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 男が周囲を警戒していたのには理由があった。  このあたりは地域的に治安が悪い。そのくせマンションにはオートロックなんて上等なものはついていないし、ドアの鍵だってディンプルキーですらないチャチなものだ。そんな部屋なのだから、いつなんどき、おかしな人間や彼にとっての招かれざる客が入ってくるかもしれないという恐れがあった。  だから、彼は自衛のために部屋のあちこちに監視カメラをつけた。上空から部屋全体を見渡せる位置に一台、正面を映せる位置に一台、死角になっている洗面所と風呂場に一台、用心のためにトイレの床にもダメ押しの一台を設置した。用心深すぎるとも思ったが、そのおかげもあって、彼がここに引っ越してから今日まですごした一年間で、不審者は一人もあらわれなかった。 「ここを出るまえに、全部回収しないとな」  男は、椅子に乗って背伸びをする。百六十センチにわずかに足りない小柄な彼にとっては、天井に手を伸ばすのもひと苦労だ。だが、これは退去まえに取り外さなければいけない。当時は設置場所にさんざん悩んで、試行錯誤をくり返し、こだわり抜いてエアコン内部に設置した監視カメラだったが、外すときはあっけない。いともあっさり取り外す。コードをぐるぐる巻いてリュックのなかに押しこんだ。 「あとはトイレとお風呂場か」  男は薄汚れたシャツの袖でひたいの汗をぬぐった。そういえば、このエアコンにはさんざん悩まされた。いくら電源を入れても、たいした効果を発揮してくれない。男のいる部屋は夏はやたらと暑く、冬はでたらめに寒い。  まあ、日当たりだって悪いしな。  そう思ってなんとか春夏秋冬ひと回りの季節を耐えてきた。だが、さすがにもう限界だった。五月でこれだけ暑いのだ。日本の首都東京はいよいよ亜熱帯化してきているのだろう。これから迎える夏をまえに、引っ越しの決意ができたことを心の底からよかったと思った。 「本当に引っ越すんだよな」  しみじみ思う。男は急にこの部屋に対する未練を感じた。  本当は、引っ越しなんてしたくない。
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