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『新生活が始まる季節。準備も片付けも大変な引越しに、誰しも苦労した経験があるのではないでしょうか』
つけっぱなしのラジオから引っ越しに関する話題が流れてきた。住むところの引っ越しが大変なのは分かるけど、それ以外の引っ越しだった面倒だよ、と○○氏は思った。彼は今PCのデータ引越しで、てんてこ舞いだったのだ。
・PCのデータ引越し作業中、数枚の画像に同じ人物が映っていると気付いた。けど見たこともない人で……。
その人物に気が付いたのは、画像関係のファイルの引越し作業中だった。数枚の画像に同じ人物が映っていると気付いたのだ。保存しているのだけれども見たこともない人で、どうして保存しているのか分からない。消そうか、と○○氏は考えた。しかし、その人物の正体を後から思い出すかもしれないと考え直す。幸いにも記憶媒体の容量には余裕があった。それなら慌てることはない……と呑気に構えていたら、予想外の事態が起きて慌てることになった。
・引越すという友達との別れを惜しんで泣いたのに、引越し先は徒歩数分の場所だった!
○○氏が町を歩いていたら突然、見知らぬ人物から呼び止められた。
「●●君? ●●君じゃない?」
振り返った○○氏は当惑し、知らない女性に「自分は○○です」と名乗った。相手は恐縮した。
「ごめんなさい。私の知っている人に、雰囲気がとても良く似ていたもので」
そうですか、それでは失礼します――と言って立ち去ったら、後の騒動は怒らなかっただろう。だが、それで別れてしまうには、その女性はあまりにも美しすぎた。○○氏は彼女に言った。
「もしかしたら、その人は私の親戚の人かもしれませんね。その人について、少しお話をしませんか?」
そう誘うと、女性は頷いた。何たる幸運! と内心では小躍りしつつ、近くのカフェに入る。飲み物を注文し、簡単な自己紹介を済ませ、本題に入る頃には、彼女は自分の勘違いを認めていた。
「やっぱり、顔立ちは似ていませんね。歩き方とか、ちょっとしたしぐさは、とても似ているんですけど、あなたとは別人でした」
その表情が悲し気だったので、○○氏の心も痛んだ。訊くべきかどうか、躊躇したが結局、尋ねてしまう。
「その男性は、あなたと親しい間柄だったのですか?」
そこに含まれる意味合いに気付いたのか、彼女は顔を赤らめた。
「いえ、そういう関係ではありません。ただの友人です。それだけです」
それ以上の関係になる前に、別離の時が来たのだと○○氏は推察した。黒い影が心に差した。彼は気付かなかったが、それは嫉妬心だった。
「その人のお写真があれば、見てみたいです。もしもよろしければ、ですが」
彼女は携帯電話に写ったツーショット写真を見せた。
○○氏は、そこに写る青年に見覚えがあった。彼女は言った。
「これが●●君です」
その●●君の写真を自分も何枚か持っている……と○○氏は言いかけた。その前に、女性は語り出した。
「私さっき、一人で舞い上がっちゃったんです。遠くへ引っ越すって聞いていたけど、気が変わって、近くに引っ越すことにしたんだって、思い込んじゃったんです。引越すという友達との別れを惜しんで泣いたのに、引越し先は徒歩数分の場所だった! とかって自分で確信しちゃって、喜んじゃって。それはきっと、私と別れたくなかったからだ! 私のことが本当は大好きだったんだって、決めつけて……私、バカみたいですよね」
そう言って俯く彼女の肩が細かく震えていることに、○○氏は気が付いた。自分がとんでもなく悪いことをしてしまったと思い、慌てた。そして思い出した。自分が引っ越ししたことを。
・転移魔法を得意とする魔女が異世界人と出会い、“引越し業”を始めることに!?
仕事のパートナーとなった異世界人が電話口で謝っていた。魔女は気付かない振りをしてビデオゲームに興じていたが、通話を終えた異世界人のパートナーが苛立ちを露わにして話してきたので、プレイを中断せざるを得なくなった。
「なに?」
端正な顔を怒りで歪め、異世界人のパートナーは言った。
「お前の“引越し業”に、またクレームが来たぞ」
「今度は何だって?」
「今度も同じだ。記憶が蘇ったんだ」
そう言って異世界人のパートナーは異世界のタバコに火を点けた。
「今度の客は、幸いなことに、怒っていなかった。むしろ、お前の“引越し業”がいい加減なことに感謝している風だった」
「なら、別にいいじゃん」
「よくねーよ」
様々な事情で住居を変えなければならない人がいる。その中には変えるのが住居だけでなく生活そのものである場合がある。今までとは全く別の生活をしなければならないケースもある。そうしないと大変な災難に見舞われてしまうからだ。そういった人に向けて転移魔法を得意とする魔女が始めたサービスが、この“引越し業”だった。これを夜逃げと言っても構わないが、魔女はそう呼ばれるのを好まない。もっとスマートだと自分では思っているからだ。
しかし異世界人のパートナーは、そう思っていなかった。
「普通の夜逃げと違い、戸籍から記憶に至るまで新しい人生を用意する“引越し業”だって言ってるけど、全然ダメじゃん」
さっき電話してきた○○氏はラブラブっぽいツーショット写真を撮るような関係の女性が自分を恋愛の対象と見てくれないことに傷つき、まったく新しい人生を送ろうと“引越し業”を依頼した。彼は異世界への転生を望んだが、魔女は間違って徒歩数分の場所を引越し先に選んだ。元々が天涯孤独の身の上だったので、顔や姿形を変え、それっぽい人生の記憶を脳に焼き付けて、新しい資格や職業を用意しておけば大丈夫だろう……と思っていた。しかし、どういうわけなのかPCに過去のデータがあった。適当に画面をクリックしたため、ゴミ箱へ放り込んだはずのデータが新生活に転送されてしまった! としか考えられないミスだった。
「こういうやらかし、多すぎ。営業の立場として言わせてもらうとね、迷惑」
スッパスッパとタバコを吸って異世界人のパートナーは言った。魔女は口をへの字に曲げて言った。
「それで、その客は金返せ! とか言ってんの?」
「いや、逆に感謝しているって。彼女と再会して記憶が蘇った途端にすべての魔法が解けて元通りになったけど、その彼女と両想いの関係になれたから幸せだってさ」
「じゃ、いいじゃん別に」
魔女はゲームのコントローラーを再び手にした。
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