人気記者の一人だ。 それもまたヒーローの形である。 「誰かに希望を届けられるような、暖かな絵本にします。」 ルークが僕の手元の原稿をそっと撫でる。控えめに伏せられた目は優しくて、思わず微笑む。胸の奥がぽかぽかした。 「……ねよっか。」 自身が思うよりも優しい声が出て、少し恥ずかしさがこみ上げる。先程まで手にあった原稿は、彼に流れるように片付けられた。 「そうですね。シグ。」 彼が部屋のライトを消すと、再び月明かりが差し込む。消した当人は振り返ることなく部屋を後にした。 今度こそテーブルセットへしっかりと届いた明かりは、原稿を優しく照らしている。 彼には言わなかったが、あの人は自身をヒーローだとは思っていないようだった。記事を見つけたとき、とても嬉しそうにすると同時に、あなたのようになれなかったと小さくて泣きそうな声で謝罪していたのを覚えている。僕は口を出す権利はないので、知らないふりをすることしか出来なかった。 「あなたはヒーローだよ。」 あの人自身にも、月明かりに照らされるような優しい未来が訪れるようそっと願う。廊下の先から僕を呼ぶ声が聞こえて、部屋を後にする。 後ろを向く時、目の端で原稿が一層輝いた気がした。
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