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「いらっしゃいませ」
「あのぅ、すみません 店頭に貼られている物件が気になったんですが」
穏やかな平日の昼下がり 不動産屋にフラリとお客が訪れた
店員のお姉さんが対応しようとすれば奥から店長が小走りで登場
なにやら随分と慌てた様子だ
「あれ?どうしました店長 今日はこもって事務作業だと」
「いいから下がりなさい 事情は後で説明するからとりあえず今は!」
「……はぁ、わかりました」
なにやらゴニョゴニョと耳打ちされ、しぶしぶ奥へ引き下がる
それでも内容が気になったのでお茶を出すついでにチラリと拝見
すると店長がにこやかに紹介していたのは曰くつきの事故物件だった
「ありがとうございました」
ものの30分でお客は退店 満足気なホクホク笑顔で上機嫌だ
反対に店長は疲れ果て、座り込んで動かない
「なんか見事に燃え尽きてますね そんなに大変なお客だったんです?」
「……アイツはね、この界隈で有名な引っ越し魔なの」
「引っ越し魔?」
「半年も住まずにあっちこっち転々と引っ越しを繰り返す要注意人物 ブラックリストの一員よ」
「変な人ですね そんなのお金かかって仕方ないじゃないですか 敷金礼金家賃はもちろん、1年未満の退去だと違約金なんかも」
「俺達も最初はそう思ったさ 金をばら撒くカモが来た!搾れるだけ搾ったろ! ところが物件選びが抜群にうまくて」
「そういえばさっきも店頭のチラシを見てから入ってきましたね」
「そこら辺をちゃんと確認して、敷金礼金ゼロの物件や違約金がかからない不動産屋を狙ってくるんだわ」
「う~ん なんかそういう行為自体を楽しんでそう」
「おそらく物件選びが好きなんだろう それに不動産屋との鍔迫り合いもしたいみたいで」
「結構値切ったりしてきます?」
「してくる なまじ引っ越しの経験が豊富で知識はあるから、ふっかけようとしたらすぐ見抜かれる」
「厄介ですね」
「厄介なんだよ 稼ぎもちゃんとある金持ちだし」
「でも断ればいいじゃないですか? 審査に落ちたとか嘘ついて」
「それが大家と引っ越し業者には大人気でな もはや顔パスですんなり通る」
「そりゃあ金蔓ですから引く手あまたでしょう」
「生活態度も優等生なんだよ ゴミ捨て場の清掃もするし、近隣住民に挨拶もするし、半年でいなくなるなんてもったいない!もっと長く住んでくれ!そんなラブコールで持ち切りさ」
「まさか引っ越し業者にも?」
「百点満点の態度を取る 荷物のまとめ方も綺麗だし、雑に扱って壊れるような物は一切ない なんなら差し入れも渡すそうだ」
「だとしても嘘はつけますよね 審査落ちたんで無理です!なんて」
「そしたら次の物件を紹介しないといけないだろう?」
「それでもいいんじゃないですか? たとえ半年でも住んでもらえれば」
「コチラとしてはできるだけ長く住んでほしいんだよ どうせ半年で出ていく奴にどんな物件を紹介すればいい?」
「……あ~ 確かに悩むかも」
「好条件な物件は目玉で残して広告塔に使いたい かといって悪条件の物件を紹介しても出ていく期間を早めるだけ そうしてまたどこかの不動産屋にやってくると」
「なんか爆弾ゲームみたいですね それならいっそ出禁にして、もうアナタに貸せる部屋はありません!!って断ればいいんじゃ」
「そうするつもりだったんだが、ある不動産屋が解決策を見つけてな 幽霊が出る事故物件を紹介したんだよ」
「えっ!そんな馬鹿な 流石にそれはマズいんじゃ」
「この部屋は幽霊が出ます!なんて正直に伝える店はどこにもないし、どうせ半年で出ていくんだから何が起ころうと関係ない コチラとしては腐らしてる部屋だから、短期間でも住んでくれるだけで儲け物」
「でも希望の部屋じゃないのなら、そこは嫌だとごねませんか?」
「残念ながらそこは別な方とのお話が進んでまして、こちらの部屋だったらすぐに紹介できるんですが~なんておべんちゃらで誤魔化すのさ」
「それが本当に通用するんです?」
「通用しちゃったのよ 結局は引っ越したいだけだから、物件のこだわりはそこまでないらしい 大抵そういう事故物件は敷金礼金ゼロの特別に違約金無し!なんて場合が多いしな」
「なるほどそれなら希望通り なんなら私の為に特別に出してくれた!みたいな優越感を味わってそうで呆れちゃいますね」
「アイツは霊感なんて全く無いし、賢い割に鈍感なんだよ さっき紹介したのもホントに出ると不評の部屋だし」
「3丁目の木造マンションですよね? 1回内見の付き添いで行きましたけど、暗い雰囲気で頭痛くなっちゃって」
「帰宅したら勝手にTVがついていた 風呂の鏡に子供の手形が! 不気味な体験談はいくらでもある」
「内見のお客さんも入った瞬間に顔曇ってましたもん 事故物件でも気にしねぇ!安けりゃどこでもハッピーだ!な~んて啖呵を切っていたのに」
「他の不動産屋が紹介してるのも似たり寄ったりの激ヤバ物件だ 不思議とアイツが住んだら幽霊が出なくなる!そんな噂もあるんだがな」
「まぁ3丁目なら立地だけはいいですから、幽霊が消えれば万々歳ですよね だけど家族で住むには狭すぎません? 夫婦2人ならまだしもお子さんがいるならもっと大きくないと」
「……いや?アイツは一人暮らしだが?」
「フフッ、またまた店長!驚かそうとしても無駄ですよ! 奥さんとお子さん連れて3人で来店したじゃないですか」
「何を言ってるんだ どう見ても1人だけだったぞ」
「……え?だってほら、私の出したお茶」
指差した先にはコップが確かに堂々3つ
お茶が2つと子供用にオレンジジュース
「あれ?なんだコレ 接客してた俺も今の今まで気がつかなかったぞ」
「だってさっきまでいたんですもん そりゃ違和感ありませんよ」
「だからいなかったって! 俺が接客したのはたった1人だけ、しかも有名な引っ越し魔なんだから見間違う訳がない」
「……ねぇ店長 あの人が住んだら幽霊がいなくなるんですよね?」
「あぁ 本当かどうかわからんが、そんな噂を聞いたことが」
「もしかしてその部屋にいた幽霊があの人に憑りついてる、とか?」
「そんな馬鹿な 部屋よりアイツの方が住みやすいってか それじゃあまるで」
「……引っ越し、みたいですね」
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