消えるメッセージ

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消えるメッセージ

 山中は医師からジアゼパムという抗不安薬を処方されている。不眠症が原因で精神病を患ってからというもの毎日のように幻聴が聞こえるのだ。それは「言葉」と言うよりは「音」に近い。山中はそれを《宇宙人》が話しかけてきていると解釈している。何らかの信号を山中の脳に送っているのだと。  最初は何がなんだか分からなかった。人間の言葉ではないので想像力を使って解読しなければいけないからだ。でも何度も聞いているうちに、段々その音の意味するところを理解できるようになった。今では一人暮らしの孤独な山中にとって、この宇宙人の声はたった一人の大切な話し相手なのだ。  嗚呼また聞こえてきた。いつもの宇宙人の声だ。 (ぽぽぴぴぴ:メッセージを受信した)  なんだって?  山中はスマートフォンを手に取った。画面を見ると何年も前にインストールしたアプリに着信通知が付いている。それは高いセキュリティが売りのシークレットメッセージングアプリだ。インストールはしたけれど、元々人付き合いが少ない上、日本語未対応なこともありメッセージを送る相手がいなく、結局一度も使ったことがなかった。  久しぶりに開いたそのアプリで、送られてきたメッセージに目を通す。 『こんにちは。お隣の吾妻リンコです。これが私の番号です』  目を丸くして驚いた。座布団の上で正座をし姿勢を整えて、早まる呼吸を抑えながら、一文字一文字丁寧に読んだ。吾妻(あづま)とはこの漢字だったんだ、東じゃないんだな、リンコはカタカナなんだな、と。嬉しさのあまり、満面の笑みでスマホを持ち上げたまま布団のある後ろへと、体をのけぞらせて倒れた。  そんな風に浮かれて喜んでいる時、スマホの画面からそのメッセージがゆらゆらと揺れて消えた。  え、え、なんで消えたんだ? 嗚呼そうか。  山中はすぐに思い出した。このシークレットメッセージングアプリは、高セキュリティのためメッセージが表示されてから30秒経つと自動的に消えるのだ。更に通信内容がすべて高度な暗号技術で暗号化されているため、他人に通信データを傍受されても内容を読み取られる心配は無い。その上サーバーにもメッセージのやり取りは保存されないのだ。山中はこういうガジェットを好む性格だが、周りに自分と同じ趣味の人間はいなかった。それなのに突然隣に引っ越してきた若い娘がこのアプリを使う事に驚き、嬉しくて舞い上がった。早速返信を打つ。 『山中です。メッセージありがとう。まさかリンコさんがこのアプリを使う人だとは思わなかったよ。僕達は趣味が合うみたいだ。いつでも気軽に話しかけてくれていいからね』  このくらいは言っていいだろう。隣の(よしみ)だ。俺はリンコさんにとって優しい男に徹するさ。大家の婆アには今まで通りだけどな。 (ぽぽぴぴぴ:メッセージを受信した)  嗚呼、また幻聴だ。しかし嬉しい幻聴だな。リンコさんからのメッセージの受信を知らせてくれる。俺の幻聴は俺の味方だ。そうだよ、前からそう思っていたさ。宇宙人はいい奴なんだって。  スマホの画面をタップしてリンコからの返信を確認する。 『ありがとうございます。あの、山中さんの下のお名前をお聞きしてもいいでしょうか? 山中さんはリンコと呼んでくださるので、私も今度から下のお名前で呼んでみたいです』  心臓が跳ね上がった。  俺のことを下の名前で呼んでみたいだって? リンコさん、あなたはなんて特別な人なんだ!  またメッセージがゆらゆらと揺れてスッと消えた。すぐに返信を打つ。 『僕の名前は敏夫 (としお) だよ。下の名前で呼んでくれると僕も嬉しいよ』  こちらから送ったメッセージも30秒経つと消えた。もうスマホから目が離せない。次のメッセージでリンコは山中のことを『敏夫』と下の名前で呼ぶ筈なのだ。いつ次のメッセージが届くのか待ちきれず、ずっと画面を凝視した。  10分経った。  30分経った。  急用でもできたのだろうかと不安になる。  結局その日、山中は深夜まで画面を見続けていたがリンコからの返信が届くことはなかった。
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